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いつになく強引な朔楽に連れられて来られたのは、小さい頃よく一緒に遊んだ河川敷だった。

ピクニックだと言いながらおにぎりを詰めただけのお弁当を持ってきて並んで食べたり、かけっこ、縄跳び、バドミントン、夏には川の浅瀬で水遊びもした。

勝敗にアイスを懸けて、石で水切り勝負もした。朔楽にはよくアイスを奢ってもらったっけ。

お互いの家族にそれぞれねだって合同バーベキューもしたし、大きくなってからは朔楽の歌の練習に付き合ったりもした。


なんだかここへは久しぶりに来た気がする。

好きだった川の水が流れる音も今は聞こえない。

朔楽は比較的平らな場所に私を私を座らせると、背負っていたギターケースからアコギを取り出した。

ペグと呼ばれる先端に付いた部品をくるくると回し、チューニングを始める。

朔楽がいつか、ギターを弾く前のこの作業が、段々と音が整っていく感じが好きなのだと言っていたのをふと思い出す。


多少強引ではあったけれど、外に連れ出してもらえてよかったのかもしれない。

ゆるやかに吹く風と陽射しが心地好い。家に籠っているよりは余程健康的だろう。

でも朔楽はどうして私を連れてきたんだろう。

朔楽なりに元気付けようとしてくれているのだとは思うけれど、今の私じゃ歌ったって聞こえるわけないのに。


歌音、と朔楽が手で合図してきた。

どうやら準備が出来たらしい。

まぁたまには幼馴染みに付き合ってやってもいいか、と私はステージの最前列に座るお客さんになる。

朔楽が私に向かって一度お辞儀をする。

ライブ開演の合図だ。

私が拍手を送ると、それに応えるように曲が始まった。

右手が弦の上を撫でる。


「……え」


起こった事が信じられずに、朔楽の手元を食い入るように見つめる。

何で、今、聞こえた。ギターの音が、確かに。

そして続く朔楽の歌までも、ちゃんと私の耳に届いてきた。

こうして聞くのはたった数週間振りのはずなのに、なんだか随分と懐かしく感じる。


聞こえる、ギターの音色が。

聞こえる、朔楽の歌声が。


あぁそうか、と不意に思い当たる。

これはきっと私の中にある記憶がそう錯覚させているんだ。

朔楽の歌は、朔楽がギターを弾くようになったあの日から、もう何百何千と耳の深くまで染み込むほどに聞いてきたから。

たとえこれが記憶の中の歌だったとしても、また朔楽の歌が聞けた事は嬉しかった。


朔楽は昔から体全部でリズムに乗りながら、本当に楽しそうに歌う。

今もそうだ。見ている私の気持ちも、つられて楽しくなってくる。

一曲終わればまた一曲、アップテンポの次はバラード。ノリのいい曲を続けて三曲。

私たちしかいないのに、時にはコール&レスポンスもしてみたり。

そうしているうちに、朔楽の単独ライブは終盤を迎えたらしい。


次が最後の曲です、という朔楽に付き合いよく「えー」と私は返す。

それは、朔楽が初めて自分で作った曲だった。

事あるごとに聞いてきた曲。もしかしたら私の人生の中で一番多く聞いてきた曲かもしれない。

ジャカジャカジャカジャカ、と弦を掻き鳴らしながら、ありがとうございましたー!と朔楽が叫ぶ。ジャンッと締めて一礼する朔楽に拍手を送っていると、そろりと顔を上げた朔楽が物言いたげな視線を寄越してきた。


アンコールは?


目線と手振りで無言のままそう訴えてくる。


「ねぇ、それ自分からお客さんに求めちゃうの?」


笑いながら返せば、だってもっと歌いたいし!と今度は全身で伝えてきた。


「もう、わかったよ。私も楽しかったしね。もっと歌ってよ朔楽!」


自分からアンコールを要求してきたくせに、そこまで言うならお応えしましょうという表情でギターを構える。全く、昔から調子のいいやつだ。


じゃあ最後にもう一曲だけ。これは、最近ずっと落ち込んでいるある人に元気になってほしくて作った曲です。


私が読み取れるように、真っ直ぐにこちらを見つめてゆっくりと曲紹介をする。

これから歌う歌は、私には聞こえない。

だってこの曲の記憶はないから。

それでも今は、遠ざけたい気持ちは湧いてこない。


朔楽がギターを弾き始めると、アコギの柔らかな音色が聞こえてきた。

でもきっとこれも錯覚。さっきまで朔楽の歌をたくさん心の中で再生していたから聞こえるような気がしているだけ。

そう思っていたのに。


記憶にない歌詞、初めて聞くメロディが風に乗って耳に届く。

何これ、どうして聞こえてるんだろ。

初めて聞いた曲なのに。私に聞こえるはずないのに。記憶を再生しているわけじゃなく、はっきりと聞こえる。

咲楽が慌てたように駆け寄り私の側へ屈んだ。

大丈夫か、どうした、心配そうに顔を覗き込んでくる。


「ねぇどうしよう朔楽、他の音は聞こえないままなのに、朔楽の歌だけはちゃんと聞こえるみたい。何でだろ、何なんだろこれ」


私の言葉に驚きつつも、それはもう嬉しそうに朔楽が笑う。


それ俺めっちゃ嬉しいやつなんだけど。難しい事はわかんねーけど、世の中には不思議な事の一つや二つあるってやつだよ!


心の中でそんな単純なわけあるか!とツッコミながらも、なんだかそれでいいような気がした。

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