雨と無花果(栱英栱+O)

羽島 栱梛(はじま くいな)※よそのこ

 今回は攻かも。世界一世話焼き。

謝花 英(じゃばな あきら)

 今回は受かも。世界一ワガママ。


オーレ・ノルセン

 上の二人の友人。わりと二人の痴話喧嘩に巻き込まれがち。ある意味男運が悪いのかもしれない。





『アンタ、また栱梛くいなのこと呼び出したろっ、こないだの土曜日!』

 スピーカーモードにした途端、スマートフォンから響き渡った声に、落ち着き払ったトーンでオーレ・ノルセンは答えた。

「ああ。お礼をしようと思って」

『…お、お礼。なんの』

「以前、道案内をしてもらったときの」

 会話をしつつ、ゆったりと洗面所の椅子に腰かけ、手探りでピアスをつけた。前にも彼とはこんなことがあったな、などと考えつつ。

「しかし、なんだかんだでまた世話になってしまった。あれでは礼にならなかったから、また日を改めて食事にでも誘おうと思っている」

『えっ、また?』

「うん」

 盲目のオーレにとってはあまり意味がなさないものだが、洗面所には壁いちめんの大きな鏡がある。その磨かれた鏡面のなかで、ルネ・ラリックのピアスをつけたプラチナ・ブロンドの美男は、スマートフォンに向けて少し身をかがめた。

「アキラは今日、店は休みか?」

『……うん。てか今そんな忙しい時期じゃないんだよね』

「そうか。じゃあ、アキラも一緒に、今度食事でもどうだろうか」

 アキラにも世話になったし──と言うと、一拍おいて『…この流れで俺も誘うのかよっ!? いやっ…誘う…か?』

「今度また、こちらから電話をするよ。今日は出かける用事があるんだ」

 電話を切ろうと、手探りでスマートフォンの方へ指を伸ばしたオーレの耳に、やけに決意のこもった英の声が届いた。

『──俺、栱梛と一緒に行くからっ!』

 



 駅から少し歩いた住宅街にあるイタリアン・レストラン。

 値段もそこまで高くもなく、小洒落た内装は流行のナチュラル系──明るすぎないが、暗すぎもしないオレンジ風味の照明の加減もあって、女性客かカップルが少ない席のほとんどを占める店内に、異様な空気を放つ一角が存在した。

 テーブルに用意されたナプキンとカトラリーは三人分、だが一人が遅れているため、現在は二人の男──つまりは謝花じゃばなあきらと、オーレ・ノルセンが向かい合っていた。

 ヴィンテージのゴブラン織のジャケット──柄は花と馬、アジアの草原風。黒いシルク・シャツには、金朱色と深緑に輝く七宝エナメルのカミキリムシのブローチ、恐らく一点物。テーパードの程よく効いた濃秋色のパンツの裾は八分丈で、栗の皮のように磨かれたモンクストラップの革靴が金に光って見えた。

 対する英は、光沢のある濃い紫のジャージにぱりりと白いシャツ、幅広のGUCCIのネクタイに足元はCONVERSE × PLAY COMME des GARCONSのスニーカー。かなり攻めたスタイリングだが、蜂蜜色の髪と彫りの深い横顔にはしっくりと馴染む。

 そんな英は、その彫りの深い顔にさらに深い皺を寄せ、盲目(正確には弱視)の知人のスタイリングを頭のてっぺんから爪先までねめつけた。

「…アンタさあ、めっちゃオシャレだけど、その服誰が選んでるわけ?」

「俺にこの服を着てほしい人間」

 ほおずきのカプレーゼをつまみながら、オーレは微笑した。英は舌を出して「おうおう。なんつーか、すげえなぁ。アンタ」

「別に。それより、クイナは一緒に来てないのか」

「アイツは仕事で遅れるって、さっきLINE来た」

 オーレに謝っておいてくれ、と書かれた一文を故意にスワイプして消し、英はメニューを手に取った。「とりあえず、酒なに頼む?」

「手間をかけさせるが、読み上げてくれ」

「あー…」マジで全部? と、面倒くさいという感情をありありと表情に浮かべてしまい、しまった、と──見えないと分かっていても──メニューを立てて顔を隠した。

「じゃあ俺から訊く。赤はあるか」

「ワイン? 結構あるよ。今日はグラスで飲み放題にしてるけど、追加料金でボトルもいけるっぽい」

「じゃあそのボトルのなかから、頼んだ料理に合うものを店員に訊こう」

 ボトル一択かよ、と英は肩をすくめたが、言われたとおり手を挙げて店員を呼んだ。

 注文を終えると、英はスモークチーズとキャロット・ラペを手早く取り分ける。こういうところは存外、まめな男なのだ。栱梛は一度も見たことがない姿であろうが──

 直後、からん、と高すぎない控えめなベルの音がした。入り口が開閉するときに鳴る音で、英はもちろん扉のほうを振り返った。

「よーお、真打登場ってか。マジで今日も地味だな、栱梛」

「うるせー」

 仕事帰りらしい無地のシャツの上には、ダーク・グリーンのモッズ・コート──ボアはついていない。湿って肩口の色が濃くなったそれを脱ぎ、くるくると丸めて荷物入れのバスケットが濡れないようにしてから放り込む。

「…雨の匂いがする」

 すん、と、栱梛がコートで払った空気の匂いを嗅いだオーレに、舌を巻いたというような晴れやかな声音で「すごいなぁ、オーレは」と栱梛は返した。

「小雨だけどさ。急に降り出して参ったよ」

 栱梛は靴を気にしながら、向かい合っていた英とオーレの間に腰かける。

「えー、俺傘持ってないわ」

「来る途中でビニ傘二本買ったよ。お前に一本やる」

 英はにっと猫めいて笑い「やりぃ」と言ったが、オーレはホテルまで送るから、と言った栱梛の言葉に口角がむっと下がった。

「ありがたいが、俺はタクシーを呼ぶからいい」

 さらっと断ったオーレの言葉に、また英の口角が上がる。

「そうか? ここ払ってもらうんだし、送るくらいは」

「ここは以前の礼だ。つまり既に対価は支払われている」

 めずらしく、栱梛の言葉の途中ではっきりと遮ったオーレは、グラスを傾けてから中身が空なのに気づいたようだった。無言で栱梛の方に差し出す。栱梛がボトルを手に取ろうとした瞬間、ぱっと横から伸びてきた英がそれを引っ掴んだ。とぷとぷと勢いよくワインを注ぎ、「どーぞっ」と、オーレの手ごとグラスの脚を握ってぐっと押し戻す。危なっかしくて、栱梛は思わず口と手が出そうになったが、オーレは動じる様子もなく「ありがとう」と揺らいだ紅い水面に口をつける。

「俺が注ぐからいいよ、栱梛は」

「どうした、急に。いつもは自分の酒も俺に注がせるくせに」

「うっせ。いーの」

 なー、オーレ? と肩を叩くと、彼は笑顔のまま「こぼすからやめろ」と言ったが、英は気に留めていないようだった。

「ここで長々飲める空気じゃないから、栱梛が飲み足りなかったらもう一軒行くとして──」

「いや、俺飲み会じゃなけりゃそんな飲まないぞ」

「うるさいっ、じゃあ俺が飲む」

 やいやい言っていると、料理が運ばれてきた。酒を飲むためのコースらしく、少なめの量がセンスよく盛りつけられたものから、好きにとって食べるだろう揚げものまで、合間に思い思いのアルコールの注文を挟みながら、さすがに二十代の男三人ということもあって、つるりとたいらげていく。

 そして、その過程で、オーレに料理を取り分けたのはほとんど英であった。飲む、と宣言したとおり、ハイペースでグラスを空けていくわりに、料理が来るたびに栱梛の前に身を乗り出してまで、こまめにオーレの世話を焼く。

 とはいえ、栱梛と違って普段から他人の面倒を看るタイプではない(女には優しいのかもしれないが)英のサーヴは、酔っ払いなこともあって基本的に危なっかしい。何度手を貸そうとして「邪魔すんなっ」と色白の耳まで赤くして怒るので、栱梛はさながら一人ですべてやりたがる園児をはらはらと見守る保育士のように、英の一挙手一投足を目で追う羽目になった。酒の味も半分くらいしか入ってこないし、酔いも常に半分醒めているような状態からであった。

 そうこうしているうちに、やっと食事会は終盤に差し掛かり、デザートの皿が運ばれてきた。

 デザートは、いちじくや胡桃、ドライフルーツを蜂蜜と黒胡椒で練って固めた“いちじくの丸太フィグ・ログ”だった。黒っぽいものと白っぽいものが交互に重ねられて、可愛らしいタワーのように盛りつけられている。クリスマスケーキにこんなデザインのものがあるよな、と栱梛は思ったが──英が無造作に丸太を皿に取り分けて、大きな事故を起こさず本日の召使ごっこを終えたのを見届けて、ふう、と息をついた。

 そこにいたって、やっと余裕ができたのか「あ」と何かに気づいたらしい栱梛が、オーレの方を向く。

「なあ、オーレ。香水、変えたのか?」

 ワインを傾けていたオーレは、耳の後ろに指を当てて頷いた。

「ああ。Nicolaiのフィグ・ティー」

「やっぱり。このお菓子と同じ匂いしたから」

 くん、とその耳元に、少しだけ体を近づけて嗅いだ栱梛の両肩を、がっしりとオーレの手が掴んだ。常人なら鎖骨が悲鳴をあげる握力なのだが、栱梛は涼しい顔で「どうした?」と返した。

「クイナ。俺と心中したいのでなければ、もう少し勘を鋭くしてほしい」

「──はあ?」

「心中っ!?」

 心底わけがわからない顔をした栱梛と、血相を変えた英の声が重なった。

「ふざけんなやっぱお前らそういうアレかよ!?」

「そういうアレってなんだよ!?」

「ほら、こういう事故起きるから」

 至極冷静に言いながら、オーレは、ぽん、と栱梛の肩を叩いた。

「すぐには解らなくてもきちんと話せば良い」

「えっ、あっ、は?」

「俺にも嫉妬深いはいるからな」

「あの、ちょっとなんだその顔、オーレ、こらっ英ひっぱるな、服伸びるって、おいっ」

 一口でフィグ・ログを飲み込み、オーレは澄ました顔で手を挙げて「会計は先に俺が払っておくから。じゃあ、二人とも。馬に蹴られない程度に」と、白い杖をとると、裾にひっついた英虫に手こずる栱梛をおいて、すたすたと歩いて行ってしまった。

「くいなてめーっ、やっぱり騙したなぁっ」

「何を!? ていうかお前、立てって、そんな酔ってないだろまだ!」

「許さねーからな! 今日はとことん吐かせる! おいもう一軒だもう一軒、北口側の飲み屋行くぞ!」

「帰って吐いて寝ろ!」




「羽島さん、エゴマの葉論争って知ってます?」

 ──週のあけた月曜日。

 いつも通り、栱梛が、会社の休憩時間に給湯室で梅昆布茶をいれていたら、後輩の女性社員たちから話しかけられた。

「いや。何の葉論争だって?」

「えっとー、エゴマっていって、韓国料理とかに使われてるんですけど…」

「いやエゴマじゃピンとこないでしょ、なんかいい説明ないかな」

「えー、彼氏がやってくれそうなもの…」

 三人ほどで寄り集まって話していたらしい女性陣は、あーだこーだ小会議をして、改めて(大人しく梅昆布茶を啜って待っていた)栱梛にくるりと三人で向き直った。その顔つきの真剣さに、栱梛は思わず飲んでいた茶を逆流させかけたが、彼女たちは真剣な顔で説明し出した。

「簡単にいうと、恋人が他の異性に優しくするの許せる? って話なんですけど、その基準になってるのが『食事中に手助けしてあげること』なんです」

「ふうん?」

「元は韓国で話題になってて、恋人と友だちとご飯食べてるときに、エゴマの葉っていうシソの葉っぱみたいなのが重なっちゃってて、食べるときに取りづらいのをこう、押さえて取りやすくしてあげるのを、恋人が他の異性にやってたら許せるかって話なんですけど……。

 エゴマの葉だとわかりにくいと思うので、例えると、要は食事中、エビとかカニの殻とかを剥いてあげる、みたいなことを、羽島さんの彼女が他の男の人にやってたらどう思う? ていうか許せる? っていう……」

「いやあ。別に…」絶対やらないと思うけど、と思った瞬間、ぼわんと思い出が蘇った。つい数日前、柄にもなく甲斐甲斐しく、オーレ・ノルセンの世話を焼こうとしていた英のことを。

「……あー、それか」

 つい納得の声が漏れてしまい、聡い後輩がすぐに「あ。なんか心当たりある顔してる」と高い声を出した。

「いや……心当たりっていうか、ついこないだ似たようなことがあってさ」

「えーっもう、なんですかぁ、やっぱり嫉妬したんですか?」

「いや、まあ……そいつ、普段は俺に全部任せっきりのくせに、共通の友だちと食事に行ったら、その人の世話ばっかり焼いてて。あれ、俺に嫉妬させようとしてたんだろうなって」

 苦笑しながらそう云った栱梛の前に並んだ女たちが、揃って黙り込んでたっぷり、五秒間。

 突然、さまざまな色のリップが乗った唇が、異口同音に動いた。

「……羽島さんの彼女、カワイソーッ」

「えっ」

 声が漏れた。

「そんなややこしい話なわけないじゃないですか! それ、単に羽島さんがお友達の世話焼くのがイヤだから自分がやったんですよ!」

「そうそう、嫉妬してるのは彼女さんですって!」

「しかもそれで、羽島さんのほうは結局ぜんぜん嫉妬してないじゃん!? この感じだと!」

 ひどーいっ、と、一際姦しい波が押し寄せ、堪らず栱梛は「ひっ」と声を出しかけた。後ずさりこそしなかったが、脚にはかなり力がこもった。女たちはピンクやコーラルの唇で、栱梛を取り囲んでぼやきだす。

「鈍感とかじゃないけど…何? この……」

「羽島さんそーいうとこあるよね」

「てか彼女なにげ不満たまってそうだよね、行動に移すって」

「やっぱかなり普段から思うところあるんじゃない」

「彼氏優しすぎるって彼女からしたらマジで悪だよね」

「羽島さんめっちゃあたしらの仕事手伝ってくれるけど、自分の彼氏だったらと思うと確かにしんどい」

「なあ俺そんなに罪深いのか!?」

 思わず叫んでしまい、言葉尻も裏返ってしまった。女たちは手を取り合って意味ありげにさざめき笑い、「優しいって、罪ですよねえ」と視線を交わし合った。三人寄れば女は魔女、とありもしない格言が脳裏をよぎった。

「羽島さん、やばいっすよ」

「彼女さん、めっちゃ羽島さんに悶々としてるはずです」

「ゲージ満タンに近いかも」

「そんなんだと、愛想尽かされるか──」

 これ見よがしに指を一本立て、それから、にやあと笑ってもう一本をぬるっと立てる。

「リベンジ、あるかも」

 ごくり、と唾を飲んだ栱梛の尻ポケットで、突然ヴーッとバイブ音が鳴った。思わずビクゥッと全身の筋肉を震わせてしまい、魔女たちも驚く。

 スマートフォンの画面を見ると、LINEの通知には見慣れすぎた英の名前と───

『20時 コリドー街 ロックフィッシュ



 ちゃんと俺の世話しろ』

 大きな掌に、じわっと汗が滲んだような心地がした。ふくれっつらで、への字の唇で、指を栱梛に突きつける「彼女さん」の姿が、カクテルの甘ったるい泡のようにぼわん、と浮かんで、その晩になるまで消えそうもなかった。

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