喪失感

 チームカーに戻り、全員が集まった所でダイチが皆を集めて事務的な話をした。

「お疲れ様。残念な結果になってしまった。プティは今病院できちんと検査中だが、おそらく鎖骨と肋骨の骨折だという事。怪我は深刻な物ではなさそうなので一安心だ。レースはあと三日間ある。夕食迄の間、ホテルに入ってしっかり身体をケアしておくように。あとはミーティングで話す。準備出来次第出発する」


 皆に話をした後、ダイチはソラを呼んだ。

「オレはこれからプティの病院に荷物を届けてからホテルに行く。少し遠回りになるけど、大した距離じゃないから、ソラも一緒に来い」

 ソラは夢遊病者のように、ただダイチの指示に従った。


 ソラはダイチが運転する車の助手席に乗ったが、病院に着く迄、一言も話さず、窓の外をぼーっと眺めていた。その目は虚ろだ。ダイチはソラの様子を気にしながらも淡々と運転し続けた。


 プティは一通りの検査を終えて病室に寝ていた。ソラを従えたダイチが病室の入り口で声を掛けた。

「プティ、入るよ」

 ダイチはソラの服を引っ張って、付いてこいというように、プティから見える位置に回り込んだ。

 プティが先に口を開いた。

「ソラ、すまない。今日迄ありがとう」

 ソラの目から堪えていた物が溢れ落ちた。

「すまないなんて言うなよ。プティが一番辛いのに」

 プティはちょっと笑った。

「お前が泣くな。ソラ、お前、明日はステージ獲れるぞ」

 ソラはうつむいたまま小さな声で言った。

「ステージなんて獲れないよ」


 ダイチはプティと必要な事をいくつか確認し、「さあ、いくぞ」とソラに言った。ソラは俯いたままダイチに付いていった。出口でプティを振り返って「早く良くなってね」と言った。


 車に乗り込んでから、ソラは相変わらず虚ろな目をして外を眺めていた。

 沈黙の中、ソラがボソッと言った。

「エースを失う事がこんなに辛いなんて思ってもみなかった」

 その一言をきっかけに、ソラはせきを切ったように話し出した。それはダイチに向かって、というよりも、ひとりごとを言っているような感じだった。


「エースを失う場面、沢山見てきた。落車だったり不調だったり。ダイチさんも何回か経験してるでしょ? そんな時、僕は不謹慎にも、ちょっとラッキーだって思ってしまってた。ダイチさんにチャンスが来た! って。だって、ダイチさんにだって逃げるチャンスやステージ優勝するチャンスがあるのに、絶対的なエースがいると、エースを守る仕事を優先しなきゃならない。それは大切で尊い事だけど、やっぱりどこかで歯痒さを感じていたんだと思う。

 いつかのレースで、ダイチさんのチームのエースがリタイアしてしまった日に、ダイチさんにマイクを向けられた時の事を鮮明に覚えてるんだ。「これで自由に動けるんじゃないですか? 活躍期待してます」インタビュアーがそう言った時、ダイチさんは見た事ないような怖い顔をして、さっさと立ち去ってしまったんだ。確かに不謹慎な言葉だと思ったけど、僕もそんな気持ちがあったから、あの時、ダイチさんに思い切り怒られた気持ちになった。でもチャンスはチャンスだしってずっと思ってて。

 今日、初めて分かった。あの時のダイチさんの気持ちが」


 ダイチは前を向いたまま運転していた。

「辛いな。今回は特にターゲットを一つにして皆で団結してたし、長年の最大の目標が手に届きそうな所迄来ていたし。でもな。ソラがずっと思っていた通り、チャンスである事は確かなんだ」

 静かにそう言うダイチの顔を見て、ソラの口から「え?」という小さな声が漏れた。また何か悲しくなって外を見続けた。会話はそこで途切れ、沈黙のまま車はホテルに到着した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る