第10話 チェリー

 とりあえず作戦変更だ。電話を切ったふりをして、先輩に向き直った。

「急にいなくなったから心配してかけてきたみたいで」

「え、下ネタだったんでしょ?」

「いや、下ネタ混じりに心配してくれていたというか……」

「ふぅーん」

 かなり苦しい。だが、ひとまず先輩は納得してくれたようだ。

「そういや、桜の話してなかった?」

「あ、まぁ……黄色い桜の話、かな」

 自然と先輩の胸を見てしまう。カッパと比べてごめんなさい。でもカッパの方が大きいかも。

「なんでずっとイヤホンしてんの?」

「あ、いや……」

 さすがに不自然か。不自然の上塗りだが、話を逸らすことにする。

「それより今どこに向かっているんですか?」

「今からお花見に行こうかと思って」

 全体的にボロが出たけど、よくスル―してくれたな。男同士の馬鹿話にあまり首を突っ込んでも仕方ない、と思ってくれたのかもしれない。

「お花見?」

 脈絡がなく、呆気にとられた。そんな僕などお構いなしに、先輩は続ける。

「ここからもう少し行った土手沿いにね、桜並木があるんだよ。これがさぁ、現実とは思えないくらいキレーなんだよ」

 桜……桜……チェリー……童貞。

 つい、不埒な方に想像が流れてしまう。

「その近くにね、教会があるんだけどこれがまた」

「……」

「んー? 黙っちゃって、どしたん?」

 おどけて顔を覗き込んでくる先輩。眩しそうに目を細めた。

 先輩はよくそうする。

 かわいくてHなお姉さん。世にある典型的な像を、これでもかと再現してくれる。

 演じているのだろう、と疑ってしまうくらいに。

 彼女は、この世界に生きている人間のように感じられない。

 笑ったり怒ったりするけど、それは心の底からの感情ではなく、そうするべきだからそうしている、そんな風に見える。

 もちろん、それに不満はない。先輩と腹を割って話すことはまずないだろうし……鞘師やトラビスとだって、僕は衝突することはないだろう。

 撫でるような、傷つけないじゃれあいだけをするコミュニケーション。

 誰かと深く心を通わせる。その熱が、僕にはないのだ。

「難しいこと考えてない?」

「それを考える頭がないですよ、単にめんどくさいこと考えちゃうだけで」

「へぇ、へぇ、へぇ」と、ボタンを押すふりをする先輩。なつかしい。

 わざとらしくてあざとい先輩が、たまらなくかわいい。

 添加物だらけのスナック菓子を食べて一瞬幸せになる。そんな関係が心地よい。

 一体、どれだけの男がこの甘ったるい笑顔に惑わされてきたのだろう。

 先輩にとって僕はそんな男たちの一人。その中に埋もれて光ることもない。

 彼女は、誰かと深く心を通わせたことがないように見える。そこに、強いシンパシーを感じた。

 僕の先輩への気持ちは矛盾している。

 強い結びつきを求めない、ということで強く共振したいのだ。

「花見なら、鞘師たちも呼びましょうよ」

 頭を整理するように、思ってもいない、先輩に気のないような言葉を口にしてしまう。

 嘘だ。僕は二人で先輩と桜が見たい。桜じゃなくていい。

 どこにも着かず、ギアチェンジをする指先をずっと見つめていたい。ただただ、そう思った。

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