花も恋も寿命は短い・伍

 気づいたら、私は先輩の手を振り払って立ち上がっていた。息が上がって呼吸が乱れる私を見て、メル先輩は心底不思議そうにしている。


「おや、どうかしましたか?」

「どうか、しましたかって……先輩、いま自分が何を言ったか、理解ってないんですか?」

「よく解ってますよ。アナタよりはね」


 その言葉にグッと拳を握る。変に視界がグラグラして、まるで脳が沸騰したみたいだった。


「さ、笹本さんが……優しい笹本さんが人を、私を呪うわけ、ないじゃないですか! 何も知らない癖に、知ったような口を聞かないでください!」


 声が勝手に震えた。

 笹本さんは優しいだ。教室で馴染めない私に、わざわざ声をかけてくれる人だった。困っている人を見たら助けるような善人だった。そんな子が、人を呪うはずない。


「アナタだって知ったような口を聞いてるじゃないですか。出会ってまだ二年も経ってないようなむすめの、何をアナタは知ってると云うんです?」


 メル先輩はすうっと吊り目を薄めると、席から立ち上がって笹本さんの机の中を探り始めた。その事をとがめようとした私の唇に向かって、彼の人差し指が向けられる。


 黙った私に笑顔を作った先輩は、一冊のノートをもう片方の手に持っていた。表紙には『Diary』と刻まれている。


「ああ、アナタがこの机の持ち主に対して罪悪感なんて、感じなくていいんですよ。これは悪ではありません。むしろ、悪事を暴く善行。正義に基づく行為なのですから!」


 日記はパラパラとめくられ、ある所で開きっぱなしにされる。先輩はその日記を私に差し出す。それを、震える手で受け取ってしまっていた。


 見てはいけない。視てはいけない。目を逸らしたい。けれど、目の前の先輩がそれを許してはくれない。無慈悲にも、日記の文字を目で追うしか無かった。



 ――――――――――――――――――


 ※月※日


私はあの子が憎い。ずっとずっと憎い。

我が物顔であの人の隣に居座っているあの子が、死ぬほど憎たらしい。

私の目の前で、あの人の気を引いて、あの人の名前を呼んで、笑いあっている。私の気も知らないで。幸せそうに。

生まれた場所が一緒だっただけの、家が近所だっただけの、心底邪魔な子。

消えろ、消えてしまえ。あんなクソ女。


 ※月※日


コンピュータ室のパソコンが光ったままになっていて、見たらおまじないのやり方が書いてあった。どうやら願いが叶うおまじないらしい。

今日も後ろの席からあの人とあの子の楽しそうに話す姿を眺めていた。

いいな、あの子の席に、私が座りたい。

あの子が死んだら、あそこに座れるかな。



 ※月※日


 おまじないのやり方

 紙に自分の名前を書く。

 自分の体液を名前にのせる。

 (血だと良し。多ければなお良し)

 願い事を三回唱える。

 血は呼び出す対価。名前は目印。

 対価に願いを叶えてくれる。

 これであの子の名前を書けば



 ※月※日


 私は、成瀬くんがすき。すきなの。



 ※月※日


もうすぐ、もうすぐ隣に。

さっさといなくならないかな。



早く死ね。


 ――――――――――――――――――



「――は」


 全身から力が抜けて、ぺたりと座り込む。次のページには血がベッタリとついていて、その下には『雀部つづら』と書かれていた。


 彼女は、私の名前を使っておまじないを行使していたのだ。あちら側の住民に私の名前を教えたのは、笹本さんだった。私を殺すために、こんな呪いめいたものを使うなんて……そんなに恨まれていたなんて、知らなかった。


「アナタがお友達だと思っていた彼女はしかし、アナタの事をお友達だと思ってなかったようですね」


 先輩は先ほどと打って変わって、つまらなそうにノートを見下ろす。


「アナタと想い人が仲睦まじく話す姿をずっと、それこそ中学三年生の頃から眺めていたんでしょうねぇ。ね、つづらさん。笹本 鞠がアナタの元にやってきた時、近くに必ず幼馴染さんがいませんでしたか?」


 言われてハッとした。私が教室で馴染めなくて落ち込んでいたときも、今日の体育のときだって、彼女が近づいてきた時は必ず近くに成瀬がいた。


 気づいてしまった事実にゾッとした。

 彼女は私を心配したような言葉の裏に、こんな憎悪を隠していたのか。私は彼女の中では所詮しょせん、ただの成瀬に近づく口実かだったか、憎い恋敵だったのだ。

 彼女は、今日の体育の時間、どういう気持ちで私にクレヨンを拾って見せたのだろう。どういう気持ちで心配の言葉をかけたのだろう。成瀬と話していたことへの嫉妬か、はたまた弱っている恋敵への歓喜か。


 彼女の心が理解らない。


「恋に狂った女はこれだから嫌なんですよね。自分の思い通りにならないとすぐ周りを攻撃しだす」


 ねぇ、と先輩が優しく私に何かを握らせる。手の中には赤いクレヨンがあった。


「呪詛返しってご存知ですか?」


 ヒュッと喉が鳴る。


「その反応、流石です! 呪詛返しをご存知なんですね! ならば話は早い。今のこの状況はこの呪いのせいです。ですから、これを返してしまえば、アナタは救われます」


 ああ、そうだ。おまじないの皮を被った呪いは、相手に返してしまえば自分は助かる。呪詛返しとは、自分に降り掛かった呪いをそっくりそのまま相手に返すものなのだ。


 だから、助かる。


 彼の言いたいことがいやでも理解できてしまい、縋るように先輩を見上げる。しかし、現実は無情だ。彼は私の背後に回って肩に手をおいて、耳元で悪夢のような事を囁く。


「この呪いは本来、術者自身を生贄に願いを叶えるものです。然し、彼女はアナタの名前を書き、アナタを贄に願いを叶えようとした。だからね、術者の名前をあいつらに教えてやればいいんですよ」

「あ、や、やだ……」

「言ったでしょう? 面白い話をしてくれたお礼に、今のこの状況を解決する手立てを特別にお教えします、と。ここに、笹本鞠の名前を書くだけでいいんです。それだけでアナタは救われる」


 理解などしたくなかった。だって、余りにも人の心が伴っていない。この呪いは本来術者を迎えに来るもの。だから、術者である笹本鞠の名前を書いたら、呪いは彼女の元に行ってしまう。これは立派な呪詛返しだ。だって、呪いが術者に戻っている。呪詛返しが成立してしまうのだ。


 彼女は何を願った? 何を思っておまじないを行った? これが返れば彼女は間違いなく――。


「何を躊躇しているんです。ああもう、もたもたしてるから来ちゃったじゃないですか」

「ヒッ」


 先輩の指差す廊下。

 いつの間にかガラス張りの窓の向こう側に、制服を着た生徒が一列に並んでいた。しかし、その生徒たちは異様だった。

 皆頭が人のものではないのだ。スッパリ切れた首に、真っ赤な彼岸花が突き刺さっている。


「あ、なに……」

「なるほど、『ひがむ』から取って『彼岸花』ですか。ふふ、あっはは! アナタを憎む人は大層捻くれた心の持ち主みたいですよ」


 傑作だと笑う声に混じって、何か重いものを引きずる音が聞こえる。


 ズルリ、ズルリ、ズルリ。


 音の主は先輩でも、外の彼岸花でもない。花たちは真っ黒な制服を着ていて、まるで葬式の参列者みたいに、その場に静かに佇んでいた。


 場に飲まれて立ち尽くすことしかできない私に追い打ちをかけるように、音の割れた鉄琴の音が再度鳴る。



 ――キンコンカンコン。

 


 かーって嬉しい花いちもんめ

 まけーて悔しい花いちもんめ

 隣のおばさんちょいときておくれ

 オニーが怖くていかれない

 お布団被ってちょいときておくれ

 お布団びりびりいかれない

 それはよかよかどの子が欲しい

 あの子が欲しい

 あの子じゃわからん

 この子が欲しい

 この子じゃわからん




 放送の声は彼女笹本さんの声だった。


「ほら、御出おでましだ」


 ズルリ、ズルリと音を立てて、『彼女』は教室へ入ってきた。


 女子の制服を着て、切れた首には彼岸花を刺している。手には大きなカッターが握られていて、胸元は肋骨がむき出しで中から血のように花弁がこぼれ落ちている。

 声帯も口も無いはずの彼女は、幾人もの声を合わせたような音で私の名前を呟いている。



「さあ、つづらさん。お時間です」



 後ろから抱きしめられるような体勢で手を握られる。手の向かう先はノートだ。


「ほらほら、早くしないと」


 先輩は私の手を己の手で包み込んで急かす。これに彼女の名前を書けば、この悪夢から解放される。この先輩の言うとおりにすれば……でも。


「アナタは何も気にしなくていいんですよ。人を呪わば穴二つ。彼女がアナタを呪うことなく、さっさと幼馴染さんに告白していれば、恋に苦しむことも、人を憎むこともなかった。全て彼女の自業自得だ。もし彼女が死んだとしても、アナタは悪くないのです。さあ、くずへの慈悲など捨てて、楽になりなさい」


 クレヨンを持つ手が震える。


 こんな窮地きゅうちに立たされて思い出すのは、よりにもよって、笹本さんの成瀬に向ける表情だった。花のように綻ぶ彼女の笑顔を見るのは、確かに私の幸福の一つであったのだ。


 目を瞑る。頬を何かが滑り落ちたが、それは果たして安堵のためか、悲しみのためか、はたまた悔しさのためか――何にしろ、もう後戻りはできない。私も、彼女も。



 最後、瞼の裏には鮮やかな黄色が焼き付いていた。

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