irregular

四音 早野

序章

 夜も遅い、深夜といっても差し支えない時間帯。街灯も設備が悪いのか、まばらにしか道を灯さず、足元もろくに見えない。こうなったのも、水道が止められてしまったためである。

 別に金がないわけではない。暇さえあれば、バイトに精を出している。昼はコンビニで無関心な同僚と指示と嫌味だけが取り柄の店長を適当にあしらいつつ接客業務に勤しんで。

 夜は居酒屋で時にキッチン。時にはホール。またある時には終電を逃したサラリーマンからの贈り物をせっせと掃除をして。我ながらそこらのブラック企業で働いている労働者よりも働いている。

 朝は通勤ラッシュの時間よりも早く家を出て出勤することもあれば、夜は終電よりも遅く退勤することだって珍しくない。

 こんなことで体を壊すんじゃないかと思ったこともあったが、存外、自分は丈夫にできているらしい。ただ、丈夫過ぎる体は時をも忘れて仕事に勤しむため、ぶっちゃけて言えば、忙しすぎて払うのを忘れていたのだ。

 ワーカーホリックと言ってもいいぐらい間抜けな己をそれなりに恥らいつつ、水道料金の振込用紙を片手に夜道を歩く。最寄りのコンビニエンスストアは自分のバイト先であるため、行くのはぜひ遠慮したい。

 自慢にもならないが、早朝、昼勤、夕勤、夜勤、一通りの時間帯をこなしたことがあるため、バイト先全員と社会に必要なレベルの友好関係を築いてしまっているからだ。

 こんな時間に払い込み用紙片手にバイト先に向かってしまったが最後、指を指されて笑われる(主に払いに行けなかった事情で。しかも社畜呼ばわりされるシチュエーションまで明確に想像できてしまうところがまた恐ろしい)。

 だから多少遠回りしてでも、バイト先とは違うコンビニエンスストアに行かなければならないのだ。おまわりに職質されてもおかしくない装備だが、バイト先の知り合いに笑われるより、おまわりに笑われるほうがまだいい。

 だがそんな心配も後数分歩みを止めなければすぐ解消できる。ほら、その証拠に目印の地蔵の社が見えてきた。昔からこの地域に配置されていて、確か安全祈願を司っているらしい。信心深いほうではないから、それ以上のことは自分にもわからない。

 ただ今は夜だから多少の不気味さは感じていた。

 そうこうしているうちに、社の中が見える位置まで来た。この道を曲がれば、目的地にたどり着く。ミッションコンプリートだ。

 そして不意に、社のほうに目を向けた。

 なんか、いた。

 目が合った。

 瞬間、足は初動速度を超える勢いで動いていた。全身はびっしりと脂ぎった冷や汗をかいていた。漏らしていないのが幸いだ。

 そんな状態でコンビニの自動ドアなんかくぐりたくない。煌煌と照らす照明が、額どころか手足をも濡らしている汗を照らす。これは辛い。店員が向けてくる、いっそ不審者を伺い見るような白い目もだいぶ辛い。

 空調が汗をいい感じに冷やす心地よさを体感しながら、冷えたことによる体調不良を必死に演じつつ、店員にトイレの使用許可を求めた。何とか必死な様子が伝わったのか、快くトイレを貸してくれた。

 ありがとう、あんたはきっと出世するぞ。ドラム缶みたいな体型しているけども。

 何はともかく、とりあえず便座に座ってロダンの考える人のポーズをとりながら、今までの状況を整理してみる。暖かい便座が程よく人をリラックスさせる。快適だ。

 まず、小心者の自分が、最後に見た何かの様子を思い出すことから始めよう。社の中は真っ暗だった。しかし確実に何かがいた気配がした。

 気配というより、あれはそう、目だ。

 二つの目がこちらを見つめていた。猫のようないわゆるアーモンド形の目や、爬虫類のような独特な目ではなく、普通の人間の目だったようにも覗える。しかし、本当に人間なのかと考え、一瞬よぎった嫌な想像から、若干の恐怖が舞い戻ってきた。つくづく小心者である。

 信じる、信じないに関わらず、怖いものは怖いのだ。そのビビリまくりの自分のなかに、またひとつ、疑問がわく。もし本当に、生きている人間なら。

 なぜあんな、廃れかけている、俗に言うボロい祠にわざわざいなくてはならないのか。ただ、贔屓目に見ても地蔵が鎮座している祠は大きく、体を丸めれば、成人をとうに迎えた自分ですら、入らないこともない。

 体が硬いから、よっぽど頭がおかしくならない限り、そんなことはしないが。そう考えると、家出した子供か、あるいは住所不定という名のホームレスが祠の屋根の下で雨風をしのいでいるのか、俄然要らない好奇心が我先にと飛び出してくるような感覚に陥った。

 とりあえず先ほどの社まで戻ろうと思い、トイレから出て、ドラム缶店員にお礼を言ってコンビニエンスストアから出た。


 数歩歩いて思い出した。

 水道料金払ってねぇ。


 恥ずかしかった。それはもう、本当に。料金を払い忘れるのが丸わかりなのも嫌だったので、飴とかガムとか晩飯用のカップラーメン等を買ったが、まあ羞恥感たっぷりな自分の表情を見て、あのドラム缶店員もさすがに苦笑がこらえられなかったらしい。

 口角が上がりっぱなしだった。なんで出る時に言ってくれなかったんだ。いっそ同情してくれるか、気まずくなってくれた方がまだマシだ。

 やっぱりあんたは出世なんかしないぞ。あんたが出世する時は、絶対に邪魔するからな。

 いまだ赤面している顔をもらった払い込み用紙の控えを憎しみ一杯に握りつぶしてポケットにねじ込むことで少し落ち着かせて店を出た。

 空調とトイレの心地よさ以外は地獄のような天国から、茹で上がりそうなほど暑い不快感たっぷりな地獄に舞い戻った。渡る世間は鬼どころかすべて地獄である。『新番組!渡る世間は地獄ばかり』なんてタイトルでドラマが始まってしまったら視聴率などというものはこの世から消えてしまうかもしれない。めっちゃつまらなそうだし。

 まだ『しゃちく!』ってタイトルの方が売れるかもしれない。自分及び世の中の社畜がかぶりつきで見るような内容だったら素敵だ。

 ブルーレイで全巻揃える自信がある。そんな馬鹿みたいな想像をなぜ自分がしているかって、怖いからに決まっている。

 好奇心なんて、水道料金を払い忘れたあの時点ですでに雲散霧消している。モチベーション駄々下がりだ。

 もう一度言おうか。怖いです。

 さっきから怖くて馬鹿な想像しているがバックでは某貞子でおなじみの「くーるーきっとくるー」が延々とループしている。

 何とか軌道修正して面白く「クール!きっとKOOL!」と馬鹿っぽい替え歌しても今度は後ろから貞子が来てそうな気がしてならなかった。

 自分で自分を煽りに行くという新しいスタイル、マジでクール。うん、やっぱり果てしなく怖いです。

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