3-4 アキバ系神、見参
翌朝。
徳斗はまた稚姫の部屋の前で、室内に向かって声を掛ける。
「そんじゃ、俺はぼちぼち出掛けるわ。大学とバイトがあるから、今日も遅くなるぞ。留守番頼むな、ワカ」
変わらず無反応な扉の奥に肩をすくめると、徳斗はアパートの門を出た。
敷地を覆う石壁に自分の姿が消えるとすぐにきびすを返して、近所の建物の物陰に隠れる。
そこで待っていたオモイカネと合流した。
「店長。平日の朝からこんな作戦に付き合わされてるんすから、マジで大学を欠席にされないように加護をお願いしますよ」
「僕の神使がちゃんと
それからしばらくはアパートの様子を窺っていたが、何の変化も無い。
八田がたまに庭に出ては、共用部の清掃やイモ畑の手入れをするくらいだ。
それから数時間。陽は高く昇り、もはや午後も近いというくらいになって、ようやく稚姫が部屋から出てきた。
「ぬぉっ、高天原以来の久しぶりの姫様のご尊顔だ。相変わらず小さくてミニマムでお美しい……」
「ちょっと店長。キモいから興奮して俺に息をかけないでください。生臭いんで」
「このままお散歩にお出かけになられるようだね。後ろからのご尊像を眺めながら、ついていきたい欲求もあるが、作戦のためだ。仕方ない」
稚姫と、彼女を覆う日傘を持った八田がアパートの敷地から出て行く。
その隙をついて、徳斗とオモイカネは稚姫の部屋の前にやってきた。
「ここがワカ姫様のお部屋で間違いないね」
「ちょっと、店長。鍵を持ってるのは八田さんだし、いくら神様同士でも家宅侵入はマズいんじゃないすか。それに四貴神って格上なんでしょ?」
「違う。ここで『逆・天岩戸作戦』だよ。
「そんなこと言って、また上手くいくわけ……」
徳斗が訝しそうにオモイカネを見ていると、後方から突然に声を投げられた。
「オモイカネ氏。お待たせしましたな」
「おぉ、ふたりとも乙でしたな」
声がしたアパートの門に徳斗が向くと、華奢でひょろりとした色白の青年ふたりが立っていた。ともに眼鏡で髪は毛量が多いのにやや長めに伸ばしており、いかにも地味で根暗な青年を絵に描いたような男たちだ。
「あの、店長。この人達なのか神様達なのか、この皆さんは?」
「『天岩戸作戦』といえば彼ら、フトダマ氏とタヂカラオ氏だよ」
「えっ? 全然、身体は太くねぇし筋肉は無さそうだし、名前負けしすぎでしょう。絶対ヤバい感じじゃないすか」
突如現れた二柱の神は、不躾な下界の民を不快そうに見る。
「オモイカネ氏、こいつがワカ姫様の神職だと言うガキですか。生意気ですな」
「まぁまぁ、フトダマ氏。生意気なのは確かだが、いちおう姫様のお顔を立てて神罰だけはやめてやってくれ」
徳斗も神々に失礼を働いている気持ちなど微塵も無く、呆れ気味に頭を搔く。
「僕とこのフトダマ氏、タヂカラオ氏は同じ趣味を持つ仲間でね。いわば同士だ。週末にはアキバ神社の神楽舞台劇場で、高天原アイドルの『
「秋葉神社って
天界の神々は愚かな下界の青年を鼻で笑う。
「キミは多少は我ら神々の伝承には詳しいようだね。だが我らも、時代とともに在りようを変化させているのだ。よく見たまえ」
フトダマはアパートの外に隠してあった数本の立派な注連縄を持参した。それを預かった徳斗も驚きを隠せずにいたが、すぐに疑問が湧きあがる。
「すげぇ、しっかりできてますね。それにしちゃ全体的に滑らかで軽いような……」
「そりゃそうだ。3Dプリンターで作ったからね。これこそ時代の在りようだよ」
それを聞かされた徳斗は、両手の中の注連縄を訝しげに見る。
「これじゃ、神力が入ってないんじゃないすか?」
「愚かな下界の民よ。まぁ見ていたまえ」
フトダマとタヂカラオの二柱で徳斗以外の部屋の扉に、注連縄をつけていく。
「最悪、フトダマさんの3Dプリンターの注連縄はいいとして、タヂカラオさんこそ詐欺でしょう。もしワカの動きを封じるのに、そんなヒョロっとした身体してて大岩を動かせるんすか?」
「お前はe-スポーツを知らないのかね? はぁはぁ……今や実際の筋肉など不要だよ。反射神経と勘があれば神威を発揮できるんだ。はぁ……」
「そりゃ、その時はそうでしょうけどね。脚立で注連縄つけただけで息切れてるじゃないすか。神話の後は活躍する機会がなくて筋トレさぼったんすか?」
無事に徳斗以外の部屋に注連縄をつけたひとりと三柱は、再びアパートの敷地を出て、稚姫が帰宅するのを待っていた。
しばらくして、散歩を終えた稚姫と八田が帰って来る。
彼女の気分転換のためか、八田の手には少女マンガが入っていると思われる書店の紙袋を下げていた。
稚姫が自分の部屋の前に向かうと、玄関につけられた注連縄が視界に入った。
「なにこれ。徳斗も学校に行っちゃったのに、誰のイタズラ? トヨウケか誰かが姉上の岩戸隠れのマネして、あたしのことバカにしてるの? んもぅ!」
神威もご利益もなさそうな3Dプリンター製の注連縄を八田がはずすと、鍵を開けて室内へと入っていった。
それを見届けた徳斗は、オモイカネの襟首をつかむ。
「なにこの無駄な儀式。店長、マジで俺の時間を返してください! もしくはこの時間の給料を出してくださいよ!」
「おかしいな。別に姫様にお隠れになるっていう強い意思が無いせいかな?」
「普通に散歩に出歩いてるんだから、隠れるも何もないでしょう」
するとフトダマとタヂカラオは、前髪を手櫛で流して、鼻先の眼鏡を指で直す。
「では、オモイカネ氏。また夕方六時にアキバ神社の劇場で」
「そうでしたな。今日は『コノハナ』の『さくや』タンのソロライブでしたな」
「宗像三女神じゃないんすか、推しは?」
「高天原はアイドルが多くて、推し活が忙しいったらないよ。それじゃあ、徳斗殿。僕は今日は公休だから、店の方を頼んだよ」
「えっ、ちょっと、店長! これで終わりっすか!」
ぞろぞろと去っていく天界のオタクたちの姿を眺めながら、徳斗は棒立ちになっていた。
「もう神話の時代が終わったから、神様もヒマなんだろうな……」
それからというものの。
徳斗は稚姫の様子を窺ってはみたものの、自分が大学とアルバイトに出ている時間以外は、すれ違いの日々となっていた。
八田に彼女の様子を聞いてみても、特に進展は無さそうだ。
「けっきょく店長たちに頼んだところで、上手くいく訳もなかったからな。しょうがねぇけど、俺が岩戸を動かさなきゃダメか」
仕方なく徳斗は、自分の気持ちを言葉ではなく文字で伝えることにした。
その翌日。
徳斗がいつも大学に出発するくらいの時間。
ぱたんと音がして、扉についた郵便受けの小窓から何かが投函される。
低血圧のため、まだ起床時間の少し前だった稚姫は物音に気づき、寝ぼけまなこでベッドから降りると、パジャマ姿のまま挿し込まれていた紙を引き抜く。
手に取ると、それは徳斗からの手紙だった。
『ワカ、ごめん。悪かったから出てきてくれ。また買い物でもキャンプでもいいから、お前がやりたいことを手伝いたい。ワカの声が聞きたい。顔が見たい。気が向いたら返事が欲しい』
まるで恋文のような手紙を読むなり、稚姫は顔じゅうを赤く染めてベッドに倒れ込み、悶え転がる。
「なんか徳斗に悪い事しちゃったな……どうしよ、会いたい。ホントはごめんねって言いたい」
瞳を揺らしながらも改めて、彼の直筆の文字をじっくりと眺める。
「でも、徳斗のこと考えてるとドキドキするの。顔を見たり声を聞いただけで、避けちゃうんだよね。なんでなんだろ?」
稚姫は自身の胸の鼓動を抑えようとするかのように、枕をぎゅっと強く抱く。
「やっぱり、徳斗と仲直りしたい……またお話したいよ」
事切れたようにベッドに倒れ込むと、まるでここ最近の天候のようにスッキリ晴れない気分のまま、近くに積んであった少女コミックを読み返す。
作中では、お互いにケンカをしてぎくしゃくしていた幼馴染の男女の主人公が、仲直りをする場面。
最後に子供の頃に交換しあった大切な思い出の品を渡し合うと、二人のわだかまりが溶けていく――。
そこまで読んだ稚姫は、押し寄せる胸キュンを堪能しながら漫画を読む手を止めて、ぼんやりと部屋の天井を眺める。
「あたしの大切なものってなんだろ?」
そこでデパートのトイレですれ違った、下界の女性達の会話が蘇った。
それは兄のツキヨミと一緒に買い物に行った時のこと。
大事にしまってある、徳斗に買ってもらったネックレスの小箱をじっと見る。
「やっぱり、あたしからちゃんとごめんって言わなきゃダメだ。すぐに徳斗に会いに行こう!」
稚姫は徳斗からのプレゼントであるネックレスと、その時を同じくして購入した下界の洋服を着て、玄関の扉を開いた。
庭の掃除をしていた八田は、天岩戸が開かれた瞬間に、歓喜に身を震わせた。
「ねぇ、八田! お金ちょうだい。徳斗にもなにかお返しするから!」
彼はその下知に、急ぎ主人に同行するための外出の支度をし始めた。
だが、稚姫は掌を八田に向けて彼を強く牽制する。
「八田は来なくていいよ。あたしがひとりで自分で徳斗のためにお買い物するから」
同行を命ぜられなかった八田は、不安そうに財布とICカード乗車券を渡す。
「それで、徳斗は学校が終わったらどこでアルバイトの修行しているの?」
八田は胸ポケットに入れた手帳を取ると、住所が書かれたページを主人に見せる。
「えっ、徳斗ったらよりによってオモイカネのお店で修行してるんだ。やだなぁ、あいつ目線が気持ち悪いんだもん……」
それでも徳斗に会いたい一心で、迷いを払うように稚姫は頭を振る。
「でも頑張って、あたしは徳斗に会いに行くよ。電車に乗るときは出入口の機械でこれをピッとするのね。あとお買い物の時はこのカードで、暗証番号が……」
稚姫は八田から懇切丁寧に下界での移動から、買い物の作法や決済手段、オモイカネの店までの経路を教わっていく。
「じゃあ、あたし行ってくるから! 絶対、八田は来ないでよ! 来たらクビね!」
一礼して主人を送り出した八田だったが、やはり不安は拭えず、やむを得ずカラスに姿を変えてこっそりと後を追うことにした。
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