3-5 あたしの気持ち

 けっきょく、オモイカネとその仲間である怪しい神々が企てた、稚姫との交流を得るという作戦は上手くいかなかった。

 翌日、徳斗は彼の店でアルバイトをしている間も、盛大な溜息をつく。

 それを察した、隣に居た女性スタッフが声を掛けてきた。


「どうしたの、原井君。なんか悩みごとでもあるの?」

「いや、中学生くらいの女の子って扱いが難しいなって思うんですよ」

「距離感ってこと? 妹さんか、親戚の子? まさか彼女?」

「まぁ同居人っていうか肉親って言えるのか、妹……かと言われたら、そんな所なんすけどね。前は結構、甘えてきたくせに避けられるようになって」

「それってホンモノの妹さん? 義理とか従妹とか、アブないやつじゃないわよね」

 オモイカネは客席でゲームの人数合わせにボードゲームにプレイ参加していた。

 二次元の世界やアイドルが好きそうで、ねちっこいオタク気質の店長が近くに居ない隙に、他の女性スタッフも参加して徳斗との会話に興じる。

「たぶん、それ思春期よ。だんだんお兄ちゃんと一緒に居るのが恥ずかしくなってくるのよ」

「ちょっと意識しだしちゃうのよね。一番近いところにいる異性じゃない? 昔みたいにベタベタしてたら気持ち悪くなったりするのよ」

「それって俺が気持ち悪いとか、臭いとか、嫌われてるって訳じゃないんすよね?」

「嫌いじゃないんだけど、素直に甘えたりするのが恥ずかしいってことよ」

 嫌われているわけではなさそうだと聞いた徳斗は、ほっと胸を撫で下ろす。

「それでも、男の子は逆に少し寂しかったりするんだ?」

 徳斗は、稚姫との距離感が出来てしまった今の自分の心情を素直に言葉にした。

「はい、寂しいといえばそうっすね」

「あらぁ、いいじゃない。仲良しだったのね、原井君と妹さんは」

 やがてゲームを終えたオモイカネが戻ってきた。厨房の面々は、店長の登場に合わせてそれとなく会話をやめると、普段通りに皆で作業に戻る。

 飲み物を取ろうとしたオモイカネが冷蔵庫を開けると、中の食材の在庫を窺う。

「あれ? フルーツが思ったより出たね。もうこれしかないか。氷川ひかわさん、悪いけど近くで買ってきてくれるかい?」

 先程、徳斗の隣で話しかけてきた女性スタッフの氷川がエプロンを脱ぐ。

「ついでに徳斗殿も一緒に行ってくれるかい? 普段は納入業者が売掛をしてくれるんだけど、食材が足りなくなった時に、急ぎでレジの小口金から仕入れをする方法を教わっておいてよ」

「えっ? はい、わかりました」

 徳斗もオモイカネの指示に従い、エプロンをはずした。


 先輩の氷川に付き添い、店を出て商店街にある青果店に向かう間も先程の雑談の続きを始める。

「ねぇ、原井君。さっきの妹さんの話だけどさ。逆に落ち着くまでそっとしてあげたら? たぶん妹さんも異性のお兄ちゃんとの距離感に悩んでると思うのよ」

「そうなんすか? 店長のアドバイスもあって、ずっと無理やり顔を見ようと……」

 氷川は大きく両手を振って否定する。

「店長なんか一番ダメよ。あの人は奥手でネクラなんだから、絶対に女性の事なんて何もわからないわよ」

 彼の趣味嗜好ならそうだろうな、と徳斗も先輩の指摘に思わず吹き出す。

「そうなんすよ。それで逆に店長のアドバイスのせいでゴタゴタがあって、怒らせちゃったり空回りしてて……でも普通に接したいんすよね。かと言って、毎回プレゼントとかでご機嫌とるってのも変だし」

「原井君だって妹さんと仲直りしたいんだし、逆に妹さんも仲直りしたがってると思うわよ? 大げさなプレゼントじゃなくても、家族全員のぶんって嘘ついて、アイスクリームやケーキのひとつでも買って帰れば素直に喜ぶって」

 氷川は、徳斗の背中をぽんと叩いて彼に気合を入れる。

 とは言え、プレゼントは既にオモイカネの焼きイモ作戦が失敗したことは、徳斗の苦い記憶であり、食べ物で上手く釣れるかは微妙そうだった。

「……そうっすねぇ」


 青果店に到着した徳斗と氷川は、オモイカネに頼まれたフルーツを見繕う。

 店を出ると、買い物をしているうちに、知らぬ間に天候はどんどん下り坂になっていたようだった。

「あれ? 今日は雨降るなんて予報でしたっけ? おかしいな」

 たぶん家に居る稚姫のご機嫌がまだ不安定なのだろうと、徳斗は空を見上げた。


「お疲れ様っす。戻りましたぁ」

 徳斗と氷川が店に戻ると、女性スタッフ達が色めきだち、彼に声を掛ける。

「ねぇ、原井君の妹さんが遊びに来たよ! すっごい綺麗な子じゃない! お兄ちゃんのこと下の名前で呼んでるんだね、甘えん坊でお兄ちゃんっ子で可愛い!」

「うそっ! なんだ、あたしもここに残れば良かった! 原井君の妹さん見たかったなぁ」

「えっ……あいつ来てたんすか、ここに?」

「妹さんはお兄ちゃんに用事があって来たみたいだけど、出掛けているって言ったら帰っちゃったのよね。商店街のどっかで会わなかった?」

 だが、先程の空模様を見るに徳斗は妙な胸騒ぎを覚えた。

 オモイカネに視線を向けると、すかさずスタッフの会話に割って入ってきた。

「徳斗殿。妹さんを探して家まで送ってあげたほうがいいかもね。今日はあがっていいから」

 店にある予備のビニール傘を徳斗に預ける。

「どうも『天気』が悪いからね、妹さんにも充分に気をつけて」

「あっ……すいません、店長。お先に失礼します」

 目配せをして、オモイカネは徳斗の肩を叩いた。

 それが彼からの何らかの忠告であるのは、徳斗も急変した天気を見て察した。


 店を出た徳斗はオモイカネの店の周辺から商店街を縦横に走り、駅前の路地を見て回る。

「なんだよ、どうしたんだ、ワカ」

 ここまでやってきたのは間違いなさそうだが、どこにも稚姫の姿は無かった。

 彼女が事件に巻き込まれたとは考えにくいし、おそらく八田が近くにいただろうから、身の安全は充分に確保できているはず――。

 徳斗は、やむなく電車に乗り自宅へ向かうことにした。



 同日、時間は昼過ぎまで戻る。

 稚姫は駅のホームに立っていた。

 これから徳斗が居る店の最寄り駅まで向かう列車を待つ。

 すると、ホームの片隅にある自動販売機の裏にカラスが舞い降りた。

 到着した列車のドアが開くと、稚姫が空いた座席に座る。

 同じ車両の、ほぼ対角線上に離れた席に八田も腰を掛けた。

 新聞を顔の真正面に向けて、目立たぬよう鳴りを潜める。だが、レトロな探偵映画のように、ベタに紙面に覗き穴を開けてそこからサングラス越しの瞳を向けていた。

 稚姫はいつも車の移動ばかりだったので、流れる車窓を物珍しげに眺めている。

 やがて、列車は大きな百貨店のある駅に到着した。ここからは徳斗がバイトをするオモイカネの店も近い。


 まず稚姫は駅前の百貨店に向かった。

 その少し後をカラスが降り立ったが、物陰に隠れると黒ずくめの八田の姿に戻す。

 稚姫は各フロアの専門店を見ながら、良いものがないか探すために歩き回った。

「徳斗と仲直りできるような、徳斗が喜んでくれるものってどんなものなんだろ?」

 前に聞いた、人間の女性達が言っていたプレゼントの雑談のくだりを思い返す。

「でも首飾りって、あんまり下界の男の人はしないな」

 次に男性向け商品が充実したフロアに向かう。

「お洋服や靴って徳斗のサイズ知らないや。帽子もあまり被ったの見たことないし」

 稚姫は思い切って、近くの男性店員に聞いてみた。

 いかに四貴神と言えど、高天原から天降あめふる神々は等しく下界のマナー講習を受講する。普通の人間に化けて民らしく振る舞い、その暮らし向きを見守ることもあるので、稚姫は見た目相応の現代の下界人らしく芝居をし始めた。


「あの……男の人がプレゼントで喜ぶのってなんですか?」

「男性ですと、お相手の好みに関係なく喜ばれるのはやっぱり実用的なもので、ハンカチとか靴下なんかですかね。これからは寒くなるからマフラーとか手袋もいいですし、もう少しご予算もあるなら、ネクタイもよろしいかと思いますね」

 いずれもそれで徳斗が喜んでくれるかはピンと来ず、稚姫も悩む。

「お付き合いされている彼氏さんへのお誕生日プレゼントですか?」

 唐突に男女カップルの恋愛を描く少女コミックを思い出し、顔を紅潮させると無言で首を横に振る。

「じゃあ、お父さんかお兄さんですかね? サプライズなら、お相手も何を貰っても嬉しいじゃないんですかね。つまり、お気持ちですよ」

「あたしの気持ち?」

「逆にお客様がこれをあげたいっていう物の方が、素直なお気持ちが入ってて、お相手も嬉しいと思いますよ」

 稚姫は下界にやってきてから、今までの徳斗とのやり取りを思い出す。

 自分がずっと気になっていて、これをあげたいと思う物。

 何か心に引っ掛かっていた『あるもの』が見つかり、表情を明るくする。

「そうだ……あれをあげよう。あたしがプレゼントしたいの決まりました」

 男性店員にぺこりと頭を下げると、すぐに別のフロアへ向かう。

 そこは家財などを扱う専門店だった。

 会計を済ませ、ある商品を大きなプレゼント用の包装紙に入れて貰った。

 自分で購入した商品を愛おしく抱きしめる。

「徳斗、喜んでくれるといいな」

 百貨店を出た稚姫は、そのままオモイカネの店に向かって歩き始めた。


 少し遅れて百貨店を出た八田は建物の影に隠れると、再びカラスに変化して主人の後を追った。

 商店街を通り抜けて、裏路地の雑居ビルに着く。

 以前に天上界で見た、下界の社を紹介する検索台帳にあった、オモイカネが人間界で活動する時に利用する拠点で間違いなさそうだ。

 稚姫は薄暗い階段をあがって店の扉を開く。

 入ってすぐのカウンターにはオモイカネが居た。

 あまり会いたくないやつとの再会に、彼女は反射的に表情を強張らせる。

「うえっ! ワカひ……っ、いらっしゃいませ、おひとり様ですか?」

 オモイカネもまさか稚姫が直接ここにやって来るとは思わず、一瞬興奮と緊張をしたが、他の人間の従業員も居る手前、咄嗟に普段の下界での芝居に戻る。

 稚姫は、オモイカネの姿は見えないかのように、女性スタッフに声を掛けた。

「あっ、あの……徳斗はいますか?」

 女性スタッフたちは少女が尋ねる相手が一体誰のことかと思ったが、それがすぐに新人の彼だと分かった。

「えっ、もしかしてウワサの原井君の妹さん? やだ、すごい可愛い!」

「こんな美人の妹さんだったら、そりゃ原井君も可愛がるわよね」

 途端に、下界の女性達に囲まれる稚姫。

「徳斗はここに来ていませんか?」

「お兄さんは今ちょっとお遣いで、買い物に出ちゃってるのよ」

 お遣いと聞くと、徳斗がまるで八田たち神獣のように使役しえきさせられていると勘違いした稚姫は、鋭くオモイカネを睨みつけた。

 だが、それにも懲りずに彼は稚姫を店に留めようと試みる。

「どうだろう。こうして徳斗殿の妹さんもいらっしゃったんだし、せっかくだから、店で待ってて貰ってもいいんじゃないかね。ねぇみんな?」

「……でも、徳斗の邪魔になると怒られちゃうから……あたし帰ります」

「あら、そう? せっかくだから店長の言う通り、お兄ちゃんを待ってたら?」

 それには稚姫も小さく首を横に振る。

「じゃあ、来たことはちゃんと伝えておくわね。妹さんも気をつけて帰ってね?」

 プレゼントの入った紙袋を抱えて、大きく頭を下げる。

 そのまま早々に店の外に出て行った。


 駅まで続く商店街の中でも、近くに彼の姿が無いか、ついきょろきょろと周囲を見回してしまう稚姫だった。

「どうしよう、オモイカネの近くに居るのは気持ち悪いけど、やっぱり今日の修行が終わるまでお店で徳斗を待たせてもらおうかな?」

 しかし、先程の百貨店の店員からのアドバイスで、家で彼が帰ってくるのを待って渡す方がサプライズ感があってよいだろうと判断し、帰宅することにした。

「徳斗、びっくりするかな。喜んでくれるかな」

 自然とこぼれる笑顔と共に、駅に向かって歩いている時だった。

 前方には見慣れた後姿がある。それは徳斗だった。

「あっ、のり……」

 だが、彼の隣には並んで歩く女性の姿があった。

 二人とも談笑していた。

 隣に居る女性も笑顔で身振り手振りをしたり、徳斗の背中に手を回している。

 そのまま青果店の中に入っていった。

 二人で一緒にお遣いまでしている。

「徳斗……下界の女の人とすごい楽しそうにしてる」

 稚姫は徳斗に声を掛けるのはもうやめて、家に帰ることにした。


 やがて、太陽は姿を隠し、厚い雲が垂れ込める。

 ぽつぽつと落ちてきた雨は、すぐに本降りになった。

 傘も持たず全身が雨粒に濡れていくが、急ぐでもなく、とぼとぼと歩く。

 せめて手元の紙袋が湿らないよう、胸元に深く抱き寄せながら。

 それでも前髪から滴る雨粒とは違うものが瞳から溢れてくる。

「のりとのばかぁ……」

 堪えきれずに嗚咽を漏らす。

 すると突然、稚姫の身体から雨粒の当たる感触が消えた。

 目を開くと、八田は自分の右肩を雨で濡らしながら、彼女の全身を大きな黒の傘で覆っていた。

「来たらクビだって言ったじゃない……八田、おうち帰ろう」

 夜にかけて更に雨脚は強くなり、日没後の街の上空を稲光が走った。

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