第29話〈新しい1日〉2

 数日後の夕方。


会場の予約も済ましライブの準備に追われていた虎太郎は、秋人と駅前でビラを配り少しでもチケットを売ろうと足掻いていた。


「ライブどうすか?」


通行人を見つける度に大きな声で呼び掛ける虎太郎とは対照的に、秋人は小声で恥ずかしそうに「どうぞ」とビラを手渡していく。


人通りが少なくなっても続け三時間は過ぎようとしていたが、それでも売れたチケットは片手で数えきれる位だった。


ライブ会場から販売用に配られたチケットは一人二十枚、其のチケットは買い取りになるので売れ残れば自腹。


友達に売った分を足してもまだ半分以上余っていた二人が、世の中甘くないと悟る迄そう時間は掛からなかった。


「売れやんもんやな~、やっと三枚か・・・」


「やっぱり歌わないと駄目なんだよ~」


「ライブ前に喉壊したらアホやろ、シバクぞ」


もっともな虎太郎の言い分に口をつぐむ秋人は、誤魔化すように再びビラを配り始める。


「そういえば千夏ちゃんにもう渡した?」


「まだやサプライズやからな」


「駄目だよ~!向こうにも準備が有るはずだよ~!」


「どんな準備や?」


「心の準備とか・・・、出掛ける準備とか・・・、とにかく早めに連絡したほうが良いよ!」


珍しく本気で否定してくる秋人に気圧されたのか「明日連絡するつもりやったわ」と虎太郎は思ってもいなかったであろう嘘で返す。


とても順風満帆ではなかった。


足りない時間を埋めるようにあらゆる準備が同時進行されていく。


それでも笑顔で話す二人の表情に悲壮感は無く、むしろ希望に満ちているのは少しでも目指す所に近づいている実感が有るからだった。




 翌日千夏の家では朝食を作り終えた母親が「貴方からも何か言ってあげて、あの子売店にも行こうとしないし・・・」とご飯を食べようともせず旦那に話し掛けるが、旦那は特に何も応えられないまま仕事に向かい。


一人残された母親はため息をつき、困り果てた様子で病院に向かう準備を始める。


夫婦間では解決策の無いこんなやり取りが数日続いていたせいか、母親の病院への足取りは重く変わっていた。


 病院に着くと病室の前で立ち止まる母親は深く深呼吸して、気持ちを入れ直し明るく努めようとしている。


其れは一番楽しかった頃、千夏と一緒に出掛け仲良く買い物をしていた頃を思い出すように。


母親のそんな気苦労も知らず、病室から千夏の笑い声が聞こえてきたのは其の時だった。


思わず母親が室内を覗き込むと「うん、じゃあね」と千夏は調度電話を切り。


楽しそうに電話する姿を見て安心した母親は「何か良いこと有った?」と笑顔で近寄って行く。


「友達がライブするんだって」


自分の事のように喜び話す千夏に「凄いわね~、この前来てた坊主の子?」と母親も嬉しそうに笑顔を返し、千夏は小さく頷く。


「お母さん買い物連れて行ってくれる?」


ずっと母親が待っていた一言だった。


会うまでは予想もしていなかったであろう千夏の問いかけに「今日は奮発しちゃおうかな」と母親は悪戯に笑い返す。


照れくさそうに頬を赤らめる千夏の表情を見れば、千夏にとって虎太郎がどんな存在なのかは一目瞭然だった。


「母さんは応援するからね」


そう言って笑う母親は、千夏が日射しを避け閉じていた窓際のカーテンを開け放つ。


射し込む光は新しい1日を告げるように、置かれ続けていた帽子に降り注いでいた。

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