第2話 目覚めた俺とそこにある過去

「おー、目が覚めたか」

 

「うわぁっ‼︎ なにこれなにこれ!」

 


 新手のドッキリかと思った。

 なにせ目を開けたら目の前に、寝ている俺を覗き込む俺の顔があったのだから。


 硬いソファーから飛び起きた俺は、周辺を不自然なくらいキョロキョロと見回す。

 いや俺にとって不自然なのは周りの景色の方だが……

 


「あー、起きたん? やっぱ頭打ってたんだねぇ二色くん」

 

「いやぁそれにしても失礼ですよね。

 錬次のやつ、売り場で俺の顔見た途端とたん卒倒そっとうしたんですよ? 

 俺が松本さん見て倒れたらどうします?」

 

「そりゃあねぇ、あんたを二度と目覚めなくさせるに決まってるよねぇ」

 


 楽しげな会話が響くこの場所は、やはり三年間世話になった休憩室で間違いない。

 月間目標が書かれたホワイトボードも、番号札の付いてるロッカーも、全部馴染みのあるものばかりだ。

 そして低いテーブルを挟んで座るそこの二人は、先輩社員の松本さんと………どう見ても若い頃の俺だ。

 


「どうした錬次? 鳩が豆鉄砲を食ったような顔してんぞ? 

 もう二ヶ月以上一緒に働いてんのに、俺の顔忘れたのか?」

 


 忘れるわけあるか。こっちは二十八年間もその顔の成長過程まで見てきたんだ。


 それよりもなぜか俺がこの場所に居て、俺の目の前にもう一人の俺が居るこの状況、どうやって飲み込めばいい……。

 しかもさっきから気になってたが、この店で一緒に働いてた錬次と言えば、当然あいつしかいないんだ。


 なぜ俺がその名前で呼ばれてる……?

 


 ソファーからゆっくりと立ち上がった俺は、静かに深呼吸をする。

 これからなにを見たとしても、もう驚いて倒れたりしないためだ。

 休憩室に居る二人は不思議そうに眺めているが、最早そんなことはどうでもいい。


 受け止める決意と覚悟を決めた俺は、出入口の隣にある鏡に向かって歩き出す。

 



二色錬次にしきれんじ……に、俺がなったのか?」

 


 そこに映っていたのは、出会った当初の短めの髪をした友人………いや、親友と呼べる男だった。

 いかにもアパレルスタッフらしい爽やかな外見で、知識や接客スキルも飛び抜けている。

 この男と働けたから、俺は上を目指す気になれたと言っても過言ではない。


 しかしあの日、妻と手を繋いで歩いていた男もまた………

 


 状況を整理する。


 俺は結婚記念日に、妻の目の前で車に撥ねられた。

 その後目が覚めたらなぜか過去に働いていた店におり、今のところ出会ったスタッフもその当時のままと、プラスアルファの自分。

 本当の俺はそこに居る壱谷千智いちたにちさとのはずだが、なぜか今の俺の姿は二色錬次にしきれんじになっている。

 つまり導き出される結論は……


 交通事故で死んだ俺は過去の世界に戻り、妻の浮気相手に生まれ変わった⁉︎

 


「二色くーん、ホントにダイジョブかぁ? 

 具合悪いんだったらあたしから店長に言っとくから、今日は帰ってもいいよん」

 


 衝撃の事実にグッタリと肩を落とし、鏡の前で頭を抱えている俺を、松本さんが軽いノリで心配してくれている。

 松本さんは十歳くらい年上の社員だが、面倒見が良くてみんなから人気があった、小柄な独身女性だ。

 彼女の送別会では俺も泣いたっけ……

 


「すみません松本さん、頭痛と吐き気が酷いので、早退させてもらいたいです」

 

「あいよぉ! 行けそうだったら病院行ってね」

 


 調子が悪いのは本当だ。理解不能な状況下に放り込まれ、正気を保っているだけでも頭が痛い。

 行って解決するなら病院にも行きたいが、過去の世界の同僚に転生しましたなんて言えば、心療内科か精神科にでも回されてしまいそうだ。

 いやむしろ本当に精神障害の類いなのか?

 それにしては未来の出来事を知ってるなんて、特殊能力過ぎるだろ……。

 


「たまにはゆっくり休めよ。錬次は相当頑張ってたし、疲れが溜まってるんだろ」

 

「あぁ、悪いな。先に帰らせてもらうわ」


 

 まさか昔の自分に挨拶をして帰る日が来るとはな。

 



 休憩室を出るとすでに店内は賑わっていて、チラホラと懐かしい顔も見掛ける。

 売り場の至る所に新店オープンの文字があり、まだ大杉店が開店して一週間程度の時期だと把握できたが、俺はその賑わいから逃げるように店を後にした。

 さすがに今の精神状態では、他人とまともに会話をする余裕がない。

 


 商業施設のビルから外に出ると、景色の何もかもが懐かしく思えて少しだけ嬉しくなった。

 仕事後によく行ってたラーメン屋も、飲み会後の溜まり場にしていたカラオケ店も、全てあの頃のままだった。いや、今から考えればこの先の未来に起こるのか。

 


 気を取り直して歩いていたのだが、駅に着いたところで俺はフリーズする。どこに帰れば正解なのかが分からない……。


 当時の俺は安いアパートで一人暮らしをしていたが、間違いなく後程のちほど仕事を終えた俺が帰ってくるだろう。

 錬次も一人暮らしだったけど、体がこれでも他所様よそさまの家に行くみたいでなんだか気まずい。

 そもそも財布やスマホがちゃんとあるのかすら、確認していないではないか。

 慌てた俺はすぐにカバンの中をかき回し、一応生活に必須なものが揃っていることは分かった。

 だがカバンのポケットに入っていた鍵を見て思い出す。

 


「そう言えばあいつ、よく原付きで通勤してたな……」

 


 俺は駅までの道のりを引き返し、近くのバイク置き場までは到着したが、錬次のバイクはどれなのかという難題を前に泣きたくなっていた。

 かすかに残っている記憶の中で、色や形を基準に十数台に絞り込み、人が居ない隙にキーを挿して確認すること三十分。


 めちゃくちゃ怪しい行動を繰り返したが、なんとか発見した慣れない原付きを運転して、無事に錬次が住んでいたマンションに到着出来た。


 ここへは何度か遊びに来たこともあるが、やはり他人の家に居る感覚はぬぐえず、あんまり落ち着ける気分にはなれない。

 これから毎日こんな生活になるのだろうか。



 それとも寝て起きたら元の俺に戻っているとか、そんなパターンか?

 

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