花も恋も寿命は短い・終

 ね、ね、聞いた?

 聞いた聞いた。

 女子生徒が歩道橋から落ちた話。

 頭から落ちて、足はぐちゃぐちゃ。

 帰り道での事故ですって。

 こわーい。



 女子は総じて噂話が好きだ。

 いや、女子に限らず、人間という生き物が噂好きなんだろう。騒がしい放課後はどこも同じ話で盛り上がっている。私は噂をネタにする生徒を尻目にら廊下をずんずん歩いた。全く、どいつもこいつもだ。


 足の向かう先は5階の旧コンピュータ室。扉を開ければ、我が部の部長がノートを広げて眺めていた。彼は私を視界に入れるとにっこりして「いらっしゃい」と言った。後光さしてるんじゃないかと思うくらい、良い顔だった。


 おーちたおちた、何が落ちた?

 笹本鞠が、歩道橋から落っこちた。


 つい昨日の出来事である。帰り道でズルっと頭から落ちたらしい。この、高校生には少しセンシティブな内容の話は、一日にして瞬く間に拡散し、今に至る。


 結論から言うと、彼女は死ななかった。しっかり息をして、この世に存在している。五体満足とはいかないけど。


 先輩の前の席に座る。イスを引くとき、思いっきり音を立ててやると、耳障りだったのかキュッと眉間に皺をよせた。


「ね、笹本さん、意識不明らしいです」

「でしょうね」


 ぺらりとノートをめくる音が心地よい。この部室は視界がうるさいが、喧騒とはほど遠い場所にあった。


「足なんか、歩道橋から落ちただけでこうなるかってくらい、ぐちゃぐちゃだったみたいです。特に右足。意識が回復しても、動かないかもって聞きました」

「持ってかれたんでしょうねぇ」


 ノートが閉じられ、私の方を頬杖ついて見つめる。どうやら話を聞く気になったらしい。ま、先輩に話を聞く気がなくても、勝手に話していたのだけれど。


 私が呪いに殺されそうになった日、私はあのノートに彼女、笹本鞠の名前を書いた。名前を書ききった瞬間、目の前にいた彼岸花は花弁を全て散らして枯れてしまった。呪詛返しは、私に呪いが到達する前に成立したのだ。


 その結果はまあ、前述の通りである。笹本鞠は頭から落ちて足は動かず、意識不明のままベッドで眠っている。私はてっきり死んでしまうのではないかと思っていたのだが、とりあえず生きていてホッとした。


 彼女が死んでいない事実は、私に少しの光をもたらした。呪詛返しは恨みつらみのこもった呪いを相手にそのまま返すもの。しかし、返された彼女は虫の息だが生きている。

 それってつまり、私があのまま呪いに捕まっても、かろうじて生きていた可能性があったということになるんじゃなかろうか。

 日記には早く死ねと書かれていたが、彼女の心の何処かに、私への友達としての気持ちが一欠片でもあったのかもしれない。


「もしかしたら殺しの罪悪感から躊躇していた部分が反映されただけかもしれませんよ」

「いえ、あれはれっきとした私への慈悲心です! 先輩の説は非人道的により棄却します!!」


 なんだってわざわざ嫌な方へ考えるんだろう。よもや意地悪かと思って見たら、にやにやした顔をしていたので、やっぱり意地悪で言ったらしい。性格わる!


「それにしても、なぜ右足がぐちゃぐちゃだったんでしょうね。ボクはてっきり頭のほうが爆発四散するものと思っていたんですが。ほら、彼岸花って、花火みたいでしょう?」

「わ、なんでそんな最悪な発想ができるんですか? メル先輩ってもしかして人類悪?」

「む、失敬な。人類悪は文明を滅ぼすものであって、一人の人間を滅ぼす事なんかしませんよ。特に、恋や嫉妬に狂った女なんて」

「じゃやっぱり悪魔だ」


 フッと鼻で笑ってやった。私は負けず嫌いなので、やられっぱなしにはしておけないのだ。


 開けられた窓からくる涼しい風を受けながら、まだオレンジ色に染まらない空を見る。

 ――歩道橋から落ちる前、彼女は最後に、どんな空を見たのだろう。


「……私、ノートに名前を書く前に見たんです。呪いの方の彼女の右足に、黄色い花柄の絆創膏が貼ってあるの」

「おや、そんなもの付けてましたか?」

「はい。あれね、昔に私が幼馴染にあげたやつなんですよ」


 中学校のころ、私は可愛らしい絆創膏にハマっていた時期があった。怪我が多くて、どうせ貼るならかわいいものをと思って、常備していたのだ。その内の一枚を、幼馴染にあげたことがある。


「黄色に白の花柄のでっかい絆創膏。私のいちばんお気に入りのやつです」

「はぁ、それがどう繋がるんです?」

「笹本さんが大怪我したのはね、右足だったんです。彼女、陸上部でハードル飛んでたんですけどね、派手に転んで。大会前だったんですって」


 砂まみれで血だらけの膝。ハードルを飛ぶのが怖くなった部のエース。周りからの期待に応えられなくなり、失望されるかもしれない恐怖。保健室に行くとみんなに嘘を言って、校舎裏で一人で泣いていた彼女。


 そんなときに現れたのが成瀬だった。


 泣いてる彼女をおぶって保健室まで運び、軽く処置した後に、あのでかい絆創膏を貼ってやったのだと。


「笹本さんは、中学校のころから成瀬の事が大好きだったんだって、あんな事になって初めて知りました」


 呪いのあの姿は中学校の頃、成瀬に恋をした時の笹本鞠だった。頭が彼岸花でもわかる。だって、中学校の制服を着ていた。想いが強すぎて反映でもされたのだろう。


「対価って、だいたい大切なものを取るじゃないですか。笹本さんは成瀬を好きになるきっかけになった右足を、大切にしていた。だから、取られちゃったんですよ」


 私は恋をしたことが無い。成瀬の事も、彼女が邪推じゃすいしなくとも、恋愛的な意味で好いた事はないし、これからもそういう気持ちを抱くことは無いと断言できる。

 恋を知らないから、恋をしている人のことをとやかく言える立場にいないのだ。それを、申し訳なく思っている。


「つづらさん、もしかして自分も悪かったなとか思ってるんですか?」

「……あはは」


 図星をつかれて笑って誤魔化した。先輩はため息をついて、あのねぇと私の額を小突く。


「アナタは殺されかけたんですよ? それなのにそんな相手に同情して……ほんと莫迦なんですか?」

「酷い言われよう。別に同情したっていいじゃないですか。そりゃ呪殺されそうになったのは許せませんけど……彼女はただ、普通の恋をしてただけなんですから」


 先輩は私の言葉に青白磁色の目をいっぱいに見開く。


「恋は誰にでも訪れるものです。仕方なかったんですよ。私も気づいてあげるべきだった。近くにいて、いちばん恋してるサインを見つけられる場所にいたんだから」


 今生きている、それが全てだ。

 終わりが良ければもう、何でもいい。


「……許すんですか」

「まさか! ただじゃ済ましませんよ。起きたら引っぱたいて言ってやるんです。悲劇のヒロインぶってんじゃねーぞクソアマってね」


 このあと、私は成瀬をひきずって笹本さんの病室に行く予定である。彼女には出会って数分で散るような寿命の短い彼岸花をプレゼントされたので、私はもっとセンスのある花を見舞いに寄越すとしよう。そうだな、シロツメクサとかどうだろうか。


「――るいな」

「ん、いま何か言いましたか先輩」

「……いいえ。アナタって、ほんっと寒気がするほどのお人好しですね」

「エ、そんな引くことあります?」

「いやもうドン引き。まじありえないです」

「いやいや、先輩のホラー好きの方がまじありえないですから。なにあの映画のパッケージ、全部ホラーじゃん」


 有名なものからB級のものまで揃って積み上げられた映画のディスクやビデオテープを指して、これこそ引くべき対象だと抗議する。見ると死ぬ呪いのビデオとか、いったいいつのやつだよ。


「それら全部がホラー映画だとタイトルを見ただけで分かるアナタに、ボクの趣味を語られたくありませんね」

「ア」

「ほらこのビデオテープとか、名前見ただけじゃジャンルはかわかりませんよね」

「ウ」

「ホラー、お好きなんでしょ」

「イーーーーッ」


 そうだ。私はホラーが好きだ、大好きだ。ネットの怖い話を何回も巡回するくらいホラーが好きだ。正直、机に積み上がってるホラー映画はだいたい視聴済みだった。


「ね、ボクと一緒の趣味と、霊感をお持ちの雀部つづらさん」


 人差し指でちょいと胸を指される。


「ボクは映画研究倶楽部所属ですけどね、もう殆どホラー映画研究倶楽部と化してるんですよ。それぐらい怖い話が好きなんです、ボクはね。だから――」


 メル先輩が、天使みたいな顔で悪魔の様な事を言おうとしている。私はあわれな仔羊役。メル先輩は私を救ってくれる天使なのか、苦しむ様を愉しむ悪魔なのか。


「精々ボクを楽しませてください。もちろん、怪異関係でね」


 嗚呼、友達いないどころか、とんでもないヒトに目をつけられてしまった。

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