4-5 ミズハも企む

 翌朝。

 大学に行く前の日課であるアパートの庭の掃除を終えた徳斗は、サツマイモ畑と桜の苗木の様子を見ていた。

 それとなく彼のそばに近づいていくカヤノ。

 一方の稚姫とミズハは、室内でただじっと待つ。

「だいじょうぶかなぁ、徳斗は。カヤノのこと好きになったりしないよね? 心配だから覗きに行こうかな?」

「ダメよ、ワカちゃん。ご出産のトヨタマ姫様も、ご夫婦ケンカされたイザナミ様も、見ちゃいけないものを見たら大変な事になるんだから。やっぱり禁忌なのよ」


 建物から離れた庭の農園では、しゃがみ込んでサツマイモ畑の様子を見ていた徳斗にカヤノが近づいていた。

「おい、お前」

 後方から声を掛けられた徳斗は、後ろを振り返る。

 そこにはスカジャンのポケットに両手を入れたカヤノが立っていた。

 不良な見た目に勝気そうな女性という、苦手なタイプである彼女の姿を見た徳斗は、よそよそしく頭を少しだけ下げる。

『アレだな。まずは、とりあえず可愛い顔して目をパッチリさせて、笑顔で「お話しよう」って言えばいいんじゃねぇかな?』

 カヤノは鋭い目を強く見開いて片方の口元だけ上げると、低い声で囁く。

「おい、ちょっと話があるからツラ貸せや」

 息を呑む徳斗は、カヤノの顔を見て黙ってうなずく。

『やべぇ。ワカの友達らしいけど、ヤンキーに目を付けられたじゃねぇか。っていうかホントにこれ神様かよ。俺、なんか怒らせるようなことしたか?』

 カヤノはポケットから煙草を取り出すと、ライターで火を点ける。

『ほら。素直についてきたじゃん。えっと次は、姫様のことどう思ってるのか聞けばいいんだよな』

 今度は煙草をくわえた口元だけ笑みを作ると紫煙を上げながら、眉間に深くしわを寄せて険しい目つきで見る。

「おい。おめぇ、姫様に手を出そうだなんて考えてねぇだろうな?」

「タバコ臭ぇ……いや、俺はワカに対してそんな気持ちはないっすけど……」

「んだぁ? どういうことだよ?」

「ワカとはいえ相手は神様でしょ? しかもあいつ、見た目は年下っぽいじゃないすか。俺はロリコンじゃないと思うっていうか、なんというか、その……」

「おめぇは腰抜け野郎なのか? チッ、しょうがねぇやつだな」


 舌打ちをしながらもカヤノは内心、自画自賛でご満悦であった。

 オトコと会話するなんて、想像以上にチョロいではないか――。

 質問に対して素直に返ってくる徳斗の返事も、彼女の自信を後押しした。

『あとは、姫様がこいつに気があるって伝えるだけだよな』

 慣れない不良に絡まれてやや困惑している徳斗に対し、カヤノは彼を蔑んだ目付きで睨みつける。

「姫様の気持ち、当然わかってんだろな? おめぇが余計なことばっかするから、気になって鬱陶しいって思ってんだよ?」

「はぁっ? ワカがそう言ってんすか?」

 彼の反応にカヤノは狙い通りと、うっすら笑みを浮かべた。

『ほらな、なんでもねぇフリして、こいつも姫様のこと気になってるんじゃねぇか。んだよ、ラブラブで両想いかよってんだ、くそっ。熱々だったらねぇな』

 大きく煙草の煙を吸い込んだカヤノは、最後の一押しを目論んだ。

『よし、最後はこの下界の野郎に、姫様のホンネを伝えりゃ終わりだ』

 カヤノは突然に徳斗の襟首を掴むと、彼を睨みつける。

「おい、姫様を困らせるようなことしたらボコしてシバくぞ、おらぁ。おめぇら下界の人間なんて、姫様の力でイチコロだかんな」

「ちょっと、ホントにワカがそう言ってたんすね!」

 これまで防戦一方だった徳斗は急に立ちあがった。

「えっ……うん。そうだ……け……ど」

 農園でしゃがんで下に眺めていた彼の目線が急に自分よりも高くなり、大きな体躯の男が目の前に立ちはだかると、カヤノも途端に緊張する。


 そして徳斗は襟元を掴んだカヤノの手首を握った。

『はわわ……男の子があたいの腕を触ってるんだけど、男の子苦手なの。どうしよ、怒ってそのまま襲われる。めちゃくちゃにされちゃうよ、きっと』

 真剣な面持ちでカヤノを見つめ返す徳斗の顔を見ているうちに、カヤノは徐々に瞳を泳がせて下あごを震わせていく。

『そんな見つめられると、好きになっちゃうから……もうやめてぇ』

 だが、徳斗は視線を彼女から反らすと、ぶつぶつと独り言をつぶやく。

「しまったな……ミズハさんとカヤノさんにだけ土産を渡したことをまだ根に持ってるのか。しかもあいつが機嫌を損ねると、また下界が曇りや大雨になるし……やっぱワカにも別にケーキか焼きイモを用意したほうが良さそうだな」

 すると徳斗はカヤノの両手を、より大きな自身の手で包む。

『うそぉ、あったかい……男の子の手って、こんなにごつごつしてるんだ。なんか、あたいのドキドキがてのひら越しに伝わっちゃいそう……』

 それから彼は深く頭を下げた。

「コッソリ教えてくれてありがたいっす。とりあえずワカの機嫌を戻すために、なんか甘いものでも買ってきますから。時間を稼いどいてください」

 そのままアパートの門を出て行く徳斗の後ろ姿を見送るうちに、膝の力がすっかり抜けたカヤノは地面に跪いた。


 稚姫の部屋に入ってきたカヤノは肩を落としていた。

「あの下界の野郎は上手いこといったよ……もう姫様にイチコロだろうな」

「ホント? カヤノってば、やっぱりすごい! ねぇ徳斗は何て言ってた?」

 ところがカヤノは、嬉々として椅子から立ち上がる稚姫の相手もせず、静かに自分の荷物を手に取る。

「そしたら、あたいは先に出雲に向かうから、あとは姫様とミズハで適当にやってくれよ。そんじゃあな」

「えっ、もうカヤノちゃん行っちゃうの?」

「せっかくだから、カヤノもあたしの社でもう少し遊んでいけばいいのに」

「本来はオトコを落とすためのスーパーミラクルハイパー技術を姫様のために駆使したせいで、あたいは疲れたわ。じゃあ、あとはあいつと上手くやってくれよ?」

 唖然と見守るミズハや稚姫には一瞥もくれずに、全身から疲労感と達成感、ほんの少しばかりの虚無感を湛えて、彼女は去っていった。

『あたいも男の子のたくましい腕でぎゅっとされたいな……でも今回は上手くいったから、あたいもスキルが上達したってことっしょ?』

  徳斗と邂逅した思い出を胸に、とぼとぼと出雲へ向かうカヤノだった。


 それからしばらくして。

 稚姫の部屋の扉がノックされると、徳斗が入ってきた。

 彼はなにやら普段より愛想よく、しかし妙に堅い笑顔で室内にやってくる。

「いやぁ、庭いじりしてたら疲れちゃってさ。甘いものが欲しかったからケーキを買ってきたんだよ、ハハハ……ほら。よかったら、ワカも一緒にどうだ?」

「ホント? ケーキ食べよ!」

「それで、ついでと言ったら失礼だけどミズハさんとカヤノさんのぶんも買ってきたから一緒に……って、あれ? カヤノさんはどこ行ったんだ?」

「カヤノならもう帰ったよ。疲れたから先に出雲に行くって」

「そうなのか? まぁそれならそれでいいんだけど……何しに来たんだろ?」

 強面で気が強く、衣装も髪色も派手な喫煙者のヤンキー娘だが、根は優しそうな神なので礼のつもりだったのだが、すでに姿を消したのもまた神らしい一面だと、徳斗も紙箱の中で余ったケーキを見つめていた。

 それよりも、いざ対面した稚姫がさほど機嫌を損ねていないのもまた、彼にとっては不思議な出来事であった。



 その日の夜。

 いよいよ、ミズハが出雲に出立する刻限が迫った。

 その晩は徳斗の提案で彼女を送るための晩餐会が催されることとなった。

 稚姫の部屋を会場として、テーブルの上には多くの料理が並べられる。

 とは言え、それは八田が用意したものではなく、ミズハ自身が手際よく調理をしたもので、単に皆で作った料理を皆で食べる、彼女を囲んだ夕食といった風情だ。

 主催でありつつも、夕食の準備が済んでから招かれた徳斗は、トヨウケから支給されている食材を見事に調理したであろう、豪華な和洋の料理を見て驚く。

「いや、すごい。どれも美味そうっすね」

「徳斗様のお口に合うか不安ですが……」

 稚姫も自分が作った味噌スープを徳斗の前に置き、仕事ぶりをアピールする。

「これは、あたしが前に作ったやつだよ! 徳斗が美味しいって言ってくれたから、また作ったんだよ!」

「おぉ、そうだったな」

 ミズハの前で稚姫を堂々と褒めるのも照れ臭く、反応薄く返事がおざなりな素振りをする徳斗に対し、稚姫はわずかに頬を膨らませる。

「じゃあ、せっかくなので、私とワカちゃんはお神酒をいただこうかしら。徳斗様のお飲み物は?」

「あ、俺は未成年なんでだいじょうぶっす」

「そうでしたね、ぜひ一献ご一緒できたら良かったのに……とは言え、ご無理をさせては申し訳ないですものね」

 少し残念そうな芝居するミズハ。

 だが、ここまで計画通りに進んでいることに、内心で満面の笑みを浮かべる。

『そこまでは調査済みですよ。徳斗様にはツキヨミ様にご用意頂いた、この惚れ薬が入った甘酒を飲んでいただきましょう』

 ミズハは日本酒とは別に、白濁したとろみのある液体の入った瓶を用意した。

「では、徳斗様はよろしければ、こちらの甘酒はいかがですか?」

「この料理に甘酒って合うのかな? 俺は日本茶でもいいんすけど」

「天上界の神々がいただく米と水で作られた、下界には出回らない大変美味なものです。せめて乾杯だけでも飲まれませんか?」

「じゃあ、せっかくなんでいただきます」

 素直にうなずく徳斗のグラスには、秘密の甘酒が注がれていく。

 ところが、そこで稚姫も手を挙げた。

「あたし、前のキャンプで飲み過ぎたから、お神酒を甘酒で割ろうかな?」

 想定外の稚姫の発言に、ミズハはわずかに手を止める。

 だが、考えてみれば本来は彼女の恋を進展させたいと願っての作戦だ。

『逆に、渡りに船かしら。ここでワカちゃんと徳斗様、両方とも惚れ合って貰ったら、上手いこといくかもしれないわね』

 ミズハは静かにうなずくと、如何にも仲良しの友といった感じで稚姫に微笑む。

「もちろん、いいわよ。はい、ワカちゃんのぶんね。甘酒を多めにして、ちょっとお神酒は薄めにしましょうか」

 稚姫のグラスには、半分を超える量の甘酒を注いでいく。

 次にミズハは日本酒を取り出すと、自分と稚姫のグラスに注いだ。

「もういいよってところで止めてね」

「もっと入れていいよ。あんまりお神酒が薄いと楽しくないから」

 吞兵衛のような発言で、稚姫はけっきょく五分五分くらいの分量を求める。

 そうとも知らない彼女は、日本酒と甘酒のカクテルを瞳を輝かせて見つめる。

『これくらい飲ませれば、一気に燃え上がって、お二人は肌を重ねて長い夜を……』

 妄想に頬を染めながら、ミズハはグラスを持つ。

「ではさっそく、乾杯しましょうか」


 三人の楽しい夕食の時間は進んでいった。

 会話の内容は、徳斗の祖父の病状に及んだ。彼は素直に神社の後を継ぐべきかまだ決めかねていること、それでも神学校に通い、神職を目指すのには変わらないことなどを伝える。

 他にもオモイカネの店でアルバイトをしていること、彼が突然に姿を消したこと、天界神話にある天岩戸隠れに絡んだ神々――というか彼の友人の神々は皆オタク気質であったことなどを話していく。


 だが、その話題も話半分で記憶に残らない程に、ミズハは二人の様子を観察する。

 二人ともまだ平然と会話を続けており、媚薬はいつ効くのかと手に汗を握った。

 横目に甘酒の瓶を見ると、中身はまだ若干ある。

 ミズハはもう少し彼に飲ませてみることにした。

「徳斗様、もう一杯だけ飲まれませんか?」

「ありがとうございます、でも俺は、あとはお茶で大丈夫です」

「じゃあミズハ。あたしにちょうだい。お神酒を割りながら飲むから」

「そう? じゃあワカちゃんにあげるわ」

 それからも会話は他愛ない、庭に出来たクレーター事件、サツマイモや桜の苗木の生育具合、トヨウケの管理する農園など、話題は尽きない。

 やがて、夜目の利かなくなってきた八田が一礼すると、先に部屋を出て行く。

 それでも媚薬の影響で乱れることもなく普通に食事を進める二人に、ミズハは焦りの色を浮かべる。

『いったいどうしたのかしら、間違いなくツキヨミ様からいただいた惚れ薬入りのものなのに』

 作戦失敗かと、二人を交互に見守る程に緊張で心拍が上がり、呼吸が乱れていく。

「ミズハさんはお酒に強いんすね。四合瓶で半分以上、飲んでますね」

「えぇ、そうですね。水を司るせいか、身体にスッと染み込んでいきますわ」

 これもまた、やたらと酒好きのオッサン臭い発言だったが、彼女も多少は酔っているのだろう、と徳斗もあまり気にせずに温かな日本茶を飲む。

 対して、隣に座る稚姫は以前のキャンプのように頬を染め、ケラケラと笑い声をあげたり、徳斗の腕に抱き着く回数が増えていく。

「おいワカ。お前、甘酒で割ってもやっぱり飲み過ぎて酔っぱらってるじゃないか」

 稚姫は徳斗に向かって、ややとろんとさせた目元で笑う。

「うふふ……へいきよ」

 何故に酔うと外見以上の色香が出るのか、彼女の様子を見た徳斗は、また緊張して茶をすすった。

『ワカちゃんもだいぶ、良い感じになったわ。でも私もお付き合いで飲んだせいか、いささか酔って、暑いったらないわ。どうしたのかしら?』

 ミズハは稚姫たちが会話をしている隙にワンピースの一番上のボタンを外して、掌で顔を扇いだ。

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