武田騎馬隊エピソード0~流浪のケンタウロス~

青木のう

武田騎馬隊エピソード0~流浪のケンタウロス~

前書き

☆☆☆☆☆は場面転換です

よろしくお願いいたします

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 武田信玄たけだしんげんという名前を聞いて、心当たりのないという人間はそうはいないだろう。

 甲斐国かいのくに――令和の世で言う山梨県――を根拠地とし、三方ヶ原の戦いにおいては後に天下人となる徳川家康を散々に負かし、“甲斐の虎”の異名をもって恐れられた。


 宿敵“越後の龍”上杉謙信と壮絶な戦いを繰り広げたエピソードや、風林火山の旗印は特に有名で、戦国時代随一の名将に推す声も当然あるだろう。


 その武田信玄の代名詞として語られるのが “武田騎馬隊たけだきばたい”である――。


 武田家が領していた甲斐国及び信濃国しなののくにには馬産地が多く存在し、巧みな馬術を体得した者が多かった。その真偽や実態については諸説存在するが、戦国最強と称されたその軍団の強さは実に鮮烈で、江戸の世の軍記物に始まり現在まで語り継がれている。


 戦国随一の名将と最強軍団。後世にそれだけの名を残しているものの、武田信玄の道のりは決して順風満帆なものではなかった――。



 ☆☆☆☆☆



 天文十年八月のことである。

 この時まだ二十歳の若き日にあった信玄はまだ“武田信玄”とは名乗っておらず、“武田晴信たけだはるのぶ”という名であった。


「殿、飯富おぶ兵部少輔ひょうぶしょうゆう様が参りました」

「通せ」


 うだるような熱い夏の日だった。

 晴信に面会を求めて、宿老の一人である飯富兵部少輔の通称で知られる家中きっての猛将、飯富虎昌おぶとらまさがやってきた。


「面を上げよ。虎昌、今日は何用だ?」


 虎昌はこの年の六月、他の重臣である甘利虎泰あまりとらやす板垣信方いたがきのぶかたと共に晴信を支持して晴信の父――信虎を追放し、晴信を武田の第十九代当主に押し上げた人物の一人だ。


 今は諏訪方面の攻略準備をしているはずだが、その虎昌がわざわざこうやって来たのだ。何かあるのだろうと晴信は思った。


「本日は殿に取り立てていただきたい者を連れてきました」

「取り立てる……? 直臣にということか?」

「左様でございます」


 虎昌は赤備えと呼ばれる武田の最精鋭を率いる随一の猛将であり、寡黙だが人の見る目のある人物だ。彼が連れてきたからにはひとかどの人物であるのは間違いない。是非欲しい。喉から手が出る程に欲しい。


 しかし手順というものがある。何より目の前の宝に飛びつく若き当主と侮られたくはない。晴信ははやる気持ちを抑えて虎昌に問うた。


「今や信濃にまで征さんとする我が武田家は人材を欲しておる……が、それは有能に限った話ぞ。その者は何ができる?」

「はっ、その者弓を射ては百発百中で、騎射も苦にしません。さらに思慮深い性格で、まさに知勇兼備でございます」


 弓術というのはこの時代の武士において重要なステータスであった。

 そして馬に乗りながら標的を射る騎射というものは、恐ろしいまでに難易度が高く、よほど才がありかつ厳しい鍛錬を積んだ者しかできない芸当であった。


「おお、どこぞの剛の者ぞ。今すぐ召し抱えようではないか」

「実は本日連れてきております」

「そうか! おい、誰ぞその者を連れて参れ」


 晴信は手を叩いて喜び、小姓こしょうにその仕官希望者を連れてくるように命じた。

 小姓は控えの間にいたその者を連れると、すぐに戻ってきた。

 トタタという小姓の足音に混ざって、ガタガタと何やら重い足音が晴信の耳に聞こえた。


(巨漢の者か……? いや、この音は――)


 やがてその者が部屋の前に表れると、晴信はギョッと目を見開いて息を呑んだ。それと同時に先ほど聞いた音はで間違いないことを知った。


 思わずはす向かいに座る虎昌に目をやると、彼はまるで動揺していない。宿老を前に醜態をさらすわけにはいかないので、若き晴信も叫びたい気持ちをぐっとこらえて、君主らしい態度で声をかけた。


「そなたが虎昌の言っていた者か。入れ」

「はっ!」


 南蛮人のような風貌に反して、はっきりとした返事だった。その者は部屋に入ると、板張りの上に器用に四本の足を折り曲げて座り、上半身は普通の者と同じようにひれ伏した。


「面を上げよ」

「はっ!」

「名を……いや、その前にお前はその……なんだ?」

「なんだ……とは、名ではなく種族ということでよろしいでしょうか?」


 すっとぼけたような質問返しに、晴信は怒らずただ首を縦に振る。


 晴信が困惑し種族を尋ねるのは無理もない。

 なぜなら目の前に座るそれは、


 上半身はまだ問題ない。日の本の人間に見えない南蛮風の容貌である以外は普通の男だ。しかし下半身が問題だ。目の前の男の下半身は、完全に馬のそれであった――。


「種族はなんぞと問われれば、私はケンタウロスにございます」

「けんた……うろす……?」

「私のように半人半馬の者をヨーロッパ――この国で言うところの南蛮ではそう申します」

「ほ、ほう……。南蛮ではそなたのような者はよくおるのか?」

「いえ、珍しきかと」

「そうか。南蛮には珍しき者がおるものじゃの……」


 晴信も大陸や遠く南蛮からの珍品をいくつか見たことはあった。だがこれほど驚くべき物――いや、存在に出会ったのは初めてであった。聞いたことがなかった。というかその前に目の前の存在が人ではなく物の怪もののけの類であるとはっきりしたことが衝撃だった。



「虎昌よ、この者をどこで?」

「は、山中にて行き倒れておったので拾った次第で。なんでも新天地を求めて船に乗ってやってきたとか」

「新天地……。まことか?」

「はっ! 実は私どもケンタウロスは、この風体にて南蛮の地では迫害されておりました。求めたのです、我らの種族にとっての安住の地を」

「それで……?」

「この日本では諸侯が天下を争って覇を競っていると商人から聞きました。そしてその戦いでは馬が使われていると。私は確信しました。この国しかないと! どうか私を配下にお加えいただきたい!」


 晴信は考える。虎昌が言うほどだ、この奇妙な存在は確かに弓の腕があるのだろう。しかも下半身は馬だ。騎射――と言っていいのかわからないが、その機動力は戦場において確実に有利となるはずだ。


 そしてこのケンタウロスなる者は日本の言葉を流暢に使っている。

 半分獣のような見た目に反して、非常に頭の良い事はわかった。しかし――。


「配下に加えることに異存はない」

「はっ! ありがたき幸せ!」

「……が、当然我が配下にも騎馬隊はおる。しかし武田の軍法では騎馬武者とは騎馬から降りて戦うもの。そなたは徒歩武者かちむしゃと進軍速度が合わんから、そこではなく馬廻りや伝令が良いだろうか?」


 意外に思うかもしれないが、騎馬武者が斬り結ぶという光景は後世の創作によるところが大きい。もちろん無かったとは言わないが、基本的に馬とは武将格の移動手段であり、合戦においては降りて戦うことが多かった。


 この時代の日本在来種は令和の世で見るサラブレッドの様な立派な体躯を持つものではなく、さらに馬は運搬や農耕に必要不可欠な重要資源だ。いたずらに戦で浪費はできない。


「いえ、私の力を十二分に発揮するには、騎馬隊に組み込むのがよろしいでしょう」

「お主、わしの話を聞いていなかったのか?」

「いえ、聞いていました」

「ではなぜ……?」

「――ケンタウロスだけの騎馬隊を作れば良いのです」


 晴信を見つめるケンタウロスの瞳は輝いていて、自信に満ち溢れていた。それは異国で成功してやろうという気概かもしれない。


「……何? それはそなたの仲間を迎えるということか?」

「いえ、私の子を使うのです」

「……子を?」

「はい。我がケンタウロスの一族は馬と子を成せます。そしてその子は一定の割合でケンタウロスとして生まれてくるのです」

「その子らを教育して使えと?」

「いいえ、待つ必要はそれほどございません。ケンタウロスの種族は馬と同じく生まれて三年も経てば立派な大人です。その上私が言うのもなんですが、物覚えがよく、特に弓の上達は早い。いかがでしょうか?」

「ふむ……。だが三歳の幼子おさなごを戦場に出すと言うのは……」

「ケンタウロスでは大人なのです。そして私は子孫を増やし、戦場で功を立てやすくなる一石二鳥。晴信様が気に病まれることではありません」


 なんとしても成功したいという必死さを感じる訴えだった。そして晴信ははっとき気がついた。このケンタウロスなる者は南蛮の地で迫害を受けてこの日本へとたどり着いた。たった一人でだ。


 ――この者の志、まさに武士もののふよな。


 一時前まで目の前の存在を物の怪と恐れていたのがまるで嘘のように、晴信はケンタウロスの中に同じものを感じた。


 父を追放し若き大名として懸命に国の舵をとっている己と、迫害され今まさに滅びゆくケンタウロスという種族の存亡をかけている目の前の存在は、理由は違えど背負っているという意味では根っこの所は同じなのだ。


「殿、某からもお頼み申す」

「なに、心配するな虎昌」

「……では?」

「ああ、この者の言を聞き入れる。とびきり器量良しの牝馬と引き合わせようぞ」

「あ、ありがとうございます!」


 ケンタウロスの目には涙さえ浮かんでいる。

 それほどまでに彼にとっては辛く暗いトンネルを抜け出す第一歩だったのだ。


「して虎昌、この者を今日より飯富の家に入れ弟といたせ。異形の者こそ武士の名が必要ぞ」

「はっ! では某の父の名からとりまして、源四郎げんしろうと名乗らせましょうぞ」

「飯富源四郎……今日からそれが私――いえ拙者の名前……!」

「そうだ。励めよ源四郎!」

「はっ!」


 こうして流浪のケンタウロス改め飯富源四郎は武田家の家臣となった。



 ☆☆☆☆☆



 やがて月日が経ち、飯富虎昌は晴信の息子の反乱を手助けしようとした罪で処刑されてしまった。いわゆる義信事件である。その事件の真相は未だわからないことが多いが、この件を境に飯富源四郎は山県の名跡を継承し、山県昌景と名乗り虎昌の赤備えを引き継ぐこととなったのは事実である。


 山県昌景――武田四名臣の一角に名を連ね、かの織田信長や徳川家康を震え上がらせた当代きっての戦国武将である。令和の世には彼は非常に小柄な人物だったとも伝わるが、それは馬の下半身ににゅっと生えた上半身から推測した身長であり、彼がケンタウロスだったゆえの敵の誤認であったと断言できる。


 とかく、驚異的な機動力で野山を駆けまわり、弓を放てば必中のケンタウロス部隊は周辺国にとって大いなる脅威となり、戦国最強“武田騎馬隊”のイメージを今日まで築き上げた。そんな“武田騎馬隊”は、一人の流浪のケンタウロスが武田家に仕官したことにより始まったのである。


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後書き

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