BLUE ZONE―生きたくば逃げろ―

オーメル

【一点】悪夢と不穏

 ――炎が広がっていた。

 長い歴史を持つ一種古風とも取れる大型ドームで、機械の塊が横転した末に大炎上を引き起こしたのだ。

 勢いは速く、中に居た人間ごと機械は炎に飲み込まれた。地面に生えた見栄え重視の芝も燃え、安全管理を担う者達が全身を覆うパワードスーツを着込んで長いホースを持ってくる。

 手元のスイッチを押したと同時に消火剤が噴射され、その間にも複数の人間が担架を持って駆け込んでいる。皆の顔には焦りが見え、それがこの出来事を催しだと思い込ませてはくれない。

 ドームの観客席には無数の人間が居る。今日この日はとあるスポーツの大会の決勝であり、各々が味方チームを応援する為に来ていた。

 予定ではこの日はどちらかが優勝し、あらゆるメディアが優勝チームを讃えて盛り上がる筈だったのだ。


 けれどそれは、事故という出来事で全て潰れてしまった。

 火災の規模は大きく、とても試合など出来るような状況ではない。決勝戦は中止となり、係員の指示に従って人々は家へと帰されてしまった。

 残されたのは関係者ばかりで、その中に一人だけ幼い子供が居る。

 子供は男の子だ。観客席に居た少年は乱入防止柵にまで駆け寄り、目を見開いたまま炎上していた機械を見る。

 傍には大人の男が居たが、その男も唖然とした顔で事態を見守っていた。子供の心境など眼中に無く、男はただ息をするのも忘れて機械を見ている。


『な、にが……』


 絞り出した男の声。子供の耳にしか入らない言葉に、小さな少年もまた言葉を発する。


『ママ――?』


 全てはこの日、この瞬間から。少年の目に宿った暗闇が始まりになった。






「――……ああ、くそッ」


 目覚ましの音が枕元の携帯端末から鳴っている。

 騒々しいフライパンを叩く音は、遥か昔の古典的起床法だったという。彼もまたその音に眉を顰めながら目を覚まし、文句を口にしながら端末をタッチして目覚ましを切る。

 上半身を起き上がらせたのは男だ。

 金髪の髪。広がるような長さは女性らしさを感じるが、顔付きに女性らしさはない。

 少々鋭い眦を持ち、瞳は透明感のある灰色。日本人らしき肌の色を持ち、十人が十人の顔が良いと評価するものを備えている。

 今はその顔を顰め、嫌なものを見たとばかりに頭を左右に振っていた。


「またあの夢かよ。 もう何度目だ」


 青年と呼ぶべき年齢の彼は、長年続く悪夢に愚痴を零しながら寝間着から着替える。

 白Tシャツに黒のジーンズ。生地の薄い青の上着を羽織り、慣れた仕草で広がる髪を纏めて枕元に置かれていた黒ゴムで縛る。最終的には後頭部に一房垂れ下がる髪型となり、その状態で二階の部屋から階段を降りた。

 些か古さの目立つ木造階段を降りると、鼻先に香ばしい匂いが漂った。

 自然と腹が鳴り始め、その正直さに彼は短く苦笑する。一階にあるのは普通のリビングで、今日も彼の父が手早く朝食を作っていた。


「おっは。 今日はどんな飯?」


「おはようさん。 最近卵の無料クーポンが手に入ったから目玉焼きと、後はベーコンとウィンナー。 御飯はもう出来てるから自分でよそえよ?」


「了解了解」


 彼の父は細かった。

 身長は百七十前後。過度に細いのではなく、適度に筋肉が付いているお蔭で弱い印象は与えない。短い金髪をオールバックにした悪人顔の所為で損な役回りを担いそうだが、本人はまったく気にする素振りも無く明るく彼に笑い掛ける。

 これでスーツ姿をしていればヤクザかホストに見えなくもないが、残念ながら父が身に纏っているのは彼と色違いの紺のジーンズに黒シャツである。

 そこにお洒落の概念は無い。着て、不審がられなければ良いというだけの判断基準で全ては決定されていた。

 二人が使うには少々広く感じるテーブルに彼は御飯が乗った碗を二つ置き、父がおかず達を並べる。そして最後に父は古い冷蔵庫を開け、麦茶の入ったボトルを一つ取り出しては彼に投げた。


「っと。 投げるなよ」


「良いだろ。 お前は別に運動音痴でもないんだからよ」


「そうだけどよ。 ていうか何時も投げるなら中古でも良いからロボットの一台でも買おうぜ。 別に極貧生活者って訳じゃないんだからさ」


 彼の文句を父はスルーしつつ席に着く。

 そのまま箸で食べ始め、彼も仕方無いなと溜息を零して朝食を口にした。

 時刻は午前六時。リビングには巨大でありながらも型の古い液晶テレビが置かれている。電源の付いた画面にはニュースが映り、一般市民に何時もと変わらない情報を送っていた。

 その映像を彼は何の気無しに眺める。

 事故や祝い事、天気予報に宣伝。占いコーナーは百年以上前に廃れ、ニュースキャスターは揃って人間そっくりのロボットになっている。

 三百年前にはもう流暢な喋り方が出来るようになっていたとされるが、それよりも前はまだまだ棒読みの状態だった。音声製作者の執念とも言うべき作業の果てに初めての棒読みを超えた人工音声が生まれ、今にまで発展した。


『――では、本日のピックアップ情報をお伝えします』


 朝食も半分が進んだ頃、ニュースは記者会見の映像を流し始める。

 日本政府の要人と世界の秩序に特に貢献している国際治安維持組織の要人が無数のカメラのフラッシュに塗れながら、先日から起きている出来事についてを説明している。

 この映像は以前にも流れた物であり、要するに振り返りとして出しているだけだ。

 より詳細な情報は依然として出て来ていないようで、その事実に知識人達は各々勝手な推測を垂れ流している。

 特に今回は歴史学者まで来ているようで、生放送という形で放送するには少々早過ぎるのではないだろうかと彼は一人漠然と思っていた。


『一週間前に突如として世界中で鳴った警報は国際標準で危険度0。 最大危険度を指し示し、一時関係施設が騒然となりました。 現段階では政府の発表によって危急の問題ではないとされましたが、歴史学を専攻なさる成瀬博士はどのように今回のアラートを考えますでしょうか?』


 問い掛けに、知識人達が集まる席の一つに座った男が重々しく頷く。

 齢五十を想起させられる皺の増えた顔は酷く引き締められ、その様に誰しもが尋常ならざる気配を感じざるをえない。

 そも、ベージュのスーツを着込んだこの博士は他の面々の中では場違いも場違いだった。

 他が各々の推測によって社会の未来を予測する中、博士だけは過去の出来事からこれからを予測しようとしているのだ。


『そうですね。 先ず前提として、今回の警報は決して軽々しく考えてはならぬものです。 如何に政府が不安を煽らぬ会見をしたところで、国際標準0の警報は今後一ヵ月以内に人類に甚大な悪影響を齎すことが約束されています。 更に言えば、その警報は世界中で同時に発生しました』


 博士の語る前提情報は知識人であれば誰しもが解っていることだ。

 彼もまた何回ものニュースを見た結果としてそれは知っている。だからこそ、他の知識人も何も言わずに黙っていた。反論すべきはそこではないと。


『国際標準0の内容を政府達は発表しておりません。 これについては我々が予測するしかないのですが、第一に世界大戦の線は薄いです。 過去の人類であれば資源の不足や独裁思想によって争いを引き起こす可能性がありましたが、国際治安維持組織であるヴァーテックスが現在は阻止しております』


 戦争が起こる原因とは何だろうか。

 領土的問題。資源的問題。宗教的問題。独立戦争もまた大きな争いだ。その全てが国際標準0の内容に当て嵌まるが、現行の人類には既に態々争う理由が無い。

 五百年前であれば兎も角、今の世に宗教は存在しなくなった。神が居ない事実を過去の人間が証明し、技術が神を凌駕する瞬間を見せたからだ。

 資源は不足する気配が無く、野心家はそれを発揮する前にヴァーテックスが何処からか阻止しに現れる。

 世界を平和に維持する。それを何よりもの信条として掲げた彼等は、その信条に背かぬ形で今も活動を継続中だ。


『過去には未確認のカイジュウと呼ばれる個体も居ましたが、現在は完全に殲滅されて今後復活する見込みは無いとの宣言が発表されています。 一応の可能性を加味して国際標準0に入っていますが、可能性としてはやはり薄いままです』


『となりますと、残すは一つだけとなりますが』


『ええ。 ――生産装置そのものの完全停止。 もしくは、それに近い状態になること。 私が推測する警報の内容はこれです』


 博士がそこまで述べた段階でテレビの電源が突如として消えた。

 あれ、と彼が呟き父を見ると、そこにはリモコン片手で険しい顔がある。その顔は彼を捉えた瞬間に快活なものに戻るが、やはり何処か違和感のあるままだ。

 

「テレビの見過ぎだ。 そろそろ電車の時間じゃないのか?」


「え? ――やべ、もうこんな時間かよ!」


 残ったご飯を口に流し込むように飲み込み、二階に駆け上がってリュックサックを背負いながら玄関を飛び出して行った。

 桜・俊樹。今年大学生になった彼は早速電車に乗り遅れそうになっていた。

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