絵画?自己性愛者の憂鬱

 ある晴れた昼下がり。

 腕に包帯を巻いた禿頭の男が奇妙な目をレンドに向けていた。ヘルニアからの怪訝な表情に気づいた彼は、ふてくされた顔で、真意を問いかける。

「いや、がしなくなったなと思いまして…」


 思わずドキリとした。ヘルニアが診療に来たのは数日前であり、ちょうどサキュバスを匿っていた頃だ。あの時は何も言わなかったが、いなくなったことで逆に不信感を抱かせたのだろう。


「あの匂い、ドクターの魔術道具ですか?」

「あ、ああ。そんなところだ…。だが、お前そんなに鼻が良かったか?」


 レンドの問いかけに、恥ずかしそうに笑いながら答えた。


「自慢に聞こえるかもしれませんが、傭兵としてはそこそこ強いほうでしてね。悪魔狩りに呼ばれることだってありましたよ。この間は、その時の感覚を思い出しましたよ。」

「そうか。なら、不快な思いをさせたかな?」


 悪魔や神に恨みを抱く人間は多い。彼らはその超常的な力によって驕り、自由気ままにふるまうからだ。

 老人の前では誤魔化すように無表情を貫いていたが、その心内は仄暗い。悪魔と関わりがあることを吹聴したいわけではないが、それでも救いきれなかったサキュバスのことを思えば気分も沈むというものだ。


「いえいえ、先生の魔術に使うってんなら危険はないでしょうから。」


 思わずひきつった笑みを返す。ヘルニアからの押しつぶされるような期待や信頼と、あのサキュバスの結末を思えば、何度目かわからないほどため息が出る。


 いつもより早めに治療を切り上げると、追い払うようにヘルニアを帰らせる。このあとに予約を入れている患者がいるからだ。


「本人からの症状は勃起不全か…。わざわざ俺を頼るほどの病気とは思えないがな」


 シルヴァやスズには、今日一日診療所に入らないように厳命している。といっても、医者であるシルヴァは男の下半身など見慣れているだろう。あいにく、二人には経験がはないが、医療としての知識は当然ある。


 奇病や難病を専門としている彼にとっては、あまりなじみのない病だった。が、患者であれば誰でも見ることを信条としているレンドの中で、診療を断るという選択肢はない。

 もしかしたら突拍子もない奇病であるかもしれないのだから。


 予約時間の五分前に診療所の扉はノックされた。

 事前の連絡時はもう少し慌てた様子であったが、今は落ち着き払っっている。日が空いたことで、高ぶった感情が制御されたのだろう。


「お初にお目にかかります。私はナルキッソス。貴方がDr.マギカでしょうか?」


 出迎えのために扉を開けると、レンドは唖然とした。

 自分の目の前に立つ男が、あまりにも美青年であったからだ。柔らかな栗色の髪、細く透き通る目元、きれいな曲線を描く鼻立ち、薄く微笑む口元からは宝石のような白い歯がのぞいている。中性的な顔立ちでありながら、きれいに鍛えられた黄金の肉体美を有しており、美の男神と言われても納得できてしまう色気を纏っていた。


「……は、はじめまして。Dr.マギカだ。」


 嫉妬という次元を超えて尊敬を抱かせるナルキッソスを前に、言葉を失う。本来ならば処置室に案内するべきなのだが、茫然としたまま動けない。

 まじまじと彼の顔を観察し続けるレンドに耐えかねて、ナルキッソスが呼び掛けた。


「あ、ああ。すまない。診察は向こうで行う。」


 処置室に入り、防音の魔術を唱えると、開口一番ナルキッソスは

「先生、女の子とえっちしても、勃たなかったんです。調べてください!!」

 と叫んだ。


「おちつけ…。まずは状況を教えてほしい。」

「はい。ついこの間、彼女とそういう流れになって、僕も初めてで緊張していました。けど、興奮はしていたし、勃起もすると思ったんです。けど、ベッドの隣にある鏡を見たら、彼女以上に美しい女性を見かけたんです!!」


 彼が言うには、それ以前は普通に機能していたという。射精や勃起状態も正常であり、恋愛や性愛の対象は女性のみだ。異常な性癖と呼べるものはなさそうだ。


「気になったのは、鏡の女だな。そこに鏡があるが、見えるか?」

「…いえ、見えないです。僕とドクターしか写っていない。」


「なら、その時はどうだった?裸姿の彼女と、自分と、鏡の女が写っていたのか?」

「えーっと…。確かその時は、鏡女だけでした。」


 ナルキッソスの言葉に頭を抱えた。

 彼自身の性自認は男であるし、性愛の対象も女。今の彼女とは現在も交際を続けており、調子が戻れば、今度こそ行為に及びたいと考えていると、ナルキッソスは告げる。


「見たところ、魔術や呪いの類ではないな。ふうむ。強制的に勃起させる呪いもあるが…?」

「うーん。市販の精力剤なんかを飲めば、勃起はするんです。けど、女の人の顔を見ると途端に萎えちゃって…。逆に鏡を見ると興奮するんです。」


 まさか彼女との行為中に鏡を見続けるわけにもいかない。ましてや、彼の中で抱いているのは鏡女ということになる。それでは相手もいい気分にはならないだろう。

 そういった患者を診た経験の少なさから、別な意味で難しい病であった。


「カウンセリングと言っても、原因はわかりきっている。問題は鏡女が何者かという話だ」

「どこかで見たような気がするんです。僕と同じ栗色の女性なので、故郷ですれ違ったことがあるのかもしれません。ただ、生まれも育ちも日本なので向こうの人と出会う機会は稀なんです。」


 両親の都合で、母のお腹にいる時から日本に住んでいるという。両親の里帰りで祖父母の家に遊びに行くことはあったが、親戚は男ばかりで、美し女性と出会った記憶はない。


「とりあえず、実際に見てみよう。魔術による強制興奮だと、どんな影響を与えてしまうか未知数だ。すこし恥ずかしいかもしれないが、自発的に発情してほしい」

「え…。わ、分かりました」


 レンドとて、ナルキッソスのそんな姿など見たくはない。しかし、これはあくまで医療行為。誓って言うが、彼の趣味ではない。


「こんなに疲れる患者は初めてだ…。」


 ため息をついて、青年の行動を見つめる。

 しばらく局部をいじっていると、興奮しているのか反り立ち始めた。すかさずモデルの写真を目の前に出すと、盛り下がったような無表情になる。

 カルテにメモを残した後、鏡を向ける。立てかけた鏡を食い入るように見つめたかと思うと、手の動きが加速した。Dr.マギカ的には気まずいことこの上ないが、ナルキッソスの頭には恥じらいが抜けきっているらしい。


「…い、おい!!」

「は…え…?」


 鏡を見たDr.マギカは驚く。と、同時に合点がいった。


「鏡には?女なんてどこにもいない」


 シルヴァが作ったカメラという機械を魔術化させた、映像模写魔術によって転写された紙には、美しく淫靡な表情で、鏡越しの自分自身に発情するナルキッソスの姿があった。


「ど、どういうことだ…?」

「一種の自己性愛ナルシストというやつだ。お前は自分自身が好きすぎて、鏡の自分が美女に見えていたんだよ。その女々しい顔も相まってな。」


 今度は彼が頭を抱える番だった。


 治療そのものは簡単である。幸い、興奮状態でなければ鏡の自分をきちんと理解できているので、限定的な脳障害である以上、体に負荷のかからない魔術での治療は可能だ。


「俺の手に掛かれば、小児性愛ペドフィリア近親相姦インセストであろうとも治せる。所詮人の感情は脳信号の伝達だからな」


 だが、レンドの声を無視してナルキッソスは笑い出した。そして、気が狂ったかのように踊りだす。


「僕は…美しすぎる!!存在が罪なのだ!!」


 そういって、診療所を出ていった。なお、診察費は後日払いに来た。



「ドクター!!お久しぶりです。」

「ああ、この間の。」


 しばらくたって、レンド達が家族で買い物に出かけていると、百貨店の店先でナルキッソスと出会った。髪の毛を黒に染めており、隣には淡いブロンド髪の女性と手をつないでいた。


 ナルシストを自覚したことで、吹っ切れたのか、彼女ともども派手な衣装を身にまとっている。

「これから、湖のほとりで『僕』を眺めに行くんです。」

「彼、とても格好いいでしょう。だから、反射する『彼女』と三人でデートなんです!!」


 そういって幸せそうに立ち去る二人を見て、レンドは特大のため息をついた。


「女はああいうイカレている奴が好みなのか?それともあの女もイカレてるのか?」


 望むなら、来世では色恋に困らない美男に生まれ変わりたいと願うレンドだった。


「あなたの顔は意外と私好みなのよ?」

「おとうさんは、ちゃんとすればかっこいいと思う」


「……まぁこの顔も悪くはないか?」


 ……To be continued

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