第3話 魂の叫びと隣人
カレー。ちゃんと作ろうとすれば奥深く難しいけれど、簡単に美味しく作ることもできる素晴らしい食べ物だ。ただ、ルーで作ると少し油分が多いと感じてしまう。もちろんたまにならこれも楽しめるのだが、少なくとも、残ったカレーを翌朝食べるなんてできない。こんなところで、私がもうおじさんの一員なのだと感じてしまう。
部屋に匂いがこもることを嫌って、ベランダに続く窓を全開にする。秋も始まったばかりという時分だが、この地方だと涼しいを通り越して肌寒いくらいだ。
今日のカレーは全力手抜きカレー。野菜を適当にざく切りにして、ミキサーに掛ける。あとはそれを鶏もも肉と一緒に電気圧力鍋で高圧を掛けるだけ。後は待っていれば美味しいカレーの出来上がりである。
その間に、私は特に何を考えたわけでもなく、ベランダに出る。冷蔵庫から購入したばかりで全然冷えていないノンアルコールビールを一口飲むが、当然あまり美味しくない。完全な無駄使いだが、こういうことをたまにしたくなってしまうのだ。
寒くなればなるほど星や空は非常によく見える。この程度の気温だとまだそうでもないが、少しずつ澄み始めているような気がして、嬉しくなる。北国出身ということもあるのか、この静謐な空気感は大好きなのだ。圧力鍋からしゅこしゅこと蒸気をあげる生活音がほんのりと気持ちが良い。
気障なセリフだが、本当に良い夜――
「だっしゃああ!原稿、終了!
良い物も悪い物も壊れるときは壊れる。これを諸行無常というのかもしれない。隣のベランダが勢いよく開けられる音とともに、何者かがベランダに飛び出したようだ。そして、同時に隣人の彼女の叫び声が聞こえる。大変に気持ちが乗っており、こちらまで感慨深くなりそうだ。
隣の様子は衝立に遮られよく見えない。しかし、その衝立から少しだけ指が飛び出ていることから、どうやら彼女は両手をバンザイしているようだ。
「ばかシノ先生、ベランダで騒ぐな!隣人さんに迷惑がかかるだろうが!」
常識人らしいもう一名の女性がシノ先生と呼ばれた方よりもずっと大きな声で叫ぶ。
「くそおー!ナコも金髪スーツとかいう変な格好のくせに常識人ぶっちゃってさー!」
これに対してシノ先生とやらは、よく分からない反論らしきものをする。自分の行動が常識的なものではないことには自覚があるらしい。しかし、彼女のその言葉から先日見かけた金髪の彼女は隣人さんではないことが判明した。金髪シュレディンガーは去ったけれど、結局隣人の彼女の見た目は不明のままである。
このマンションの構造上、隣人は私しかいない。私としては――深夜に騒がなければ――あまり気にならない。しかし、彼女たちに存在がばれるのもいかがなものかと思い、音を立てないようにベランダを離れることにした。そろそろカレーもできるころだからちょうど良い。
「あ!お隣さんの方からカレーの良い匂いがする!ナコちゃん、カレー食べに行こう!」
「くっそ、原稿終わったからってはしゃぎやがって!こっちは校正とか残ってるんだよ!」
「えー、いいじゃない、カレー行こうよ!近くにいいスープカレーのお店があるんんだよー」
失礼ながら、ぎゃあぎゃあとしか表現できない彼女たちの話し声をこれ以上聞かないように、そっと私はベランダに続く窓を閉めた。これで声は聞こえなくなった、かと思いきや書斎の穴から結構聞こえていたので、書斎の扉も閉めた。
これでようやく静かになった。
さて、リビングでテレビでも見ながらカレーを頂こう。今までのレシピとぴったり同じになるように計量しながら作っているが、実際に食べてみるまで美味しいかは分からない。それも料理の面白いところである。
リビングに座ってテレビを点けても、妙に部屋が静かに感じたことは否定しない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます