4:腹が減っては

 帝国首都の噴水広場前に居を構える酒場『夜の恵み亭ソムニファブラ』は、値段も手頃で商人から冒険者にまで人気の酒場の一つである。


 普段ならにぎやかな人々の喧騒に包まれているのであるが、この日ばかりは少し勝手が違った。


 帝国騎士でさえも時折訪れる酒場ではあるが、不機嫌を隠そうともせずに騎士制服のまま部屋の隅に陣取っている女騎士と、擦れたコートをまとう冒険者の男。


 楽しい夜に虎の尾を踏みたい者など居るはずもなく、同じ店の中であるのにも関わらず、タオとアバカスの周辺だけは人気もなく別空間のように静まっていた。


 そしてそれを、タオもアバカスも気にはしない。タオからすれば気にする余裕がないが正しいが。


「魔女が嘘を吐くことは少ねえ。アレらは損得勘定する計算機みてえなもんだ。余程自らが不利益をこうむる事が事前に分かってでもいなけりゃ、基本的に嘘を吐かねえのさ」


 言いながら指を鳴らして給仕ウェイトレスを呼ぶと、アバカスは勝手に注文を始める。酒は頼まず、その代わりと言うように、パンにスープにサラダに肉料理、加えて魚料理にデザートまで。


 アバカスにはタオのふところ事情を考慮するつもりもなければ、遠慮をする気さえ微塵もないらしかった。


 注文を終えると、水を一口舐めてからアバカスは話を続ける。不満顔のタオの反応などうかがう事もなく。


「魔女が殺した。これは間違いねえんだろうぜ。問題は、動機や方法が『分からない』と言った方だ。それも、間違いねえんだろう。だからしち面倒臭え」


 アバカスは右手の指先でテーブルを小突き、タオが顔色を変えないのを確認すると、更に口を開く。


「つまり、動機や方法は不明だが、魔女が殺しに関与してんのは間違いねえ。ここまではいいか?」

「…………なぜそんな事が分かる?」

「魔女の多くは情報や知識を得る事に固執すんのさ。それ以外には無頓着である事が多い。情報や知識の取得をスムーズに行うため、ほとんどが無害で嘘を吐かず、聞かれた事には当人なりに素直に答える。分かってりゃそれを話すし、分からねえなら聞いた通りだ」


 知識や情報をたくわえ、誰にでも平等にたくわえた知識から弾けた答えを授ける。膨大な力を持ちながらも、その無害さ故に人との共存を可能としている怪物。


 『無害さ』、それが魔女には重要なのだ。


 少女のような外見をしているのも、庇護欲を感じさせる為。中には少年の外見をしている魔女もいるが、共通しているのは、比較的幼い人間の姿を模している事。


 最終兵器としての用途以外に、データベースや相談役などの地位をしかるべき場所で確立できれば、衣食住は保証され、生きるのに困窮こんきゅうする事もない。


 そうやって魔女は生きている。


 個体によって判断基準に多少の差異があるため、魔女によっては一国の王の妻になっている者もいれば、国を従えている者さえいる。


 ただどれも共通しているのは、いずれも『無害さ』だ。魔女側から率先して戦闘の意思を覗かせる者はいない。


「魔女には寿命の概念がねえ。不死ではねえが不老だからな。命の危機さえ感じてねえなら、『殺した』と事実を喋ったところで不利益はねえと判断したんだろ。だからこそ、クソ面倒なんだが」


 魔女が事件に関与しているのは間違いなく、魔女がそれを認める事を許容し得る何かがあるのも間違いない。魔女に罪の矛先が向かないのであれば、魔女以外の第三者の関与がほぼ確定したのと同義。


 誰が関わっているのか、魔女関連である以上、まずそこらの一般市民はあり得ない。


 殺して貰うにしてもマタドール自身に頼まなければならない為、第三者が外部の人間であった場合、宮殿を警備する騎士達の警備網を潜り抜け魔女に辿り着く必要がある。それは非現実的だ。


「現状一番可能性が高いのは、内部にこの事件への関与があるだろう者がいる可能性だ。そりゃ誰も捜査役になんて進んで手を挙げねえだろ。誰が出てくるかも分からねえんだからな。王族の名前でも出てみやがれ、最悪国の一大事ってやつさ」

「そこまで分かっているなら魔女に誰が関わっているか聞けばいいではないか」

「だからそれが『分からない』ってんだろ。誰かが魔女に殺させたとして、方法も分からないってんだからな。精神を操るような魔法は多くの国で、帝国でも例外なく条例で禁止されていたはずだし。相手がそこまでお利口さんなのかも分からねえし、そもそも魔女に効くとも思えねえが」


 魔法で魔女に勝てるのは魔女を置いて他にいない。誰かに説得されて魔女が自身の手で殺人を犯したのであれば、『分からない』という答えはまずありえない。


 殺人の裏に『誰か』はいる。


 それだけは間違いないとアバカスが頷いたところで、給仕ウェイトレスが注文された料理を運んで来た。


 二人で果たして食べ切れるのか? といった量の料理が大きくはない質素な木テーブルの上を埋め尽くし、美味しそうな匂いを漂わせる。


 舌舐めずりしてフォークを軽やかに握るアバカスを前に、タオの零したため息がスープから立ち上る湯気を吹き散らした。


「……魔女についてイヤに詳しいなアバカス。どういうつもりだベラベラとそれを私に話すのは?」


 アバカスの魔女に対する知識量もそうだが、多くの騎士が知らぬだろう話を躊躇ためらわず披露ひろうしてくる事にこそ、タオは怪訝けげんの目を向ける。


 自らが蜥蜴トカゲの尻尾である事を理解して、必要かも分からぬ知識を与えこれから沈没せんと言うような船にタオを引き摺り込む気なのか。はたまた、ただの気紛れか。


 サラダを一口頬張りながら、どれでもないとフォークを握る手をアバカスは雑に振るう。


「賭けに勝ったからとは言え、タダでおごって貰うのも忍びねえ。貰い過ぎは毒だぜ。プラマイゼロこそが至高だ。勝敗の分かり切った賭けだったからなぁ、飯の代金分の授業とでも思えよ」

「ぐ……っ、ふん、まあいい。ただ魔女に詳しい理由はなんだ?」

「残念ながらそれは別料金だ。必要か?」


 僅かに目を細めたアバカスに、少しの沈黙の後に「いや、いい」とタオは唇を動かす。


 『元』オーホーマー騎士団の暗殺部隊所属。魔女マタドールが口にしたアバカスの個人的な情報を聞いて、タオもこれまで騎士団でアバカスの名を聞いた事がない事に納得した。


 光があれば闇がある。


 民衆のあこがれや畏怖の対象としての側面が騎士団にあれば、民衆の知らない恐怖としての側面もある。


 所謂いわゆる汚れ役。敵国の要人の暗殺から、身内への粛清まで。表立ってできない事を影ながら率先して行う騎士団の暗部。


 タオも騎士団に所属している以上、その存在は知っている。が、誰が所属しているのか、その人数も名前も全く知らない。


 噂だけなら無数にある。


 非道いものだと、反乱をくわだてていた反乱軍レジスタンス紛いの民衆の抹殺から、とある王族の行方不明への関与。敵国の魔女の暗殺に向かい全滅したなどなど。


 暗殺部隊の所属というだけで無数の想像ができてしまう。魔女に詳しい理由も暗殺部隊に所属していたというだけで理由になってしまう程には。


「暗殺部隊の所属だったなんて……先に言ってくれれば」

「俺に依頼するなんて役目引き受けなかったって?」

「……そうは言わない、そうは言わないけど……」

「目が言ってんだよ阿保あほう。嬢ちゃんは顔に全部出るから分かりやす過ぎだ。暗殺部隊にいたとして三年前の話だ。それが今必要か?」


 値踏みするようなアバカスの視線をタオは目を逸らさず受け止める。騎士道精神を誇る騎士団の中に居ながら、それに反く部隊が存在する矛盾。


 騎士の明るい面にあこがれを持つタオとしては、それが何より暗く映る。が、それが切っても切り離せないモノであることも事実。


 これまで描かれてきた歴史の裏に絶えずそれは潜んでいる。騎士が眩しく見えるのも、汚れを引き受ける者がいればこそ。


 結論を言えば、アバカスが暗殺部隊に所属していた過去の事実は、今取り組まねばならない問題になんら必要ではない。


 ただ、事件の捜査に必要な能力と立場を有しているらしいアバカスの存在は今現在必要だ。


 タオはフォークを引っ掴むと、肉へと突き刺し、今を飲み込むように口へと運ぶ。一口に頬張りよく噛んで飲み込み、グラスの水を飲み干してテーブルの上に叩きつける。


「誰が阿呆あほうだ! ふん! これは私の任された仕事でもあるんだからね! 貴様がサボらないようにきっちり私が見張っててやる!」

「前金貰ってんのに誰がサボるか。それより食い過ぎだ。その肉は俺んだ」

「支払うのは私なんだからいいでしょ別に! ケチ! 魚も寄越して! スープもよ!」

「このやろう! 俺の手前から取ってくんじゃねえ! 騎士だってならつつましく食え!」


 恐るべきは騎士の底知れぬ食欲とでも言うべきか。早送りでもするかのように、二人前を遥かに超える量があっという間に消費されてゆく。


 せわしなくフォークが食器を小突く音が響く中、他の客や給仕ウェイトレスが呆然とそれを見つめ、十分もせずに食器達は空になる。


 デザートまでしっかりと平げ食後の祈りを捧げるタオへと冷めた目を向けながら、アバカスはフォークを食器の上に放り捨てるとグラスの水を飲み干し、潤った口の滑りを試すかのように口を開く。


「明日からはドランク=アグナスを一旦追うぞ。少なからず殺されるだけの『何か』はあるんだろうからな。魔女と問答ばかりしてても仕方ねえ。おい給仕、支払いだ」


 アバカスが指を鳴らして給仕ウェイトレスを呼べば、歓迎されざる客には早々に帰って貰おうと足早に給仕ウェイトレスは寄って行く。


 席を立つアバカスに呆れながら肩を竦め、料金を聞きタオがふところから出した財布である皮袋を開いたところで動きを止めた。


 にじむ冷や汗。目が激しく泳ぎだす。タオがほんの僅かに顔を上げた。目が訴えている。金が足りないと訴えている。


 帝国騎士に対して強い言葉は言えないと困り果てた給仕ウェイトレスと、タオの二人から捨てられた子犬のような瞳を向けられて、たっぷりと時間を掛けて嫌々アバカスは己の財布を取り出した。


 BGM代わりに歯軋りの音を存分に奏でながら。






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