record 2 忘れられた夏



 遺失物一時預かりセンターで 夏も知らないひまわりの種




   1


「ねえユズリハ。蝉ってなんであんなに元気なんでしょう?」

 おれはもう熱暴走オーバーヒート寸前だっていうのに。

 真上から照らしてくる真夏の日差しが、その熱さで遠くの景色を揺らめかせている。あれは陽炎と言う現象らしい。最初は珍しく思えたが、連日見かけるので新鮮さはすぐに失われてしまった。

「ただ歩いてるだけだっていうのに、なんかものすっごく疲れてるんですけど」

『体内の冷却機構がフル稼働しているのでしょう。あまり高負荷状態が続くのは良くないですね』

「そーでしょうよ。なんかもう目が霞んでる気がするもん」

『あなたの髪は黒いですからね。余計に熱を吸収してしまうんでしょう』

 微力ながら私が日除けになりましょう、とイヌハリコが頭のうえでめいっぱい両手足を伸ばして、帽子のかわりになろうとする。

「隠して隠してー。あーあ、おれもユズリハみたいに明るい髪色だったらなあ」

 いくら太陽光がオートマチックドールの主力の動力源とは言え、供給の度が過ぎれば活動にも支障をきたすというものだ。エンダー襲来以前の人間も、真夏に限ってはいまのように外出を控えていたと聞く。オートマチックドールの熱暴走オーバーヒートと似たような危険があったらしい。

「ていうかユズリハ、やっぱりもうちょい日が暮れてから移動しません? このへん、特に記録しておくようなものも無さそうですし」

 住民の避難が完了した街は、人間不在の抜け殻になっているとはいえ、休憩するにはちょうどいい建物がたくさん残っている。せっかくなのだからこれらを利用しない手はない。

 セイは今日までにも何度か、昼間を避けての移動を提案しているのだが、そのたびにユズリハが「わざわざ日が暮れてから活動するなんて、貯めたエネルギーを使うのがもったいなくないかい?」と譲らなかった。定住していない自分たちは予備動力源の確保が無いので、夜間活動はなるべく控えるという道理はわかるのだが、道理も尻尾巻いて逃げ出すようなこの真夏日だ。それくらいの無駄遣いは許されてもいいような気がする。こうなったらまずはイヌハリコから説得するか、とセイが自分の頭のうえに話しかける。

「イヌハリコ、お前はどう思う? 蝉の元気な様子も、入道雲も、陽炎も、逃げ水だって記録出来た。このへんは捨て地みたいだし、昼間の姿はもう十分じゃない?」

『まあ、たしかに一理ありますね』

「あとはさ、ホタルだっけ? 夜に光るとかいう変な虫。それ探す方向に変えようよ。うん、それがいい!」

 イヌハリコもこの暑さには相当参っていたらしい。『そうですね。私は概ねセイの意見に賛成ですが……』と思ったよりも素直に同意を返してくる。ただ、この旅の決定権を持つのはユズリハだと認識しているらしく『あなたはどう思いますか』と伺いを立てるように後ろを歩いているユズリハを振り返った。

『あっ』

「どした? エンダー出た?」

『セイ、止まってください。ユズリハが熱暴走オーバーヒートを起こして停止してます』

「そら見たことか!」

 自分たちから五メートルほど離れた場所で、行き倒れるようにうつ伏せになっているユズリハがそこにいた。どうりでさっきからひとつも返事が無いわけだ。駄目になる前に一声かけてくださいよ、とセイが慌てて引き返す。

「しょうがない。一旦どこか涼しい場所で休憩……てか重っ! 意識の無いオートマチックドールってこんな重いの!?」

 肩を貸してなんとかユズリハを起き上がらせてみるが、想定していたよりもはるかに重量がある。セイとユズリハにある身長差も影響しているのだろうが、それにしてもこれは厄介だ。背負って歩こうにも、重くて歩きづらいし、足は引きずってしまう。爪先が汚れるくらいは我慢して下さいよ、とずりずり引きずりながら、休憩に良さそうな近くの建物を目指す。入り口の看板に『公民館』と掲げているくらいだから、勝手に入っても問題ないだろう。

「はーまったく世話が焼けるなあ。おれがいて良かったですねユズリハ」

『お手数おかけします、セイ』

「いいえのことよ」

『何ですかそれ』

「知らないの? どういたしましてって意味だよ。……ん? ドアが開かないけどなんで?」

 建物の入り口の前に立つが、自動扉は一向に開かれる気配が無い。人感センサーここらへんだよね、とセイが前後左右を二、三歩移動してみるが、それでも扉は開かない。不思議そうな顔でイヌハリコも、セイの頭のうえで右前足をふりふりと天井に向けて振っている。

『赤いランプが点滅しているので、エラーが出ているようですね』

「エラー? ドア壊れてんの?」

『いえ。恐らく、我々の熱が高すぎて異常値と判断されたのでしょう。建物内には入れてもらえないようです』

「そんなことあんの!?」

『エンダー襲来後から、こういったセキュリティは強化されてますからね。特にこのへんは元居住区なので、ほとんどの扉が同じシステムで動いていると思われます』

「こなくそ! こっからユズリハの意識が戻るまで、おれたちが入れそうな建物調べながらずっと背負って歩けって? そんなの無理無理無理」

 自分だって熱暴走オーバーヒートを起こしかねない状態なのに、こんな調子ではどこまで歩けるかわかったものではない。日の入りまであと何時間あるんだよ、とセイが盛大に弱音を吐く。

「なんかいい方法無いの?」

『ちょっと待ってくださいね』

 少しでもセイの負担を軽くしようと遠慮したのか、定位置だった頭のうえからイヌハリコが飛び降りた。ずっとセイに運んでもらっていたので気づかなかったが、地面が相当熱されている。こんな上を何時間も歩いたら、全員共倒れだ。せめて日陰が多い道を、と辺りを見渡して、イヌハリコの尻尾がピンと立った。

『セイ、こっちです! 私についてきてください』

「待って待って」

 置いてかないでよぉ、と先程よりもやや乱暴にユズリハを引きずりながら、セイが追いかけてくる。扉が開かないなら、扉の無い入り口だ。公民館から目と鼻の先にあったその入り口の前で、イヌハリコがぶんぶんと尻尾を振って待っていた。

『ここです! ここから地下に降りられそうです』

 イヌハリコが前足で指し示すその入口は扉こそないものの、足を踏み入れるのが戸惑われた。びゅおお、と風が絶えず吸い込まれていて、まるで鳴き声のようだ。階段は地上から下へと真っ直ぐ伸びていて、不気味な薄暗さが進むことを躊躇させる。

「ええ……何これ、怖……なんか鳴いてるし……怪物の口?」

『地下鉄の入り口です。ここを降りると、地下を走る電車の駅があります。地下鉄ってご存知無いですか?』

「地下を走る電車はご存知無いけど、地下が涼しいのは知ってる! 行こ!」

 でもやっぱ怖いから先歩いて、とイヌハリコに先導を頼んで、セイは一段ずつ階段を下っていった。




   2


 目を覚ますと、セイがこちらを覗き込んでいるのがはじめに見えた。

「あ、起きました?」

 ずっと目をつむっていたからだろうか。あたりがやけに眩しい。何度かまばたきをして視界を調節する。起き上がろうと地面に手をついて、ようやくユズリハは、自分がひんやりと冷たい床の上で仰向けにされていたことに気付いた。そういえばいつのまに建物の中に入っていたのだろうか。あんなに主張の激しかった太陽が、いまはただの照明器具に姿を変えている。

「あれ? ここ、どこだ?」

「地下鉄の駅構内です。あんた、歩いてる途中で熱暴走オーバーヒート起こして倒れたんですよ」

「そうだったんだ。申し訳ない……ぼく、どれくらい寝てた?」

「いま昼の一時だから、ちょうど一時間くらいですかね」

 あの時計が合ってればの話ですけど、とセイが指差す方向には、電光掲示板がある。そこには現在の時刻とともに『一番のりば 普通 遅れ約1560分』と遅延どころではない数字が並んでいた。あれは本当に正しい情報なのだろうか。

「なんか変でしょ? あれがバグってんのか、そもそもこの路線がまともに運行してないのか、よくわかんないねって話になって、いまイヌハリコが他のホームの様子を見に行ってくれてるんですけど……」

『どのホームの電光掲示板も、全部似たような感じでしたね』

「お。ちょうど良いところに。おかえんなさーい」

 奥の改札口がある方向から小走りで戻ってきたイヌハリコが『四番線まですべて、ステータスは遅延状態。列車は一本も来ていませんでした』と少し残念そうに報告する。自分が寝てるあいだに、ふたりで色々と動いいてくれていたらしい。こちらがメトロの公式ページです、とイヌハリコが空中ディスプレイを表示させる。

『こちらを確認すると、路線状況は運行中となっているのですが』

「うーん。ページ自体の最終更新日がかなり昔になってるし、この情報も更新されてないだけかもな」

『同意見です』

 地上の電車が、誰も乗せていなくても時間通りに走っているのは、ユズリハも見たことがあった。だからこの地下鉄も同じように、規則正しく自動運転で運行されているものだと思ったが、遅延というには長すぎる時間だ。今朝歩いていた街は雑草の生え方からしても、捨て地になってから結構な時間が経過しているようだったし、もうとっくに廃線になった路線なのかもしれない。

「せっかくだし、駄目元でしばらく電車を待ってみようか。乗れたらラッキーくらいの気持ちでさ」

 電車が来ないなら来ないで、廃線確定ってことでこのまま線路を辿って地下移動してもいいし、というユズリハの提案に、セイが力強く頷き返す。

「そうしましょう! これなら誰かさんみたいに昼間の移動でも熱暴走オーバーヒートせずに済むでしょうし」

「きみって意外と根に持つ感じ?」

「あんたをここまで運ぶのクソ重たかったんですよ。あと二日はこの話しますからね」

 せめて熱暴走オーバーヒート起こす前に一声をかけてくれれば良かったのに、と恨めしそうに言われてしまった。しかし、これに関しては完全にセイの言うとおりなので、大変ご迷惑をおかけしましたとユズリハも謝罪を重ねるしかない。

『線路を歩くなら、念のため一日待ってみますか?』

「それがいいな。ただ待つだけも暇だし、そのあいだ駅構内でも記録して回ろうか。何か珍しいものが見つかるかも」

 特に地下鉄は、エンダー襲来以前から非常時の一時避難所として機能していたと聞いたことがある。地上の捨て地に放置されているものとは違って、残されているものの保存状態も良好な可能性が高い。とはいえ、どこを探せばいいかはわからないが。

「それだったら、センパイに聞いてみます?」

「先輩?」

「ヒカリセンパイ」

 一体誰だそれは。



   #



『案内所へようこそ。私はヒカリ。当駅で困ったことがあれば何でも聞いてください』

 セイに連れてこられた鉄道案内所で、駅員の制服を身に纏ったマニュアルドールがユズリハに向かって丁寧にお辞儀をした。相手がオートマチックドールであっても、配置されたマニュアルドールにはそんなことは関係無いというふうに、案内人としての役割をしっかり果たそうとしている。彼らにとって、駅の利用者であれば、人間もオートマチックドールも同じなのかもしれない。

「こちらのヒカリセンパイ、何でも教えてくれるみたいですよ」

「そりゃあ案内所付きのドールだしなあ……というかなんで先輩?」

「マニュアルドールって、おれたちオートマチックドールより先に作られたんでしょ?」

 じゃあセンパイじゃないですか、とセイは改めてマニュアルドールに会釈する。なるほど、そういう考え方もあるのか。ユズリハの目の前にいるヒカリは、親しみやすそうな笑みを浮かべ、自分に与えられる用事はまだかと待っている。

 姿形は人間とそう変わらなくて、違いと言えば首筋に見えるドール特有のバーコードくらいだ。そしてそのバーコードは、もちろんユズリハやセイにもあった。たとえば両端にマニュアルドールと人間がいるとしたら、きっとそのグラデーションの途中に、自分たちオートマチックドールが存在しているのだろう。

「マニュアルドールたちとぼくたちの違いってなんなんだろ?」

『自律思考の搭載有無ですね。マニュアルドールは予め設定されたプログラムでのみ行動するのに対し、自律思考を搭載したオートマチックドールは、三原則の範囲内で自ら行動を決定することが可能です』

 イヌハリコの説明に「いや、それはそうなんだけどさ……」とユズリハが歯切れの悪い答えを返す。

「うわっ! もしかしてあんた『ぼくらが作られた理由ってなんだ?』とか意味無いこと考えてます? やめましょうよ、そういう哲学みたいなの。そんなの作った人にしかわかりませんって。おれ、考えても答えが出そうにない話、イーッてなるんですけど」

 いーっ、とセイが大袈裟に歯を見せて抗議するが、そんなことは一切構わずにユズリハは続ける。気になったことはとことん考えたいのだ。

「だって、マニュアルドールが先に作られて、それがこんなに上手く出来て、じゃあそこで終わっても良かったわけだろ? どうしてわざわざ、さらに人間に寄せたドールを作ったんだ?」

「上手く出来たから、もっと出来るところまでやってみたかったんじゃないですか?」

「そんな理由?」

「理由なんてそんなもんでしょ」

 登山家だってそこに山があるから登るんですよ、とセイが知ったふうに言う。

「雑だなあ」

「そりゃ人間だって完璧じゃないんだから雑なところもあるでしょうよ」

「いや、きみの答えが」

「地上に放置しておきゃ良かったなこの人。ヒカリセンパイもそう思いません?」

 問われたヒカリはただ静かに、瞬きもせず微笑んでいる。

「だいたいねぇ、そういう答えが見つからないような話っていうのは、」

『何かをお探しでしょうか?』

「ん?」

『でしたら、左手の通路をまっすぐ進んで、ひとつめの角を右にお曲がりください』

 ヒカリは手のひらを差し出して、ユズリハとセイの間を割くように、向かうべき方向を示す。そこに求める答えが置いてあるとでも言うのだろうか。戸惑いを見せるふたりとは対象的に、ヒカリは微笑みを崩さぬまま、最初と同じように丁寧に頭を下げた。

『ご利用ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております』




   3


『遺失物一時預かりセンターへようこそ。私はコダマ。困ったことがあれば何でも聞いてください』

 受付カウンターを隔てた向こう側、ヒカリと揃いの制服を身に纏ったマニュアルドールが、ユズリハとセイに向かって丁寧に頭を下げた。さげられた看板には『忘れ物・落とし物はこちら』と書かれている。ヒカリに案内された場所は、車内や駅構内の忘れ物を預かる場所のようだった。

「あれ? なんかヒカリセンパイと顔が似てません?」

『公共機関は大抵、管理面から同じシリーズのマニュアルドールを揃えて配置しますからね。駅の備え付けドールである彼らも例に漏れずといったところでしょう』

 セイの頭のうえのイヌハリコが説明する。そういえば以前訪れた博物館でも、似たような顔のマニュアルドールが何人かいたことを思い出す。ただ、あそこは完全に閉館されたあとだったので、どのドールもスリープモードに入ってしまっていた。

 ここもそういった意味では、どこかあの博物館に似ているのかもしれない、とユズリハはあたりを見渡す。掃除ロボが定期的に駅構内の床を清掃しているおかげで、清潔さ自体は損なわれてはいないが、それでもどこか、人間が利用しなくなって久しい場所特有の、時間が止まったような雰囲気があった。

『何かお探しでしょうか?』

 コダマが自分の役目を果たそうとして、ユズリハとセイを交互に見る。

「そうだな。ここにはどんな忘れ物が置いてあるんだい?」

『どのようなお忘れ物ですか? 特徴をお教えください』

「あ、ぼくが忘れたわけじゃないんだ。どんなものがあるのかなと思って」

『どのようなお忘れ物ですか? 特徴をお教えください』

「いや、だから届けられた忘れ物を見せてほしくて」

『どのようなお忘れ物ですか? 特徴をお教えください』

 一向に同じ台詞しか返さないコダマに怖気づいたユズリハが、隣のセイたちに助けを乞うような視線を送る。反対にセイは「マニュアルっぽーい」と何がそんなに面白いのか、手を叩いてはしゃいでいた。

「もしかして壊れてるとか?」

「あれでしょ。なんか適当ぶっこいて勝手にものを持ってかれないように、先に特徴を言わせる設定なんじゃないですか?」

「ええ……そんな悪いことする人がいるのかい?」

「いたんでしょうよ。いなかったらこんな設定にしてないでしょ」

 それもそうか。セイの説明に納得して、残念だなと漏らす。どんなものが忘れられているのか興味があったが、見られないのならば仕方がない。ユズリハが大人しく来た道を戻ろうとすると「諦めるのはまだ早いですよ」とセイが上着のフードを掴んで引き留めた。

 そうは言っても、自分たちはそもそも忘れ物をしていないのだから、諦めるのに早いも遅いもない。一体どうする気だとユズリハとイヌハリコが顔を見合わせていると、セイが「すみませーん」とコダマがいるカウンターに勢いよく身を乗り出した。勢い余って、すっかり油断していたイヌハリコが、ぼてっとセイの頭のうえからカウンターの上まで転がり落ちる。

「なんかこれくらいの、まるっとした形で、カラフルな忘れ物って届いてませんか?」

『お調べいたします。しばらくお待ちください…………現在そのような物は届いておりません』

「あー、じゃあもうちょっと小さかったかな? 手のひらサイズ! 届いてません?」

『お調べいたします。しばらくお待ちください…………現在そのような物は届いておりません』

「じゃあねー、もっと小さいの! これくらいのやつ!」

『お調べいたします。しばらくお待ちください…………現在そのような物は届いておりません』

「えーと、カラフルじゃなくてモノクロだったかも!」

『お調べいたします。しばらくお待ちください………該当するものが一点ございます。お持ちしますのでしばらくお待ちください』

「よっしゃあ!」

 当てましたよ、とセイが難問の正解を引き当てたかのように爽快な笑みで、誇らしげに片腕を掲げて、後ろのユズリハを振り返った。カウンター上でおすわりをしていたイヌハリコが『でっちあげじゃないですか』と訝しげな眼差しを向けている。

ワルだなあ」

『完全にワルですよ』

 機転が利くって言って欲しいんですけど、と不服そうに唇を尖らせるセイへ、奥の保管室から何かを持って戻ってきたコダマが声をかける。

『こちらはあなたのものでお間違いございませんか?』

「はいはーい、間違いないでーす」

『かしこまりました。では受け取りサインをお願いします』

 表示された空中ディスプレイにセイがサインをする隣で、カウンターの上に置かれた忘れ物をユズリハとイヌハリコが覗き込む。ジッパー付きの、片手に収まるほどの小さな保存袋の中には、何かの種らしきものが三つ入っていた。「種だ」『種ですね』駅構内に落ちていたのだろうか。

「これ、誰が届けに来たかわかるかい?」

『申し訳ございません。拾得者に関する情報は、個人情報保護のため、お答えが出来かねます』

「そっか。あ、じゃあいつ届いたかっていうのは?」

『お調べいたします。しばらくお待ちください……そちらは11823日前にお預かりしました』

「いちまんせん……なんて?」

「もしかして、この構内全体の日時設定がバグってるんですかね?」

『その可能性はありますね』

 電光掲示板の遅延情報もバグみたいな数字だったし、とサインが完了したセイは、カウンターの保存袋を手に取って、何かを透視するように照明に透かして見る。どの方向から確認しても、そこには白黒の種があるだけだった。

『受け取りサインを確認しました』

 空中ディスプレイを閉じて、コダマがヒカリとそっくりな笑顔を見せた。

『お預かりしている遺失物がなくなりましたので、これよりスリープモードに入ります。御用の方は、左手前にございますパネルをタッチして起動してください。ご利用ありがとうございました』

 深々と頭を下げるコダマを見習って、ユズリハたちも同じように頭を下げる。次にふたりが顔をあげたとき、コダマはすでにカウンター近くの椅子に腰掛け、目をつむった状態で動きを停止していた。

「寝ちゃったな」

「寝ちゃいましたね」

 遺失物一時預かりセンター内に静寂が訪れるとともに、軽快なメロディが響き渡る。ここへ来て初めての構内アナウンスが、天井付近のスピーカーから流れ始めた。

『まもなく一番線に電車が参ります。ホームにいらっしゃるお客様は、白線の内側まで下がってお待ちください』

「うそでしょ!? 電車来んの!?」

「セイ、急げ! 次いつ来るかわからないんだ、絶対これに乗るぞ!」

 まるで飛び出すように、ユズリハが駆けていった。セイが慌ててイヌハリコを小脇に抱え、猛スピードで走り出す。

「ちょっと、おれたちを置いてかないでくださいよ!」

 今日こんなんばっか、とセイが叫んだ。




   4


 滑り込むようにして乗車した車内は、空席の深緑色のロングシートが両側に真っ直ぐと伸びており、圧巻だった。まだすべての車両を見たわけではないが、この車両に限ってはユズリハたち以外の乗客は誰もいないらしい。とにかく乗り遅れないことを第一にしていたので、行き先はわかっていないが、初めて乗る路線だ。きっと知らないどこかへ行けるはずだし、次の駅に停車してから考えよう、とドアに近い席にユズリハが座る。

「うげっ」

「どうしたんだよセイ、踏まれたイヌハリコみたいな声出して」

「あんたイヌハリコ踏んだことあるんですか?」

「いや、でもあれは不可抗力だったよな?」

『あなたの前方不注意が原因です。潰れるかと思いましたよ』

「あるんだ。イヌハリコ苦労してるね」

『ええ。ですから、あなたの頭のうえは踏まれる心配もなくて落ち着きます』

「そりゃ良かった」

 じゃなくて、とセイが話を戻しながら、小脇に抱えていたイヌハリコをユズリハの隣にそっと座らせ、右のポケットに手を突っ込む。

「慌ててたから、間違って持ってきちゃいました」

 ポケットから取り出されたのは、種の入ったあの小さな保存袋だった。

「別に間違ってないだろ? 受け取りのサインしたんだから」

「それはそうなんですけど」

 なんの種なんだろ、と保存袋をカサカサと振る。目をまるくさせたイヌハリコがじっとその中身を見つめ、しばらくして尻尾をピンと立たせた。

『恐らくそれはひまわりの種ですね。キク科の一年草の植物で、夏から秋にかけて大きな黄色の花を咲かせます。花言葉は《憧れ》《あなただけを見つめる》。種まきの時期は春から初夏にかけてなので、時期が過ぎてしまっていますね』

「さすがに定住しているわけでもないのに花は育てられないな」

『観賞用以外に、食用としての価値もあるようです』

「人間じゃないんだから」

 誰か育ててくれる人が見つかればいいんだけど、というユズリハの言葉に「その前に本当の持ち主が見つかるかもしれませんよ」とセイが返す。

「持ち主……持ち主なあ。いるかな?」

「そりゃ落とし物なんだからいるでしょうよ」

 それまでちゃんと持っておかないと。そう言ってセイがもう一度種をポケットに戻す。

「それより、この電車がどこ行きなのか聞いてきますね」

 先頭車両なら乗務員のマニュアルドールが乗ってるでしょ、とセイが列車の進行方向に向かってひとりで歩いていく。たしかに、完全無人の自動運転であっても、それくらいは備え付けられているかもしれない。連結部分の自動扉の向こうにセイが消えて、車内は少し静かになった。

 イヌハリコは、がたんごとんと規則正しく揺れる電車のリズムを全身で味わって心地よさそうにしていて、手持ち無沙汰になったユズリハは、扉付近に設置された液晶ビジョンに視線を移す。流す広告が無いのか、先ほどからずっとウェザーシステムによる気象情報が流れていた。本日も快晴、現在地点の最高気温は43度、ドールは熱暴走オーバーヒートに注意。同じ内容が繰り返される画面に視線をやりながら、ユズリハが隣で微睡んでいたイヌハリコに問いかける。

「そもそもの話、種って落とし物のうちに入るのかい?」

『大抵の植物の種は、自然と落ちているものですけどね。それを《落とし物》と呼ぶかどうかは、受け取り方次第かと……。ともあれ、あのマニュアルドールにしてみれば、誰かによって届けられた物をただ規則に従って保管しただけではないでしょうか』

 法律上では、占有者の意思によらずにその所持を離れた物のことを遺失物と呼びますが、とイヌハリコが付け加える。

「その法則でいくと、捨て地に残されたドールたちは、みんな遺失物になるのか」

『いいえ。持ち主がそこに置いていくと決めて残したのであれば、それは遺失物ではなく《不要品》と呼びます』

「……セイはどっちだろ」

 遺失物か、不要品か。セイが進んでいった連結部分へ目をやりながら、ユズリハが独り言のようにぽつりと零す。誰もいない福祉施設ホームのだだっ広い菜園のど真ん中で、セイは自分が食べるわけでもない野菜の世話をしていた。「たくさん出来ちゃったから収穫してるんですけど、どうしたらいいかわかんないんです」と本当に困った顔をして。

 あそこも、先ほどの駅と似ていたような気がする。時間が止まってしまった場所にはいつも、ドールがいた。あのとき「桜ってどこで見れるんでしょう」とセイが聞いてこなかったら、ユズリハは一緒に探しに行こうと誘うことはなかっただろうし、誘わなければ彼はいまも、作りすぎたトマトや茄子を両手いっぱいに抱え、困っちゃったなあ、なんて言いながら夏空の下、ひとり立ちすくんでいたに違いない。

 たとえばセイがオートマチックドールではなくマニュアルドールだったなら、いなくなった主人を待ち続けることはなく、コダマのように眠ることが出来たのだろうか。

『セイは、セイですよ』

 遺失物でも不要品でもありません。イヌハリコからはっきりと告げられた言葉に、それもそうか、と思い直す。そうだ。セイはセイだ。

「ただいまー」

 噂をすれば、自動扉の向こうからセイが帰ってきた。思ったより早い帰還だ。

「おかえり。どうだった?」

「先頭車両にいましたよ、乗務員ドール。なんか三つ先の駅が終着駅みたいです」

「じゃあせっかくだし最後まで乗ってみようか」

 滅多に乗らないものだし、とユズリハが提案するのと同時に、窓から車内に光が差し込んだ。ちょうどよく調光されていた車内の照明と違って、強烈な日差しが深緑色のロングシートを鮮やかに見せる。

「眩しっ! もしかして外に出てません? この電車」

『どうやら地上区間も走る地下鉄のようですね』

「地下を走る電車だって言ったじゃん! イヌハリコのうそつき」

 そういう地下鉄もあるんですよ、とイヌハリコが前足で座面を何度も叩いて抗議する。嘘つき呼ばわりが心外なのだろう。

 差し込む日差しは眩しいが、外にいるときとは違い、車内は冷房システムが稼働しているおかげで熱暴走オーバーヒートの心配はなさそうだ。終着駅についても、外の徒歩移動については最高気温との相談だなと考える。

「あ、そうだ。さっきひまわりの説明してくれたとき、花言葉って言ってたけどあれ何だい?」

『花に対して象徴的な意味をもたせた言葉のことですね。起源については諸説ありますが、神話や伝説、花の特徴、あるいはその国の歴史や風習からつけられています』

「じゃあ《あなただけを見つめる》のあなたって誰?」

『太陽のことですね』

 イヌハリコの言葉に、えっ、とセイが慌ててポケットから種を取り出す。

「お前、ずっと地下にいたから太陽見たことなかったでしょ」

 太陽はいま、ユズリハたちが座る席の向かい側にある。反対側に移動したセイが、種の入った袋を窓枠に置き、ガラス越しに外へ向かって指を差した。

「見えるか? あれが太陽だぞー」

 規則正しく揺れる静かな車内で、セイがひまわりに太陽を教える声だけが響いている。

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