第19話 探偵ルリ

 翌週、瑠璃は練習室に入るなり、彩葉の挨拶も無視して椅子にドッカと座り込んだ。


「あのさ、調べたんだ。イロハは先天性の一色色覚だったよね」

「はい」

「証拠は?」

「はい?証拠なんてないですけど小さい頃からずっとですから」

「先天性は治りっこないんだってよ」

「はい。眼科の先生もそう仰いました」

「じゃあ、違うじゃん」


「え?」

「考えてみな。治りっこないものが治ったんでしょ?じゃ先天性じゃないってことだよ。イロハが覚えてないだけ」

「はあ、そう言われても」

「その眼科の先生ってイロハのことずっと診てる先生?」

「そうですけど…」

「よし、その先生に聞いてみよう。この授業が終わったらイロハ帰るんだよね」

「はい」

「じゃ、連れてってよ今日、その先生のとこ」

「え?先生帰らなくていいんですか?東京」

「ん。朱雀の部屋あるし、ちょっと面白そうだし」


 終業後、待ち合わせた瑠璃と彩葉は、北御門眼科を訪れた。白髭の北御門医師は突然の来訪に驚いた。


「今度はどうしたんですか?」

「どうもしていないんですけど、あの、こちらは私の高校のピアノの先生で貝原先生です。ちょっと伺いたいことがあるって」


瑠璃は軽く頭を下げてストレートに切り出した。


「彩葉さんが赤色を認識できるようになったというのは先生もお聞きですね?彼女は先天性の一色色覚と思っているようですが、私が調べたところ、先天性の場合は治らないとありました。だから、ぶっちゃけ、先天性ではないのではないかと思うんです。そうだとしたら、ひょっとして回復する可能性もあるんじゃないかと。そこで彼女が小さい頃、後天的に色覚障害になるような、そんなきっかけを何かご存じないかとお伺いした次第です」


 美人の瑠璃がいつもにはない丁寧上品に喋るさまに、彩葉は感心した。のっけから北御門医師が押されている。北御門医師は髭を触りながら考えこんだ。


「うーん。糸巻さんが来たのはほんの2歳頃だったかなあ。お母さんが『この子、色が解らないみたいなんですけど』って悲愴な顔をしてお見えになったの覚えてますね。いや、あの頃の糸巻さんはホント可愛かったなあ。言葉もまだカタコトでねえ」

「先生。今も可愛いです」


彩葉がぶすっとして返す。


「いやいやそういう意味じゃなくてさ、可愛さの種類が違うんだよ。いろんな所によじ登ろうとしてさ、怒られて泣いちゃってさ、そりゃ子供にとって、危害の心配がないなら病院ってワンダーランドだもんなあ」


瑠璃が話を遮る。


「で、関係ありそうな点はありますか?」

「ああそうそう、流石に覚えてないからちょっと待って。カルテ見るから」


 北御門医師は傍らのキャビネットを開き、髭を触って唸りながら眺めていたが、急に手を打つと、その中のバインダーを1冊取り出した。机の上でページを繰る。うーん、えーっと、15年前だよなぁ。ってことは~… ああ、あった、何やらぶつぶつ言いながら読んでいる。


「残念ながらそれらしき記録はないねえ。お母さんからの申告だけだから。あ、参考事項だけど、1歳で一度外科に入院って書いてあるねえ。そうそう、腕に縫った痕があったから聞いたんだ」


瑠璃が聞き返した。


「それが色覚障害に繋がることってありますか?」

「いや、あんま聞いたことないなあ。目に怪我したり脳にダメージ受けたりしたら別だけど」

「イロハ、覚えてる?ってか、腕見せて」


 彩葉は両腕の袖をまくった。瑠璃がじっと観察し、北御門医師も覗き込む。


「これ…かな?」


 瑠璃は、彩葉の右腕の前腕部の外側にうっすらとした線を見つけた。


「よく見ないと判んないけど、これって縫った痕かな?イロハ判る?」

「いえ、自分でも初めて見た気がします。演奏に影響ないですし」

「そっか。じゃ、お母さんに聞いてみて。どこで治療したか判れば、そこでまた何か判るかも」

「はあ…」


 帰宅した彩葉は早速母親を捉まえて聞いた。


「お母さん、この線って何かの傷痕?縫った痕?」


腕まくりした右手を彩葉は突き出す。


「んー?ああこれね。そうそう縫ったのよ。あんたがちっちゃい頃」

「なんで?」

「あー、ごめんね、山でさ、木の枝でここのところを切っちゃったのよ。刺さったみたいになって。たまたまそこにお医者さんがいてね。応急処置してくれて救急車で運ばれて縫ってもらったの。女の子だから傷痕残ると可哀想だからって、直接大学病院に電話してくれていろいろやってくれたのよ」

「へえ。そのお医者さんはどうなったの?」

「さあ、それきりねえ。お父さんもお母さんも一緒に救急車に乗ってったし、名前も聞いてないのよ」

「えー?それって失礼じゃないの?」

「いいからさっさと乗って早く行かなきゃ!って言われたからさ。こっちも気が動転してるし、彩葉は血が出てギャン泣きだし、必死だったから。今思えば失礼だったわね。お礼もロクにしてないし」


 彩葉はやれやれと首をすくめた。


「で、病院は大学病院だったのね?」

「そうそう。そこはクリア。まだ古い建物だったから、今より全然小さかったけどね」

「ふうん。有難う」

「どうしたの?」

「ううん。先生がさ、これ見つけてどうしたのって聞いたから」

「ああ、演奏会では腕出すもんねえ…。よっぽど近づいて見ないと判んないけどねぇ」


 翌週のレッスンで、彩葉は瑠璃に『木で切ったみたいで、病院は大学病院でした』とだけ伝えた。目とはあんまり関係なさそうと思ったのだ。


「そっか、単なる怪我が。迷宮入りかなこりゃ。大学病院はヒアリングって面倒くさそうだしなあ…」


 探偵瑠璃も浮かない顔だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る