第5話 被害者、とは。

 中岡雄介は3ヶ月ほどずっと困惑していた。

 部屋のカーテンの陰から半透明の美女がずっとこちらを睨んでいるのである。

 この女性、昼間には出てこない。出てくるのは日が落ちた後。そして、同じ場所からめったに動こうとしない。

 季節外れのベルベットのワイドパンツの上には白いセーターを着ていて、その白いセーターは胸元を中心に血に染まっているときた。もちろんこの世の者ではない。


 心理的瑕疵物件の告知義務は賃貸の場合3年だけ。それを過ぎれて借主が変われば、殺人事件のあった部屋といえども情報は不動産屋からはもたらされない。

 中岡がこの部屋が殺人現場だと知ったのは、同じマンションの住人から偶然その話を聞いたからだ。


 中岡は幽霊は大して怖くはない。本当に恐ろしいのは生きた人間の方だと思っている。そりゃあ、夜中ふと目を覚ましたときに顔を覗き込まれながら「……怨んでやる」などと言われれば心臓がバクバク言うほど怖いのだが、この幽霊は言うだけ言ってもそれ以上何もしない。


 彼女は、ただ見ているだけ。そして、時折思い出したように脅しをかけてくる。

 前の部屋が霊の通り道の真上にあり、霊の大行列に散々踏まれたり金縛りにされたりと実害を被ったのに比べれば可愛いものだ。


「でも、邪魔は邪魔なんだよな……」


 ぽつりと独りごちる。幽霊がいる部屋に友人を呼んだりしにくいし、実害がなくても寝起きドッキリは心臓に悪い。美人なのが救いではあるのだが。


 そんなとき、共通の友人から西田幸村の話を聞いた。西田自体は霊能者でも何でも無いが、凄腕の霊能者に伝手つてがあるのだという。そちらの霊能者の方を直接紹介して貰いたいところだったが、実害がないので霊能者に頼むのも気が引ける。


 そこで、中岡は友人を通して「新しく借りた部屋に幽霊が出るのだがどうしたらいいだろうか」と相談して貰った。友人は気を利かせたのか、自分の体験談として西田に話をしてくれたらしい。友人が困っているのなら、西田がその霊能者に話を繋いでくれる率が高まると思ったのだという。


 しかし返ってきた答えは「エロいビデオを流してみたらどうかな」という都市伝説的なもので、中岡は落胆した。


「いや、待てよ……」


 幽霊を視界に入れないようにしながらビールを飲んでいたとき、中岡の脳内から古い記憶が引き出されてきた。


「なんだっけ……びっくりするほどパラダイス……じゃなかった気がするな……ドッキリするほどパラダイス……パラダイスじゃないか」


 手元のスマホを使って、「パラダイス」「びっくりするほど」などのキーワードを打ち込んで検索をする。すぐに「びっくりするほどユートピア」が正解のワードとして上がってきた。


 2ちゃんねるの元ネタとしては「まず全裸になり、自分の尻を両手でバンバン叩きながら白目をむき『びっくりするほどユートピア! びっくりするほどユートピア!』とハイトーンで連呼しながらベットを昇り降りする」とある。


 これはひとりの部屋でもちょっとやりたくないなと思った。ただ、系統としてはエロビデオを流すのとあまり変わらない。要は、馬鹿で、陽気で、エロが入れば尚よろしいということだ。



 そしてその日から、中岡はネットでアダルトビデオを見まくることを始めた。パソコンの位置を移動し、自分の斜め後ろにいる幽霊からも画面が見えるように調節をした上で、だ。


***


「あれ、お前の話じゃなかったのか」


 先日「引っ越した部屋に幽霊が出る」と相談を受けた友人のその後が気になった西田は、気晴らしに彼を飲みに誘っていた。

 西田と中岡の共通の友人は河合という。西田とは高校が一緒で、中岡は新卒時代に会社の同期だったのだという。今はふたりとも転職をしたが、気が合うので時々連絡を取り合っているそうだ。


「あー、うん。俺の事って言った方が、西田が直接動いてくれるかなーと思ってさ。そしたら『エロビ流せ』だろ? 俺正直がっくりしたよ」

「いやいや、最近それで除霊したって話を聞いたんだってば! おっさんの幽霊にゲイビデオ見せまくってたら消えたって話。酷いなって思ったけど、幽霊はエロが嫌いって確かに前にも聞いたような気がしてさ」

「あー、そういや昔はやったなあ。びっくりするほどユートピア、だっけ」

「あれにエロ要素はあんまりないけど、やる側が全裸だろ? 相手が女の幽霊だったらドン引きしそうではある」

「いや、男でもドン引きするだろ、何が悲しくて男の尻見なきゃいけないんだよ。死んでからもそんな目に遭うの嫌だな」


 結論として、「自分が幽霊だった場合、あれをやられたら部屋から出て行かざるを得ない」という事になったふたりだ。

 西田はノー感で幽霊を見たことも霊障に遭ったこともないので、こういう話になると霊が可哀想に思えてくる。


「で、その中岡って人? その後どうなったんだ?」

「んー、特に何も言ってこないんだよな。電話してみるか」


 酒が入っているせいか、行動が軽い。河合はビールのジョッキを空にすると、すぐに電話を架けた。タイミングが良かったのかすぐに繋がって、当たり障りのない挨拶を中岡と河合が交わしているのが西田にも聞こえた。


「じゃあ、西田に替わるわ。ほい」

「んあっ!?」


 突然スマホを渡され、西田は焦った。焦りつつも、「初めまして、西田です」と最低限の自己紹介はする。


「河合に聞きまして……その、『例の件』あの後どうなりました? 俺もそっちの分野は専門じゃないんで、聞いた話を軽くアドバイスしちゃって……」

『ああ、すみません、ご心配おかけしちゃいまして』


 電話越しに中岡が薄く笑った気配がした。それに西田はぞくりとする。


『幽霊がエロビ嫌うのも道理かなーって思って、エロビ見まくってみたんですよ。そうしたら、物凄い嫌そうな顔をされまして。あ、幽霊に、ですね。最初は俺のこと睨んでたんですけど、なんだか美人に睨まれるのが快感になっちゃって』


 クックック、と電話の向こうで男の笑い声がした。西田にとっては幽霊よりはるかに恐怖を感じる。


『そのうち、盛り上がっちゃってビデオ見ながらソロ活動始めたら、こう、凄い表情でこっちを見てくるんですよ。蔑みっていうんですかね。あんまり面と向かって向けられることのないような。その表情が最高にゾクゾクして、最近はエロビもソロ活動も見せつけてるんですけど。……決まった場所から動けない幽霊って可哀想ですねえ』


 西田は途中から「あ、こいつヤバいわ」と気づいていた。

 まだ喋り続けている中岡の事は無視して、スマホを河合に突き返す。


「この人変態?」

「いや、そこまでは知らんわ。あー、でもSMクラブに興味あるとか前にぽろっと言ってたような」

「……多分ここんちの幽霊も、消えるの時間の問題だと思う」


 幽霊に対するセクハラが酷い。訴えられないのをいいことにやりたい放題だ。

 中岡のちょっと行っちゃった笑い声などを思い出すと、若干気持ち悪くなる。

 西田は真剣に、早く幽霊が消える事を祈った。――幽霊のために。


***

「……という事があったんですよ」

「それは酷い」


 後日、律香から聞いた話から始まった事の顛末を「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」といわんばかりに西田は律香に報告した。見た目はクールだが乙女チックなものが大好きな小説家は、途中から目を半眼にして話を聞いていた。


「結局、生きてる人間が一番怖いんですよ」


 ため息をつきながら律香が愚痴をこぼす。西田もそれには完全に同意だ。

 干し野はともかく、中岡の方は意図的にやっているのが質が悪い。


「俺の直接の友達の話じゃなくて良かったです……」

「干し野先生とぶつけたらとんでもないことになりそうですね」

「貞子VS伽椰子じゃないですか」

「暑い夏に涼しくもならない話を聞いてしまった……」

 

 涼しげなクリームソーダをかき混ぜながら、ふたりは同時にため息をついた。


 暦の上では夏を過ぎたが、まだまだ暑さは続きそうな日の出来事だった。

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野生の霊能者 新生律香の事件簿 加藤伊織 @rokushou

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