盲目少女の目に映らずとも、どちらの世界も同じ空

富士隆ナスビ

盲目少女の目に映らずとも、どちらの世界も同じ空

 


 ――――感じた匂いは緑と、ほんの少しの雨に濡れた木々の香り



 ――そして貴方あなたの…





「それにしてもお怪我が無くてよかった、どうなさったのですか? こんな森の中に一人きりで」



 彼の声には聞き覚えが有った。いつも私の目を治療してくれているお医者様の…けど口調がいつもとは違って硬い気がする。他人行儀、いつもはあんなに子供をあやす様に接してくるのに…これではまるで初めて会った時の先生みたい



「ねぇ先生? ここは、私はどこかで居眠りをしてしまったのかしら…? 気が付いたらいつもの病室と…」


「おや…? 君はどこかで私と…? 申し訳ない、しがない旅の医者を覚えてくれているなんて…あぁ、どうにかして思い出せないだろうか…? それに君は…"目が"」



 ――どうして?



 きっと、先生は悪い冗談を言っているんだ。私を驚かせる為に、きっと…そうでなければおかしいもの…まるで私が…私だけが先生を――



『ダメェ!! 来ないでッ!!』


「――ッ!?」



 一瞬、頭の中に流れた自分の声…冷たい足の感触…風が、私…を包んで



 "落ちる"



「どうかしたかい?」

『どうかしたかい?』



「いやぁ!! 来ないでッ!!」


「おっ…と! すまない、驚かせる気はなかったんだ、ただ…」


「あっ…ご、ごめんなさい…私こそ…」



 ――思い出した。"私は死んだんだ"



 どうせ治る事の無い私の目は、どれだけ励まされようと希望なんか生まれないのに…お母様も、お父様も、先生も、みんなみんな…"皆は見えてるクセに"


 両親の顔も、自分の顔も、空の青さも知らない。そんな私に先生は一生懸命に色を教えてくれた


 * *


『感じるかい? この香り、これが"緑"の香りだよ』


『"緑"これが…ねぇ先生、とても落ち着く。暖かい…これが"緑色"なの?』


『そう、心を落ち着かせて、目にも良い色って言われているんだ! だから…医者としては失格かもしれないけど…君にも"緑色"を…なんて』


『ふふっ…イヤだわ先生。私は目が見えないのに』


『気を悪くさせてしまったなら謝るよ…それでも今度の手術ではきっと…!』


『ううん、ありがとう。それに…』


 ――先生も"緑色"よ?




『…やっぱり、治らなかったのね』


『まだ…まだ諦めちゃダメだ! それに今の医療技術ならあと少しで――』


『いい加減にしてッ!!』


『人を実験台みたいに、何が次こそは…今度こそは、必ず、絶対に…嘘つき!!』


『みんな嫌い! みんなみんな嘘つき!! 私の事なんかどうだっていい! 聞こえの良い事ばかり言わないでよ! 私はっ…私の目は…』


『――"もう、治らないんでしょう?"』



 気付いてた。でも、気付かないフリをしていた。そうすれば私が辛いだけだから

 私の周りの人達は明るく振る舞ってくれる。どうせ治らない私の為に

 希望を持つふりをしていれば皆も希望を持ってくれると思っていたから


 治らないと知っていても、頑張って生きてきた

 生きているだけで、他の人より頑張っていた

 手術をする為に、他の人より頑張った




 "どうして私だけ?"




 私は目が見えていないのに、皆は見えているんでしょう?

 私は辛そうな顔をしていなかった?見えている筈でしょう?

 それなのに、まだ私は頑張らなきゃいけないの?

 もういいって言ってよ…

 頑張らなくていいって…



『どうかしたかい?』


『…先生』



 ――この時だ。これから私、死ぬんだ



『先生…この間はごめんなさい…』


『術後は誰だってナーバスになるものだよ。気にする必要なんか無い』



 ――私があんな風に思ってるのは、手術後だけだと思ってたんだ



『ねぇ、先生…少し外の風を浴びたい』


『分かった。今日は私も終わりの時間だから少し遠くに行ってみようか?』


『えぇ、嬉しい』



 ――感じた匂いは緑と、ほんの少しの雨に濡れた木々の香り



『"緑色"』


『あぁ、そうだよ! "緑色"の匂いだ』


『この道の先は、どうなっているのかしら?』


『この先は崖になっているよ。とても高さが有って、その下には川が流れている』


『危ないのね』


『そう、もし落ちてしまったら』


 『きっと助からないだろう』

 ――きっと助からないだろう



 * *



「とりあえずはここで良いかな…? それにしても、自分の家も分からないとは弱ったなぁ…」


「ご迷惑をおかけしてすみません…」


「とんでもない! 不安なのは君の方なのに、気を遣わせる様な事を言ってしまって…申し訳ない」



 本当に私の事を知らないんだ。これは先生の様で、先生とは別の人。きっと死後の世界と呼ばれる場所なのだろうか?最後まで…本当に最後の最期まで想い続けたあの人の事を、きっと神様は私の前に作り出してくれたんでしょうね。でもそれなら、目も見えるようにしてくれたら良かったのに…なんて


 生きている間に見えていなかったんだから、死んでから急に見えるなんて事も無いでしょうに…死んでからも不公平。それは本当の意味でも平等なのかもしれないけど



 ――叶うなら、たった一度だけでも彼の姿を



「この先に私の診療所が有るんだ、とりあえずはそこで診てみよう」


「は、はい。あのぅ…一つお聞かせ願えませんか?」


「えぇ、構いませんよ?」


「今の空は…どんな色をしていますか?」


「…それは、お教えする事は出来ません」


「・・・・・・」


 ――あぁ、やっぱり



 * *



『先生、先生だったらこの先の道を飛び越せるかしら?』


『それは絶対に無理だよ! だって向こうに渡るには百歩でも足りないくらいだ!』


『そうなの、どうしてそんな危ない所を塞がないの?』


『自然は凄いんだ、塞ごうとしてもとても危険で、リスクが有る』


『そう、私の手術にもリスクがあったの?』


『あぁ、もちろん。もう二度と、見えなくなるかもしれないリスクが』


『・・・・』



 ――もう二度と?今でも、これからも、"死んだとしても"見えないのよ?



『ねぇ先生。もしも私の目が見えていたら、私とお付き合いしてくれていた?』


『えっ!? な、なにを言うんだ急に!』


『知りたいの。本気よ』


『…君がそうしたいと言うならね』


『そう、とても嬉しいわ』



 ――とても優しい"嘘だった"


 どうせ一生見えないままなのだから、少しでも希望を持たせるために言ってくれた、いつもと何も変わらない。いつもより少し暖かいウソだった


『ねぇ先生、緑色以外にも、赤色とか、青色とかあるんでしょう?』


『あぁ、"青色"は少し冷たげで、"赤色"はとても熱そうで…』


『じゃあ…』


『"空は何色なの?"』


『それは…ふふっ、君の目が治った時に確かめるとしよう』



 ――結局、教えてくれなかったわね


 水の流れる音がする。もう十歩も歩いてしまえば届きそうなほど近くから。でもきっと届かないほど遠く、"深くからの音"そこに行ければ私はこの苦しみから解放されるんだ…もう、迷う必要はなかった。


 繋いでいた先生の手の温もりだけは忘れないように、最後にしっかりと握ってから私はその手を振りほどいた。そして数歩前に進むと先生の声が聞こえて


『ダメェ!! 来ないでッ!!』


『来たらここから飛び降りるから!!』


『やめるんだ! そんな事したら、君のご両親が…』


『嘘ばっかり!!』


『やっぱり…嘘…私のお母様とお父様と…』




『"貴方あなた"にも悲しんで欲しかったのに…』




 * *



「さぁ、座って。少し待ってて、今拭く物を持ってくるよ」


「ありがとうございます…」



 病院の匂い。懐かしいけど…ずっとは嗅いでいたくない。あの日々を思い出してしまうから

 自暴自棄になって、他人に迷惑を掛けて…自分だけが辛いと思っていたあの日々を

 お父様もお母様も、裕福な訳では無いのに一生懸命に働いて…それでも私を病院に通わせてくれていたのに…


「ごめんなさい…」


 どれだけ謝っても償えないほどに…あなた達にいただいた人生だったのに…私の喉から絞り出した声は、もうあなた達には届かないのに…会いたい…お父様に、お母様に…



 "先生に"



「…泣いているのかい?」


「あっ! いえ…目にゴミが…すいません…」


「少し、目を触るよ…?」


「えっ、あの…」



 "暖かい"先生の手と同じ様に



「こうすると楽になる。二、三日は包帯を巻いておこう」


「大丈夫、きっと良くなるよ」


「…はい、ありがとうございます」



 もう"嘘吐き"と叫ぶ言葉も出なかった



 それから数日の間、この先生との生活が続いた。病院での生活を追体験しているみたいで、嬉しくて、でも本当の先生じゃないんだと思う度に悲しくて…でも、安心した


 ――そしてある朝



「さぁ、こっちへ、包帯を取るよ?」


「あぁ、はい!」


 そうだ、包帯なんか巻いてたんだった。元々視えてないんだから気が付かなかった

 でもお陰で気付かれないように涙を流す事も出来た

 包帯を取ると少し瞼に痛みを感じた、日の光を浴びてなかったからだろうか?少し目の奥が痛む



「目を開けてごらん?」


「目を? もう、開けています」


「いいや、君は今もずっと、目を瞑ったままだよ」


「そんな、私は産まれてからずっと…」


「少し"眩しい"かもしれないけど、我慢して」



 ――眩しい?



 先生が私の瞼を引っ張ると、真っ暗だった視界が急に失われた


「痛いッ! 何をするんですか!?」


「よく見るんだ! これが"君の世界だ"」


「何を言って…!」


「僕の事を見るんだ"アイリ・フォン・アイリッシュ"」


「――――えっ?」



 確かに今、私の名前を…?どうして…?そうか、ここは私の精神世界…だから



「僕も…君と同じ様にバカな選択をした。君の後を追って崖に身を投げたんだ」



 私もそう思いたかった…もしも、後を追ってくれたらなんて



「目が覚めたらこの世界を彷徨って、それから十五年が経った…右も左も分からないままに、それでもただ君の事が忘れられなくて…誰かを治す事で君の為の贖罪をしているつもりだった…」



 もう、自分の頭の中でストーリーまで作ってしまって…哀れな女



「だから目を開けてくれ"アイリ"」


「君の目は…もう"えているんだよ"」



 身体の力が抜けた。すると先程の様に黒い視界が、少しずつ…奪われて



「先生…?」


「あぁ、僕だよアイリ…やっと会えたね」



 目の前の"物"を触れると、先生の"顔"だと分かった

 自分の視界の端から伸びている"物"が自分の"腕"だと分かった

 これが"脚"ここが"椅子"触れていた物にはそれぞれ馴染みのある触り心地

 見慣れない"色"がそれぞれ付いていた



「外に出てみよう。"あの日の答え合わせ"をしよう」


「答え…合わせ…?」



 外に出ると、そこは一面"緑色"だった

 とても落ち着く…暖かい…これが"花"なんだ

 顔を上げるとそこには"緑"よりも"大きな色"が満ちていた



「これが、"空の色だよ"」


「空…これが…」



 想像していたよりも何倍も何十倍も大きく、そして


 "高かった"


 あんな所から私は落ちてきてしまったの?と聞くと先生は少し驚いたようにして笑った。


 "あぁ…僕達はそうかもしれないね"と



 それから先生の話を聞かせて貰った。

 まさかこんな所で出会えるとは思っていなかったが、自分と同じ様にもしかしたら…と最初の数年は思っていたらしい。いつからか忘れてしまっていたと

 最初に見つけた時は誰だか分らなかったと、それでも声を聞く度に、話している内に段々と記憶の鍵が開かれて――



「空の色は…君自身に見て欲しかったから」


「そう…ねぇ先生、これは何色なの?」



 そう聞くと先生と私は何時間も"空の下"で色の勉強をした



 今の空は"青色"

 私の髪は"金色"

 先生の髪は"黒色"これはいつも見ていた色だ

 そうしていると空は"赤色"になっていた



「先生、どうして空は色を変えるの?」


「僕にも難しい事は分からないんだ…でも、そうだな…」


「"これが空色だから"じゃないかな?」


「赤でも、青でもないの…?」


「そうさ…だから僕は、あの時の君に伝えられなかった…」


「…その時の空は、何色だったの?」


「あの時の空は――」



 * *



 キラキラと光っているそれは星なのだと教えてくれた


 私の目の前と同じ"黒色"だった空


 それなのにこんなにも綺麗だと思えるのは星が有るからだろうか?


 本当は私の目の前にも…この星の様に光り輝く沢山の人が居てくれたのに


 見えなかったのは目だけじゃなかったんだ…そこに確かにいてくれる人の事も見えなくなっていた


 今隣に居るのが先生なんだと見る事は出来ても、見なくたって感じられる。目に見える事だけが全てじゃないと、目が見えてから知る


 あの時感じた貴方の匂いも、確かに今の貴方と同じだった


 じゃあ、この世界の空も、私たちの居た世界と…?



 ――先生、もしも私の目が見えていたら


 あぁ、覚えているよ


 ――そう、とても嬉しいわ



「今度は嘘じゃなくて、本当よ」



 抱き寄せられたその先に、確かに貴方あなたを感じられた


 目を瞑っていても分かる、確かな"緑色を"――




 -Fin-


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