人間の認知による制約

 人間の認知ではユークリッド空間として時空を認識するのが理に適っているように見える。

 そこではデカルト座標系が特別な地位にあって、ニュートン力学を構成する上でデカルト座標系の上でものを考えるのは自然な成り行きと言える。

 しかし明らかにデカルト座標を用いる必然性はなく、単に計算の便宜のためにそうしているに過ぎない。

 現に比較的早い段階で最小作用の原理による力学の定式化が行われている。変分原理から出発することで、座標系に依存しない理論を構築できる。

 そういうわけで、少なくとも非相対論的古典力学の範疇で生きている生命にとっては、最小作用の原理を出発点とする理論が広範に受け容れられるのではないかと思う。最初の素朴な疑問に関しては、短くこう答えることができる:

「最小作用の原理、以上」

 もちろんこれは結論ありきだ。

 時空のいたるところで同一の物理法則が成り立つかどうか、この宇宙が一様かどうかはまったく保証がない(保証しようもない)。その種族が宇宙の一様性を信じられるかも保証がない。

 とはいえ、一様性の仮定がなければ種々の現象は魔術的な理解をするしかなくなるので、一旦は一様性が受け容れられる前提で話を進めなければならないだろう。


 そもそも何故ユークリッド空間のようなものが見出されたかは想像がつかない。

 人間の視覚から得た像を張り合わせていくと、特に遠景に関しては、総体として透視投影に近い像の合成が得られるはずで、消失点で平行線が交わるように、ユークリッド幾何とは異なる幾何が成り立っている。

 かろうじて、透視投影において像の投影面は三次元空間上の平面と見ることができるから、投影面上に見える幾何は(実際に視野の及ばない範囲まで投影面を延長していけば)ユークリッド幾何であると言え、素朴に空間の一様性を信じれば三次元かより高次のユークリッド空間の概念を獲得できると言えるかもしれない。

 実際問題として当のエウクレイデスや古代の幾何学者がどのような動機で幾何学の体系を作り上げたかについては、不勉強の極みではあるが『原論』すら読んでいないので、よく知らない。


 もし人間の空間認識が等距離射影された像に近かった場合(等距離射影を採用しているレンズはいわゆる「魚眼レンズ」の一種だが、魚眼は魚眼レンズのようになっているのだろうか? そうであれば魚人の類は等距離射影された像の中に世界を見ていることになる)、投影面は球面になるはずであり、ここで平面幾何は展開され得ない。ユークリッド幾何を得るには、恐らく立体視に依存しなければならないと思う(ここは根拠がない。理由の説明が必要?)。


 光を人間が備えるような眼球によって捉えるやり方の他に、複眼や皮膚上の感覚器で光を捉えるやり方がある。この場合、カメラのような複雑な構造はないにせよ、眼球を運動させるより効率的に(高速に?)周囲の状況を察知できる。この種の視覚を人間の感覚に喩えることができるかは分からない。彼らが人間の射影幾何学を感覚的に理解できるかも謎だ。


 ユークリッド幾何で重要な「直線」のような概念が得られるかは、視覚の情報源である可視光の性質に強く依存しているように思う。可視光は電磁波の中でも比較的高い周波数、したがって短い波長を持つ。波長の短い電磁波について、回折や干渉が見られる状況は限定され、直進性や屈折のような現象だけがあらわになる。

 そこでは光源と視覚を結ぶ光線が主要な役割を演じ、光線の振る舞いを手本として空間認識が形成されるだろう。光線の経路を表すモデルとして空間の中に「直線」を見出したというのは、いささか強引すぎる気がするし、全く説得力が感じられないけれど、何らかの(しかし恐らく誤った)理由付けにはなっていると思う。


 光の直進性の話題には、重力の存在が欠かせない。一般相対性理論によれば、重力は時空の歪みによって生じる。歪んだ時空の上では、光もまたその歪みに沿って伝播していく。しかし、地球上に限ってみれば、光の直進性に疑問を持たせるような強い重力源は存在しない。よって、地球様の天体に住む非相対論的生命にとって、彼らが光を受容する感覚器を持っているとして、空間は、ほぼ、あるいは完全に、平坦であると認識されるだろう(虫や甲殻類が実際どう思っているかは知らない)。

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