第13話 初めての自己紹介です!

——眼球にのしかかっていたまぶたが、意識の覚醒と共にゆっくりと持ち上がる。


「んぅぅ…………ここは……あれ? みんな?」


 開けた視界の中に一番最初に映り込んできたのは、もう二度と会えないと思っていた、私の大切な仲間の姿だった。

 それに、この周りの暗闇……見覚えがある。そうだ。これは私達が逃げ込んだ洞窟。もはや慣れ親しんだ、暖かさすら感じる暗闇だ。光り輝く天国の光景はどこにもなく、天使さんはどこにも飛んでいない。


「どうして……私、お兄ちゃんにやられちゃったんじゃ……って、ちょっとみんな泣いてるの? 大丈夫、大丈夫だから。あははっ、くすぐったいってば」

「魔獣をまるでペットのように……流石はグランデス」


 その時、同じ洞窟の暗闇の中から人の声が響き、私は全身に未だ走る痛みを堪えてすぐにその場に立ち上がり、その声の鳴る方へ精一杯の眼光をぶつけた。


「お、お兄ちゃん……」

「あぁ心配しないで。もうハイムとは分離しちゃったんだ。今あいつは気絶したローゼを連れて山を下りてるよ。大丈夫だから睨まないで。ハイムは戦いの記憶を失くしてるから、きっと君がいつの間にかいなくなったと思ってる。君を洞窟の中に運んでから分離したから、全くわからないはずだ」

「……どうして、討たないの?」


 信じてはいけない。考えるんだ、私。お兄ちゃんが私を許すはずがない。きっと何か、別の理由があって私を討たないんだ。何か、別の——


「——牙は他を喰らうものに非ず。もしこれを違えば、いずれその身は、新たなる牙によって滅ぼされん——でしょ?」


 その時、決して他者から聞くことのなかった言葉の出現に、私は驚愕すると同時に、懐かしいセピア色の記憶が脳裏に甦った。


『この言葉、忘れないようにしよう!』


 どこの誰かはわからない。だけど確かに一緒にいた、あの人の記憶を……。


「ど、どうして……その言葉を……」


 するとお兄ちゃんは、何かを懐かしむような郷愁の念を表情に浮かばせ、私と魔獣達を見て言った。


「へへぇ、僕すごいでしょ?」


 ————————————————————————————————————


 ——この言葉は、僕が大学時代に読んだ小説の主人公の名言を、個人的にアレンジしたものだ。元ネタの名言を気に入った僕は、グランデスのコンセプトをこの言葉に設定して、キャラクターを作っていった。結局使わなかったけど。


『力とは他の誰かを倒すものではない。もし力の使い方を間違えれば、やがて自分も新しくやってきた別の力に倒される』


 この言葉に則って、グランデスは決して個人的な理由で生物を襲ったりはしない。もし力を使う時があるとすれば、それは何かを守るための戦いだ。


「君は仲間を守るために戦った。人間を排除しようとするのも、仲間を見つけられる可能性があったからでしょ? 君と違って、普通の魔獣は変身魔法とか使えないからね」


 そう。誰かのためだけに戦い、決して必要以上の戦闘を好まない。薄っぺらくて単純な僕が初めて心を動かされた、そしてライターを志したきっかけとなった人物像。それを投影したキャラクターなんだから、こいつのことはよく覚えている。

 今思えば、何で僕はこの正義の魔獣を作中に出さなかったんだっけ? 忘れちゃったな。


「…………じゃあ、もう何もしないの?」

「もちろん」

「乱暴したこと、許してくれる?」

「もちろん」

「食い殺そうとしちゃったけど……」

「もちろ……ん……」


 ダメだ。こういう展開で言葉を詰まらせるほどつまらないことないだろ。せっかくうまいこと決められそうなんだから空気壊すのやめるんだ僕。


「あっ……やっぱり許しては——」

「——ううんもう許してるから! もう綺麗さっぱり忘れちゃってるから! だから、はい!」


 僕は話の決着を早めようと、こちらの様子をうかがう魔獣達の間を縫って近づき、少女の前に広げた右手を突き出した。


「え、ええっと……これは?」

「握手だよ。別名ハンドシェイク。これ凄いんだぞぉ、魔力を一切使用しない魔法なんだ」


 僕は若干の躊躇を残す少女の手を、こっちから握る。


「暖かい……」


 自然と漏れたその言葉には、初めて感じた人の温もりに驚きながらも、その心地良さに笑う、美しい純朴な心が滲み出ていた。


「なんか凄い形で知り合いになったけど……改めて、僕の名前は天木浩平。よろしくね」

「私……ミルシア。グランデスのミルシア! よろしくね、浩平お兄ちゃん!」


 僕の名を聞き、少女もまた自分自身の名を声に乗せる。

 この世界での初めての自己紹介相手が、一点の穢れなき純真な心を持った、作者イチ押しの魔獣に決定した瞬間だった。


  ——————————————————————————————————


 時刻は昼過ぎ。森の木々の葉についていた朝露は完全に蒸発し、世界は満点の青空に見下ろされ、新しい一日も折り返し地点に差し掛かる頃。俺はローゼを村人に託し、再びあの場所へ戻ろうと足を進めていた。


「一体……この山で何が起きてやがるんだ……?」


 瀕死のローゼを庇い、あの頭でっかちな犬っころと対峙したあの瞬間——俺はまた、その後の記憶を失った。

 ハルバード平野の時と全く同じ。気がつけば目の前にいた魔獣は姿を消していて、俺は最前線にいたにも関わらず、全く戦わずに生き残った。だがあの周辺の土地には、確かに巨大な生物が暴れたような痕跡が地面に残り、また乱雑に立ち並んでいた木々は薙ぎ倒されている。

 戦いは確かにあった。俺が見たあの魔獣も、嘘偽りのない本物の魔獣だったんだ。だがその暴力の権化は何らかの形で俺の前から姿を消した。死体も残さず、綺麗さっぱりなくなったのだ。

 誰が倒したんだ? 今回ばかりはローゼみたいな証人もいないし、そもそもあのゴーレムも俺が倒したとは思えない。まさか昨日と同じやつか? もしそうなら、俺の記憶がなくなるこの現象とも、何か関係が——


「——あ、あの……」

「誰だ!」


 脳内ではかどる考察を遮った声に反応し、俺はすぐさま剣に手を添えて抜刀の体勢を作る。だがその声の先にいたのは脅威ではなく、木の後ろに姿を隠した一人の少女の姿だった。


「君は……もしかして、ローゼが言ってた女の子か? よかった、無事だったんだな」

「は、はい……」

「さぁ、一緒にこの山を下りよう。音とかで気づいたかもしれねぇが、ここには大きな犬っころが——」

「——そ、そのことなんですけど!」


 突然、少女が俺の言葉を再び遮る。そして何か意を決したように、定まっていなかった視線を俺の顔面に統一し、こう叫んだ。


「ごめんなさい! あの魔獣、私のイタズラなんです!」

「……………………は?」

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