【二点】破滅の秒読み

「間に、合ったぁ……」


 俊樹は講義室内の机の上に座り、ほうと小さく安堵の息を付いていた。

 電磁加速式の電車は地方から東京までを最短四十分で往復することが出来る。料金も手軽で、これが普及したお蔭で地方から大都市にイベントに向かう人間も増えた。

 俊樹自身は東京の人間であるが、大学は地方を選んでいる。理由は様々にあるが、特に夢を持っていないのが大きいだろう。

 四十分も揺られ、駅から大学の講義室に入るまでで残り時間は約五分となっていた。

 小型のリュックを誰も居ない隣の座席に置き、今日の科目を思い出す。

 この大学に特筆すべき内容は無い。極めて普通な、所謂凡百と評される大学だ。スポーツ系に特化している訳でも、理科科学に特化している訳でもない。

 

 何の才能も無い人間の為に存在する大学。

 此処はそういった大学であり、けれどそこに居ることが決して不幸だとは俊樹は思っていなかった。

 周りを見ればそれは解る。過度に必死になっている者は居らず、此処で教鞭を振るう教師も穏やかな気質の者ばかり。

 特筆すべき事柄が無いからこそ、普通の社会人だけを作るだけの空間は想像以上に居心地の良さを俊樹に与えた。

 友好関係も良好だ。女友達には恵まれなかったが、下らない話をする程度の友人には何人も出会えた。成績を落さないようにすれば、このまま父と同じサラリーマンとして就職することが出来るだろう。


 サラリーマンは底辺の職ではあるものの、それでも六十まで働けば老後の心配は無い。遥か昔には年金と呼ばれる制度があったそうだが、今は六十の定年を迎えた者に無条件で祝い金を毎月送ってくれる。

 貯金も確りとしていれば、老後を趣味だけで過ごすことも出来るのだ。経済状況も決して悪くはなっておらず、今後も悪くなる兆しは無かった。

 姿を見せた教師と共に、俊樹はバッグから取り出しておいたタブレットを起動する。

 学校から支給された型落ちの物は、こと教育という面においては未だ現役だ。最先端を目指す大学ではもっと高性能な物を使っているとのことだが、俊樹としてはこれで十分だと考えている。


 そうして昼まで。

 俊樹は決めていた科目に参加し、大学の食堂で飯を食らう。事前に料理を予約してあるお蔭で食材が届いたと同時にロボットが調理を開始し、大人数の食事を高速で作っていくのだ。

 機械が作っているとはいえ、ミスは無い。地方に配備されているロボット達も手抜きはされておらず、今日もまた確りとプログラム通りの動きを見せていた。

 食堂は広い。全校生徒を丸ごと収容出来るだけの規模を誇り、席は異なれど座れないということは滅多に起きない。あるとすれば、椅子や机が破壊されている場合だろう。

 今日の俊樹の昼飯はカツ丼だ。肉だけ特盛にしたことで丼からカツが落ちそうになっていて、地味にバランスを取らねばならない。

 

 それを見事なバランス感覚で運び、俊樹は席の一つに座った。

 テーブルに備え付けの引き出しからプラスチックの箸を取り出し、快活な笑みのままに手を重ねる。


「――お、今日も大量だねぇ」


 そのままカツをと思った手は、背後から聞こえた声で中断された。

 眉を顰め、背中を仰け反らせながら首を後ろに向ける。天地が逆転した視界の中に、いやなくらい颯爽とした好青年の姿が映った。

 彼の持つ白い盆の上にはラーメンの姿。俊樹に負けず劣らずの量のソレにまったく目を向けることなく、実に軽やかな動作で隣に座った。

 

「なんで何時もそんなに食って太らないんだか。 羨ましいぞ」


「うっせぇ。 お前と話をするつもりはねぇぞ」


 好青年は親し気に語り掛けているが、俊樹は酷く不快な顔を表に出してカツを口に運ぶ。どんなに旨い物でも嫌な奴が傍に居ると美味しくなくなるとは言うものの、カツの味は常と変わらない。

 累計で二十回。彼が頼んだカツ丼は、何時も舌に旨味を運んでくる。

 

「まぁまぁ、良いじゃねぇか。 お互いに似たような親を持っている者同士。 仲良くしたって罰は当たらねぇだろ」


「――黙ってろ」


 鋭い眼光が好青年に向けられる。

 紛れもない敵意の感情に好青年の後頭部に冷や汗が流れ、肩を竦めた。そのまま暫くの間は互いに無言で食事を進め、先に好青年の方が食べ終える。

 彼は皿と盆を返却口に戻そうとせず、そのまま携帯端末の操作を始めた。食ったのならばさっさと消えろと俊樹は思うも、それを言葉にせずにカツ丼を食うことに集中する。

 分厚く枚数の多いカツ丼は、完食するには些か時間が掛かるものだ。それでも普段から大食いに慣れていると、十分程度で食べ切ることが出来る。


「そういや聞いたか? 今後の社会情勢、悪くなるみたいだぜ」


「…………」


「なんでも生産装置の停止が将来付けられているんだとか。 その所為で各国の政府は今大騒ぎだってよ」


 生産装置の停止。

 その言葉に、俊樹の肩が僅かに揺れた。思い出すのはテレビで放映されたあの博士の言葉だ。

 国際標準0。その警報が鳴る意味を、俊樹とて知らない訳ではない。

 彼は将来を普通に過ごしたいと思っている。極普通の生活をして、極普通の幸せを手にして、最後に老衰で死ぬ。

 日本は特に治安の良い国だ。何百年と掛けて改善に改善を重ねた今、幸福度で言えばトップクラスにまで登り詰めている。

 だから、そんな国が荒れる可能性があるのは良くはない。俊樹自身に何が出来る訳でもないが。

 実際に近くの人間に言われて、初めて俊樹は不安を感じた。


「……それを俺に言ってどうするってんだよ」


「ただの雑談だって。 別に深い意味は無い。 ――お前さんが会話をしてくれるなら、何だって良いんだよ」


 好青年は俊樹が過ごすこの大学で初めて会った人物だ。

 同世代で人気者。軽やかに初対面の人間とも友好関係を築き、見た目が良いことも相まって女生徒から恋愛的な意味で注目を受けている。

 だが、彼は依然として誰とも付き合っていない。傍に女生徒は一名居たが、本人曰くその人物とは仲が良い訳ではないそうだ。

 好青年は俊樹にも気さくに話しかけてきていた。それを最初は俊樹も軽く受けようとして――――相手の境遇を知ってから離れることを選んだ。

 関わるな。その意思を示した拒絶は、けれど好青年にとっては印象的だったのだろう。

 以来、好青年は暇を見つけては彼に語り掛けている。そして、それを俊樹はなるべく無視するようにしていた。


「まったく。 俺は何かお前に悪いことでもしたって訳でもねぇのに。 ただアサルト・ロボッツ・・・・・・・・・の競技者が親ってだけで嫌うかね」


「その話はするな」


 強い声だった。底冷えのする低い言葉は、最早命令と表現するのが適当だ。

 その話だけはしてはならない。その競技の内容だけは考えてはならない。自身の何もかもを不幸にするだけの姿を、想像したくない。

 それは一種のトラウマも同然。母を奪った競技に、彼は何も良い感情を抱かない。

 話を切り上げるように盆を持ち、俊樹は足早に返却口に向かう。

 その後ろ姿を好青年はただ見つめていた。そこに確かな羨望と憎悪を抱きながら。


「……ったく、自分は不幸だって面してやがる。 それに周りの不幸を不幸じゃねぇって思ってるな。 一番嫌なタイプだ」


 独り言には必要以上の恨みが籠っていた。

 彼と好青年が話をするようになってまだ半年程度。にも関わらず、まるで何年も積もりに積もったような感情が言葉に籠っている。

 その正体を周りの誰かが理解することはない。本人も見知らぬ他人に察せられるのは望んではいない。

 だからこれは、空気に溶けるだけの言葉。感情ごと消えていくだけの、空虚な吐露に過ぎない。


「まぁ、お前がそういう奴で助かったぜ。 ――これで心置きなく連行出来る」

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