4-6 荒ぶる乙女、月の憂い
夕食会もたけなわ、というところで稚姫はすっかりと酒に出来上がって、テーブルに突っ伏して寝息を立てる。
「こいつ、またやりやがったな。おーい、ワカ。ちゃんとベッドで寝ろって」
徳斗が彼女の肩を叩いたり揺すったりしても、起きる気配はない。
『これでワカちゃんがひと眠りしている間に媚薬が全身に回り、再び目を醒ました時には、効果が一気に出るはずだわ』
確信とともにミズハはグラスの日本酒をひとくち飲む。
「お疲れだったんですよ。ワカちゃんはずっと徳斗様をお待ちしてましたから」
「そうだったんすか。なんかすみませんでした。ミズハさんにも迷惑かけて」
「ふふっ、お二人はとても仲良しですね。少し妬けてしまうわ」
さらに日本酒を傾けたミズハは、甘い吐息を漏らす。
稚姫ともトヨウケともタイプの違う、落ち着いたお嬢様風なのに、透明な白い肌を酒でほんのりと桜色に染めた姿には、徳斗も否応なく女性らしさを意識してしまう。
あまりじろじろ見て失礼な視線にならないよう、彼はうつむき気味に茶を飲む。
『動揺されているみたい。いい頃合いね』
ミズハは、対面に座る徳斗に語り掛ける。
「徳斗様はワカちゃんに対して、どう想っていらっしゃるのですか?」
「えっ、想うって……俺はそうっすね……」
テーブルの上に置かれた徳斗の手に、ミズハが自身の手をそっと重ねてきた。
互いの指が触れ合う。
「こんな風に立派な殿方の手で、ワカちゃんを抱いていらっしゃるのですね?」
「いやっ、ミズハさん。あれはワカが勝手に飛びついてくるだけで、俺は別に抱いてるなんてつもりは……」
「ワカちゃんが羨ましいわ。徳斗様がおそばに居てくださるんだから」
徳斗の手をさするミズハの動きが若干早くなる。
瞳を揺らし、顔はみるみる紅潮していく。
「いいわ、殿方のごつごつした手の感触って。私のまだ知らないものばかり」
「あの……ミズハさん?」
「ワカちゃんにあげちゃうなんて勿体ないじゃない……ぜんぶ私にちょうだい!」
突然に唇を重ねようと顔面を近づけるミズハに、酔って頭突きをされるのかと思った彼は咄嗟に避ける。
そのままバランスを崩した徳斗は椅子ごと後ろに傾くと、床に倒れた。
仰向けに転んだ徳斗に馬乗りになるミズハ。
「ちょっと、ミズハさん。何してるんすか……って、あれ? 身体が動かねぇ!」
「術を使わせていただきました。倒れたままの状態ですが、ご容赦ください」
彼女は尋常じゃない程に呼吸が乱れ、顔面は耳から首先まで真っ赤になっている。
肩や頭からは、背景が揺らぐほどの水蒸気をあげていた。
「私も殿方の味を知りたい! ワカちゃんよりも先にオトナになるのよ!」
「ミズハさん、降りてくださいよ! ワカが起きるでしょ! 見つかったらヤバいっすよ。やめましょうよ、こんなこと!」
「もうダメ。なんでこんなに暑いのかしら……」
ワンピースのボタンを上から順番に外していくと、胸元の肌着が露わになる。
幼い稚姫よりもふくよかな丸みを帯びた胸の谷間が、姿を覗かせる。
「マジでヤバいって、ミズハさん。やめてくれよ」
「徳斗様だってワカちゃんがずっとそばにいて、女の子のことを気にならない訳がないでしょう? ご自分を慰めるとか、ご自身の夜のお世話も大変でしょうから……私と一緒になりましょう。ともにイザナギ様、イザナミ様のように国生みの真似事をいたしましょう」
するとミズハは上半身を徳斗に委ねるように、もたれてくる。
酒と興奮で熱く火照った体温に対し、桜色に熟れた透明な肌や長い髪は絹のように徳斗の上を流れる。
互いの肌が重なると、稚姫とは違う少し大人びた胸の質感に、徳斗の心拍も激しく乱れた。
「ご準備はよろしいですわね、徳斗様。私とひとつになりましょう」
彼女の荒い吐息は、わずかに徳斗の前髪を揺らす。
「ま、まずは、く、く、く、口吸いから……」
唇を重ねようとするミズハが、徐々に徳斗の顔に近づいてくる。
と、その時。
「はい、そこまで」
徳斗は声のする方を見ると、ツキヨミがミズハの首元に注射器を立てていた。
それきり事切れたかのように彼女は徳斗の胸の上で眠っている。
「あ、ちょ、お兄さん」
「まったくおバカさんだね、ミズハっちも。普段はいい子なのに耳年増なんだから。それに惚れ薬が入ってたのは甘酒じゃなくて、神酒だって何度も念を押したのに」
先日会った際のツキヨミとは異なり、茶髪のアフロヘアは肩まで伸びたストレートの黒髪に戻り、パーティーグッズの鼻眼鏡も着けていない。代わりに少しだけ伸ばした鼻下と顎の髭が、少しワイルドなイケメン感を増大させていた。
服装も抑えた色のシャツとパンツに上着のジャケットという、まともなツキヨミの姿だった。
「まさかこれもお兄さんの仕業だったんすか! マジで勘弁してくださいよ……今回ばかりは理性を保つのギリギリでしたよ!」
「まぁね、ワカっちともタイプが違うもんね。ミズハっちはピュアでいい子だから。でも僕は惚れ薬を提供しただけだよ。ごめんね、ミスターノリト」
ミズハの術が解けたのか、徳斗は手足が動くようになったので、彼女の身体を横に寝かせて上半身を起こす。
「本当は僕もドキドキして、最後までミズハっちとキミの行為を見守りたかったんだけどね。さすがに下界の人間といたずらに交わって査問委員会で懲罰にでもなって神の力を失ったらマズいからね」
「そういえば、お兄さんが来るのもずいぶんタイミングいいっすね? やっぱ、コレ目的で見に来たんすか?」
「そこまで下世話じゃないよ。僕も出雲に向かう途中に『たまたま偶然に』こっちに寄っただけだよ」
ツキヨミはテーブルで寝ている妹を抱きかかえ、ベッドに休ませる。
徳斗も眠るミズハの身体をその隣に寝かせた。
テーブル上のグラスを持ったツキヨミは、中に残った日本酒の匂いを嗅ぐ。
「ちょっと媚薬の調合が多かったかな。デンジャラスだったねぇ」
「何を言ってるんすか。前だって同じことしようとしてたくせに」
「そうだったかな? 過去のことは忘れる主義なんだ」
「それこそ、お兄さんが査問委員会にとっ捕まりますよ?」
ツキヨミは笑いながら椅子を引くと、テーブルに腰を掛けた。
すると突然に神妙な面持ちで話し出す。
「まぁ、ミスターノリトも座ってくれたまえ。これを見てくれないか?」
彼はポケットから天界用スマートフォンを取り出した。
そこに表示されていたのは、彼が定点観測をしていた太陽の画像だった。
「太陽をカメラ付きの望遠鏡で撮影した写真を、白黒で暗転させたんだけどね。ここわかるかい?」
ツキヨミが指差す部分を徳斗が覗き込む。
「これって黒点っすよね? 確か、他のところよりも少し温度が低いっていう」
「少しと言っても、一、二千度くらい違うんだけどね。どう思う?」
徳斗はスマートフォンを預かり、画像をまじまじと眺める。
「俺の知識が合ってるかわかんないすけど……俺の知ってるイメージよりかは全体的に多いっていうか、黒点のサイズや面積がデカいような気がするんですけど」
「エクセレント。つまりこれの意味することは?」
「太陽の活動が鈍くなってるってことですか?」
「理解が早いね。クレバーだよ」
ツキヨミは小さな音量で拍手をするが、茶化すでもなく表情は真剣なものだ。
「それってワカが立派な太陽神になれないと、って話と関係あるんすか?」
ツキヨミは、抑えた声で語り出す。
「太陽も一定の周期で活動を停滞させたり、星の並びで日食を起こしたりするんだけどね。どうもこれまでとは比べものにならないくらい、太陽そのものが大人しくなってきているんだ」
「そうっすね、この夏は雨も多かったし、天候も悪かったし」
「さすがに姉上だけじゃ天上界の統治と太陽の管理、両方は見きれないみたいで、昼の天気が悪いと、さすがに雲に隠れた僕の月を輝かせるのも苦労したよ。曇り空が続けば、水の神であるミズハっちは雨の量や湿度の扱いにも苦労する。気温が下がれば、火の神も農業の神も酒造りの神も、思った通りの神威を発揮できなくて、みんな困っちゃうんだよ。ひいてはみんなが神の信仰を失うことになる」
ツキヨミは媚薬が入った飲みかけの酒ではなく、持参した日本酒の瓶を開ける。
空いたグラスに注いだ酒をくいっと飲む。
「四貴神のうちワカっちを除く僕ら三人が<ことあまつ神>から聞かされたのは、次の出雲の合議で話し合われる、神在月のテーマだよ。それはワカっちが担当している業務のことらしい。もう少し余裕を持って妹を育てていくのかと僕も思ってたけど、悠長にはしていられないみたいだ」
ツキヨミは右手の親指と中指で両方のこめかみを押さえる。
兄として、四貴神として、どうにもできない苦渋の表情を浮かべる。
「えっ? それって出雲の合議でどういうことが決まるんすか?」
「僕だってわからないよ。ずいぶん急だったからね。さっきも言ったけど、我々よりも上位にある神々の集団による下知だからね」
「うぅん……のりとぉ」
寝言をいいながら寝返りを打つ稚姫に驚いたツキヨミと徳斗は肩をすぼめると、無言でベッドに視線を向ける。
二人はしばらく稚姫の様子を見守ったが、再び寝息を立て始めたので、ツキヨミは小声で会話を再開した。
「ワカっちは毎年、出雲の合議には呼ばれてないんだ。もちろんまだ神として未熟だというのもあるけど、彼女の仕事ぶりや、その処遇をどうするかが近年の議題になっていたからね。本当は下界の縁結びをさせる場だというのに、<ことあまつ神>たちのせいで最近は合議の空気が重苦しいったらないよ」
「そういえばトヨウケさんも、ワカはお姉さんの荒御魂として生まれたって言ってましたね。仕事が増え過ぎたお姉さんと分担するためだって。でも、もし……それすらダメでワカが仕事を返すってなったら、あいつの存在意義は……」
ツキヨミはそれ以上の発言を止めるよう、徳斗の口元に掌を突き出す。
「僕ら兄妹でも、それはミステリーなんだ。これ以上は考えたくないよ」
狼狽する徳斗の肩に手をぽんと置いて、酒瓶を取り出す。
「ともかくも、全てはこれからさ。月の出ている夜こそ僕の時間だからね。ちょっと付き合うよ? それともノンアルコールの方がいいかい?」
「……そうっすね。続きは俺の部屋でいいっすか? もう少しお兄さんに聞きたいことがありますんで」
ベッドに横になる稚姫とミズハが寝ていることを確認して、二人を起こさぬように徳斗たちは静かに退室した。
外階段を昇り、二階の徳斗の部屋に向かっていく。
寝返りを打ってミズハに背を向けた稚姫は、玄関の扉が閉められた音を確認して瞼を開けた。
明けて、翌日の早朝。
旅支度をしたツキヨミとミズハが、アパートの前の門に立っている。
「徳斗様、昨日は大変申し訳ございませんでした」
気恥ずかしそうに、弱々しい声で深く頭を下げるミズハ。
「いいんすよ、気にしないでください。こっちもちょっと油断したというか、ミズハさんがワカよりも……って、いやまぁ、何て言うか、そんなとこっすよ」
隣では、ツキヨミが彼女の肩をぱんぱんと叩く。
「まぁ、そそのかした僕も悪いんだけどね。ちょっとミズハっちはミスターノリトに迷惑を掛け過ぎたね。新幹線の中で、少し『補講』をしたほうがいいかな?」
「申し訳ございません、ツキヨミ様」
神らしく飛んでいくとか、ワープするでもなく、出雲までの移動は下界の交通機関なんだ――徳斗は変なところに関心を持った。
「お兄さん。それで、ワカは……」
「まだ寝てるよ。ミスターノリトもゆうべのことは綺麗サッパリ忘れて、ワカっちが起きたら普段通りに迎えてやって欲しい」
「……わかりました」
徳斗に一礼した八田が、ツキヨミとミズハを駅まで案内していく。
姿が見えなくなるまで手を振っていた徳斗だったが、やがて力無く腕を降ろす。
ゆうべ、自分の部屋でしたツキヨミとの会話を一言一句、思い返していた。
それと時を同じくして、稚姫の部屋の扉が開いた。
「徳斗っ、おはよっ」
彼女は徳斗の身体にぐっと近づいてくる。
これまでと何も変わらない様子の稚姫に、徳斗も何も変えないように彼女と会話をすることにした。
「おう、おはよう。だいじょうぶだったのかよ。飲み過ぎたんじゃねぇのか?」
「あれ、ミズハと兄上はもう行っちゃったの?」
「とっくに駅に……って夕飯の時にお兄さんは居なかったろ? まさかお前、起きてたんじゃ……」
「あ、なんかね。兄上が来てくれて月のお話をしてくれたような気がしたの。もしかして夢だったのかな?」
「……そっか。そうかもしれねぇな」
アパートから見える範囲には、もうミズハとツキヨミの姿は無い。
徳斗もまさか稚姫に対してミズハの乱れっぷりを伝えることも出来ず、酔って眠っていたのなら自分達の会話も聞かれていないだろうと、昨晩の出来事は全て胸に留めることにした。
「ミズハ、帰っちゃったんだ……寂しいな」
「俺が居るだろ。とりあえず朝飯を食いたいけど、八田さんも駅まで送りに行ってるからな。カップ麺くらいしか用意できないんだよな」
「徳斗のお供えものならなんでもいいよ。徳斗のお部屋で一緒に食べよ! そう言えば、おふとんカバーをあげたでしょ? あれからいい匂いになった?」
「実は、交換したきり洗濯してないからまた臭くなってるかもしれないな……ワカの部屋にするか?」
「うぅん、徳斗のお部屋でいいよ!」
「じゃあ俺の部屋に来いよ」
徳斗は、稚姫の肩にそっと手を回した。
それに促されるように、稚姫も徳斗の身体に抱き着いた。
「うん」
いつもより少しだけ力が入ってて、ぎゅっとしてくれる徳斗の腕。
いずれにしても、この時間がずっと続くわけじゃない。
徳斗もそれを分かってて、あたしにぎゅっとしてくれる。
でも、暖かくてすごく優しい。
あたしが神様としてしっかりしないといけないのに、逆に太陽神が胸の奥を温めて貰ってるなんて――。
「徳斗はずっと、あたしの社にいてね」
「あぁ、わかってるよ。でも学校とバイトは行かせてくれよ」
部屋でカップ麺のために湯を沸かしている間、徳斗は壁に掛かったカレンダーを見ていた。
昨晩から一夜明けて月を跨いだので、一番手前の紙をめくる。
それは十一月。
出雲の祭事となる旧暦の神在月だ。
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