第5話 融解


 その青い軌跡を追いながら、先ほどの会話を再開する。別に涼も結構平凡な名前だが。そして詩丘という苗字こそ、ここら辺では聞かない。


「学校までの辛抱ですよ」

「実は、私は割と快適だけどね」

「そりゃ私服ですんで、そうでしょうよ」

「いいでしょ、着てみる?」

「いや、よしときます」


 自分リョウを感じられる場所か。これからの道程にそんな場所ないのは、毎日登校してる俺が一番、知っているが。代わりに道に大きくせり出した木々が落とす木陰に沿って歩いてみる。うーむ、焼け石に水。陽でうららかな坂を下り高架下を、『ここ、冬、ツララが出来て危険らしいですよ』とか教えながら抜けて、ため池に差し掛かった。


 いっそ飛び込んでしまおうか。


 いかんいかん。熱暴走だ。と、そんなこんなで、池を過ぎる。この藻で翡翠色の貯め池から、少し歩くと最後の坂道。これでようやく登校から解放されるんだ、とか歓喜していると、急に耳鳴りがした。ニイニイ蝉の鳴き声と共に、耳がグワングワングワン、揺れる。その反復に気を取られ、道の段差、アスファルトが割れたその段差、に気づかない。


「ぐわぁ」

「あ、危ない」


 パンッっと、つまづいた、俺の胸板を思いっきり叩くように、詩丘さんが回り込んで、支えてくれた。そのまま、


「大丈夫かい。さっきから具合悪いけれど。—————— 今日は暑いし、熱射病だね。休んだら? 蛙みたいな声出てたよ」


 どうやら俺は体調がすぐれないらしい。断定されたので間違いない。詩丘さんの言うことは、絶対! の言うことは絶対! 絶対! 絶対!絶 …! …対………。


「大丈夫です。ほら、回復、回復、ワンナップ」

「やっぱ休んだら? 変だよ」

「心配してくれるのは有り難いですが、今日休んだら、部活の関係で、文化祭の、みんな集まるの、三日後なんすよ。それに、こういうのと終わらせたいタイプなんで」

「そうかい、なるほど。君は確か、今回の”主人公”だったね。でも無理は禁物さ。それに夏休みは始まったばっかりだ。時間ならたくさんある。たかが三日」

「されど三日です」


 別に無理してないんだがなあ。過保護だよ過保護、過保護。あんたは俺の保護者か、そう思わなくもない。しかし言葉だけは、受け取っておこう。


「もしかしてさ、調子悪いのは、伏線だったりするのかい?」


 両手を、俺の肋骨の中央に添えたまま、そんなことを尋ねる。ずっとその体勢のままで辛くないんだろうか、と体重を預けながら他人事のように思った。


「伏線? ……………… 伏線って、あれですか、虫の知らせみたいな」


 なら違う、そんなのオカルトだ。現実と相容れない。伏線だってそう。現実と相容れない。


「そうともいうけど、因果関係の因、と言った方がここでは正しいね。紙川君の言い方だとまるで根拠のない予感に聞こえるからさ。ここら辺、私、うるさいよ」

「そうですか」


 『そうですか』、とは言ったものの、何故うるさいのか、虫の知らせじゃダメなのか、全然理解していない。よくわからない人だ。この世界は小説でもドラマでもないから伏線もクソもないのに。あの立ち眩みは伏線でも何でもないね。断言しよう。因果関係は現実でも存在するが。


「そうだよ、主人公君」


 —————— 主人公君。


 その言葉と同時、詩丘さんは俺を突き放すように、両手に力を込めて押し返す。よろけることはなかった。けれど体は元の位置には戻らなかった。前へ進みだしたからだ。

 主人公君。なるべく前に出ない後方支援型の俺としては、主人公という役を務めるのは初の試みだったりする。そして、これで最後だろう。前に出ること自体、ソーラン節を踊って以来だ。誤解を生みそうなので補足をするが、主人公ってのは”秋の文化祭” での話。だって、この世界は作り物じゃないから主人公なんてのは、以外ありえないだろ。

 んで、その出し物、秋の文化祭のの出し物、それは俺のクラスに限れば自作映画のことを指すのである。


 1,鼻が痒いので拭う。

 2,汗が垂れてきてた。

 3,内側から燃えるようだ。


 これからの道を確認すると、そこには曲がりうねった通学路が続いていた。蝉の鳴き声が遠く、右の雑木林は風を含んで涼しげに、影でまだらになった径へ、たおやかに膨らんでいく。左の竹林はさざめき、可視化された風の波が迫って来る。そのさざ波は、蒼穹まで届くようだ。

 

「絵に描いたような田舎道。こんな通学路、あったらいいな」


 ノスタルジィを刺激され独りごちる。に詩丘さんが応じた。歩行しながら木々を指を指して、こんなふうにである。


「そこにあるじゃん」


 まったくもってその通り。まっとうな指摘であった。


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