Let me hear your voice, again.

圭琴子

Let me hear your voice, again.

 望月もちづき義則よしのりは休日、芸術の街・下北沢で、ふらりと劇場に入って舞台を観るのが趣味だった。だが本多劇場といった大劇場には、見向きもしない。キャパシティ百前後の小劇場で、駆け出しの役者たちの荒削りな情熱に触れるのが好きだった。


 たまたま今日入った劇場では、男性ばかり十人ほどの小劇団『はっこうてんし』が旗揚げ公演を行っていた。

 ストーリーはギャング団の抗争がメインで、登場人物の名前には『ウエストサイドストーリー』のオマージュが散りばめられ、七十五分間にそのエッセンスがギュッと詰まっているのが気に入った。

 中でもボスのオンナの『ベイビージョン』は、ポジション的に台詞があっても良さそうなのに、長い睫毛をもの憂げに伏せ、首を振って意思表示するばかりで何も語らないのが印象的だった。


 A4用紙を二つ折りにした簡易パンフレットを見ると、ベイビージョン役の役者はかけい古登ことといって、脚本家・演出家でもあるらしい。

 ――なるほど。主宰が出しゃばるのを、嫌うタイプの芸術家か。

 義則は納得して、そして同時に興味がわく。

 古登は、旗揚げの挨拶として、短い散文詩を載せていた。


『はっこうてんし

 君には僕らがどう見える?


 白光天使?

 薄幸天使?

 発酵天使?


 大海原にこぎ出した

 僕らの行く手に待つのは何だろう


 海の女神のキスは要らない

 だって僕らは海賊だから』

 

 次回公演の案内が欲しかったので義則は名前とメールアドレスだけを記入して、アンケートは書かずに席を立つ。長髪を後ろでくくったワイルドな風貌をサングラスで隠し、早々に抜け出すつもりだったが、客出しの列の最後に立っていた古登につい声をかけてしまった。


「また来ます。今度は、台詞が聞きたくなりました」


「ありがとうございます!」


 古登は、声をかけられたことに驚いたようだったが、作中とは違って歯を見せた。地毛を金髪に脱色し、長身の義則よりひとまわり小柄な青年だった。

 握手の手が差し出され、握る。そして、義則のサングラス越しの顔を見上げて――こぼれ落ちそうに、ただでさえ大きな目が見開かれた。


「YoSHi!? YoSHiさんですよね!?」


 ――しまった。バレた。

 反射的に否定しようとするが、古登は作中とは正反対に、マシンガントークで握った手を上下にぶんぶんと振る。


「俺、インディーズの頃から、YoSHiさんの大ファンなんです! 四月のデビューライヴ、最前列で観ました! うわ~! どうしよう! 大好きです!!」


 そこまで言われては他人のそら似で通す訳にもいかず、義則は恐縮して頭を下げた。


「ありがとうございます」


「いや、ちょ、頭なんて下げないでくださいよ! YoSHiさん、三十六ですよね。俺二十二です! 舎弟だと思ってください!」


 ようやく手が離されて、古登は深々と一礼した。


「今日は本当に、ありがとうございました! またお待ちしています!」


「こちらこそ。面白かったです。本当に、また来ます」


 義則が微笑むと、古登も明るい笑顔で手を振って見送った。

 七月にメジャーデビューしたばかりのバンド『Melting Don't brellaメルティング・ドンブレラ』、通称メルドンのドラムスでリーダー、YoSHiこと義則が芝居を観るのは、作詞のためのインスピレーションが欲しいからだった。

 はっこうてんしの公演を観ていた七十五分の間、ずっと古登の声が聞きたいと思っていた感情を組み立てる。サビはもう出来ていた。


『I need to hear your voice.

 声を聴かせて

 何でもいい

 たったひとこと

 出来るならカタコトのアモーレを』


 リリックの世界で、義則は古登に恋をしていた。男性は恋愛対象ではなかったが、歌詞の中で義則は、男女問わずに何度も恋に落ち、別れ、忘れられないと慟哭する。

 古登の儚げな表情のベイビージョンは、義則の創作意欲をいたく刺激するのだった。


*    *    *


 それから、一ヶ月が経った。小劇団は、年に二回から五回程度、公演をする。大体二ヶ月はあくのが普通だった。

 ふいに、メールの着信音が響く。

 義則は彼女の家で風呂上がりに下着一枚だったが、仕事の確認メールが入ることもあったので、すぐにスマホケースを開いた。登録外のアドレスだった。


『こんばんは。筧古登です。覚えてらっしゃるでしょうか。劇団はっこうてんしの主宰です。厚かましいのですが、お願いがあって、アンケートに書かれていたメールアドレスにご連絡してしまいました』


 かしこまった文面が、あの笑顔の眩しかった古登のイメージに合わず、何ごとかと思わず即レスしてしまう。


『こんばんは。ヨシです。もちろん覚えてますよ。お願いって何ですか?』


『実は……恥ずかしい話なのですが、次回作の脚本に行き詰まっていまして。一日……いや、半日でも、一時間だけでも、俺と付き合って貰えませんか?』


 義則も作詞をするから、その気持ちはよく分かる。迷わず、予定を調べてオフの日付を送っていた。


『ゴールデンウィーク明けの十一日なら、一日オフです。付き合いますよ』


 返事は、五秒で返ってきた。


『ありがとうございます!!』


 そうして、義則と古登は、肩を並べて下北沢を歩いているのだった。相変わらずマシンガントークで、古登は稽古場の裏話や失敗談なんかを披露して、義則を笑わせる。

 最初はお互い敬語だったが、昼食の焼き肉屋で義則が焼き肉奉行っぷりを発揮すると古登がツッコミを入れて、タメ口混じりになっていった。


「あ、ごめん。煙草吸ってもいいか」


 カラオケ店の店先にあった灰皿で、足を止める。最近は煙草を吸える場所がごく限られていたから、ヘビースモーカーの義則には貴重なスポットだった。


「いいけど。肺ガンになりますよ」


 冗談とも本気ともつかぬ口調で言うのが何だかシュールで、義則はまた笑った。

 赤マルの角を叩いて一本取り出し、彼は美味そうに肺まで吸い込む。


「……あそこにベンツが停まってますね」


「心配するな、あれは俺のベンツだ」


 実際にベンツなどなかったが、ネットスラングのジョークを交わして、笑い合う。

 義則が煙草を味わう間、近くをウロウロしていた古登だが、やがて嬉しそうに戻ってきた。


「YoSHiさん! すぐそこに、占いのお店があるんだけど。入ってみませんか? カップルが、恋占いをするシーンが浮かんだんです」


「あ? 俺と恋占いするのか?」


「うん。助けると思って。お願いします!」


 拝まれては、引き受けない訳にはいかなかった。


「仕方ないな。男同士で恋占いって、やって貰えるのか?」


「ゲイカップルだって、恋占いしたくなる時があるはずです。恥ずかしかったら、黙ってていいから」


 古登にうながされて、地下への階段をくだる。そこは、タロット占いの店だった。

 占い師は神妙な面持ちで、並べられたタロットカードを開いていく。


「すみません、プライベートなことをお尋ねしますが……おふたりは、お付き合いしていませんね? 女性のカードが出ます。恋愛嗜好をお訊きしてもよろしいですか」


「あ、はい。お付き合いはしていません。俺はゲイですけど」


 LGBTの友人は居たから偏見はなかったが、さらりと言った古登に、義則は肝をつぶす。


「ではこのカードは、義則さん、あなたでしょうか。女性とお付き合いしています?」


「は、はい」


「二種類の恋人のカードが、逆位置で出ています。古登さんの中に、義則さんに対しての気持ちが芽生えているのでは」


「へへ、凄い。バレちゃった」


「お二人の恋愛は、この先あるのかどうか。義則さんの、古登さんに対する恋愛感情をみてみました」


 またカードを開いていく。


「大好きで特別なひとなんですけど、恋愛感情ではないんですよね。キーワードは、塔のカード。根本的なとか、破壊とか、そんな意味のカードです。つまり、義則さんが持つ固定概念を壊す。恋愛は異性、女性が恋愛対象という意識を根底からひっくり返し壊した時、幸せの岸辺に辿り着くのではないかと思います。恋愛運は、これから作り上げていくのだと思いますよ」


 礼を言って店を出て、何と話しかけようかと義則が一瞬つまっていると、古登が屈託なく笑った。


「気まずい?」


「お……おう」


「俺がYoSHiさんを好きなのは本当だけど、これ以上わがまま言わないから、安心してください。言ったでしょ? 今日、一時間だけでも、『付き合って欲しい』って。この思い出があれば、生きていける。これがさいごの恋だから」


 微笑みながらそう話したあと、古登はう~んと伸びをした。


「あ~、幸せ。本のネタにもなるし、一石二鳥。……YoSHiさん、俺がゲイだって分かっても、公演観に来てくれますか? 俺、次は台詞あるよ」


「マジか。絶対観に行く」


 それは、義則の本心だった。夕食をどうしようかと切り出そうとしたが、ふいに古登は手を振った。


「じゃあ、今日はありがとうございました。すっ……ごく楽しかった! たぶん、十月の末か、遅くても十一月の半ばには第二回を打つから、ダイレクトメール送りますね」


「ああ。楽しみにしてる」


 古登は小走りに駅に向かい、改札を通ってからもう一度振り返り手を振って、雑踏に消えていった。


*    *    *


 それからまた一ヶ月後、劇団はっこうてんしからメールが届いた。テンプレートの公演案内の下に、スタッフと思われる一文が添えられている。


『関係者席にご案内します』


 だがそれを丁重に断って、義則は自分でチケットを取った。ライヴでも、関係者席はステージから遠いことが多い。古登の晴れ舞台を、最前列で観たかった。


 初日は入りが悪い傾向もあって、自由席で一番前に陣取る。

 公演が始まると、旗揚げ公演とは打って変わって、ゲイの青年とストレートの年上男性との恋愛ものだった。

 十分。二十分。古登が出てくるのを待つが、彼はなかなか出てこない。

 四十分。青年は、年上男性より背が低いが、いわゆる『男役』なのだと明かされる。

 七十分。占いの店に入って、タロットの行方に一喜一憂する。

 九十分。喧嘩に巻き込まれた青年は、路地裏のゴミ袋に埋もれて横たわっている。

 その時。声が響いた。ハスキーで独特な、古登の声に間違いなかった。


「ああ……俺、死ぬんだな。悪くない人生だった。最期の恋も出来た。好きになってなんて言わないから、出来れば俺を、忘れないでいて欲しい。大好きだよ。いつまでも。いつまでも……」


 それは、録音された古登の声だった。人生の終わりという内容を淡々と語るのが、返って真に迫っている。

 暗転。そして、背景の壁に白く文字が映し出された。


『主宰の筧古登は、旗揚げ公演のあと、進行ガンに犯されていることが分かりました。それでもこの脚本を書き上げ、ラストシーンの台詞を収録しました。亡くなる四日前のことでした。二〇二一年六月十日、筧古登は永眠致しました。短い間でしたが、これまでご声援たまわりまして、本当にありがとうございました』


 義則は、叫びそうになる口元を覆う。


『これがさいごの恋だから』


 古登は、そう言っていなかったか? それが『最後』ではなく『最期』なのだと、今更になって知る。

 ――大ファンなんです。大好きです。すっ……ごく楽しかった。

 脳裏には、そう言って笑う古登の笑顔ばかりが去来する。


 カーテンコールはなく壁一面に、はつらつとした古登の悪戯っぽい表情が映し出されて、九十パーセント以上が女性ファンの劇場内には、すすり泣きの声が響いていた。

 義則もまた、泣いていた。恋というには余りにも未熟だが、友情以上の感覚が喉元をせり上がり、こらえようとしてもこらえきれない嗚咽となってこころと身体を震わせる。

 ――忘れない。お前を忘れないよ、古登。いつまでも。


 二枚目のシングルが大ヒットし、Melting Don't brellaは一躍ロックスターの仲間入りをする。

 YoSHiの書いたCメロのリリックが、歌番組から流れない日はなかった。


『あの日覗いた万華鏡の片隅

 君を見付けたのは

 偶然?

 必然?

 たとえ恋敵が神様だって

 君を絶対に渡さない

 渡したくない

 Let me hear your voice, again.

 Please, please...』


End.

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