15:禁忌

「…………可能だと思うか?」

「不可能って事はないだろ。実際にこうして実験を重ねている訳だ」


 弱々しいタオからの問いにアバカスはさらりと答える。研究内容の罪深さよりも、ただ粛々と頭の中で現状の問題を並び直す。


 所謂いわゆる、死者蘇生のような魔法はこの世界には存在しない。正確には蘇生魔法の類は存在する。


 だがそれは、停止した心肺機能が再稼働する手助けをするものであって、時間を置いた死体の形状を直す事はできても、いのちさえ呼び戻すようなものではない。


 それをくつがえすような研究。毒や呪いの分野からの考察も交えられた膨大な研究資料へと目を移し、アバカスは棚に資料を放り投げた。


「人体の完全な作成や複製についてならこんな話がある。実際にやった事のある魔法使いがそれに関する書籍を著したんだが、その魔法使い曰く、臓器を何も損なわず形にしたところでそいつは目を開けなかったそうだ。魂とやらの存在を強く感じたとさ。人間の形だけ模したところで、それは肉人形以上のナニモノでもなかったとなぁ」


 いのちはどこからやって来るのかなどという哲学をしたい訳ではない。要はその領域は人間の手には余る領域。一度失われた生命は二度と戻って来る事はない。


「それを……ひっくり返そうということか?」


 それを踏まえた上でタオも理解する。だからこそのもう一つの研究。『意識の複製と定着化』。


 資料にはその研究について、人体機能を損ない修復も不可能となった者の延命措置の一つとして別のナニカに意識をコピーし個を存続させる為などともっともらしい記述がされているが、そんな訳もない。


「一つ目の研究に対しても多種族の人体への見解を深める為の解剖実験の為の個体の確保を簡略化する為だのと書かれてるが、どっちも建前だろうぜ。そもそも、個体を一つそのまま作ろうなんて、平凡な魔法使いじゃ魔力が足りねえし知識も足りねえ。どうしても試してえと思うなら」

「そうか! だから第八研究室は魔女を頼ったのかッ!」


 必要なだけの知識を備えた魔女ならば、それこそ試そうと思えば一日に何度も試せる。口調を荒げたタオを前に、アバカスは口先に人差し指を立て声を抑えろと示す。


 圧縮されている空間内とはいえ、学園長室の隣である事に違いはなく、今正に警備が死体を確認しているだろう事を思えばこそ、なるべく静かにするに越した事はない。


「ッ、だがなぜだ? なぜこの研究は必要とされている? それも秘密裏に?」

「さてな? だがこれがドランクやアルサ嬢の殺された理由には違いない。それを追う俺達が狙われてる理由もな。……そっちの棚に資金の出入りを記録してる資料もあるらしい。出資してんのは誰か分かるか?」

「ちょっと待て」


 すぐに身をひるがえし、タオは別の棚を漁り始める。パラパラとめくられる紙の音が暫く続き、お目当ての資料を引き当てたのか、首を傾げ眉をうねらせながらタオはアバカスの隣へと戻って来た。


「記述されているのは…………個人というよりも組合や企業が多い。ただ、なんとも規則性がない。国外からも出資者がいるみたい。それも組合や企業だけど」

「……最大の出資者はどこだ?」

「帝国の商業組合。『宝船サルベージ』という名らしいが」

「クソがッ」


 そこまで聞いてアバカスは心の底から舌を打った。面倒臭さを隠そうともせずに頭を掻き、重苦しい吐息を零す。その姿にこそ、タオは胸をざわつかせる。


 魔女に会う時こそ不満や不快を顔に描いてもそこまで鮮明に態度には出さなかった男がする、いかにも地雷を踏み付けたといった有様が。


 導火線に火が点き爆発を待つような男を突っつくような事は流石に躊躇ためらわれ、アバカスの短な混乱を大人しく待ってタオは静寂に努めた。一息吐き、アバカスはそのお礼とばかりに答えを告げる。


「……『宝船サルベージ』ってのわな、俺の記憶に間違いがなきゃ、第二王子を支持してる奴らのお抱え組織の一つだ。他の組合や企業は────だいたい似たようなもんだな。つまり、第八研究室のパトロンは帝国第二王子派閥さ」

「それはッ⁉︎」

「あぁ……魔女がらみなだけじゃねえ。完全に王室がらみだ。アルサ嬢の怯えようにも納得だ。そりゃあバレりゃ最悪殺される。第二王子が主導してるかは別として、ガチで国の上層部が関わってやがる」

「なぜなの⁉︎ なぜ第二王子が⁉︎」


 そんな事は第二王子に直接聞きでもしなければ分かりはしない。第二王子が直接動いているのかも分からない以上、気にするべきは別の事。関わっている者が何者かはおおよそ把握できた中で、重要なのは研究目的。


 だからこそ、タオの驚きには「知るかそんなの」とアバカスは素っ気なく返し頭を回す。


「んな事より、この研究で何をしたいのか、何ができるかを考えた方がずっと得だ。人体の作成に意識の複製、その二つを使ってできる事はなんだ?」

「えっと………」

「第二王子が重病だの危篤きとくだのといった話は聞いた事もねえ。延命の可能性もなくはないが、第二王子はまだ若いし、可能性としては低いような気がするよなぁ? それにもっとえげつねえ使い方ができると思わねえか?」

「……えげつない?」

「そうだぜ、入れ替わりだ」


 自己完結するアバカスの答えにタオは息を呑む。


 入れ替わり。


 簡単な話、この研究を用いて故人を復活させる事はできないが、既存の人間と意識を複製する事はできる。同じ人間を複製する事に利点は少ないが、同じ姿形でも意識が違うなら話は別。


「例えばの話、別の王子の重要な支持者を暗殺したとする。その後、見た目はそいつと同じだが中身を自分の支持者だの部下だのの人格を張り付けた偽物に挿げ替えれば、それだけで支持層を強奪できる。もっと言やあ、王を殺して挿げ替える事だってできはするぜ?」

「そんなことッ⁉︎ 許されるはずがない‼︎」

「許される許されないの話じゃねえ、できるできないの話だ今は。それを思えばこれがどれだけ面倒事か分かるだろ?」


 今日会った人間が、明日会った時には中身が別人かもしれない可能性。こんな研究が公になれば、疑心暗鬼に支配される。今帝国を導いている王は、帝国民の知る王なのか、または全く別の誰かなのか。


 それを知るのはそれに関わった者達だけで、それ以外の者達は直接質問でもできなければ知る由もない。


「こんな研究ッ‼︎ なんで! いのちへの冒涜だ‼︎」

「それはそれとして、これを研究してたドランクが誰に殺されたかが問題だな。上が強く関わってるとしたなら不審な点が」

「それはそれとして⁉︎ おまえには人の心がないの⁉︎ こんなッ、こんな‼︎」


 他人を生き物ではなく盤上の駒のように扱うような可能性。感情をたかぶらせるタオはアバカスの胸ぐらを掴もうと手を伸ばすが、それは叶わず途中で叩き落とされる。


 タオの視界を埋めるのは不良冒険者の呆れ顔。女騎士の手を叩き落とした手の人差し指で、アバカスはその胸を強く小突く。


「勘違いするなよ嬢ちゃん。俺達は王室の陰謀を暴いてる訳じゃねえ。ドランク=アグナス殺害の真相を追ってんだよ。裏で何が渦巻いてようが、俺達に必要なのは現状容疑者筆頭の魔女の疑いを晴らし、真犯人を暴く事だ。それ以外に必要なものはない」

「必要なものはないですって⁉︎ あるでしょうがここに! こんな邪悪な研究ッ、見逃していいの⁉︎」

「いいもクソもあるか、論点がズレてんだよ。研究が邪悪だろうなんてそもそも最初から分かってたろうが」

「ズレてない‼︎」


 声を荒げる女騎士にアバカスは強くは言い返さない。ただ内心で舌を打つ。現状の問題からはズレているが、タオの正義心に間違いはないから。少女の抱える価値あるものの輝きにアバカスは目を細める。


 少女の中でその価値は絶対であり、アバカスが何を言おうと価値が変わるものでもない。ただ、正義感が強ければそれだけで解決するような問題でもない事は事実。手にした資料を握り潰し、肩で息をしている少女から視線を切りアバカスは頭を掻いた。


「別に俺は嬢ちゃんの意見は否定しねえ。が、物事にはタイミングってもんがある。今そっちを追ったところで行き着くのは墓の下だろうぜ。だいたい第八研究室だけでもねえ、他の研究室もどんな研究してんだか分かったもんじゃねえぞ。嬢ちゃんは審判者にでもなったつもりか?」

「なら誰が裁くって言うの? こんなッ」

「それこそ神様って奴じゃねえのか? 知るか俺が。とにかく今は研究の善悪を気にしてる場合じゃねえ」

「でも」

「あ〜……お取り込み中悪いけど声落としてくれるかなって?」


 二人の会話を割るように、三人目の声が資料庫の中に響く。気付かぬ内に再び開いた秘密の資料庫への入り口。そこから顔を覗かせる学院の魔女の苦笑顔。


 今なら出られると手振りで示し、険悪な表情を浮かべる二人になんら質問をする事もなく、手招きをするとニコラシカは顔を引っ込めた。


 資料を元に戻し、再度二人が足を踏み入れた学院長室からは既に死体は運ばれたらしく、床に飛び散っていた血の跡も魔法で消し去ったのか既に姿を消していた。空に浮かんでいる月も大分傾き、資料庫に入って集中していた二人が気付かぬ間にもう二時間は経過している。


 ニコラシカは学園長室の窓辺に立ち、鍵を開けるとそっと窓を開けた。


「ここから直接外を抜ければ帰れるはずだよ。警備の騎士達は今ほとんど中にいてあれこれやってるから、外側の薄くなった警備ならバレずに抜けれるでしょ?」

「……悪いなニコ」

「気にしない気にしない。それより大丈夫? そうは見えないけど」


 顔を青くしたままのタオは、ニコラシカの言葉で先程のやりとりを思い出したのか緩く拳を握るが、それだけで口は開かない。


 頼りになる友人に邪悪な研究の内容を言いたくなかったという事もあったが、それを口にしてなんでもないような顔で『知ってたよ』と返されるのが何より怖かったから。その可能性が高いだろう事をタオ自信気付いてもいたからこそ。


 タオから返事を貰えないと察し、ニコラシカはアバカスへと目を移す。アバカスは不機嫌を顔に描いてはいても、調子までは崩さない。


「……俺としてもさっさと家に帰ってベッドで横になりてえところだが、絶賛何処どこぞの誰かに命を狙われてる最中でもあってな、つまり」


 アバカスとタオが離れるのは悪手。暗殺が狙いであれば、一人になった所を狙われる確率が高い。のだが、分かっていてもお互いがお互いをこんな状況でも自分の家に入れたいと思うような二人ではなかった。


 苦く顔を歪める二人組を見比べて、片方が結論を出すより早く、唇に人差し指を当て考えるような仕草をしていたニコラシカは小さく頷いた。


「仕方ないなー、今夜は僕の家に泊めてあげてもいいよ? 騒がないならね?」

「に、ニコ⁉︎ おまえを巻き込む訳には」

「あっあ〜、タオはアバカス君と二人きりがいい感じ〜?」


 そんな訳もなく、タオは頷くはずもない。答えの分かり切っている魔女の意地悪な質問にタオはやり込まれ、『貸し一だよ』と唇だけを動かして舌を出す魔女にアバカスはうなずく代わりに肩を落とした。





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