第5話

 お互いの実家への挨拶に、式場選び。料理や引き出物を選んで招待状を出して。ドレスやBGMを選んで、式次第を順平と考えて。普段の生活や仕事に加えてそれだけのタスクをこなしていると、日々も季節も瞬く間に過ぎていった。そんなはずはないんだけど、気が付いたら式場の控室にいて、コルセットで胸を締め上げられて、メイクさんとスタイリストさんに囲まれて最後の「仕上げ」をされていた──そんな気分になるくらい。


「とても、綺麗だよ」

「ありがとう」


 純白のドレス姿の私に、既にタキシードを纏った順平は熱く囁いてくれる。晴れの日の感慨もあれば、私のコンプレックスを拭い去ろうという思いもあるんだろう。整形を止めた、と伝えた後でも、彼は私の顔や何気ない仕草を大げさに褒めてくれていた。その言葉を私が心から喜んで受け止められたかというと、分からないけど。無理させちゃってるなあ、とか。順平の美的感覚ってズレてるんじゃ、とか。そんな風に思ってしまうから。──思ってしまっていた、と言った方が良いのかな。今なら、私はもう少し違うように考えることができていると思う。


「どう、かな?」


 ドレスの裾を持ってくるくる回る──なんてことはできない。そんな可愛らしい真似は私には似合わないからというだけでなく、アニメとかでお姫様が軽々と踊ってるのが信じられないくらい、生地は重いしコルセットは苦しいし、ぽっくり下駄みたいな厚底の靴は動きづらい。

 でも、私の笑顔は嘘偽りのない本ものだった。あの夜に葵が見せたのと、きっと同じくらい晴れやかな。


「やばい。泣きそう」

「まだ早いでしょ。『両親への手紙』まで我慢して?」


 靴底の厚みのお陰で、目頭を抑える順平の顔はいつもより近かったけど、私はためらいなく彼の耳に唇を寄せて囁いた。ブスが迫ってきたら嫌だろうなあ、とはもう思わない。メイクさんたちのお陰で今日の私は自分史上最高に綺麗だ。


 それに何より、順平はやっぱり気付かなかった。


 目頭の切開──ほんの三十分程度で終わる簡単な施術とはいえ、私は顔にメスを入れたのに。葵が言っていたのは本当だった。誰も、生涯を共にする伴侶でさえ、驚くほど人の顔を見ていない。


 でも、それはまったく悲しいことでも寂しいことでもない。順平にとっての私は、鼻の高さとか目の大きさとか顔の輪郭とか、そんなひとつひとつのパーツの寄せ合わせではないみたい、って信じることができそうだから。そんな些細なことより、私が笑っていることを喜んでくれているんだ、って。優しい言葉や気遣いよりもずっとずっと、彼が気付かないという事実が、私を喜ばせてくれる。幸せにしてくれる。──あるいは、ほんの何ミリか切り開かれた私の皮膚が、私の支えになってくれる。私の顔なんて気にする、気にされるようなものではないのだという、証拠になってくれる。




 式場に付属の教会で挙式して、披露宴が始まって。順平の上司さんの乾杯の音頭で歓談の時間が始まると、私たちが座る高砂には次々と友人が訪れた。


「おめでとう! 琴美、ほんとキレイだよ!」


 その中にいた葵の目が、一瞬だけ長く私の顔に留まったのは気のせいではないと思う。彼女には、「エラの」手術は止めた、とだけ伝えていた。それでも、実際に顔を合わせるのは例の同期会以来だったから、私が手術をしていないのを確かめて、やっと安心したのだろう。顔の輪郭を変えるのに比べれば些細な手術だし、今日の私の目はいつもより濃いマスカラとアイラインに縁どられている。順平や実の親でさえ気付かなかったミリ単位での違いを、葵が気付くのはとても難しいはずだ。


 そう、本当のところ、しっかりと見ていたとしても気付けないかもしれない、その程度の微妙な変化なのだ。間違い探しのゲームだったらズルいと言われてしまいそうな、ほんの少しの違い。でも、そんな小さな小さな秘密が私の心を守ってくれる。見た目で思い悩むのはバカバカしいと、どんな優しい言葉よりもはっきりと教えてくれる。何十という視線に晒されても、堂々と笑っていられることができる。誰も私を見ていないから。


「ふたりとも、おめでとう」

「ありがとう」


 何度となく掲げるシャンパンのグラスは、私たちの結婚を祝うと同時に、私の解放を祝うものでもある気がした。誰も何も気付かないと確かめるたびに、私は私の顔から自由になれる。


 今日は私の人生で最高の日。最も幸せな日。この喜びを、私は決して忘れないだろう。

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誰も私を見ていない 悠井すみれ @Veilchen

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