第9話 伴奏はアカペラ

 翌週の副科実習。彩葉が練習室に入るとピアノの上にメモが載っていた。


『糸巻さん 5分待ってて。交渉中  貝原』


 何やってんの?貝原さん。もしかして先週言ってた期末演奏会の話かな。オレが…とか言ってたけど、それで私は『冗談は休みの日にして下さい』とぶった切っちゃったけど、本気なのかな。だって貝原さん声楽でしょ?私が伴奏になっちゃうよ…。


ガチャッ。ちょうど5分を過ぎた頃、ドアが勢いよく開いた。


「イエーイ!決まったぜー!」


喜色満面の朱雀に、彩葉は複雑な顔になった。


「あれ?彩葉ちゃん、お気に召さない?」

「糸巻です。授業中は」

「Oh…、折角説得したのにさ、小島先生。なかなかかったいねーあの人」


小島葉子(こじま ようこ)先生は彩葉の主科レッスンの先生だ。朱雀は椅子をガタガタ引き寄せて座った。


「何を説得したんですか?伴奏の話ですか?」

「そうだよ。そんなの聞いたことないとか、有り得ないとか、いろいろうっさい婆さんだねぇコジババ」

「あの、私も先生とやるなんて聞いたことないし、そもそも貝原さんって声楽って仰ってませんでしたか?もしかして私が伴奏ですか?」

「まさか。いろ・・じゃなくて糸巻さんの演奏会でしょ?オレが伴奏だよ」

「ピアノでも弾くんですか?」

「ま、それでも良かったんだけどさ、ちょっと今自信ないんだよね。キミの演奏会ぶち壊す訳にいかないからさ、歌う事にした」

「えー?ホントに声楽でやるんですか?」

「おう」

「聞いたことないですよ。声楽の伴奏って。コジババの言う通りですよ」

「大丈夫!アカペラみたいなもんだと思ってくれたまえ」

「…」

「曲も決まったよ。ベームの『うつろな心 Op.4』。オーソドックスなところだし、難易度も丁度いいし」

「ピアノアンサンブルですよね」

「そ。そのピアノがオレだぁ」

「はあ?」


 大丈夫かなあ。まあピアノはそれ程ややこしくなさそうだから、うーん、でもなあ…。

朱雀は彩葉の顔を覗き込んだ。


「そんなに落ち込まない落ち込まない。最悪ピアノでやるからさ。一応弾けるとは思うんだけど、タッチのコントロールに自信なくてさ。フルートより目立っちゃうと拙いでしょ」

「声楽でも充分目立つと思いますけど…」


 朱雀はゴソゴソと鞄から楽譜を取り出した。


「はい、これ、糸巻さんのね。フルートはコジババに見てもらって自分で練習してね。ここでは合わせる練習するからさ」


彩葉は楽譜を受け取りながら呟いた。


「ヤバい。コジババって言っちゃいそう」

「オレもだ」


二人は顔を見合わせて笑った。


 その日から朱雀は彩葉のフルートに合わせて、伴奏を『歌う』練習を始めた。普段の会話と違って、確かにいい声なんだけど、これって誰のレッスンだか判んないな…。ボヤキながら彩葉も初見の楽譜に取り組み始めた。

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