3、暗躍する光



夕闇が空に幕を掛ける中、私とベトニアチェルは誘導灯の白い光を辿って審問会の会場に向かっていた。


ふわふわ揺れる誘導灯に連れられて、演習場から前庭を通り、噴水の前を横切った。

どこに連れて行かれるのだろうと思っていると、誘導灯は近くにあった掃除用具入れの前でぴたりと止まる。 


「あれ、ここで止まっちゃった。ベートどうしよう。おかしくなったのかな?」

『……うーん。ああ、そういう事ですか。マリア、その扉を開けてごらんなさい』


ベトニアチェルは一人で納得しながらそう言うが、これはどう見たって掃除用具入れ。こんな人っ子一人も入らない狭い所で何をするというのか。


「でもここ、箒しか入ってないと思うよ」

『いいから早く開けてくださいな』


ベトニアチェルが急かすので私は半信半疑で用具入れの戸を開けた。


「お? おおー!」


戸の開くとそこにあるのは箒……ではなく、広い空間になっていた。そして三歩ほど進んだところにあったのは地下に入る階段。

あんな怪しい所に入っていくのかと二の足を踏んでいると、誘導灯がすうっと地下に入って行った。


「えー、ここに入るの? 狭いし暗いよ」

『大丈夫ですって。ほら、立ち止まったら置いていかれますよ』


ベトニアチェルに背を押されて私は地下への階段を降りていく。

ひやっとした空気、じめっとした足元、背後を振り返れば何かが見えてしまいそうでゾッとする。


「ね、ねぇベート。本当にこんな場所で審問会があるのかな。まさかここで生き埋めに……なんて事ないよね」

『それはないでしょう。まぁ、帰り道には気をつけないといけないでしょうが』

「帰り道!? ああ、そうだ、どうしよう。そんな事考えてなかったよ。こんな所で迷子になったら死んじゃうよ」

『迷子の心配ですか。あなたって本当に……いえ、道順なら私が覚えていますよ』

「よ、良かったぁー!」


ベトニアチェルが居てくれることに安堵しながら私は心置きなく複雑な坑道を進んでいった。


学園の地下に坑道があること自体びっくりなのだが、ベトニアチェル曰く、この坑道には特殊な魔法がかけられていて、入り口が毎時ごとに変わったり、道に迷うと排除機能が作動する仕組みらしい。

なんて恐ろしい……

招かれない限り入ることができない秘密の地下道。

一体何で学園にこんなものがあるんだろう。


狭い坑道に入って十数分。

開けた道に入ると、その広場の突き当たりに古ぼけた鉄扉がすうっと現れた。


「あ、扉だ。入っていいのかな?」

『ええ勿論。むしろ、こんな所にお招き頂いたのだから、殴り込むくらいの勢いでお入りなさい』


尻込みする私とは対照に血気盛んなベトニアチェル。

なんだかすごく乗り気なようで私の髪をぐいぐい引っ張り先へと促す。


「じ、じゃあ、入るよ」


私が扉に手を掛けると、重そうな鉄扉がキィィッと軋みを上げひとりでに開いた。


「ひっ、やだ、何かお化け屋敷みたい」

『私はこういうの大好きです。さあさ、いざ尋常に参りましょう!』


私がしぶしぶ足を踏み入れた瞬間、お化け屋敷のご多聞に漏れず背後でバタンと扉が閉まった。


「ひゃっ! もう、こういう雰囲気づくりは必要ないから!」


私が閉まった扉に張り付いて文句を言っていると、目の前の整然とした通路にぽつぽつと明かりが灯っていく。

そしてその光の続く先には裁判所のような証言台。

他に進める場所はなさそうだ。

きっとここで根掘り葉掘り問い質されるのだろう。


「よ、よし。ベート、入るよ」

『はいどうぞ』

私は怯えて丸まった背筋をちょっとだけ伸ばして入廷した。


「おおっ……」


予想外の幻想的な議場に私は感嘆をもらす。


そこにあったのは周囲にぐるりと水幕を垂らした円筒形の広い空間。

正面を遠く見上げる位置に露台があり、そこには二つの席とそのさらに一段上に豪華な椅子が一席。

私たちをを取り巻くような水幕の向こうには座席が据えられているようで、きっとそのが傍聴席になるのだろう。


「うわー、すごい所だね」

『ええ本当に。マリア、下を見てご覧なさい』

「うん? ……ひゃっ! 真っ暗?」


バルコニーのように張り出されている証言台の真下は底なしの真っ暗闇だった。


『私たち、よほど警戒されているのでしょうね。粗相をすれば集中砲火ですよ』


冷静に状況を観察するベトニアチェル。

私は足元がふわふわするような感覚で、そわそわと落ち着きなく目を泳がせていた。

すると水幕の向こうで一つ、また一つと人の気配が増えていく。


「うわっ、ベート、なんだか人が増えてきてない?」

『ええ。だいたい二十、というところでしょうか。顔も見せないとは、不誠実だこと』


ベトニアチェルはぶつぶつ文句を言いながら私の肩を滑り降り、私を覆うように枝葉を伸ばすと大輪の花を咲かせて見せた。


『主聞者はどちらです? 外野ばかり増やしていないで早く始めなさいな』

「べ、ベートぉ」


水幕の奥でざわめく声、私はどこまでも強気なベトニアチェルを小声で窘めた。


その時、キィとどこかで扉の開く音がした。

そして複数の硬い靴底の音が部屋に響く。


総長席の奥、開け放たれた扉から現れたのは、上質な白い法衣を纏った二つの人影。


一人目は演習場で私たちに誓約を持ち掛けた具術師の男の人。

二人目は髪を一つにまとめ細い淵の眼鏡の似合う真面目そうな女性。

彼らは私を一瞥すると左右の総長席へ向かう。


残る空席は議長席だけ。

どんな人が来るんだろうと思っていたとき、カツンカツンとゆっくりとした足音が議場に響いた。


そして最後に出てきた人物を見て、

私は息を呑んだ。


「せ、聖、王さま!?」


緩く巻いた金髪と濃緑色の双眸。線の細い中性的な男性は魔晶の映像で何度も見たことがある。

第二十五代聖王、訓覇 アルハーゼンその人だ。


「な、なんで聖王さまがこんなとこに」


私が呆然としていると、中央の議長席に着いた聖王は柔和な微笑みを浮かべて口を開いた。


「花枝 マリアさんだね。はじめまして、私は第二十五代聖王を務めている訓覇 アルハーゼンです。今日は君のお話を聞かせて貰おうと思ってお邪魔したよ」


聖王の穏やかな物腰とは裏腹に、背後のベトニアチェルが苛々とうねる。


『まあ、今の聖王は随分と優男だこと。わざわざお出ましになったところ悪いですが、善い子の見本はもうお休みの時間じゃなくて?』

「はは、生憎私はそこまで善い男じゃないんだ。麗しの鮮花、あなたの話にも期待しているよ」

『いけ好かない男だこと』


聖王の言葉に、ベトニアチェルは茨を蠢かせながらふつふつと滾る怒りを露わにする。

彼女に包まれている私はうっかりズタズタにされそうだ。


「べ、ベート。落ち着いて」


私は手近にある茨をどうどうと言って撫でる。彼女の大輪の花が私の方を向く。


『マリア、私、馬じゃありませんよ』

「あ、ごめん」

『いえ、私こそ思わぬ仇敵の登場に取り乱してしまいました』


ベトニアチェルはうねりを止め、すっと背筋を伸ばすようにして艶やかに咲いた。

その様子を見て聖王はくすりと微笑んだ。


そして会場が静寂に包まれる。

総長席に着いた女性が周囲を一目し、眼鏡をくいっと上げると、よく通る声で会式の宣言をした。


「では今より、国立退魔学園 魔除科一年生 花枝 マリアが鮮花と契約を交わした経緯の詳細を説明してもらう。審問官は第二十五代聖王 訓覇 アルハーゼン。国衛隊長 功刀 ジョージ。そして私 瓜生 テレサが務める。なお、この場にいる我々審問委員全員は、誓約により説明中に両名に危害を加えること及び束縛を行わず、また、説明後の速やかな解放、そして記録を公に開示することをここに誓う」


女性は流れるように誓約の宣言をすると、一枚の紙を私たちに見せる。

ベトニアチェルが蔓を伸ばして紙を取る。


見るとどうやら誓約書のようだ。

神に誓約する前書き、

誓約内容の全文、

その下に聖王をはじめ、三十名ほどの署名とくすんだ赤い拇印が押してある。


思ったよりも仰々しい内容に俄然緊張が押し寄せてきた。


「これ、どうすればいいの?」

『マリア、これは正式な誓約書です。私が先に書きますから、あなたもここに署名なさい』

「え? ベート、悪魔も神に誓うの?」

『もちろんです。神は悪魔にとっても創造主ですからね。まぁ人間のように崇め奉りはしませんが、私にとって名前を予ける役所みたいな認識です』

「はぁー、そんなものなの」

『そんなものです』


ベトニアチェルは枝の先で器用に悪魔の文字でサインを書く。私もそれに倣い名前を書いた。


『そうそう、はい、じゃあ血判』

「えっ」


ベトニアチェルは鉛筆でも貸すような仕草で鋭い棘を私に向けた。

確かにそうなんだけど、いきなり指を刺してと言われても心の準備が……


「べ、ベートは判子押さなくていいの?」

『この署名が私の血ですから私は血判は必要ありません。さ、ぷちっとやってしまいなさいな』


ほれほれと棘を差し出すベトニアチェル。

私は恐る恐る親指を棘に当て、その先端を指の腹に刺した。

ちくっとした痛みの後、ぷくりと出てきた真っ赤な血を自分の署名の後に押す。


『はい、お疲れ様でした』


そう言ってベトニアチェルは傷ついた私の指を葉っぱで優しく包み、総長席の女性に誓約書を返した。


瓜生 テレサと名乗った女性は誓約書を一読して確認すると、その誓約書をはらりと投げ捨てる。

せっかく書いたのに! と思っていると、誓約書が落下した床に魔法陣が浮かび上がり、金色の光に包まれた誓約書はしゅんとどこかへ消えてしまった。


「え、消えちゃった?」

『あの誓約書は神界の禁庫に保管されたんですよ』


驚く私にベトニアチェルが耳打ちする。


「神界の禁庫?」

『ええ、神界は文字通り神の居るところですね。そこにある禁庫に送られた書物は神が目を通すので、内容を違えることがあれば神罰が下るのです』


そんな仕組みがこの世の中にあるなんて知らなかった。さすが万毒の鮮花は年季が違う。

私はまだこの状況に納得出来ていないのだが、ベトニアチェルが警戒していないところを見ると、正式な手順に則っているんだと安心できた。


「誓約は完了だ。では鮮花 ベトニアチェル。そしてその契約者、花枝 マリア、契約までの経緯を述べよ」


テレサの声に水幕の向こうで傍聴人のざわめきが大きくなる。その緊張を引き戻す声と視線に私の体が強張った。


「はい。えーっと、今朝、私は寝坊してしまって、いつも友人に魔除科の教室まで連れて行ってもらってるんですけど、先に行かれてしまって。迷子になって」


脈絡のない文章が口からこぼれる。緊張で頭が変になってしまいそうだが、さっき練習した内容だけを頭に浮かべて話を続けた。


「二時間くらい学園内を歩き回ってるうちに、廃墟みたいな教会があったから、入ってみたらベトニアチェルに会いました。最初は、怖かったけど、いい悪魔みたいだから、友達になってって契約を、しました」


しばらくの静寂。

誰もが私の言葉を反芻しては頭をひねっていた。


「……花枝 マリア、以上か?」


テレサは怪訝そうな顔で問う。


「い、以上です」


私がそう答えるとテレサは拍子抜けという顔をし、場内はざわめきを増し、聖王はくすくすと漏れる笑いをこらえている。


「ま、待ちなさい。誓約に基づき詳細に述べよ。鮮花との契約がそう簡単であるはずがないのだ。以前からお前が鮮花に意図することはなかったのか、なぜ教会に行くことができた、どのような交渉をして鮮花と契約を結んだんだ」


テレサは前のめりになりながらそう捲し立てる。

しかし私にとってはさっきの説明で精いっぱいなのだ。


「ベートと出会ったのは今朝が初めてです。それに私は迷子になっていたので教会までどうやって行ったかは覚えてません。あと、契約はベートの方から言ってくれて、私が主従は嫌だって言ったから友達になってくれたんです」


破れかぶれに説明すると水幕の向こうから「嘘を吐くな」「詳しく説明しろ」「誓約違反だ」などの野次が飛んだ。

初めて晒される他人からの糾弾の声に身を竦めると、ベトニアチェルがぎゅっと強く抱きしめてくれた。


『お黙りなさいな。マリアが言っていることは真実です。神罰が下らないのが証拠でしょう。もしもマリアの舌っ足らずを言及するなら、私がお話しを代わって差し上げましょうか』


ベトニアチェルの言葉に場内が沈黙する。

それを破ったのは聖王だった。


「いや、結構だよ。マリアの説明でおおよそ分かったから。でもいくつか分からないことがあるんだ、質問していいかな」


聖王がベトニアチェルに尋ねる。


『許諾しかねます。私たちが行うのは契約までの説明のみ、質問は含まれていませんよ』

「じゃあ言い方を変えるね。契約までの間でいくつか詳しく説明してもらいたいところがあるんだ。話してくれるね」

『……言ってみなさい』


ベトニアチェルが口ごもるのを初めて聞いた。やっぱり聖王も伊達じゃない。


「じゃあ、まずマリア、迷子になって大変だったね。でも、教会に入るまでに結構な数の封印や結界があったはずなんだ。それを解いたやり方を話してごらん」

「えっ?」


この質問に私は首をひねるしかなかった。

実感はなかったが、教会に封印があったことはベトニアチェルから聞いていた。しかし、聖王が言うほどたくさんの結界や封印に遭遇した記憶がない。


「そんなの、無かったと思いますけど……」


私の回答は再び水幕の向こうをさざめかせた。それを聖王が片手を上げて制する。


「面白い答えだね、実を言うと、あの教会の周囲は一般生徒が立ち入れないように三重の結界があって、さらに教会の入り口にはとても強力な封印が施されていたんだ。記録によると今も正常に作動していたはずなんだけど」


私は彼の言葉に首をひねるばかりだった。


「わ、私は何もしていません。道を阻むような結界は無かったし、教会の封印にも気が付きませんでした」

「何か魔法を使ったんじゃないのかい」

「いえ、そんな魔法なんて使ってません……熱っ!」


私の腕にじりっと焼けるような痛みが広がった。制服を捲ると右の腕にぽつりと真っ赤な根性焼きのような痕があった。


「え、なにこれ……」

「それは天罰だよ。マリア、今なにか嘘を吐いたね?」

「そんな、嘘なんて……あつつっ! あっ、そう言えば木精に襲われたときに退魔の魔法を一回使ってました!」


なんとか思い出して発言を訂正すると腕の痛みがすうっと引いた。これが天罰、と驚きながら腕を摩っていると、ベトニアチェルが怒ったように茨で証言台を打った。


『そこの! 質問は受け付けないと言ったはずですよ。マリアも、よく考えてお話なさいな』

「ごめんベート、でも、ほら、もう大丈夫だから」

『大丈夫じゃないですよ。この程度の天罰だったから良かったものを、不用意な発言で命を落とすこともあるのですから』


ベトニアチェルはそう言うと私を慈しむように大輪の花をすりすりと擦り付けてきた。

それを見ていた聖王は顎に手を添えて何かを考えている。


「すまなかったね。確認だが、マリアは退魔の魔法以外は魔法を使わず、かけられていた封印にも気が付かなかった。ということかな」

「は、はい、そうです」


私の答えが気に食わないのか、場外からさらに強い野次が飛ぶ。

耳を覆いたくなる暴言に身をすくませていると、ベトニアチェルが聖王に向かって物申した。


『私からすれば、入学して間もない子がそんな強大な封印を解けると思っている方がどうかしてると思います。記録では正常に作動していたとは言いますけど、結局その程度なら管理に怠慢があったのではないですか』


ベトニアチェルの言葉に背後の水幕から息を呑む声が聞こえた。しかし聖王は焦ったふうもなく「そうかもしれないね」とただ感想を呟いてふぅと溜息を漏らす。


「では鮮花との契約についてだけど。有史、人が鮮花と契約した記録はない。しかも鮮花から契約を持ち掛けるなんて非常に特殊で私にはどういうことか想像もつかない。マリア、八百年の眠りから覚めた鮮花は君にどんな契約を持ち掛けてきたのか話してくれるね?」


私は契約の場面に記憶を巡らせ、慎重に言葉を選ぶ。


「契約の、内容は。最初、私はベートを生涯付き従わせて、ベートは私に敵対する全てから私を守る。と契約してきました。でも私が主従でなく友人になってほしいと言って、契約の内容を変更してもらいました」

「条件は?」

「条件? は、特に……ありません?」


聖王はなにか呟いたが、その声も耳に入らないほど場内はブーイングの嵐だ。

眉間にしわを寄せた聖王はテレサに目で合図した。


「テレサ、契約印の確認を」

「かしこまりました」


聖王の言葉にテレサが総長席から立ち上がる。


「花枝 マリア、契約印を出しなさい」

「は、はい!」


私はテレサに右手の甲に咲く赤い花を見せた。するとテレサが何やら魔法を唱え始め、私の手がぽうっと光った。


「うわっ、光ったよ!」

『契約内容を覗かれているんです。いやらしい魔法ですこと』


ベトニアチェルの嫌味も意に介さず、テレサは魔法の詠唱を止め、そして小さく首を振った。


「契約と彼女の言に相違はありません」


彼女自身もそう宣言しながら、困惑の表情を浮かべている。


「分からないな鮮花、一国を滅ぼした大戦の遺品が人の下に遜(へりくだ)るなんてどういう風の吹き回しなんだ」


聖王は頭を抱えてベトニアチェルに尋ねた。

しかしベトニアチェルは何かしらとばかりに深紅の花をこくりと傾けた。


『あの、先ほどから私に向かって八百年の眠りやら、一国を滅ぼした大戦の遺品やら言われていますが、何のことでしょうか?』


ベトニアチェルの言葉に「しらばっくれるな!」「厄災をもたらす化け物め」と野次が過熱する。

しかし、ベトニアチェルは外野の罵詈雑言を涼しい様子で受け流し、むしろ煽るように言葉を続けた。


『私、かの大戦の英雄(ベトニアチェル)は当代の聖王に倒されたという風に記憶しています、それが生きていたなら、人間にとって大問題ですね』


聖王がぴくりと眉根を上げる。

怒りの野次も声量が落ちて困惑へ変わっていった。


『そう、私の名は英雄に肖るもの、私はただの鮮花です。そうでしょう?』


ベトニアチェルは水幕の向こうへと声を投げかける。


『そして私はたまたまあの教会に居て、しかもマリアの言う通り封印は無かった。私たちの出会いは偶然で、私がマリアに運命を感じて契約を持ち掛けただけです』


ベトニアチェルが言い切ると、煮え切らないような何とも言えない空気が辺りに満ちた。


『この余談が誓約を逸脱したことは言及いたしません。あくまで余談なのですから公表も不要でしょう。これで説明は終わりです。そこの、閉会の宣言をなさい』


ベトニアチェルに顎で指されたテレサは、聖王を仰ぎ見る。

聖王はふるふると頭を振って両手を軽く上げてみせた。


「それでは、以上で、審問会を終了する」


テレサの宣言で審問会はあっけなく終わった。

時間にして約三十分。

意外と短く済んだのは、最終的にベトニアチェルの手腕だろう。


『さあ、マリア終わりましたよ。帰りましょう』

「うん、でもさ……」


誰も席を立たない中、私が先に退席できる訳がない。

ベトニアチェルは手のひらサイズに縮んで私の首元を這いまわり、ぐいぐいと髪を引いて出口へ促す。


『ささ、ぼさっとしていないで。彼らも積もる話がおありでしょうから急いでお暇いたしましょう』

「ちょ、ベート、苦しい」


小声で訴える私のことなど気にしないでベトニアチェルは出口へ向かいたがる。


『ほら、早くしないと』


背後で不穏な空気がざわめいた、今まで静かに傍聴していた総長席の男がゆらりと立ち上がり、片手をかざすと大弓を呼び出して矢を番ると私たちに矢尻を向けた。


『もう誓約は守ってくれないのですから』


ベトニアチェルは私の耳元で僅かに緊張を含ませた声で呟く。


「ジョージ、退きなさい!」


テレサが男に静止の声をかける。

しかし、ジョージが弓を下ろす気配はない。


「聖王の御前にもかかわらず、誓約を逆手に取るその狡猾さ、そして無垢な乙女に付け入る非道。この悪魔を学園に放つことなど出来ぬ」


私はジョージの鋭い眼光に当てられ床に足を縫われたように動けないでいた。


「えっ、ど、うしよ」

『マリア! 早くお逃げなさい!』


「やめなさいジョージっ!」

「今ここで成敗してくれる!」


引き絞られた弓が弾け、テレサが何かの呪文を唱え、ベトニアチェルが茨を伸ばす。

しかしそれらより早く、私の目の前に一陣の湿った風が吹き荒ぶ。


「っ、なにっ?」


ぬるい風が黒煙を巻き上げ、証言台の下の暗黒の底から灰色の羽の天使が現れた。

目深に被ったベールのせいで顔は見えないが、白い長髪を靡かせた天使は私たちに背を向けるとジョージに金の杖を向けた。


「聖王様っ!」


ジョージが聖王へ向かって懇願する。


『あれは深淵を覗く天使ですね。名前は確か――』


ベトニアチェルは緊張にピリピリと葉を震わせながら灰色の天使を見ている。


「ヴァリエル、ここは大丈夫だよ、ありがとう」


聖王は天使の名を呼び、柔らかな笑みを向けた。

ヴァリエルと呼ばれた天使は聖王の言葉に頷くと、証言台の下の暗闇に沈むように溶けていった。


聖王は天使に向けた笑顔のまま、未だ弓を下ろさないジョージを見た。


「さあ、ジョージも。君の言うことも尤もだけど、今は武器を下ろしてくれないか。君の力はここで使うべきではない」


柔らかな物言いの中に含まれる脅迫めいた何かに、ジョージだけでなくその場にいた全員が背筋を凍らせた。


「は、はい。出過ぎた真似をして、申し訳ありませんでした」


ジョージは弓を仕舞い、その場に片膝を付くと聖王に深く頭を垂れた。

一段落がついたことを確認した聖王は、「さてさて」と息をつくと、私たちの方を向いて困った顔をして見せた。


「マリア、鮮花、怖がらせてすまないね。君たちは先に帰りたまえ」

「は、はい」

「明日はちゃんと学校に行くんだよ」


私たちに手を振って送り出す聖王に一礼すると、どこからか誘導灯の灯りが降ってきて、私たちはそれに従うように議場を後にした。

気になって振り返ってみたけど、背後の扉がそれを拒むように重たい音を立てて閉まっていった。






ーー


マリアとベトニアチェルが去った後。

議場は陰鬱な空気に満ちていた。


議場を取り囲む水幕は取り払われ、傍聴していた二十人ばかりの面子が露わになる。

その誰もが下を向き、無言を貫いていた。


「さて、テレサ。今日の話を整理してくれないか」


聖王は最上段の席で頬杖をついた。

テレサは軽く眼鏡を直すと、一つ息をして陰鬱な空気の漂う議場を見渡した。


「はい。あの鮮花は別の個体と主張していますが、どう考えても教会に封じられていたSSクラス悪魔、大戦の遺品(ベトニアチェル)だと思われます。契約者、花枝 マリアの証言も真実は測りかねますが、契約印を見る限り鮮花との契約が交わされたのは今日。契約内容も花枝 マリアの言う通りでした。しかし、彼女の技量では封印を解くことは出来ないと思われますし、かと言って、協力者の存在も今のところ見つかりません。さらに、鮮花の結界や封印が正常に稼働していのかという疑問に対し、確たる証拠は……ありません。」


テレサは難しい顔をして語尾を濁す。

ジョージは無言で机を叩き、聖王はあからさまに大きな溜息を吐いた。


「危険物管理課の業務体制を責めるわけではないけど、まさか悪魔に人間の組織怠慢と省略本能を突かれるとは、痛かったね」


責めないとは言いつつも、聖王は傍聴席にいる監視長を冷やかに蔑視した。

俯いたままの監視長は皺の浮いた顔に冷や汗を滲ませている。


聖王は縮こまる監視長から視線を逸らすと、しばらく何かを考えるように瞑想し、口を開いた。


「テレサ、まずは誓約通り議事録の作成と公開を。それが終わったら君の特殊管理部から新しい監査班を編成して、各部署の管理体制を再確認してくれ。処遇は君に一任するよ」

「はい」

「それとジョージ、君は教会付近に張った結界の再調査と、あと花枝 マリアの身辺を洗い直してくれ。共犯者の有無と、別の組織犯罪の可能性を念頭に入れて調査するんだ」

「……はっ」


聖王は二人に指示を出し、「あと一つ」と言って再び目を瞑る。


花枝 マリアの処遇についてだ。


彼女は特殊過ぎる。

始めこそ驚いたが、どうせ都合の良い寄生相手に選ばれただけのことと思っていた。

だが鮮花は花枝 マリアを殺さず、傷付けず、護るような態度を見せ、一時の主人に選んだわけでは無さそうそうだと感じた。


今後ことを考えれば花枝 マリアを殺しておいた方が大過ないだろう。しかしあの様子なら必ず鮮花の妨害がある。

まだ寝起きで色々と本調子でないだろうが、あの万毒の鮮花を学園内で穏便に倒すのは難しい。

それに……


聖王は全体を見回し、その場の視線を集める。


「……皆に頼みがある。初代聖王の名誉に懸けて、万毒の鮮花が倒されたという伝承を覆すわけにはいかない。それに、万毒の鮮花が生きているという情報は人間側にとって分が悪すぎる。だから鮮花のお言葉に甘えて、伝承通り大戦の遺品(ベトニアチェル)は初代聖王に倒されている、と再認識しておいてくれ」


彼の言葉に誰もが無言で頷く。

ジョージがすっと立ち上がり胸の前で拳を握った。


「聖王様、それでは花枝 マリアの口封じは自分が」


その申し出を聖王は手を振って軽くあしらう。


「口封じって、お前……ジョージはさっきのことで彼女に怖がられてるはずだ。そうじゃなくても鮮花に警戒されるだろう。謝罪に行くとしても危害を加えることは私が許さないよ」

「は、はい」


「それでは私が釘を刺しに……」


名乗り出たテレサの申し出を聖王が手を上げて制する。


「いいや、私が行くよ。君もなかなか物騒だし……」


彼の言葉に議場がざわめく。


「唯一の真実が暴露される前に、花枝 マリアの口は私が直々に塞ぎに行こうかな」


聖王は含みのある微笑みでそう告げると、静かに席を立ち上がり議場を後にした。






>>

女子寮の自室の前まで着くと、誘導灯の白い灯りはふわりと霧散してしまった。

まだ入居して一月も経たない部屋だけど、帰ってきた途端に安心感が押し寄せて私は玄関にしゃがみ込んでしまった。


「ただいまあぁっ、つっかれたー」

『まあ、ここがマリアのお部屋。それではおじゃましまーす』


私の肩から不器用にぼとりと降りたベトニアチェルは背伸びをするように枝葉を伸ばして標準サイズに花を広げた。

一度座ったら立ち上がるのもしんどくて、私は四つん這いで部屋に入る。


「うーむ、今日は一日中大変だったなぁ」

『えー、わたくしも、ひさしぶりで、はあーん、刺激的でしたー」


ベトニアチェルはだらけきっているのか枝葉を床一面に広げて、花径をぐんぐん広げていく。


ここはジャングルか? と錯覚するほど、あっという間に部屋一面が茨の緑に覆われた。


「ベート、大きくなり過ぎだよ……」


指摘を受けたベトニアチェルは、はっとして爪を出す猫のように部屋中の茨から鋭いトゲを出して飛び上がる。


『あららまあ私ったら!』

「うわあぶなっ! 仕舞ってトゲ仕舞って!」


すんでの所で棘を回避した私。

ベトニアチェルもすぐに棘を仕舞って伸ばした蔦を引っ込める。


『お見苦しい所を、すみません。初めてお部屋に上がったのに少し気を抜きすぎましたね』

「あー、ううん、そんなに遠慮しないで。もうベートの部屋でもあるんだし、ゆっくりしてくれたほうが私も楽」

『まあ、そうですか? なら、今日はお言葉に甘えて』


そうして再びずるずると脱力するように伸びていくベトニアチェル。遠慮がちに部屋の半分を緑で覆って一心地といった様子だ。

私はベトニアチェルの様子を眺めながら床に座り込む

まるで温室にいる夢を見ているような。そんな夢うつつの状況で、私の瞼も重たく下がってくる。


『マリア、そんなところで寝たらダメですよ』

「ふあっ? ああ、そうだね……ふぅ」


頭をぐらぐらさせて舟をこぐ私をベトニアチェルの大きな花弁が支えてくれる。

それはとても滑らかで柔らかかった。


「ベート、いいにおい……」


心地良い香りに包まれると体の力が抜けていく。


私は数秒もせずに夢の中に落ちていった。


『マリア、私はクッションじゃないですよ……って、もう聞いてないですよね』


ベトニアチェルは私の体を受け止めながら、布団を被せるように蔓でその体を包んでくれた。


「おやすみ、ベート」

『おやすみなさい、マリア』


そして朝日が昇るまで、

疲れ切った私たちは泥のように眠っていた。



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