第4話


 †


 アイファ・メルトリア。

 それが、前世での私の名前だった。


 メルトリア王国が第一王女。

 人よりもずっと魔法の扱いに長けていた事から、国の旗頭にまで担ぎ上げられ、そして、隣国の王子であったクラウスと婚約を結んでいた王女。それが、私だった。


 メルトリアの魔女。

 そんな呼ばれ方をするくらいには、あの戦争は活躍してたと思う。


 アイファ・エクタークとして二度目の生を受けた時、五百年前の文献に私が載っていた事は本当に驚いた。しかも、誰が残したのか、メルトリアの魔女って書かれてた。文献を思わず引き裂こうかと考えたのは私だけの秘密である。


「……相変わらず、凄いわねアイファの魔法は」



 ————〝インビジブル〟————。



 それは五百年という時を経て、廃れてしまった魔法。激化する戦争に勝つ為だけに各国の首脳陣が練りに練って編み出した魔法の数々は、それはもう規格外と呼べるものが大半であった。


 この、〝インビジブル〟もそうだ。


 効果は、四半刻もの間、魔法を付与された対象の存在をある条件下を除いて完全に知覚不能にするというもの。


 親友の兄を助ける為であれば、使い惜しみをするつもりはないけれど、私のせいで廃れた筈の魔法が蘇る。なんて事はあってならないので特に昔の魔法はあまり使いたくはなかった。


「……凄くないよ、私は」


 人を殺す為に作り出された魔法を扱える事の、何が凄いのか。

 一瞬にして脳内を埋め尽くす慚愧の念。後悔と、苦悩と、悔恨。それらを含んだ過去の記憶。

 鮮明に蘇る汚穢の記憶は、私を苛んだ。


 思わず口にしてしまいそうになる自責の言葉を必死に呑み込んで、自分自身を取り繕う。


 一応、暈しながらも打ち明けた事には打ち明けたけど、あの昔語りに対して何も言おうとはしないメルの気遣いに感謝しつつ、私は普段と変わらない笑みを意識して浮かべた。


 そうこうしてる間に私は轟音響く現場へとたどり着く。その時既に、〝インビジブル〟の効果は切れていた。


 響く轟音と痛苦の声。

 戦争を想起させる音の数々を前に、表情に険を刻みながら私はメルと共に足早に足を進ませた。



「————何で此処に二学年の人間がいる……!!」


 それは、私達の姿を確認した教員の怒号だった。


 魔法学院では一学年、二学年、三学年と着衣する制服が違う為、その者の学年がひと目で分かるようになっている。

 だから、すぐに看破されてしまっていた。


「早く戻れ!! っ、たく、学院に残ってる連中は何をやってんだ……!!」


 毒突きながら乱暴に言葉を吐き捨てる教員の身体には幾つもの傷が見受けられる。

 それが、どれだけこの場が危険であるのかを示していた。


 でも、その脅威は。その怒声は、私達からすれば、逃げ道を塞ぐ言葉にしかならない。

 それだけ脅威であるならば、尚更助けなければ。そんな感情が増幅されるだけ。

 逆効果でしかなかった。


 しかし、教員の怒声を聞きつけてか。

 私達の下に、更に二人の教員が駆け付けてきた。


 教員の一人が私達を学園まで送り届ける。


 そして早口に交わされる会話。


 どうにか未だ視界に映り込まないメルのお兄さんの加勢に向かいたい。そう願う私達の想いとは真逆の方向に話が進もうとしていたその時、彼らの会話に割り込むように私は口を開いた。


「————私達にも、手伝わせて下さい」


 一瞬にして、彼らの視線が私に集まる。

 続くように、メルも「わたしもお願いします」と声を上げた。


「……魔法をロクに使えないお前に、手伝える事は何もない」


 教員の中に私の事を知ってる人物がいたのだろう。この場において、魔法を使えない人間は荷物でしかないと事実を突き付けられる。


「魔法なら……使えます」

「試験の際に頑にゼロを取り続ける人間がか」


 それを言われては、何も言い返せなかった。

 でも、引き下がるわけには行かなくて。


「はい」


 教員の目を見詰め返し、私はその上で、と肯定した。



 これは、魔法使いだった王女の誓い。

 民草を守りたいと願い、戦い抜いた私自身の誓い。


 私の魔法は、何かを守る時にだけ使う。

 その誓いだけは、何があろうと揺らがない。


 ————俺は、そういうお前だから惚れたんだ。


 いつかの会話を、思い出す。

 それはクラウスの言葉だった。



「『————やらせてあげればいいだろうが』」



 そんな時。

 背後から聞こえて来た声が、現実のものなのか。幻聴なのかが、分からなくなった。


 ……それは、ずっと昔にクラウスが私に投げ掛けてくれた言葉だったから。


 まだ私が旗頭としても認識されていなかった頃。まだ、ずっと幼く、戦争に参加すらしていなかった頃。


 民草や騎士達が傷付く姿を黙って見ているだけは嫌だ。だから、私も守る為に戦いたい。

 そう私が喚き、そして周囲から挙って非難された時、クラウスが言ってくれた言葉だった。



 ————誰かを守りたいと願う心は、否定されるべきものじゃない。



 たとえそれが、子供の駄々であったとしても、尊重されるべきだ。俺は、そう父から教わった。


 当時私より、若干歳上だっただけのクラウスの言葉。

 けれど、そこには見た目からは考えられない程の重みがあったんだ。今でも、まだ覚えてる。



「クラ————」



 だから私は、反射的にクラウスと名を呼び掛けてしまって。


 でも、すんでのところで言葉が止まる。

 肩越しに振り返った先にいたのは、当たり前だけど、クラウスではなかったから。


 金糸を思わせる髪を短く切り揃えた青年だった。身格好は、三学年の服。

 一つ上の学年の人なのだと認識しながらも、端正に整った相貌を一瞬ばかし見詰め、クラウスとは似ても似つかないその容姿から、やがて私は視線を外した。


「……ウェルグ」


 その青年の名は、どうやらウェルグというらしい。

 彼の姿を見て、口にしていたからきっとそれで間違いない。


 一年も魔法学院に通ってるのに、一度として見た事のない上級生。という事もあって少しだけ不審に思う部分もあったけど、その懸念を振り払う。


「そういう目を見せるやつに、俺はよく心当たりがある。ずっと昔に、誰かを守りたい守りたいって繰り返し俺に訴えてきていたやつに、良く似てるんだ」


 ————そういう奴は、無茶はするが、無謀は言わない。だから大丈夫じゃないか。


 私と、メルを交互に見詰めながら、ウェルグと呼ばれた青年は小さく笑いながらそう口にした。


「手伝ってくれるって言ってるんだ。手を借りればいいだろ。何を拒む必要があるんだよ」


 この二人と、俺だって歳はひとつしか変わらない。大して差はないだろう。


 それに、この状況下で戦力である教員を一人でも減らすのは褒められた行為じゃない。

 戦えると言ってるんだ。

 なら、手を借りればいい。


 そう言ってウェルグは言葉を締めくくる。


 ……そんな、折。


 ぶわっ、と私達のいた場所に深く、濃い黒い影が落ちた。日が雲に覆われたのか。

 すぐに抱いた感想。

 でも、それが違うのだとすぐに理解した。



「——————!!!!」


 言葉にならない叫び声。

 それは、〝ダンジョン〟から出てきたであろう魔物の鳴き声であった。

 翼を生やした巨軀が、私達の頭上に覆い被さるようにそこにいた。


「ま、ずッ————」


 息を呑む音の重奏。

 悲鳴じみた声を上げる教員達の様子を前に。

 この状況下を前に、私の頭の中はどこまでも冷静だった。


 何故ならば、こういう窮地ってものを私は幾度となく経験して来たから————!!


「…………、ッ、〝想いを繋げアンカー〟!!!」


 憚る感情に背を向けて、思い切り叫ぶ。

 それは、私にとって己を鼓舞させる魔法の言葉————〝想いを繋げアンカー〟。


 私は、俺は、此処にいるんだ。

 嘆きの声すら届かない戦場の大地だからこそ、私達はその一言を口にしてから魔法を行使する。


 死に逝く死者の想いすら繋いで、魔法を紡げ。


 そんな口癖が、私達の国では浸透していた。

 たかが言葉。されど言葉。


 気付いた時には、私達にとってその一言は己を鼓舞させる魔法の言葉に変わっていた。


 だから、その力を借りると言わんばかりに今生の私も、時折、〝想いを繋げアンカー〟と口にする。何より、この思い出も、私にとっては忘れたくない大事な思い出だったから————。


 だから迷いなく紡ぎ、そして私は言葉を繋げる。親しみ深い、己の矛である魔法を力強く。



「————〝貫き穿つ剣群グラディウス〟————!!!」



 キィン、と鳴る金切音。魔法陣の音。

 浮かび上がる特大の魔法陣から、剣群と言い表すべき不揃いな剣が姿を覗かせ、そして私達に向かって何かをしようとしていた魔物にそれは殺到を始めた。


 その聞き覚えのないであろう魔法の言葉に、周囲の人間は目を剥いた。

 およそ五百年前に廃れた魔法。


 ただ、不思議な事に一人だけ反応が違った。


 私が〝想いを繋げアンカー〟と口にした瞬間から、この人だけは。

 ウェルグと呼ばれた彼だけは何故か変わった驚き方をしていた。


 それはまるで、幽霊でも見たかのように。




 この魔法は、三人だけの魔法だった。

 三人だけが、使う事を許された魔法。

 アイファ・メルトリアだった頃の私の、が作り上げた魔法だった。

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