StrawberryMoon.(3)

「ブログを始めました」と短いメールが届いた。僕は夜勤中はケータイを見ない。それどころか、当時は持ち歩く習慣も無かった。仕事の連絡で必要だろうと言う意見もありそうだが、割と「外注のフリーランス」の場合は在宅で仕事をすることが多い。撮影に出る時だって、大抵は一人で行って撮影してくるだけだし、誰かと一緒に取材先に行く場合は待ち合わせ時間等の打ち合わせは終わっている。そもそも撮影で外に出っぱなしなんてことは滅多に無いのだ。気づけばポケットに入れていく。ソレが僕とケータイの付き合い方だった。夜勤を終えて、帰宅する途中で新しく買ったスマホを見る。スワイプするだけでメールの確認が出来るのは便利だった。そのメールボックスに「渚」の文字。夜勤明けの疲れも吹き飛んだ。いや疲れてないけど。渚が僕を真似てブログを開設した。逸る心を抑えて僕は帰宅した。パソコンでじっくり読もうと思ったのだ。しかし、記事内容は素っ気ないもので、今も覚えているのは渚のブログIDと、1枚だけ貼られた渚の部屋の写真。文章は憶えていない。でも、僕はその写真を見てちょっとドキドキした。女の子の部屋に入ったような気持ちになれたのだ。その写真はテーブルの上にある料理を撮影したもので、ウィスキーのボトルも写っていた。ジャックダニエルだった。女の子にしてはずいぶんとハードなモノを飲むんだなと妙な感心をした。僕は「足跡」だけを残して自分のブログに戻った。相変わらず、我がブログの読者は紳士ばかりだった。どこまでも紳士しか集まらないのが僕のブログの特色で、それは「おっぱいをこよなく愛する紳士」であったり、「風俗店情報を告知する紳士」だったりする。驚くことに「レディ」(淑女)も一人いた。相変わらずジェントル「まん」なコメントを残していた。彼女は「飛び魚倶楽部」の部長で、「飛び魚」とは、ベッドでは「マグロ」の対義語らしい。もうピチピチとよく跳ねる、反応のいい女の子さんであった。いつも上品な下品さを醸し出す不思議な人で、某有名企業の「オナホ」をコレクションしていた。しかも「買い集める」わけではない。その企業のキャンペーン等でプレゼントされるオリジナルグッズと共にコレクション収集するのだ。女性が、である。僕もソレを真似て集めてみた。簡単な応募文を添えて申し込むと、審査のうえで送られてくるオナホ。Tシャツもコンプリートした。赤・白・黒の3枚で、胸にはそのメーカーの名前がデカデカとプリントされてる非常にクールなTシャツだった。


僕は自分のブログではあまり私生活を出さない。ネットで個人情報を垂れ流すと怖いことになるのを知っていたからだ。住んでる街ぐらいは書くが、個人情報は一切書かなかった。きっと、当時の読者は僕のことを「そこそこイケてる男」だと思っていただろう。生憎、工場勤務のおっさんであった。


そんなわけで、やはりその日はくだらない話を記事にしたように思う。流石に渚が読んでいることは分かっているので「風俗ネタ」は書かなかった。多分、おっぱいのことを書いたのだと思う。渚はさっそくコメントをしてきて、ソレが「大きさって気になるの?」だったからだ。当時のブログ文化で、コメント欄は割と慣れ合いばかり。それはつまり、コメントする読者は全員がお互いのブログを通じてやり取りをしていたと言うことだ。そこへ「渚と言う名の闖入者」が現れた。「説明を求める」と言う読者声明が出されたが、僕は「友達だよ。最近ブログを始めたみたいだから、仲良くしてやれ」と命令した。コレで渚を「いじる」馬鹿は出ないだろう。その程度には僕のブログは尊敬されていた、変態たちに。


 しかし、嘘はつき通せないもので、渚が僕の大事な人であることがバレた。この時点で渚に絡もうとする読者はいなくなった。バレたならバレたで記事にしてもいいと考えた。渚はボーイッシュな美人だったので、「ナウシカみたいな人だよ」と書いたら、コメント欄で「らんらんーらんって歌えばいいの?」とご本人が降臨したりした。駄目だ、この人は可愛い過ぎる。

しかし彼女も慣れたもので、一切の個人情報を出さなかった。勿論、僕とリアルで会うなんて予定を書き込むことは無かった。

 渚の「プロフィール」を書いていなかった。美人で背が低いとは書いたが、ボーイッシュである。いや、単に髪型がショートボブの黒髪と言うだけで、リアルに見れば怖いくらいに「女」であることが分かるだろう。身長は多分145㎝ぐらいはある。切れ長の瞳は大きいが、整形美人のような不自然さは無い。まつ毛が長い。体型は・・・瘦せ型だと思った。色白で声はやや低めだが女性らしい声質で、何よりも迫力があった。「ヤクザの情婦だよ」と言っても通用するぐらい怖かった。ややタヌキ顔。似ている芸能人はいない。そんな芸能人がいたら、僕はファンクラブに入っていただろう。雰囲気が近いのが若い頃の浜崎あゆみ。「エボリューション」と言う歌のPVがまぁそこそこ似ている。アレで黒髪ならかなり近いかと思う。小さいし。


夜勤してブログを書いて、社長に借りた金は返さずに迎えた2回目のデートの日。


 僕は前回は渚に先乗りされたので、今度は僕が待とうと30分前に駅に到着。これなら流石に渚を待たせることは無いだろう。梅雨の真っ最中だったが、幸い雨は降っていない。蒸し暑いが梅雨なので当たり前だ。渚は約束の時間の15分前に現れた。改札がちょっと複雑で、他の路線の改札を出て、すぐにこの駅の改札を通過する。まだSuicaが普及する前の頃だろう。改札に切符を通してからこの駅の改札のゲートに食わせるわけだが、渚は当時出たばかりの「おサイフケータイ」を使っていた。その仕草がカッコいい。二つ折りのケータイが一般的だった頃だ。そのケータイを改札のリーダー部にタッチして抜けてくる。僕を発見すると小走りになって近づいてくる。「待たせちゃいました?」いや、約束の15分前です大丈夫です。「どうします?」と訊いてくる。予定ではスパゲッティレストランで食事だが、昼時はランチタイムで混むから、時間をズラしたい。「お茶でも飲もうか?」と言うことで、またベックスへ。ここは奥に入ってしまえば、多少長居をしても大丈夫だ。僕は相変わらずのアイスコーヒー。渚は色々悩んだ挙句、結局はアールグレイのアイスティで妥協したようだ。席に着くと、話題は自然とブログのことになったが、この話題は避けたい。僕はブログで「おっぺぇ」を語りたいのだ。渚はストローを咥えてアイスティを飲むことに夢中だ。暑いらしい。そりゃそうだろう、長袖の割としっかりとした生地のブラウスを羽織っている。下には黒無地のTシャツ。アイスティを半分ほど飲むと、大事そうにテーブルに置いて、今度はお冷を飲む。アイスティぐらい奢りますが?


「初音ミクって知ってます?」といきなり話題が飛んだ。一応は知っているが、それはボーカロイドの絵だけのことで、実際どんなものなのかは知らなかった。今でも分からないが、エロいのは知っている。

「初音ミクが欲しくてお店に行ったんですけど、アレ、パソコンが無いと無理なんですね」

そうなんですか?

「でもパソコンは高いしなぁ・・・」とぼやく。流石に「買ってあげるよ」なんて言えない。当時のパソコンはかなり割高だったのだ。それでも僕はこの渚の「ぼやき」を、皺の少なめな脳に彫刻刀のような意志で刻み込んだ。もうちょいフリーランスの仕事があればなぁ。

「あっ、そう言えば安元さんは写真をやるんですよねっ!」

「多少は。高校時代は写真部だったし」

「ブログの写真、私好きです」

嬉しいことを言う。しかし、なんでこの人は僕に食い付いてくるのだろう?当時は病み上がりで今よりもかなりスリムだったけれど、女性にモテるような容姿では無かった。身長だって低い。写真の話題になれば僕は無敵だ。しかし、また話は逸れる。よくあることである。女心は移ろいやすいのだろう。あちこちに話題が飛んで、深く話し込むことも無くちょうどいい時間になった。ランチタイムの混雑は解消され、まだ店はランチタイム中と言う時間が一番お得だ。ランチメニューならそこそこに安い。

「じゃ、行こっか?」

「あ、はい」

まだ他人行儀な部分が多々ある。と言うか他人だから仕方ない。僕は渚の前にあるトレーとグラスを自分のトレーと重ねて持った。渚はバッグの中をゴソゴソと探っていた。特に意識することもなく、トレーを返却場所に片付けて店を出る。渚はやはり僕の半歩右後ろをついてくる。ずっとそうだった。スパゲッティレストランは駅からちょっと離れていた。その分、メニューは安いのだからありがたいと思わなければならない。のんびり歩いても10分。雑居ビルの5階にその店はある。吉野家よりは女性向けの店で、女性を連れて行っても恥ずかしくは無い。見栄を張って連れて行くほど高級な店でもないのがちょうどいい。高い店ならいくつか知っているが、渚と何回デート出来るか分からないのだ。過剰投資は避けたい。せこいが仕方ない。もう少しすれば病院への返済も終わる。それまではなるべく節約しなければ。


店に入ると、ウェイターがランチメニューと通常メニューを持ってきた。時間的にランチにはギリギリで間に合っているが、通常メニューの注文も欲しいのだろう。渚はごく自然に通常メニューを開いた。ランチメニューは1枚だけラミネートされた簡素なもので、一瞥すればどんなメニューなのか分かる。渚の目にかなう料理は無かったのだろう。

「何でもいいの?」と訊いてくる。好きなものを食べればいいと思った。今度は奢りたいが、前回の記憶が甦る。またレジ前でお金を押し付けてくるかも知れない。

「ウニクリームのスパゲティと、チキンの冷製サラダ。飲み物は紅茶で」締めて2千円ほどのオーダーである。僕は普通にランチメニューからミートソースを選んだ。飲み物はコーヒーで。

駅のカフェよりも、勿論吉野家よりも静かな店内で渚の声だけが聞こえる。いや、音量を絞ったBGMは流れているが耳に入らない。

「安元さんはこの店によく来るんですか?」

「たまに来るぐらいだよ。あまり外食はしないから」

「そっかー。もしかしたらここでも会っていたかなって思った」

「谷口さんはこの店を知ってたの?」

「私、元はこの市の住民です」(笑)

「へぇ・・・こっちが実家ってこと?」

「んーん、実家はね、九州なの」

「結構遠いじゃん。なんでまたこの街に?」

「就職とか色々。安元さんは地元?」

「この街はさ、俺が産まれて死ぬ街だよ。出る気は無いんだ」

「ソレ、いいね」


 先にチキンのサラダが運ばれてきた。僕にはランチの小さなサラダ。渚はチキンを豪快に突き刺すと、僕を見て「少し食べる?」と言った。なんだろう、この幸せな時間は。

「少し」と答えた。渚はチキンを半分、僕の前にある小さなサラダに乗せてくれた。

「はい、あーん」などと言う甘い事案は起こらなかった。いや、昼間っからそんなことをしたら、世界中の男から呪われるだろうし、ウェイターがフォークを取り落として大騒ぎになる。


チキンは美味しかった。


スパゲッティレストランなので料理のサーブは速い。しかもランチタイムも終わっている。この店はスパゲティにフォークとスプーンを付けてくる。僕はちょっと迷ったが、カッコつけても無意味だと悟り、スプーンとフォークで食べ始めた。渚は器用にフォークだけでスパゲティを巻き取っていく。未だにどっちが正しいマナーなのか分からない。イタリアでは「スプーンを使うのは子供だけ」と言うし、日本では「スプーンを使うのがマナー」とも言う。食べやすければ何でもいいと僕は考えているし、割り箸を出してくるスパゲッティレストランもある。ウニクリームのスパゲティには、「うに」が3つ乗っている。

「食べる?」と、今度は食べかけの皿にあるウニを僕に勧めてくる。「苦手」と答えた。僕はこの人に「嫌い」と言う言葉は使いたくない。

「そうなんだ。安元さんは何が好き?」

僕はこの瞬間、うっかり渚を見詰めてしまった。間て、僕。ソレはラブコメでしか許されない行為だ。

「私は食べ物じゃありません」

何故か渚は照れながらうつむいてスパゲティをフォークに巻き付けている。この「萌えを誘う生き物」は何なのだろう。つまりは可愛い。

「特に好きなものは無いな。外食だとラーメンだけで済ますことが多いし、立ち食い蕎麦も好きで、吉野家はおれの青春が詰まっているし」

「偏ってる」

「一人で外食だよ、安く済ませたいなんてことが多い。一人で料理を待つもの好きじゃないし」

「一人?」

「俺には友達があまりいないんだ」ゼロに近いとは言えない。

「そうか、自炊してるんだよね確か」

「そうだな。安上がりだし、不味くは無いしさ」

「食べてみたいな、安元さんの料理」

「じゃ、材料調達で、先ずは魚釣りから」

「えー、スーパーに並んでるじゃん、魚」

「アレは死体だ」

「何言ってんの(笑)まな板に乗る時には全部死んでるじゃない」

「じゃ、牛」

「無理無理」


 静かな店内で、声こそ大きくは無いが、それなりに楽しく食事をした。最後に運ばれてきた紅茶とコーヒーは、除湿目的もあるのだろうエアコンの寒さを緩和してくれてホッとした。

食事が終われば長居をする場所ではない。渚は満足したようだ。僕は伝票をつまんでレジに向かった。さあ来るぞ、「コレ、私の分」と言う2千円が。

来なかった。


渚は僕が支払うのをただ見ていた。奢りってことだろう。しかし、渚がこんなことをすると、これまた洗練されていてカッコいい。ビルを出たところで渚は「ごちそうさま」と丁寧にお礼を言った。そう、コレでいいんだ。

 店を出た後は、食事中に決めたコースを歩いた。家電品を見て、僕が欲しかった本が発売日2日過ぎなので、書店に寄った。渚は僕の買った本に興味津々であった。エロ本じゃないよ。新刊のミステリーだから。その後、渚のリクエストで洋服を見て歩いた。世の男性よ。女性との買い物に必要なのは「忍耐」であることを知ったうえで、必ず付き合う根性が必要だぞ。渚は気に入ったTシャツがあったようだが、別の店にも行って、先ほど見たシャツと比較を始めた。そして、他にも良さそうな候補を見つけて、前の店に戻る。女性の買い物はこんな感じである。挙句、「今日はいいや」である。ここでイラっとするなら、買い物には付き合わない方がいい。

本当に無駄にあちこち見て歩くから。

せめて、大きなデパートならこんな苦労は無いのだが・・・

時刻は夕方。そろそろ暗くなってきた。


「駅まで送るよ」と言った。


渚は素直に僕についてくる。駅の改札前でサヨウナラだが、「またメールする、メールしてね」との言葉だけが心地よく残った。

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