6, 私の居場所



一波乱あったが、昼休みもそろそろ終わる。

雨宮先生は授業の準備をすると言って一足先に職員室に駆けて行き、私とベトニアチェルは魔除科の教室に向かっていた。


『ああもう、あの優男のせいで私の楽しいお昼が台無しでした! 何代経とうがあの底意地の悪さは変わらないのですね!』


まだ気が立っているのか、ベトニアチェルは未だに耳元で怨敵、仇敵、目の敵!と聖王様の悪口を言っている。

世襲制の世はとっくに去り、何代前からは実力重視の民主的な選挙制に変わったし、役職こそ聖王だが、今の聖王様にはベトニアチェルと戦った初代の聖王の血は入っていないだろうと言ったのだが……


『あれは初代にそっくりです!』


と言って聞かない。

だけど聖王様の容姿と教科書に描かれる初代聖王の肖像画は似ても似つかない。


「気のせいじゃないの? きっとその職業に合った顔になってくるんだよ」

『まあ人間、髪と眉をいじれば別人、年と体格変われば他人ですけど。あの聖王、痩せ型優男と見せかけて初代と何だか似てるんですよ』


分かった分かったと宥めたい気持ちだったが、初代聖王の風貌というのは気になる。

私が知っている初代聖王の姿といえば、教科書に載っている堂々とした凛々しい戦士。

しかしよくあるだろう。伝承と実際の差……みたいな。


「ねえベート。初代の聖王様はどんな人だったの?」

『思い出したくもないけど良く覚えてますよ。筋肉モリモリでいかにも戦士な野郎でした』

「ほらやっぱり……」

『むさ苦しい筋肉と劇画タッチの輪郭が私ダメでした。言葉選びも暑苦しいし、繊細さ皆無で花よりバナナのゴリゴリのゴリ男です』

「えぇー……」


頭に描く初代聖王様の姿が勇猛な戦士から徐々にゴリラになっていく。


「それ、聖王様とどこが似てるの?」

『敢えて言うなら雰囲気、でしょうね。近寄られると棘が総立ちでしたもん』


この場合、棘というのは人間でいう鳥肌みたいなものだろうか。

それにしても、どんどん夢が壊れていく気分。

これ以上聞くと今後、教科書の挿絵を見た時に笑ってしまいそうだ。


「ベート、誰が聞いてるか分からないからその話は一旦終わり」

『うぅーんマリアが思い出させたのですよ。責任持って話を聞いてくださいよぉ』

「部屋に帰ったらね」


そして、私はベトニアチェルの案内で魔除科の教室に向かう。


次の授業は基礎科目 社会。

基礎科目の授業の時、雨宮先生は予鈴が鳴ってもしばらく来ない。それを知ってだろう、教室の前に着いたが、中は未だ昼休みの騒がしさだ。


「みんな先生いないと元気だなぁ、」


私はドアに手をかける。

が、一旦その手でスカートの裾を払ってみる。


「……さ、入るぞー」


そして再びドアに手をかける。

……と見せかけて腕をパタパタと羽ばたかせる。

挙動不審な私を見てベトニアチェルがにゅっと顔を覗き込んでくる。


『マリア、入りませんの?』

「入るよ。でも気合いがいるの」


私は手をぐっぱと握り準備運動をする。


朝はアンナが声をかけてくれた。

みんなも授業でベトニアチェルと話してた。

だから多分大丈夫だろうけど、演習場で向けられた否定の目を思い出して何だか落ち着かないのだ。

教室の楽しそうな声がまるで私を締め出しているような、そんな気になる。


『私、外でお待ちしていましょうか?』

「ううん、違うの。ちょっと乗り越えるのに苦労してるだけ。ベート、一緒に居てね」


私は教室の扉を見据え、手首足首をぐりぐり回しながら入室準備を整える。


『……あなたなら大丈夫。応援してます』


ふわりと香り、ベトニアチェルが私の頬に柔らかい花びらを押し当てた。

それがすごく心地よくて、余計な力みが抜けた私は自然と……いや、少しだけ教室に入るのを躊躇い、そろりと教室のドアを開けた。


朝のような厳しい視線は感じない。

みんな各々話をしたり、寝たり、予習をしたり。普段通りの雰囲気に私は胸を撫で下ろす。


「あー、マリアん! やっと来たぁー」


教室の前方、真ん中の席からふわふわとした甘え声で私に手を振ってきたのは春野(はるの) リリ。

高い位置で二つに結んだ桃色の長い髪、スカートにはふわふわのパニエを入れて、制服のリボンを重ね付け、靴下はフリルの二乗、と、細部にまで可愛いに余念がない彼女。

初めて会ったとき「魔法少女がいる!」と、二度見三度見を繰り返しているうちに仲良くなった美少女だ。

リリは今流行りの“魔力ぐんぐんバー(いちご味)”を食べる手を止め、席から立ち上がると小動物のようなきゅるんとした目で私を見上げてきた。


「もう、マリアん探してたんだよ。お昼はどこに行ってたの?」


私の手を引っ張ってにこにこと微笑みかけてくるリリ。耳元でベトニアチェルが『ま、マリアん?』と聞き間違いでないことを一人で確かめている。

リリは誰にでもあだ名をつけようとする癖があり、最初こそ今のベトニアチェルのように戸惑ったが、今ではもう慣れたものだ。


「お昼は雨宮先生と一緒に中庭に行ってたの。ベートに少しでも光合成させなきゃいけないからって」

「そうなんだぁー。リリね、ベトニアちゃんと話したくて」


リリは私の耳元に咲く花に向かって天真爛漫な笑顔を向ける。私は内心で「あー、ベートはそうなるのね」と思っていたが、当のベトニアチェルは左右に花を傾げている。


『……あの私、ベトニアチェルと申しまして――』

「うん、知ってるよ。だからベトニアちゃん。可愛いでしょ?」


リリは純粋無垢な笑顔でベトニアチェルに微笑んだ。

しかし、当のベトニアチェルは会って間もないリリにあだ名で呼ばれたのが痛く気に入らなかったようだ。『ぬぬぬ』と呻き、わなわなと震えるベトニアチェルを私はとっさに手で抑え込む。


「待って、待ってベート。リリってこんな子だから悪気はないの許してやって」

『むぐっ、悪気はなくとも礼儀は必要です!』


手の内側でもごもごと暴れるベトニアチェル。

指の隙間から生え伸びた蔓がびたんびたんと手の甲を打って抗議をしてくる。


これはどうにかしなくては、と思って期待して見たリリは私たちの様子を見てにこにことと微笑んでいる。

これはどうにもならないかも。そう思っていた時、リリが珍しく空気を読んでくれた。


「リリ、ベトニアちゃんのこと尊敬してるよ? 可愛いくって強いもん」

『かわいっ……、んんんもうっ! 人の子の分際で私を舐めないでくださいませ』


可愛いで発病する謎のアレルギー再び。

ベトニアチェルは癇癪を起しながらもこもこと大きくなり、もう手で押さえるのも限界なほどに大きくなっていく。リリも思っていた反応にならず「あれぇ?」と首を傾げている。


「あたたた。リリ、可愛いじゃなくて綺麗、綺麗って言って!」

「うん、ベトニアちゃんは、綺麗! でもカワイイ!」


リリはうふふと笑いながら私の身長ほどに巨大化したベトニアチェルを褒めた。

その状況の読めなさ、意思の通じなさ、悪気のなさを見て、何かに気付いたベトニアチェルはぺしょんと私の方に凭れかかってきた。


『あ……この子もお馬鹿なのですね』

「この子“も”って……まあ、ベートもしばらくすれば慣れると思うよ」

『でも、ベトニアちゃんだなんて、そんな間抜けな呼び方っ、あんまりじゃないですか』


「泣かないで鮮花さん。僕なんて“はじゅるん”ですよ」


横から慰めるような男子の声。

リリから別称、はじゅるんを命名された彼は七生(ななお) ハジュン。制服のモデルかなと思うほど骨格から美少年で、爽やかな容姿と柔らかい物腰まで完備している。右耳に空いたピアスがちょい悪だけど、誰にでも優しく微笑む非の打ちどころのない魔除科の王子様だ。

その貴族力は見た目にとどまらず、実技の面でも……ほら、しくしくと雫を滴らせるベトニアチェルにさりげなく白いハンカチを差し出すほどの実力者だ。


『あなたは、確かハジュンとおっしゃいましたね。お気遣いありがとうございます』

「いいえ、まさか鮮花さんまであだ名で呼ぶなんて、リリさんの気さくさには驚かされます。でも僕のようにクリーチャー染みた蔑称じゃなくて良かった」

「クリーチャーじゃないよ! はじゅるん可愛いもん!」


ぴょんぴょん訴えるリリの声を無視しながらハジュンはベトニアチェルとにこやかに日常会話を楽しんでいる。なんだろう、この二人の組み合わせはとっても優雅に見えてしまう。


『……年の割に大人びてて胡散臭いと思ってましたが、そうですか、お父様のご指導の賜物だったのですね』

「はい、僕も最初は鮮花さんを怖がってしまったけど、こんな高貴で素敵な方だったなんて。知り合えて光栄で――」


「へっ、なーにが光栄だよ。いい子ぶりやがって」


一番後ろの席から遠巻きに声を投げてきた彼は確か、岬(みさき) オルフェウス、だったかな。

まだ寒いのに制服の上着を腕まくり、いつも黒いシャツの襟元から赤い中着を覗かせ危険色を演出し、近づけば高圧的な態度と目力で威嚇してくる。基本姿勢がいつも傾いていつも揺れている。と、視覚的情報だけでこう、バチバチの惡(ワル)みを感じるし、自己紹介のとき、黒板いっぱいに名前書き殴ってバンって叩いて終わりだったし。近づくなと言われているようで、まだ話をしたことがないのだが、そんな彼が鬱陶しそうに立ち上がり、こちらに、ひいっ! ゆらりと歩み寄ってきた。


「てめぇはいつもそうやってイイ子ぶりやがって。キモイんだよ」

「あーあ、馬鹿が来た」


ハジュンは黒い溜息を吐いて見下してくるオルフェウスから顔を背けた。

視線を逸らしたら勝ち、とかそんな法律の下に生きているのだろうか。オルフェウスは勝ち誇ったような表情を浮かべ、次は私に、うわっ、メンチを切ってきた。

……いや。私にはそう見えるだけで、彼はこれが普通。そう、悪気はないのかもしれない。

私はいつでも逃げ出せる姿勢保ちつつ、精一杯の笑顔を作って彼を見上げる。


「み、さき、くん……? こんにちわぁあ」

「ああん、てめ、花江とか言ったな。こんなモン連れ込みやがって。どういう了見だコラ」

「…ど。…………」


初めての挨拶を無視され、初めての質問がこんなだったら誰でも一瞬は無になるだろう。

私は何か言葉を返そうとしたが、私の思考回路は一度良心を経由して複雑な感情を迂回し

……結果、とても嫌な気分になった。


初めての挨拶を頑張ろうとした気分も愛想笑いも冷めていく。


「……話したくない」

「ああん? しらばっくれんのかオイ」

「ふんっ、もうあっち行って!」

「おい、コラ……」


私はあらゆる角度からイキってくる不良から全力で顔を背けた。

そんな攻防のさなか、普段なら『無礼な男』と一喝して罵りそうなベトニアチェルがなぜか機嫌よさそうに『ふ、ふふ』と笑う。


『マリア、そのような態度をとったら、いくら強気な殿方でも弱ってしまいますよ』

「知らない、悪いのは岬くんの方だもん」

『あらあら、お名前を間違えるなんて失礼ですよ』

「え?」


突然の指摘。振り返るとそれを肯定するかのように不良が慌てていた。

いやいや、でも確かに自己紹介の時は【岬 オルフェウス】と書いていたし、みんなもそう呼んでいる気がするのだが。

真相を知るベトニアチェルとハジュンが悪そうに笑い、デカい態度だった不良が小物のように慌てる様を眺めている。


「おい、鮮花! てめえ人の真名を勝手に他人に教えようとするんじゃねえよ!」

『うふふ、ごめんあそばせ。こんなモン呼ばわりされたのが悲しくて、つい』

「岬 オルフェウス、って偽名だったの?」

「ぎ、偽名じゃねえよ、これは世を忍ぶ仮の屋号――」

『マリア、この方の本名はですね――』

「だあああてめぇああ!」


興味深い議論が核心に迫ろうとしたその時、バンっと教室の扉が開いた。


「山田ぁ、うるさいぞー。でけー声が廊下にまで響いてる。静かにしろー」

「…やまだ……」


図らずして、遅れて来た雨宮先生の一言で彼の真名が公開された。

山田 オルフェウス、それが彼の本名。

なるほど、ああ……なるほど。


私が言葉もなく頷いていると顔を真っ赤にした「山田くん」は壁を一殴りして後ろの席に戻っていく。


『まあ先生、ちょうどいい時に。お待ちしていましたわ』

「おー鮮花、親睦を深めようとするのは結構だが、予冷が鳴ったら先生が来なくても席に着いとけー。お前らも、先生はみなさんの自主性を評価してるぞー」


雨宮先生の気だるげな声に急かされて、みんなそれぞれの席に着く。

私もベトニアチェルを連れて窓際の真ん中の席に座り、机から筆箱、ノート、社会学の教科書を……あった、取り出した。

そして窓際にベトニアチェルを置いてやって、これで準備完了だ。


「イチ、ニ、サンシ……全部で九人と悪魔が一。揃ってるな。じゃあ前回の授業をガスっと復習するぞー。まずはこの世界の構造について、誰に当てようかなー」


という雨宮先生の一言で教室がざわついた。

前回の復習と言うが、初めての授業で教科書の半分ほど進めてしまったのだ。誰だって振り返られるほど頭に入ってはいない。みんな一斉に教科書やノートをめくって記憶を引き出そうとしている。

もちろん私も何したっけ? くらいの記憶加減。教科書を見たってちんぷんかんぷんだ。

頼むから指名しないでと心の中で願ってみる。


「じゃあ、まずは魔除科の出る杭、木尾ぉ。説明よろしく!」


クラスきっての優等生、アンナに白羽の矢が立つと、みんなはひとまず安堵の息をつく。

私は後ろの席のアンナを振り返る。指名されたのが嫌だったのかアンナも「はぁ」と憂鬱な息を吐いて立ち上がった。


「……この世界は。神の座す神域と、天界・人界・魔界の三界に分かれています」


アンナは不服そうに立ち上がり、やけに簡単な回答をすると不満げに席に着いた。


「ん、どうした木尾。それで終わりか? ほー、これはさすがのお前でも難しいと見た」

「いえ、ここから先は有料です」

「……なんと?」


予想外のアンナの発言に雨宮先生が戸惑いの声を上げる。

アンナはじとっとした視線を雨宮先生に投げかけた。


「というのは嘘です。雨宮先生が今後、私を指名するとき魔除科の出る杭って茶化さないと約束してくれたら期待に副える発表をしてみせます」


「え。俺それ気に入ってんだけど、ダメなのか?」

「私が気に入ってると思いますか?」

「はぁワカリマシタ。今後はもう茶化さねぇから、思う存分続きをどーぞ」


雨宮先生が渋りながら了解するとアンナはにこりと微笑み、起立すると長い黒髪をさっと背中に払った。


「この世界は。神の座す神域を頂点とし、天界・人界・魔界の三界に分かれています。

人界に人間や鳥獣が主として存在するように、天界では天使や妖精。魔界では魔族や幽鬼が存在し、神域を除き、三界は魔力によって行き来することができます。

最も領土が広く安定しているのは人界と言われており、次に魔界、天界の順に領土は狭く不安定な構造になっています。そのため魔力の少ない人間は他界への移動に適さず、逆に魔力の高い天使や魔族は容易に他界へ移動できる性質があります。

それを利用したのが旧国家召喚契約で、人界の安定した資源を国家が支払う代わりに天使や魔族に労働を依頼したものでした。しかし、時代とともに契約は形骸化され、個人間での契約も横行したことから契約破綻となるケースが多発しました。そして相互が契約不履行を訴え、開戦したのが八百年前の大戦で――」

「はい、もう十分でーす。わーすごい、ご着席くださーい」


宣言通りすらすらと完璧な説明をしてみせたアンナ。その堂々とした発表にクラス中から「おー」と称賛や感嘆が漏れる。

雨宮先生はどこか残念そうな顔でぺちぺちと鳴る拍手を送った。


「ちょっと出来すぎて先生つまら……おっと、驚きました。じゃあ次は三界の地理について説明してもらおうかな。木尾の隣の、小篠、がんばれ」


そう言って雨宮先生が指名したのは魔除科の美魔女、小篠(こしの) ライラ。

年齢はみんなと同じ十六歳のはずなのに、ライラは雰囲気から体形まで大人の女性オーラが半端ない。座り方、話し方ひとつ取っても大人びているが、特によく発達しているのが胸元。振り返ればほら、制服の胸元ははちきれんばかりに……はちきれている。本人は制服のリボンが付けられないから可愛くないと年相応の嘆きを口にするが、貧民からすれば贅沢な悩み。

ちなみに性格は派手な見た目に反して穏やかで、中身はこんな感じ。


「センセ。わたしの発表も有料でーす。んふふ、アンナちゃんの真似」

「馬鹿なこと言うな。発表させるたびに金払ってたら先生借金まみれになるぞ。木尾の真似するなら優秀さの方を見習ってくれ」

「おっけー、じゃあ本気だしまーす。この丸が天界だとしたらー」


ライラが丸めた指の空間を指さしながらこまごまと説明し始めると雨宮先生が大きく首を振る。


「それじゃ分からん。説明難しかったら黒板使ってもいいぞ」

「うーん、そっちが楽かも。わたし前行きまーす。いえーい、ダブルスタンダード」

「違う、それはダブルス的な意味じゃない。って……え、もしかして先生への皮肉か? 俺そんなm9(プギャー )(^Д^)的な事言った?」


雨宮先生がライラの謎の言葉をいろんな角度で解釈しているうちに、ライラはさっさと黒板いっぱいに色とりどりの地図を書き込んでいく。


「はーい、出来たー! ちょっとデコれてないけど、三界の形ってこういう事だと思いまーす」


瞬く間に出来上がったのは色鮮やかな三界の地図。細かい凹凸まで表現され、ざっくりだが地名まで書き足されている。

教科書に描かれている簡単な地図と比べても遜色ないほどの出来栄え。みんなもライラにこんな特技があったのかとその画力に瞠目している。


「おお素晴らしい。小篠やるな、先生びっくり」

「でしょー」


雨宮先生に褒められたライラは豊かに波打つ金髪を払い、こぼれんばかりの胸を張る。

すると男子数人が追加の拍手と喝采を送った。


「よし、じゃあ小篠、そのまま各界の内容について解説頼むわ」

「えー、無理。それがわたしの知ってる全部だしー」

「いや、地名まで書けてそれはないだろー。知ってる範囲でいいから説明してみろ」

「だから知りませーんって。それを教えるのが先生でしょー」


正論のような気もするが、大胆な屁理屈にも聞こえる。

ライラは雨宮先生を試すようにのぞき込み、雨宮先生は「……そう来たか」とずれた眼鏡を押し上げる。


「だが、生徒の限界を超えさせるのも先生の仕事です。間違えてもいいからやってみろ。ほら、人界くらい説明できるだろ? 四つしかないし」

「うふふ、無理でーす。だって、行ったことないしー、世界は広くて説明できるほど分かってませーん」


どうやらライラはしっかりとした感性で生きたいタイプらしい。

そう認知した雨宮先生は「しっかり復習しておけー」と肩を落とした。


「じゃあ説明は他に任せるか。じゃあ小篠の前の麻倉ぁー」

「はい!」


ぴしっとした返事をして立ち上がったのは麻倉(あさくら) マイト。

席も性格もクラスの中心、元気で気さくな好青年だ。例えるなら真夏の運動部部長。

みんなで頑張ろうぜ! 的なリーダーシップを入学初日から遺憾なく発揮しており、率先して物事に切り込んでいく勇気と元気が有り余っている感じの彼。

はじめこそ頼りがいを感じていたが、如何せん忘れ物が多くて頼りない。

例えば、魔法演習で杖を、体力育成で体操着(上)を、さらに教室の中心にパンツを忘れたりするが、彼はいつでも快活に笑っていた。その敬意を表して今では忘れんぼ特攻隊長として認識している。

そんなマイトが自信満々に黒板に向かっていく。


「よーし、じゃあ麻倉。まずは天界の説明頼むわ」

「はい! 天界は、こう、ふわっ!として天使とかが居るようです!」


黒板の地図をばしんと叩き、単純明快、雰囲気100%で回答したマイト。

雨宮先生は舞ったチョークの粉を避けながら穏やかな微笑みを向けて頷いた。


「そうかー、じゃあ人界について、言ってみろー」

「はい! 人界は、東西南北に分かれています!」


バンと叩かれた黒板から再び舞い散るチョークの粉。

それくらいの説明ならいちいち叩かなくてもいいのに。


「げほっ、そうだなー、じゃあ魔界はどう説明する」

「はい! 魔界はガッとした感じで分かれていて、しっかりしているようです!」


魔界の地図をバン バン バンと連打するマイト。その説明ではちっとも理解が得られなかったが、彼が今日もとっても元気だということはよく理解できた。


「そうか、よし、席に戻れ」

「はい!」


黒板周辺に舞い上がる白煙を背に、やり切った感を出しながら堂々とした足取りで席に戻るマイト。

雨宮先生は何か自分に言い聞かせるように何度か頷いて、がっくりと肩を落とした。


「よし、選手交代だ。次は、麻倉の……隣の都築、キミに決めた」

「おや、自分でいいのかな?」


そう言ってすっと立ち上がったのは都築 セイン。

小さな頭にすらりとした長身、目が合うと微笑んでくれるドキドキする感じのイケメン。

しかし、お気づきだろうか。彼はズボンを着用しながら臙脂色の女子用ブレザーを着用し、襟元はネクタイを留めている。

錯視を誘うその装い。

見た目は完全に男子だが、そう、彼は彼女なのです。

てっきり男の子と思い込み、入学して三日はそのことに気付かなかったが、話を聞けば脚に傷があるから目の障りにならないようズボンを履いているとのこと。そしたらリボンが悪目立ちするからネクタイに変えたらしい。なるほど納得……

ちなみにうっかり「セイン君」と呼んでしまっても彼女は微笑んで振り返ってくれる。間違いにも性別にも寛容な心からのイケメンだ。


セインは懐から伸縮する指示棒を取り出してゆっくりと伸ばし、黒革の手袋をはめた手のひらをパシンと叩いた。


「じゃあ説明するよ。まずここが上層の天界。全体が天使の領域である〈天使領〉とされており、その中に神獣が住む〈神獣域〉、妖精の住む〈妖精園〉、聖霊が現れる〈聖霊区〉が点在している。天界は魔力が濃いため領・域・園・区の境界も不明瞭になりやすく、常に範囲を変えながら移動している。

こんな感じでいいかい、先生」


セインは黒板に向けていた支持棒で手のひらを打ちながら端に避けていた雨宮先生を振り返る。


「大変結構でーす。都築、お任せするのでそのままガンガン行っちゃってくださーい」


雨宮先生は大きく頷きながら続きを促すように下手を出した。


「はは、仕方ないね。じゃあ次は、中層にある人界。上層の天界から降ってくる雨の海を境界にして東西南北の四つの国に分かれているよ。

一番広いのは北に位置する清北国。資源や資材が多い国だね。だけどここは国土の大半が凍土や山岳地帯で未開の土地も多くある。

次に広いのは我らが聖西国。ご存じの通り魔法資源が豊かで国としての機能も最も確立している。この二国間は距離が近いから橋を通って渡れるけど、他の二国は見ての通り完全に離島になっているね。

そのうちの一つが東の果てに位置する浄東国。ここは昔から他国との交流を閉ざしているため謎が多いね。特に数百年前の東西戦争の亀裂は深くて聖西国との国交は断絶状態だ。

そして動物の楽園とされる盛南国。国の発展よりも自然保護に重きを置いている国だね。年間降雨量が多くて魔力の濃い土地が点在しているから自然現象がよく起こる土地でもあるね」


セインは人界の地図を示していた支持棒をすっと魔界の地図に沿わせる。

そのまま説明に入るかと思いきや、セインは熱っぽい目でじっとベトニアチェルを見つめている。


「じゃあ、次は魔界の説明、だね。このまま自分が説明してもいいんだけど、魔界のことは、麗しの鮮花に話を聞きたいな」


セインのねだるような視線。

外を見ていたベトニアチェルが『なんですの?』と振り返る。


「ベート、魔界のこと教えてほしいって」

『まあ。ですが、私の知っている魔界はその地図とは少し異なりますよ。そんなお話でよろしければ私は構いませんが、先生、良いんですか?』


ベトニアチェルの言葉に眼鏡を拭いていた雨宮先生が「ん? ああ」と眼鏡をかけなおす。


「たしかに鮮花は生徒じゃねーが、クラスの一員だからな。それに授業中、壁の花してるのもしんどいだろ、好きに発言してくれて構わねーよ」


雨宮先生はさも当然のようにそう言う。

それを聞いたベトニアチェルはもじもじと茨を絡ませながら少し俯いてみせた。


『……そうですか。では私ちょっと準備いたしますね。セイン、そのまま魔界の説明をしていてください』

「ああ、任せて」


セインはベトニアチェルに向かってピンっと人差し指を向けて片目を閉じてみせた。

誤射されたばきゅんが私の胸を撃ち抜き、私は「うぐっ」と机に倒れ伏す。

そんなことをやっている私に『何してますの?』とベトニアチェルが不審の目を向ける。

そして私は放置され、ベトニアチェルはにょろりと移動を始めた。

ベトニアチェルの支度までの間、セイン主導で授業は進む。


「じゃあお先に魔界の説明をさせてもらうよ。三界の最下層にある魔界は人界から雨の海の結晶が降って堆積して出来た土地で、全土が魔晶で構成されているよ。

特に濃度の高い魔晶で出来た中央は〈魔族領〉と呼ばれ、ここには魔力の強い魔族が住む。そしてその周りにあるのが〈鬼獣域〉、魔獣の類が生息する自然豊かな場所だよ。そして魔界の端を東西南北に陣取っているのが妖怪の住処とされる〈妖冥園〉、そして最も魔素が薄い四隅にあるのが悪霊たちの住む〈怨霊区〉と、自分が説明出来るのはこれくらいだね」


セインは魔界の説明をし終えると支持棒を縮めて懐に仕舞う。


「あとは麗しの鮮花にお願いしようかな」

『はい、素晴らしい説明でした。では僭越ながら私から魔界の説明をいたしましょう』


人並の大きさに伸びたベトニアチェルが黒板の前にずずっと這っていく。

私は「いってらっしゃーい」と見送って、ベトニアチェルの遅々とした足取り(?)にやっぱり植物なんだなぁと移動の不便さを推し量っていた。

そのとき、私の前の席から「ひいっ」と小さく怯えた声が聞こえた。


声の主は卯月(うづき) ロウ。シャイで控えめで奥ゆかしいアンノウンな男の子。

彼は私の目の前にいるのに私には彼が見えない。これはいじめでも哲学でもなく、本当に不思議なのだが視界に入っているのに視覚に入らないのだ。入学初日も席が近いから何か話したはずなのに、ロウがどんな顔でどんな声だったのか、その会話の内容さえ淡雪のように消えている。きっと彼は知覚どころか記憶まで操作できる凄腕の魔術師なのだろう。

そんな忍びの心得を持つ彼が自ら声を発したことで私は今再び存在を認知した。

ちょっと小柄で前髪の長い普通の男の子。

そんな彼は息を殺し、恐怖の表情で隣を這うベトニアチェルから必死で距離を取ろうと窓際に張り付いている。


それを見て、また私の中の小さな感情が揺らめいた。


クラスの大抵がそうだったように、悪魔でも害がないと思えれば普通の人のように分かり合えるのだと認識していた。

だから明らかに拒絶するような反応を見ると胸がざわつく。


だけど、たぶんロウの反応は正しい。

だって、鮮花は未知の悪魔だし、契約している私だってベトニアチェルのことをほとんど知らない。

悪魔って、なんなんだろう。


そんなことを考えているとロウの机からペンが転がり落ちた。

ペンは軽い音を立てて床に落ち、それに気付いたベトニアチェルが茨でペンを拾い上げてロウを振り返る。


『もし、これ落とされましたよ?』

「ひあ、あ……やめて」


ロウは窓から落ちてしまいそうなほどに身をのけ反らせてベトニアチェルを避けようとした。

ここは二階、落ち方が悪ければ大変なことになる。

ベトニアチェルもロウの行動に焦ったのか引き戻そうと荊を伸ばす。しかしロウはそれを避けようとさらに窓から身を乗り出した。


「やめて、来ないで!」

『まあ、お待ちください。先ほどクラスのみなさんとお約束しましたでしょう。私、あなたに危害を加えるつもりはありません。どうか落ち着かれてください』

「何で植物なのに動くんだ! 花江さん、君の使い魔だろ、動き回らないようにちゃんとしててよ!」


ロウの文句にカチンときたが、その必死の形相は怒りというより別次元の緊急さが窺えた。

私はどう伝えればロウが納得してくれるのか説得を試みる。


「ベートは、使い魔じゃないよ、私の友達。怖いかもしれないけど、ベートも危害は加えないって言ったでしょ。卯月くんに迷惑かけないから……」

「近くにいるだけで迷惑なんだよ!」


ロウは目に涙を溜めて伸びた前髪を振り乱しながら必死に叫ぶ。

そこまでばっさりと拒否されるとさすがに悲しくなってくる。

やっぱり、悪魔に嫌悪感を抱く人は、すぐに寛容にはなれない。

そういう人がこの学園にどれだけいるか分からないけど、顔を真っ赤にして涙ぐむロウの言葉や行動がそれを代弁するようで、とてもつらくなった。


『すみません。私が出しゃばり過ぎました。ですからどうか、マリアを責めるのはおよしになって』


ベトニアチェルは机にロウの机にペンを置くと、しょぼんと花を萎れさせて佇んだ。

私は、何も言えないでいた。

こういう時、友達としてベートを庇ってあげないといけないのに、ロウの言葉を断じるのも違う気がして私の口からは一言も言葉が出てこなかった。

私はどうしたらいい?

そんな堂々巡りにはまり込んで私は立ち尽くす。


そんな俯く私の耳に雨宮先生の声が降ってくる。


「おい卯月。少し感情を抑えろ。友好を申し出る奴にそういう態度をとれば軋轢しか生じない。お前の気持ちを蔑ろにする訳じゃないが、その言動はお前にとって損にしかならないと思うぞ」


説得するような雨宮先生の声、しかしロウは言葉もなく首を振った。

涙で目を真っ赤にして息もできないくらいに拒否する様子はむしろこちらが痛々しく思ってしまうほどだ。

雨宮先生はそんなロウを見て眉間にしわを寄せて尋ねた。


「それとも、何か受け入れがたい理由があるのか?」


雨宮先生の静かに問いただすような声にロウが振り絞ったような声を出す。


「ぼ、僕は、花粉アレルギーにゃんだ!」


その主張が教室にこだまする。

ベトニアチェルが『まあ……』と呟き、きゅっと花を蕾ませる。


つまりこの悲劇は花粉症。

怒りも覚めるその理由、笑っていいのか案じていいのか、どう対応していいか分からない無の時間が過ぎた。


「あー、それは大変だったな。卯月、席替えするか?」


雨宮先生は頭をぽりぽり掻きながら斜め後ろの方を指さす。

叫んだ反動で大量に花粉を吸い込んだのか、ロウはハンカチで涙や鼻を拭うばかり。

ああ、本当につらそう。


すっかり蕾になったベトニアチェルが距離を取りながらロウをのぞき込む。


『あの、ロウ? 差し支えなければ私がお薬をお作りいたしましょうか?』

「おねばいじだず(おねがいします)」


ベトニアチェルの申し訳なさそうな提案。

ロウは目を擦りながらこくこくと頷いた。


そして授業は一時中断。


クラスのみんなもベトニアチェルの診察の手腕を見ようと近くに集まってきた。

ベトニアチェルはロウの涙を一滴もらうと『ヒノキ、ブタクサ、ウメ、サクラ』と多分アレルギーを起こす植物を羅列しはじめる。


『あららまあ、数えたらきりがありませんよ。呪いのレベルで患ってますもん。どこかの森でも焼きました?』

「じっきゃぎゃでぃんぎょーで……(実家が林業で……)」

『なるほど罪深い。私、自分の才能を安売りしない主義ですけど、これも人助けです。治療と薬の材料としてあなたの血を二単位ほど頂きますが、よろしいですか?』


さらりと血液を要求するベトニアチェルの提案。

ロウをはじめクラスのみんなが雨宮先生をがばっと見上げてその相場の信を問う。


「ん? ああ。血液二単位はだいたいコップ二杯くらいだな。人によったらフラつくかもしれねーが、ちょっと休めば問題ないくらいだ。ま、それくらいの血で呪いレベルの病が治るってなら安いもんだが、どうするかはお前が決めろ」


雨宮先生は教壇の椅子にがっつり座ってロウの選択を待つ。

ロウはしばらく悩んだ様子だったが、こくりと頷いてベトニアチェルに腕を差し出した


「よおじぐおねばいじまず(よろしくおねがいします)」

『承知いたしました。では楽にしてください。はーい、ちくっとしますよー』


いつか見た病院ごっこ再び。

ベトニアチェルはロウの制服の袖を捲ると腕を茨でぐるりと絡めとった。その結構な光景にロウは顔を背けてぷるぷると震えている。

顔面蒼白なロウの様子を見かねて私はベトニアチェルに耳打ちした。


「ベート、優しくね、取りすぎちゃダメだからね!」

『分かってますよ……ぐびぐび。


はい終わりました。ロウ、お加減はどうですか?』


ベトニアチェルはロウの腕に巻き付けた茨を取り払い、腕まくりした袖も丁寧に直してやる。そして閉じていた花をふわりと開いて見せた。

満開のベトニアチェルを見て身を引いていたロウだが、自身の体調に何かを感じたのか充血した目を瞬かせる。


「……ん、あぇ? なんか、かゆくない。治ったかも」


ロウが驚き立ち上がる。が、その足元ががくりと揺らいだ。

私は後ろの席からとっさにロウの背中を支えた。


「うわ、あぶない!」

『マリア、ナイスキャッチです! ロウ、先生のおっしゃったように血を抜いたことで立ちくらんだりするかもしれません。しばらく安静になさってくださいね。お薬は、こちらを。明日の朝から三日間、毎食後、一錠を服用してください』


ベトニアチェルは自分の葉っぱを三枚ロウに渡す。

葉っぱを齧るのかと思ってよく見ると、葉っぱには三つのコブが付いていて、プチっと押し出すと薬が出てくる仕組みになっているようだ。なんか斬新。


すっかり落ち着いた様子のロウは、ベトニアチェルを真正面に見て頭を下げる。



「ありがとう、鮮花」

『礼には及びません。これからもよろしくお願いしますね』


ロウが差し出した手にベトニアチェルの茨が絡む。

これで一件落着と固唾をのんで見守っていたクラスメイト達も安堵の息を吐く。


「おーし、じゃあ授業に戻るぞ、ほれ、みんな席に戻れー」


雨宮先生がパンパンと手を叩きながら仕切り直しの声を上げる。

ぞろぞろと席に着く生徒たち。


そして……なんだっけ、

そうだ、社会の授業に話は戻る。


時間が押したからベトニアチェルの魔界講義も次の機会。

雨宮先生は残り時間を惜しむかのようにトップスピードで授業を展開していった。




雨宮先生と、九人の生徒と、悪魔が一輪。

個性的でまとまりのない集団だけど、なんだか楽しくなりそうな予感がする。

私は、新生 魔除科一年の面々を見て、笑った。

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