16:夜を越えて

 ニコラシカの家は学院から程近い聖歌隊員用の寮の一室。聖歌隊という小綺麗な隊の名前の割に、その中身は魔法職のごった煮である事に違いはなく、各部屋の扉前には部屋主の趣味がありありと出た奇怪な食虫植物や、宗教色の強い装飾品などであふれている。


 ニコラシカの部屋も他の聖歌隊員の部屋と同じように外も中も多くの品々で飾られているのだが、多少ばかり毛色が異なる。


 どの部屋にも魔法使いとして、聖職者として、辿ってきた道の色が濃く出た一種の統一性があるのだが、ニコラシカの部屋にはそれがない。


 その大部分がニコラシカ曰くの『友人』達からのお土産や贈り物であるのだが、それを選り好みせずに飾る所為で無秩序の空間と化しているのだ。


 壮麗な神殿と言われればそんな風にも見える生活感とぼしい空間の大部分を占める雑多な置き物を掻き分けて、なんとかアバカスとタオは一夜を越す為のスペースを確保する。


「適当に座っててよ、お茶ぐらいは出したげる」


 などと言われても二人は既に勝手に座っているのであるが、不慣れな客人と違い、部屋の主である少女は器用に置き物達の間を擦り抜けてスルスルと台所まで歩いて行く。


「おい嬢ちゃん」

「なにも聞きたくない……」


 ニコラシカの背を見送りながらアバカスは軽く言葉を投げるが、拗ねたように狭いスペースの間で膝を丸める少女は拒絶する。


 金にもならないのに少女の心をこじ開けるだけの辛抱強さや心意気をアバカスが持ち合わせているはずもなく、解決を時間に任せてアバカスは思考の海に潜った。


「ありゃ、魔物も喰わないような喧嘩中?」


 故に助け舟を出すのは騎士の友人。価値観の差による溝を埋めるように、唯一蚊帳の外の魔女が飲み物を注いだコップを二つ空に浮かしながら居間へと戻って来る。飛んで来たコップを受け取りながら「これと喧嘩などしない」とタオは無愛想に返し、アバカスは口を開かない。


「タオはなにを怒ってるのさ?」


「怒ってなどいない」と一度口にし、八つ当たり気味に強くなってしまった口調にタオはハッとするが、機嫌を悪くする事もなくニコニコと微笑む友人の姿に、タオはバツ悪く口端を歪めて、膝をより深く抱えた。


 学生時代に初めて出会ってからこれまで、タオはニコラシカに隠し事ができた試しもなければ、嘘を見破られなかった事もない。友人の澄んだ青い瞳を向けられると、全てを見透かされているような気がしてしまう。


「いや……怒ってる。ごめん、助けて貰って部屋に泊めてまで貰っているのに誠実じゃなかった」

「気にしないでよ、僕がそうするべきと思ってしてるだけさ」

「気にする。本来ニコを巻き込んでいいような事でもない。なのに……」


 結局色々と巻き込んでしまっている。


「……思えば、学生の頃からニコには頼りっぱなしだな」

 

 実技試験は問題なくとも、ニコが友人になってくれていなければ、座学の試験で何度落第していたか。それこそ両の手の指では足りやしない。


 対人関係も同じ。譲れぬ正義心により少なくない数他人とタオは衝突したが、ニコラシカが間に立ったおかげで軋轢を生まなくて澄んだ数は数知れず。どうにも頭が上がらない。


「間違っている事を間違っていると言ってなにが悪いの? 私は……私は騎士として正しくありたい。私が騎士になれたのはタオや多くの人達のおかげだから、私はそれにむくいたい。でも……私には正しいと思う事を通せるだけの力がない。ニコのようになんでもできない……」

「僕だってなんでもはできないよ? できない事の方が多いさ」


 そうとは思えないと部屋を見回しタオは自嘲する。部屋を彩る品々を見るだけでも、タオには多くの友人がいる。対してタオは片手で足りる。何よりも、ニコラシカのまとう聖歌隊のガウンの首元に輝く勲章が埋まらぬ差の証。


 『大海蛇シーサーペント鰭章はたしょう


 新人の聖歌隊員として、最高峰の魔法使いに授与される勲章。アバカスの頭が正常に働いていたならば、「貰うの何度目だ」「永遠の新人」などと皮肉を言っただろうが、タオは知るはずもない。


 片や最有望な聖歌隊員、片や基本補欠のような扱いの騎士団員。


 第三騎士団長から仕事を振られ、ようやく活躍の機会が巡って来たと張り切ってみるも、仕事内容を聞き不良冒険者とのファーストコンタクトでタオが夢見た未来ははかなくも散った。


「多くの研究室や聖歌隊員から頼られるようなニコとは違う。私はなんの期待もされていない、生贄に選ばれたようなものよ」

「そうかな? ただ生贄に誰かを捧げるくらいなら騎士よりよっぽど楽そうな相手がいると思うけど。切り捨てる為だけにタオは選ばれたんじゃないと思うよ?」

「……本当にそう思う?」

「うん。だっておかしいもん。ねえアバカス君?」


 友人であろうと聖歌隊員の言葉よりも、元でも騎士団員からの言葉の方が確実性に富んでいるだろうとニコラシカはアバカスに話を振るが、話の矛先を向けられた相手を見てタオは顔をひそめた。


 皮肉屋の不良冒険者が素直にはげましの言葉を口にするとは思えず、違った言葉を口にしたとしても、知らなかった方がよかった事実の一つや二つでもまた告げられかねない。最早冒険者という名の皮を被った喋る呪いの彫像だ。


 だが、アバカスが前に僅かに身を倒し口に出したのは思いの外素直な言葉。


「……あぁ、おかしいな」

「ほらね! アバカス君もそう言ってるし」

「おかしい。第二王子の派閥が全ての黒幕なら、傭兵なんぞ雇う必要もねえし、それこそ帝国の暗殺部隊にでも任せりゃいい。邪魔になったとして第八研究室の奴らをまとめて殺さねえのも意味が分からねえ。ドランクを殺し、アルサ嬢を殺すまで五日も開いてんだぞ? 俺達をハメる為だけに殺したとも考えられるが、第二王子の派閥と対立してる派閥が計画を潰す為に動いているのだとしても、やり方がどうにも周りくどい。俺達自身に上から強い圧力が掛かってる訳でもない以上、ひょっとしたら……なんだ?」

「アバカス君ってさー、そういうところが本当に残念だよね」


 潜っていた思考の海から浮上を果たし、アバカスは頭を回した結果を告げるが返されるのは二つの呆れ顔。少女の葛藤などアバカスにとっては目的を果たす為の歩みを止める理由にもならないようだった。


 とはいえ、己の預かり知らぬところで『期待外れ』を強く描いた顔を向けられるのはアバカスとしても面白くない。悩んでいるのが馬鹿らしくなってきたと怒りを通り越して大粒のため息を足元に落とす新米騎士を前に、アバカスは思い出したかのように背筋を正す。


「あぁ……アレだ。大小の違いはあろうが、どれも嬢ちゃんにとっては許せない事に変わりはねえんだろ? 要はどれが先かの問題でしかねえ。小さな問題から片付けるのが道理ってなもんだろうぜ。それもその小さな問題の一つが今回はゴールな訳でだなぁ」

「あぁもういいアバカス、貴様はもう口を閉じろ。アレだな、貴様は友人がいなそうだものな。気の利いた台詞など私も求めていない。悪かったな」

「あ? なんだその憐れみの目は? ふざけろッ、言っちゃあなんだが嬢ちゃんに社交性を説かれたくはねえな? 俺にだって友人ぐらいいんだよ」

「ほう? マトモな者達なのか?」

「ほとんど暗殺部隊時代の奴らだが何か?」


 思った通りだとタオは鼻で笑い、そんな反応ぐらいしかしないと思っていたとアバカスも鼻で笑い返す。嘲笑を言葉に変えないのは、二人が友人の数を競ったところで、逆立ちしても勝てない絶対王者が三人目として控えているから。


 子供地味た意地の張り合いを生暖かい目でニコラシカは見つめ、不良冒険者のズレた発言で心の殻もズレたらしい友人に頷き、ニコラシカはドラゴンを模した像の上に軽やかに腰を下ろす。


「それで? 二人はこれからどうするの?」


 呟かれたニコラシカの問いに二人は同時に目を向けて、姿勢を崩しそれぞれ置き物達に寄り掛かる。適当に置かれている所為で転がり落ちる置き物を右足の甲で受け止め軽く蹴り上げて掴み元の位置に戻しながら、アバカスは回した思考を引き出すように前髪に指を絡ませた。


「朝一で学院に行く、第八研究室にな。そこで来る奴らに詳しい話は聞くとしよう」

「来ると思うの?」

「来なかったら来なかったで別の道を探すだけだぜ。アルサ嬢だけが死んだだけなら来る奴もいんだろ」


 一番困るのは、アルサ=ドレインが死んだのと同様に、残る第八研究室の三人も既に死んでいる事。この場合、今更残る三人の自宅に行ったところで見つけられるのは死体ぐらいのものであり、犯人の痕跡を見つけられるかは怪しい。


 が、死亡していたならだ。それはないだろうとアバカスは予想する。


「事件の背後で色々からんでてややこしいが、殺られたドランク=アグナスにアルサ=ドレイン、その二人に一番身近で魔法を刻める相手は第八研究室の奴らである事には変わりねえ」


 殺人犯が中に紛れているのであれば、第八研究室の者達が全員死んでいるとは考えづらく、死んでいたら死んでいたで、犯人は第八研究室の者達と接触してもおかしくはない、研究費を出資している第二王子派閥お抱えの魔法使いの線が濃厚になる。


 ただ、後者の線は薄いだろうとアバカスは捕捉した。


「アルサ嬢を殺す前に先にこっちに一度暗殺者を仕向ける必要性は薄い。ただ迷宮入り狙いならさっさと第八研究室の奴ら全員殺した方が早えからな。裏でほくそ笑んでる野郎は帝国から出てったり逃げる気ねえんだろ、やり残してることでもあるのか取り敢えず今は『まだ』な」


 そこまで言ってアバカスは乾いた唇に舌を一度這わせる。


「殺し方は高度で鮮やか、でありながら、動きとしては幼稚で短絡的。真犯人像はそんなところだ、殺しに慣れた奴の動きじゃねえ。明日だ嬢ちゃん、明日には真犯人を引き摺り出す」


 そう確信したように笑みを深める不良冒険者に目を細め、タオは腕を組み唸る。例え気に入らない問題が他に転がっていたとしても、ドランク=アグナスを殺した者を見逃す訳にもいかない。ブレる心を押さえつけるようにタオは小さく頷く。


「嬢ちゃんではないと言っているだろうまったく」

「そりゃ悪かったな嬢ちゃん」


 調子を戻した女騎士に向けて、不良冒険者は悪戯っぽく笑い返した。






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