―誰よりも幸せに―

※本篇終了後の話。ひとによっては蛇足と感じるかもしれません。※







春の終わりの頃。ジオルドさんに促され、ようやく私はレイナートさんに一通の手紙をしたためることができた。


ずっと心残りではあった。恩を仇で返すようにろくな挨拶も告げず飛び出し、手紙一つ寄越さず……。怒っているだろうか。それとも悲しんでいるだろうか。あの家に、今は一人で暮らしているのだろうか。元気で、いてくれているだろうか。


この国では、手紙は行商人などに託して渡す。だから返事がくるのには何ヶ月もかかると予想していたが、予想に反してふた月足らずで返信の手紙が戻ってきた。届けてくれたのは街や村の間を繋ぐ乗り合い馬車の御者だった。


「いやあ。とにかく早く届けてくれ! って言われたみたいでねえ。王都方面に向かう馬車のやつらに代わる代わる渡して、最後は俺が受け取って、届けにきたってわけよ」


善意で成り立つ手紙配達なので基本的に金銭の授受は行われていない。それでもその言葉一つでこうして急いで配達してくれた人々に深く感謝をしながら受け取り、恐々と中身を確かめる。とそこには、ただただ、元気でよかった、よい人と出会えてよかった、とそんな言葉ばかりが綴られていた。どこまでも優しいレイナートさんの言葉に、涙があふれて仕方なかった。


でも、手紙には二枚目があった。それは彼の――レイナートさんの息子である彼からの手紙で、元気にやっているようで安心した、お相手と幸せに、とぎこちない文面で書かれたのち、まるで何度も消しては書いたかのような紙の汚れの上に、できれば一度戻ってきてほしい、親父に会ってやってほしい、とそう書かれていた。私は……どうしたらいいのかわからなかった。


明くる日、手紙の返事が来たことをジオルドさんに報告した。そうか、と頷いたジオルドさんは、それで、と先を促す。


「浮かない顔をしている。……何が書かれていたんだ」


私は少々言いよどんだあと、実は、と話した。一度戻ってこいと言われていること、でもあんな飛び出し方をして今さら会わせる顔がないと思っていること……。


ジオルドさんは口を挟むことなく聞き終えてから、会いたくないのかと問うてくる。


「そんなことは……! 会いたい、と思っています。でも……」


「ならば、会いに行った方がいいだろう。その老人は、連れ添いをなくしたのだろう? その上可愛がっていた娘のようなお前にまで出て行かれてしまったんだ。きっとひどく気落ちしている」


そうだろうか、だって私が出て行っても血の繋がった息子さんがちゃんといるのに……そう言い訳がましく否定の言葉を浮かべていれば、ジオルドさんは深く息を吐いてから、


「……会えなくなってなってから後悔しても、もう遅いんだぞ。あきこ」


そう、ぐさりと言葉を刺した。そのいまだ癒えない傷口を抉るような物言いに、私は絶句し、硬直してしまった。


「……お前は会いたいと思っている。あちらもお前に会いたいと言っている。ならば、怖がる必要はない」




――行こう、あきこ。俺もついていく。




ジオルドさんに諭され、初夏の頃、私は彼と旅に出た。




***




長期に休むことをおばさんは一つ返事で了承してくれた。折角いいひとできたんだからちょっと旅行くらい好きに行ってきなさいよ! と給料に上乗せしてお金まで渡された。ジオルドさんは狩人なので、ギルドに少し言伝する程度ですんだ。ただこちらでも、二人旅なんていいじゃないの、旅行楽しんできなさいね! と朗らかに送り出されたらしい。


旅に出た経緯はさておき、確かに二人でゆるりと進む旅程は楽しかった。ごとごとと揺れる馬車の上の景色を一緒に見て、土地の色のある食事を食べて、いい場所があると噂で聞いたら少しだけ寄り道をしたりしながら、夜には一緒の部屋で眠る。


旅に出た直後は少し憂鬱さもあったりしたけれど、そうしてレイナートさんの下に近付いていくごとに、その気持ちは薄れていった。確かに怖い。レイナートさんに、そして彼の息子に、会うのは怖いけれど……隣にジオルドさんがいてくれるから。大丈夫。







そして、辿り着いた。もう季節はすっかり夏めいていた。とはいえ日本の夏のような茹だるほどの熱気はない。ここは北の地、夏の時期も穏やかな暑さに包まれている。

穏やかな自然に囲まれるレイナートさんの家に近付けば、庭先で薪割りをしている男の姿が見えてくる。近付かなくともわかる。あれは、彼だ……。


「……あきこ」


名前を呼ばれ、足が止まっていたことに気付いた。ジオルドさんを見上げれば、大丈夫だとばかりに頷かれ、そっと手を握られる。いつでも熱くて、固い手の平。その手をきゅっと握り返し、私は歩みを再開させた。


お互いの顔が認識できるほどの距離になった頃、せっせと薪を割っていた彼が鉈を置いて汗をぬぐいながら、ふとこちらを見やった。そして真ん丸に目を見開いて、慌ててこちらに駆け寄ってきた。


目の前に、彼が立つ。私はその顔を見上げた。彼もまた私の顔を見下ろす。どう声をかけるべきかと思案するような沈黙が流れる。


「ああ、その……お、おかえり」


かなり長い沈黙の後、彼は、そう言ってくれた。


「……はい。ただいま」


だから私もそう答えることができて、ほっと息をつくことができた。


「……こっちのひとは、お前の恋人か?」


彼の目線はついで隣に立つジオルドさんに向けられ、ちらりと繋がれた私たちの手にも注がれる。その視線を受けたジオルドさんは、彼の顔から目を逸らさずに頷いた。


「……ジオルドだ。狩人をしている」


彼はまじまじとジオルドさんの顔を見てから、


「……あんたなら信用置けそうだ。この子を頼んだぞ」


ジオルドさんの肩を叩き、俺はリガンだ、よろしくな、と名乗った。


「……言われなくとも」

「ははっ、そうか。頼もしいな。……ほら、中に入ってくれ」


招かれるまま、私たちは家の中へと足を踏み入れる。


――約一年半ぶりの家の中は、少し寂しくなっていた。


「親父は……ああ、また寝てるのか」


懐かしさと、今はもういないサリュースさんのことを思い出し、胸をそっと押さえているとダイニングを見てから寝室へと入った彼がそう呟き私たちを手招いた。側に寄れば、まだ昼日中だというのにレイナートさんはベッドに横になって眠っている。


「どこか、悪いんですか……?」


心配で問えば、彼はいやまあ、ちょっとな、と言葉を濁す。不安に駆られて見つめれば、ずっと手を握ってくれているジオルドさんがその手に力を込め、


「……老いれば老いるほど、眠る時間は長くなるものだ。心配はいらない」


そう言う。それはそうかと納得した私は眠るレイナートさんに目をやってから、そっとその場を離れた。


「親父は、そのうち起きてくるだろう。……座っていてくれ。茶でもいれよう」


あ、なら私が、と久々にこの家の台所に立てば、では頼む、と二人はダイニングへ行き席に座る。その姿を目端に捉えながら、私はサリュースさんが教えてくれたいれ方でお茶を注いだ。……在りし日にこの台所で楽しく語らった、その思い出が蘇って、少しだけ涙がにじむ。


「サリュースさん……帰ってきたよ」


――ただいま、と小さく呟いた。




***




その日、レイナートさんは夜になっても眠ったままで、私はひどく気を揉んだ。でも熊人の彼らは大丈夫だと言い、


「夏眠、と呼ばれる眠りだ。体力のない老人や小さい子どもは、こうして夏に長めの眠りにつくことがある。病気ではない、数日以内に起きる」


そう私を慰めた。その言葉通り、翌日の昼に起きてきたレイナートさんは私を見てとても喜び、無事でよかった、元気でよかった、こんないいひとまでできて! と涙まで流してくれた。私まで泣けてきて、会いたかった、ごめんなさい、ありがとう、と抱き合った。レイナートさんも熊人らしく私よりも大柄だけれど、会わない間に少しだけ小さくなってしまった気がして、さらに泣けた。その日の晩飯は四人で席を囲み、とても楽しく過ごせた。話は尽きず、レイナートさんがふわあと欠伸をしだすまで、ずっとずっと語らった。いつか子どもができたならこんな場所で育てないなあなんてそんな恥ずかしく先走った夢想まで思わず口に出してしまって、そうしてくれたら私も嬉しいねえとレイナートさんに頷かれて。恥ずかしさついで、そうなったらレイナートさんはおじいちゃんですね、孫を可愛がってくださいね、と顔を熱くしながら言えば、にこりと笑みを返された。


――それから三日ほどそこで過ごしてから、私とジオルドさんは帰路につくことにした。レイナートさんは寂しそうにしていたけれど、


「さよなら、あきこ。誰よりも幸せになるんだよ。私の娘」


そう抱きしめてくれて。彼は、あの時は悪かった、ここはお前の家だ、いつでも帰ってこい、待っている、とそう言ってくれた。私は二人に大きく頷いて答えた。







ジオルドさんと二人、ゆっくりと歩く。怖いことは、何もなかった。来てよかった。そう思い礼を言えば、ああ、と言葉少なに頷き。しばらくして、歩を止めた。


「ジオルドさん?」


どうかしたのかとその顔を窺えば、彼は歯を嚙みしめ眉間に皺を寄せていた。ジオルドさん……? 再度呼びかければ、彼は顔を片手で覆い、深く息をついた。


「……あきこ」


重い響きで名を呼ばれ、何だろうと不安を感じながら応じる。


「あきこ。……俺は、俺たちは、お前に嘘をついた」


一瞬、何を言われたかわからなかった。……嘘をつく? ジオルドさんが?


どういう意味だろうと首を傾げれば、ジオルドさんは顔から手を離して私の目をじっと見つめた。そして、言った。


「夏眠をするのが子どもならば、それはただ体力がないだけで、問題はない。だが老人ならばそれは……もう、長くはないということだ」


――何を言われたのか、よく、わからなかった。


「そんな……嘘ですよね? だってレイナートさん、元気だった。まだまだ長生き、してくれますよね?」

「……次の冬眠を、越えられるかはわからない」

「……嘘!」

「本当だ。本当なんだ、あきこ……」


ジオルドさんは……嘘をつかない。ましてやこんな嫌な嘘なんて、つくはずもない。

――ああ。だからあんなに急いで手紙を届けさせたんだ。会いに来いって言ったんだ。孫ができたらなんて馬鹿なことを言ったあの時、頷いてくれなかったんだ。色々と腑に落ちて、ショックで、呆然と佇むしかなかった。







その後の旅は、行きと違って静かに淡々とこなした。ジオルドさんは言葉少なに私の隣にいて、私は私で楽しい話題なんか思いつかないまま、時が過ぎる。何度レイナートさんの下へ戻ろうと思ったか。けれど、最後の言葉を思い出すと、その足も止まる。


――さよなら、あきこ。


レイナートさんは、きっともうとっくに覚悟ができている。夏の日差しを受けて、窓の側のカウチでうたたねをしていた顔を思い出す。……幸せそうだった。ああ、きっと、幸せな夢を見ていたんだろう。眠りながら息を引き取った、サリュースさんのように。


レイナートさんは、きっと、とても幸せな人生を過ごして……そして、眠りながら、その日々を終えていくんだろう。満ち足りて、後悔など何もなく。


私も……私も、彼のように。


幸せになれるだろうか? 誰よりも幸せに、なれるだろうか?


――なりたいな、と思った。強く、強く、思った。


ずっと俯いていた視線を、久々に上げる。そっと隣を見上げれば、ずっと私を見ていたのか、憂いを宿した飴色の瞳。


「……ジオルドさん」


数日ぶりにその名を呼べば、彼はどうしたと返事をする。


「……私、誰よりも幸せになりたいです。レイナートさんが、望んでくれたように」

「……そうか」


どうしたらそうなれるでしょうか、と聞けば彼は生真面目気な顔で考え、


「……そうだな。それは、俺と一緒に、一から考えていくか」


緩く繋いでいた私の手を、指を組むようにして繋ぎ直した。


「……私と一緒に、幸せになってくれますか?」


その手を、ぎゅっと握りしめながら、問えば。




「――当たり前だろう」




彼は、柔らかに目を細めて微笑んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

冬眠休暇はいりません 羽月 @a0mugi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ