俺とお前とアドンコと

まけいぬ

第1話

 右手の痛みでアデーは目を覚ました。月明りも星明りも入らぬ暗闇の中で己の右手を見やる。闇に塗りつぶされたその部屋では、ほんの10㎝先にあるはずの自分の手すら見ることがままならない。それでも、その手に合ったはずの小指と薬指、二本の指が、ない。そのことだけは脈打つように伝わる痛みでわかるのだった。

 この痛みが何度でもアデーに思い出させる。奪われたものの大切さと、それらを奪ったヒトラーと東條への復讐心を。アデーは強く歯ぎしりをして、胸の内に復讐心を燃え滾らせた。


 アデーは手探りでヒョウタンを探した。酔拳の師であるマスター・ペプテシからは3つのものを受け継いだ。

 一つは酔拳の技術。しかし、これだけではあのヒトラーや東條には勝てない。そうマスターは言っていた。

 一つはこのヒョウタン。飲めば飲むほど強くなる酔拳にはアドンコが欠かせない。ガーナの原生林から抽出された11種の天然ハーブで作られたアドンコは優れた抗マラリア、抗菌、利尿、血糖調節、媚薬の能力を持つハーブとよくブレンドされています。

 そしてもう一つはマスターから言い聞かされた言葉「一歩前へ キミのはそんなに長くない」。

 意味はわからない。しかしこの言葉は、ニホンのイザカヤでマスターがいたく感銘を受けた言葉だそうだ。もし、自分の酔拳がマスターの高みに届いた時、きっとこの言葉の意味を身体が理解するのだろう。そうアデーは信じていた。


 ようやく暗闇で手繰り寄せたヒョウタンの栓を抜き、アドンコを喉へ流し込む。褐色の液体が喉から食道を焼き、胃の中に火を灯した。

大きく息を吸い込んでから、肺の中の空気をゆっくりと鼻へ通していく。アドンコの香りを脳内に充填させ、ようやく気分と右手の痛みが落ち着いてきた。


 落ち着いた頭でヒョウタンの感触をその手に確かめる。これまでの事が走馬灯のように頭を駆け巡っていった。




 ……思い返せば、これまでの自分の武はアドンコと共にあったように思う。

 自分に武の才の無さに嘆き、落ち込んだ時、アドンコが支えてくれた。酒に溺れたんじゃない。支えてもらったのだ。溺れたんじゃない。溺れたんじゃないぞ。

 ……そして死んだ師匠とはよくアドンコを飲みながら語り合ったっけ……。師匠は酔うと女性の話ばかりしてたけど……。一度べろべろになった時に「エヴァを抱かせろ」とか下品な絡み方をしてきた時にぶん殴ってやったっけ……。いや、ぶん殴れなかったんだよな。素面の時よりいい動きをして「護身完成!」とかぬかしやがったんだ。そんな時にばかり武を使ってるんじゃないよ。

 ……いや、アドンコがあったからマスター・ペプテシから酔拳を伝授してもらうことができたんだ。……でも、マスターは「別にアドンコじゃなくてもいい。どうせならうまい酒を飲みたい」って言っていたな。なんでアドンコを飲んでるんだと聞いたら「酒を医者に止められてるから」なんてほざきやがった。「アドンコは薬だから」って、酒だよ。普通に酒だよ。酔拳のマスターが医者に酒を止められてるんじゃないよ。なんだよその腹。絶対止められてるの酒だけじゃねえだろ。


 ………あれー。俺、実はアドンコにいい思い出がないな?

いや、なんかあるよ、探せば。うん、探せば。




 しかし、アデーはめんどくさくなって、アドンコを再度喉に流し込み、ヒョウタンを抱えて眠ってしまった。


 ヒトラーが開催するガーナと世界の命運をかけた天下一武闘会。その開催前夜の出来事であった。



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俺とお前とアドンコと まけいぬ @loosedogtom

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