第37話 ずっと四月三日。寝ても覚めても四月三日

 先輩はしばらく黙り、ふと切り出した。

「『ナイト・オン・ザ・プラネット』はもう見た?」

「え。いや。どうして急に?」

 何を話していいのかわからないのは同じだけど、あまりに突拍子もないので驚く。

「見ろって言ってるじゃん、サークルの名前にまでしたのに。はー、つくづく、私のこと好きなのか怪しくなってきたね。やーい、人でなし」先輩は気の抜けた笑みを零す。「……私と一緒だね。根本的に、自己中なんだよ」

 好きなはずの先輩にまったく向き合っていない僕。

 今まで、何をしていたんだろう?

 いや、考えるまでもない。傷つくのを恐れ、自分の殻に閉じこもっていたんだ。

「『ナイト・オン・ザ・プラネット』はオムニバス形式の映画なんだけど、一番好きな話があるんだ。タクシーの運転手のウィノナ・ライダーが、映画関係者の客に才能を見いだされて、女優にならないかってスカウトされる話。一見すると、シンデレラ・ストーリーに思える展開」

 先輩が果たして何を言いたいのか、図りかねていた。

「でも、その運転手の女の子は、断るの。私には私のプランがある、ってね」

「プラン?」

「女の子は、配管工になりたかったの。ふつう、女優になれるなら、女優になりたいよね。配管工になんかなりたくない。歌手や、女優や、華やかな人生……。でも、その子にとって、どんな華やかな人生も、堅実な人生も一緒。配管工以外は意味がない」

「あの、話が見えません」

「番号は消してよかったんだと思う、ってこと。私も過去に決別するための将来のプラン、ここに探しにきてたから。ま、囚われまくりだったんだけどね」

 見積もりが甘かったよ、とでも言わんばかりだった。

「でも、今のをきっかけに、ついに見つけた」

「そのプランっていうのは……?」

「ずっと四月三日。寝ても覚めても四月三日」

「は?」

「綺麗な桜の下、もう若さにまかせてやりたい放題。脳みそぶっ壊れてセックス中毒になるくらい。そんな一日を繰りかえすの。……とにかく、これがプラン」

 もはや、冗談を言うことでしか自分を保てないのかもしれない。

 密先輩の葛藤が伝わってくる。自らに真剣に向き合うことに怯えているのがわかる。

 大人になることへの悲しみだ。

 明日が訪れることの苦しみだ。

 世界から置いてけぼりにされるという、恐ろしく平凡な悩みだ。

「どう?」

 そしたら電話番号も復活しちゃいますよ、と言いかけたが、さすがに無粋だろうから取り下げる。

「先輩らしくて、いいんじゃないですか」

 先輩のらしさなんて知らないくせに、僕は去勢をはって呟いた。

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