第12話 博打打ちます!

「い、因子……? そ、それって……」


 忘れかけていた記憶の扉がこじ開けられ、埃を被っていた言葉が認識の光を浴びる。概念だったはずのものが実となり、そして音となり、オルゴールのようにゆっくりと脳内に流れ出すと、僕は目の前の脅威を忘れて硬直してしまった。


『因子確認。転送します』


 僕をこの小説の世界へと誘ったあの言葉。特殊魔法起動装置の言葉。その中の一単語が今、この世界の住人の口から語られた。この事実が、僕にとってどれだけ衝撃的で意外だったのかは、本当に筆舌し難い。是非ともこの感覚を共有してあげたいものだ。


「オニイチャンハシラナイヨネ。因子ノコト」

「何か知ってるのか⁉ 教えてくれ! 僕は、どうしてこの世界に——」

「——ハナシテルアイダニムラビトガキチャウ。ダカライヤダ」

「頼む! 少しだけでいいんだ! マジでほんのちょっとでも——」

「——イヤダ!」


 辛うじて言葉の体裁を保っていたグランデスの声が、その返事を最後に完璧な獣の咆哮へと変わる。どうやら、もう僕と話す気はないらしい。


「くそっ! やるよやりゃあいいんだろ!」

「ガアァァァァァァァ————!」


 白銀の餓狼が牙をむき出しにして駆け出し、それが開戦の狼煙となって山に轟く。


「っ————!」


 まずは初動の突進を跳躍で躱し、次いで振り上げてきた右前足の斬撃を、爪と爪の間に剣を差し込み、すんでのところでそれを食い止める。そこから剣を軸にしてさらに高く飛び上がり、縦の回転を生み出してさらに高く飛び上がった。


「パワーガルディウム!」


 詠唱と同時に湧き上がる剛力。上空からの会心の一撃。昨日のアークゴーレム同様、これを打ち込めば流石に——


「——ぐぅ!」


 しかし戦いはそんな一辺倒なものではなく、僕は縦回転の肉体を真横から、左前足の斬撃に襲われる。どうにか回転の流れに逆らって刃を真横に向けて爪と衝突、致命傷を回避するも、僕は山の木々をピンボールのようにぶつかる羽目となった。

 だが、全身打撲に悶えている時間はない。


「————」


 その木々を全身で薙ぎ倒しながら、グランデスは山を揺らして疾走する。その動きから見るに、剣を突き刺した右足の痛みなど、微塵も感じていないのだろう。


「くっっっそぉ!」


 山の緑を次々と破壊しながら、戦闘を繰り広げる僕とグランデス。魔法戦術を一旦解除した僕は、繰り出される攻撃を躱し続けながら、この戦局の突破口を探そうと思考をフル稼働させる。


『四つん這いの生物は、総じて腹が弱点。だけど……』


 単純な身体能力は敵の方が上。そして今僕が戦えているのは、森の中という立体物が集合したこの空間で、その俊敏さをある程度封じ込められているからこそだ。このまま長期戦に持ち込まれれば、この一帯は木々のない更地に変わる。そうなれば、僕の勝ち目はない。

 それに戦場を広げれば、いずれクスタカ村にだって被害が……


「ミンナハワタシガ! カナラズマモル!」


 決して止まることなく僕を狙い続ける餓狼の姿は、まさに命を喰らう羅刹そのもの。このハイムの身体をその牙と爪で引きちぎるまで、その殺意は和らがない。絶対にだ。

 だから俺がすべきなのは、その際限ない殺意の矛先を、一瞬でいいから僕からずらすこと。そのスコープの先に見える存在を移し替えればいいんだ。


「ぎぃぃぃぃ! がぁぁぁ!」


 躱し切れなくなった斬撃に刃を添えて受けようとするが、やはり吹き飛ばされてしまう。膂力も僕と相手とでは雲泥の差だ。このぶんだと、魔法戦術を使用しても拮抗できるかどうか怪しい。つまり、受け止めてからの反攻は不可能ということ。


『こっちから能動的に敵の視線をずらすことはできない……どうする……』


 考えろ。相手が僕以外の何かに殺意を向け直せる、僕の代わりにその殺意を受け止めてくれるもの。この戦いの最中において、敵が僕と同等の殺意を向けられるもの。僕の依り代となり得る物。

 敵は僕を脅威だと認識して攻撃を仕掛けてきている。だが実際、僕は脅威じゃない。敵にとって脅威なのは僕の持つ戦力——ハイムの身体に宿る魔法戦術であり、今も握るこの真剣だ。これを持つから僕は敵だと認識される。

 ——つまり戦力は、戦いにおいて命も同じ。

いやでもでもでも! もしそれで失敗してずったずたに身体引き裂かれたら⁉ 嫌怖い怖い怖い! 考えたらダメだろうけどマジで怖い! 何で前は戦えたの⁉ ビギナーズラック⁉ マジ⁉


「あぁもう考えてる場合か! やるぞぉ!」


 吹き飛ばされて生まれた距離もみるみる縮まり、餓狼の牙がもうすぐそこまで迫っている。


「一か八か! 伸るか反るか! ぶん殴るか食われるかぁ!」


 僕は剣を再び強く握り直し、餓狼の突進に対して真正面から突撃を敢行する。背水の陣を胸に刻んだ僕の闘志は凄まじく、目前に輝く牙を見ても足は止まらずに駆け続け、ついに敵の殺気と僕の闘志が隣接し、火花を散らした。


「パワーガルディウム!」


 魔法戦術を再び発動。自分の間合いまで引きつけた餓狼へ向け、僕は渾身の一撃を打ち込むべく振り下ろし——


「——グゥゥ⁉ ガァァァァ!」


 瞬間、大地に小さいながらも亀裂が走り、餓狼の血眼に噴出した土くれが奇襲をかけた。

 そう。僕が斬撃を打ち放ったのは、僕と餓狼の両戦力に挟まれた目の前の僅かな空間、その足元だったのだ。

 視界を塞ぎ、刹那の安寧を得た僕は再び振りかぶる。この一瞬だ。この一瞬、敵がすぐさま目を開いたその瞬刻の時、僕は自らの戦力を捨て去る。それによって得られる時間もまた僅かでしかない。だがその感覚レベルのタイムロスが、この戦いにおける僕の唯一の勝機なのだ。

 餓狼の目が今、土埃を払い飛ばして開かれ、取り戻した視界に映る一番最初の物体は——僕の剣だ。


「どぉりゃあぁぁぁぁぁぁぁ————!」


 その軌道と敵の視線をクロスさせ、目元すれすれの部分を通るようにして剣を振り投げる。そこにあるのは僕の戦力であり命綱。戦いにおけるもう一人の僕。それを手放すことなどあり得ない。


「ェ————」


 だからこそそこに隙が生まれる。疑問が生まれる。なぜ自分の眼前に武器があるのかと。手放すはずのないものがあるのかと。


「はぁ!」


 その疑問が湧いたその一瞬に、僕は餓狼の懐に侵入。ついに弱点である腹部に到達。そこから有り余った超人的なパワーを全て乗せ、全身全霊の右ストレートを打ち込んだ。より重く、より強く、より深い一撃を。


「…………」


 その瞬間、醸し出されていた殺意と狂気が一気に消え失せ、まるで狼の剥製のように、白銀の身体がその動きを止めた。


  ————————————————————————————————


 ——巨大な何かが崩れ落ちる音がした。ズシーンと、立つ力を失ったように。

 私だ。私が倒れたんだ。私は、この戦いに負けちゃったんだ。

 ほら、目の前にお兄ちゃんがいる。私が倒れた時にお腹にいたからかな、何本か抜けた毛がくっついてるよ。

 あ~あ、みんなのこと守れなかったな。これだけ大きな戦いしちゃったから、きっと村の人達も気づいちゃったよね。もっと何か……守る方法があったのかな。

 ごめんね、みんな。ごめんね。本当にごめんね。

 お兄ちゃんが一歩ずつ、私の目の前に近づいてくる。いよいよ死を目前にして恐怖を感じ始めた私は、その惨めな様を認めたくなくて、静かに目を閉じた。

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