第20話 友だち

 10月になった。彩葉は大学病院に来ていた。夏休みに来た時、3ヶ月ほどしたら来いと言われたのだ。何か変わったことはと聞かれたが、特に何もない。診察は5分で終わり、また3ヶ月ほどしたら来てとの事だった。眼科医もお手上げのようだ。ついでに病棟の面会室で景色でも眺めて来ようかな。彩葉は軽い気持ちでエレベータに乗り、適当に3階のボタンを押した。

 3階は外科だったが、どのフロアも配置は同じだろう。エレベータホールからナースステーションの前を通って、角を曲がれば突き当りに面会室がある筈だ。彩葉はナースステーションの前を通過し、廊下に置いてある大きなワゴンを避けて進もうとした時、ワゴンの先から大声が聞こえて来た。


「高倉さん!」

「はい」


え?翠の声だ。そうか、実習か。看護科では何週間か実際の病院で実習をするって翠から聞いた事ある。ここにいたのか。朱雀先生のいた病院を選んだんだ。パタパタと駈け寄る音がして、彩葉は立ち止まった。顔合わせるのは気まずいよな。何しに来たって思われちゃう。やっぱ引き返そう…そう思った時、


「高倉さん、これ一緒にしちゃ駄目でしょ!」


ヒステリックな声が聞こえた。病院なのに…。


「はい。えっと、さっきまとめとけって言われて」

「そんな筈ない!一緒にしたら中から探すの大変なんだから、そのせいで処置が遅れて生命に関わることがある位、 高校生なんだから解るでしょ!すぐに分けておいて!」

「はい…すみませんでした」


 彩葉はドキドキしながら、ワゴンの陰からそっと覗いてみた。看護師のユニフォームを着た翠が、年配の看護師と向かい合っている。翠の胸には初心者バッチと『実習中』のプレートが付いていた。今聞いた話だけだと、何だか理不尽に聞こえる。彩葉はワゴンの陰から盗み見を続けた。


「そんな半端な覚悟で来られちゃ迷惑よ!実習生だからって甘えるんじゃないよ!患者は待ってくれないのよ!」

「はい。すみません」


 年配の看護師は、大声で『ったく使えないんだから』と吐き捨てると、つかつかと先へ行ってしまった。書類の束を抱えた翠はこっそり涙を拭っている。  翠…。

 

 彩葉の頭に翠の言葉が数々よみがえった。


『春の色、見せてあげたいよ』

『またそんな不憫な事言うー』

『彩葉がフルートでドを吹くと、きっと紅に聴こえるよ』


そして、


『でも信じて!お願い、断って!』


 あれ以来、ずっと喋ってないんだ。保健室に運ばれて以来3ヶ月以上も。その間、翠は何を思って過ごしたのだろう。翠はあの日の事を、どう受け止めて消化してきたのだろう。時間が無造作に過ぎてしまった。


そして、同じ歳なのに、実習とは言え翠はもう世の中で働いている。それも人の生命を左右するガチンコの場所で。私、なんであの時翠の言葉を素直に聞けなかったんだろう。赤色なんて見えなくて良かった。朱雀先生が元気で今も傍にいてくれたら、そっちの方がずっと良かった。翠はその為に言ってくれたのに…。


 書類の束を抱え、しっかり前を向いて歩いてゆく翠の後ろ姿に、彩葉は頭を下げた。ごめん、翠。



 その週の副科実技の時間に彩葉は瑠璃に打ち明けた。誰かに聞いて欲しかった。自分の中に留めておくと胸が破裂して遣りきれなさにまみれてしまいそうだった。


「あの、瑠璃先生にはどうでもいい事かも知れませんけど」

「うん?なに?」

「1学期末の演奏会の朱雀先生の伴奏、させないでって言ってくれた友だちがいたんです」

「へえ?藪から棒に何よそれ」

「中学からずっと友だちで、ずっと私のこと支えてくれた子なのに、私、それを冷たく断っちゃって」

「何だか判らんが、それも看護科の高倉さん?」

「はいそうです。翠って言うんです。でも、朱雀先生が倒れられて、それで私と気まずくなってずっと話もしてないんです」

「なんだよその女子っぽい話。私も女子だから判らんでもないけど、それがどうしたの?」


「一昨日、大学病院に目の検査で行った時、翠がそこで実習してて、年配の看護師さんに意地悪されてて、それでも頑張ってて、今までのいろいろなこと思い出して、それで私反省しました」

「ふうん、良かったじゃん」

「まあそうですけど、どうやって翠に謝ったらいいかなって」

「めんどくさい子だねえイロハも。そんなの『ごめん 私が悪かった』って言うだけじゃない。つべこべ言うと余計にこじれるよ」

「やっぱりそうですよね」

「あ!」


瑠璃は手を打った。


「ちょっと待った。その子、大学病院で実習してるって、何科?」

「えっと、外科…だったような」

「外科!やったじゃん。会わせて!私に」

「は?」

「立ってる者は親でも使えって言うでしょ?」

「はぁ」

「すぐ連絡して。私が話する。私も一回会ってるから抵抗はない筈よ。いい?」

「はい…」


 彩葉はスマホを手に取った。

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