StrawberryMoon.

振りむいて僕を見る渚。僕は見惚れそうになりながら、見惚れながら考えていた。横断歩道の信号はまだ赤だ。(次はどこで食事をしようか・・・?)と考えて、僕はある事実に気づいた。


「次がある」と言うことだ。なんと言うことだろう。初めてのデートの食事に吉野家を使うような、鈍感過ぎて気遣いも出来ない貧乏人の僕に「渚とのデート権」はまだあると言うことだ。このチケットは大事にしないといけない。2回目でまた何かしでかしたら、きっと3回目は無く、僕はこの世界が滅べばいいと思いながら夜勤を続けることになる。僕は渚の隣に並んだ。とりあえず拒否はされていない。そして信号は青、僕が歩き出すと、渚は僕の右半歩後ろをついてくる。まだデートが失敗に終わったようではないみたいだ。さりとて、このあとどこに行くかはノープランである。「食事」と言う大きなミッションを失敗しながらも乗り越えた。イマドキの若い女の子さんは「どんな遊び」を好むのだろうか?僕の住む街ににある娯楽と言えば、カラオケぐらいである。「買い物して歩く」と言う手もある。しかし、この2つ以外に「女性を惹きつけてやまない」デートコースは無い。今から山に登るのも無理だし、海に行くにはまだ肌寒い。今まで付き合ってきた女の子さんはほぼ同年代だったので、それなりにカラオケとか、ボーリングとかで遊べた。何よりも話が合った。


しかし、目の前にいる渚は僕の半分の年齢だ。ジェネレーションギャップなんてもんじゃない。年齢差、ダブルスコアである。先ず「ボーリング」と言う選択肢は消えた。渚の爪は美しく整えられていた。ほぼ確実に爪を傷つけるゲームは嫌だろう。次に「カラオケ」と言う線も消える。あまりにも芸の無い選択だからだ。すると、残るのは「街を散策しながら買い物」と言うコースだろう。時計を見ると、時間はもう14:30を過ぎていた。ちょっと街を散策して、お茶でも飲めばいい頃合いだろう。初デートから「夜まで一緒にいたい」なんて大それた夢は抱かない。第一、渚ほどの美しい人が許してくれるはずもない。


「これからどうする?街中をぶらぶらしてみる?」もう、当時の僕は今よりもプレゼンテーションが下手であった。渚は長いまつ毛をちょっと伏せて、「このあと、他の男と約束があるの。どこかでお茶でもしない?」そうか、やはり僕は「暇つぶしの相手」でしかなかったのか。大きな石の下にいるダンゴムシの気分になりながらも、あと1時間ぐらいはこの人といられると言うことに魅力を感じていた。駅の反対側に出る。生まれ育った街だ、どこに何があるのかは熟知している。なるべく明るくて、混まなくて安い喫茶店を脳内検索する。しかし渚には「希望の店」があるみたいだ。「あっちにあるドトールでいいよ」だそうだ。この日のデートコースは高校生カップル以下である。ベックスから吉野家に行って、最後はドトールである。


「安元さんはストローを使わないの?」と訊かれた。僕はアイスコーヒーを飲むときにストローは使わない。ガムとミルクは入れるが、ホットコーヒー用のプラスチックのマドラーでかき混ぜるだけで、あとは直接がぶ飲みする。育ちが悪いと言われそうだが、実際に悪いので反論しない。あと、ストローで「吸う」と不味く感じる。


渚は上品に紅茶なんぞを飲んでいる。短く切り揃えたフレンチネイル。淡いピンク。小さな手。僕はこの手を握る資格は無いんだよなと思いながらも、憧れの視線で見ていた。渚が言うには、このあと16:00に次の待ち合わせらしい。なので、1時間ほどこの喫茶店で駄弁ろうと。勿論、渚は「待ち合わせに遅れるような人ではない」ので、15:45ぐらいにはお別れだ。僕は何を話しただろうか?遠い昔の話のように思えるし、ほんの1年前の話にも思える。仕事の話はした記憶がある。基本的に「寝ててもいい夜勤」なので、日曜でも平日でも時間は取れるよアピールはしたはずだ。渚も、仕事の都合で、休日は不定期だと言っていた。週休2日だが、土日とは限らないと言う話で、あまりプライベートに踏み込んだ質問はしない主義の僕だったが、仕事については聞いてみた。まさか「獄卒」では無かろうが、割と似合ったりするなあと思ったり。


「医療系の仕事なんです。看護士ではないけど、資格を持っているので」と言う話から察せられるに、医療事務ではないか。あまりがっついた部分が無い性格も納得がいく。渚には「余裕」があるのだ。「小さな病院ですけど」と続けて呟いた。連絡はメールですると決まった。お互いに不規則な勤務だったし、電話に出られない時間帯もある。僕は暇だが、夜勤明けで寝てる時に電話で起こされると、3歳児よりも機嫌が悪くなることがある。その点、メールなら、気づいたらチェックすればいいし、「今すぐ会いたい」なんて話は今後も出ないだろうし。ドトールの店内の壁に丸い掛け時計があった。ふと見て、僕は慌てた。次の待ち合わせだと言う時間まで5分も無い。「谷口さん、時間!時間!」と時計を見ながら告げると、「あ、ホントだ。ちょっとぐらいは待たせてもいいんだけど」と言う言葉にまで、僕は嫉妬した。自分でも卑屈だとは思う。「待たせても大丈夫なくらいの信頼関係」がある男がいるなんて・・・


しかし、メールでの連絡とは言え、僕も渚と繋がれるのだ。この際だから贅沢は言えない。渚とドトールを出て、「じゃメールしてね」と言う挨拶のあと、二手に分かれて歩き出した。渚はこれから本日2回目のデートだろう。僕はと言えば、せっかく街中まで出てきたので、今はメイン回線となった携帯電話の機種変に行くことにした。その時僕が使っていたのは「1円ケータイ」だったのだ。ネットを家に引くために契約した回線なので、一番安い機種を選んでいた。


某バンクのショップに行くと、機種変でスマホを勧められた。僕は割と新しもの好きなので興味を持ったが、かなり高い端末だった。そこで、ショップの店員さんが「今ならかなり割り引けますよ」と誘惑してくる。プランは、ガラケーで最大限の契約をしていたので、ソレを引き継げるそうで、端末代も半額以下になると言う。ならばこの黒くて平べったいリンゴのマークのスマホを持ち帰ろうと思った。電話帳等のデータ引継ぎはショップの人がやってくれた。僕は今でもそうだが「IT音痴」であった。そして、このリンゴのスマホは、モデルチェンジ直後で、僕は体よく「不良在庫」を掴まされたわけだ。既に「3G」は旧機種で、新機種の「3GS」に代替わりしていた。そんなことは知らなかったので、契約してしまった。そのまま、今でも機種変を繰り返しながらリンゴを使っている。


この「スマートフォン」と言うモノにはかなり困惑した。先ず、押しボタンが無い。液晶画面をタッチして操作するのだが、そんな操作方法は初めてである。正直、最初は「電話のかけ方」も分からなかった。受話器のアイコンをタップすると「テンキーが画面に現れる」ことを知るまで数分かかった。とにかく、リンゴのスマホは不親切で、取扱説明書も無いのだ。割と機械には強い方なので、どうにかなるだろうとは思った。今の若い人には信じてもらえないだろうが、ストレージは8GBだった。上位モデルでも16GBなのである。「3GS」になって、上位モデルのストレージは大きくなったが、それでも32GBである。当時の回線では、ソフトウェアのアップデートに10時間以上かかることがあった。我が家の回線速度はベストエフォートでも5Mで、通常時は1Mもあったかどうか。ちょっと大きめの画像だと、上の方からゆっくり画像が読み込まれて表示される。そのくらい「遅い」回線だったのだ。


普段使いになれると、もう手放せない道具にはなったが、特段「持ち歩く」と言うことも無かった。まだ某グルマップはリリース前だし、精々ちょっとした調べものや、音楽を鳴らす程度ではあったが、大きな画面は嬉しかった。仲間内ではまだまだスマホの認知は進んでいなかったので、鼻高々であった。今ではガラケーは絶滅危惧種になったが、当時はまだまだ珍しい端末だった。




機種変更をしたが、1つだけ問題が生じた。キャリアメールを引き継げないのだ。僕と渚を結ぶのは「メール」なのにである。例えば、今夜。渚が僕にメールを打っても届かない。あの悲劇がまた起こりかねない。色々考えた結果、「メアドを変更しました」と、新しいメアドからメールをすることにした。21:00頃だった。そろそろ2回目のデートが終わっているだろう。若しくはベッドの上だろう。とりあえず、メアドが変わったことが伝わればいい。明日にでも確認するだろうし。そう思っていたら、マッハで直電をかけてきた渚、可愛い。「このメアド、安元さんもiPhoneにしたんですか?」だそうだ。当時のiPhoneはメアドに特徴があって、キャリアメールの場合、頭に「i.」が付くのだ。僕はそうだよと答えて、「よく分かったね」と聞き返したら、なんと渚もiPhoneユーザーであった。ただ、普段使いには別のキャリアのガラケー。当時は、iPhoneは某バンクの独占販売に近かったので、渚は「サブ回線」扱いにしていたと言う。「これで、メールとか電話とかが便利になるね」と、また可愛いことを言う。今日、僕と別れてから何をしていたのかは聞かなかった。聞いて傷つくのは僕の方である。僕はまだ、渚への警戒心を解いていない。42歳のおっさんに21歳の女の子。どう考えたって話がおかしいのだ。新しいスマホを持ち帰った僕は、渚にメールを打つ前にかなり悶々としていた。渚が「そっちに行きます」と言って、僕の住む街まで来たのは、実は「本命の男」と会うついでだったのではないか、とか。この話は非常に面白くないし苦痛だが、早めに明らかにしないと駄目だとも思った。警戒心を抱いている「今」なら、僕は渚に本気で惚れることも無く、フェードアウトすることが出来る。しかし、僕が3台持っていたケータイの2台を解約した後、渚は僕を探し求めていたのも事実だ。だからこそ、あの病院の喫煙所だけの関係だった僕と渚は、今日吉野家に行った。


ちょうど直接電話をしているのだし、次のデートの約束をするのは名案に思えた。


「今度はいつ会える?」と訊いてみた。渚が電話の向こうで「悪戯っぽく笑っている」のが手に取るように分かった。この子は小悪魔だ・・・


「スパゲティの美味い店があるけど」と提案したら「今日だったらよかったのに・・・じゃ、そこでご飯食べる」と言う。「またこっちまで来てもらうようだけど、いいの?」「勿論です、まだ安元さんの歩き方は危なっかしいです」と、気配りを忘れない。本当に僕の脚を気遣って、この街まで来てくれたのかもしれないと、希望的観測。


約束の日は、混雑する土日を避けた木曜日。僕は過去の通院経験から、木曜日はなるべく休むようにしていた。夜勤なので通院に支障は無いが、寝不足で病院の硬いベンチで待つのは好きじゃない。渚も木曜日なら都合がいいと言う。






次のデートは11日後の木曜日。梅雨の真っ盛り、夏の入り口の季節。

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