3:魔女と騎士

「うぁぁ……なぜ? なぜなの?」


 うめくようなタオの弱音が零れた先から虚空に溶け消えてゆく。タオとアバカスの目の前にそびえるは、第三図書室へと繋がる大扉。


 宮殿に辿り着いたことで、ようやく不良な冒険者の相手から解放されると宮殿へと続く庭園を歩く度にタオの足取りは軽くなっていたのに、宮殿に入る直前に上役の騎士から告げられた『貴殿がお目付役』という無情な言葉。


 いくら国側がタオを通してアバカスに仕事を依頼したとはいえ、帝国の重要人物と冒険者を部屋の中で二人きりになどするはずがない。


 朝の御祈りを欠かした事もなければ、日々の自主鍛錬を休んだ事もない。今日も仕事の始まる二時間前には起き身嗜みだしなみを整え装備の整備もサボった事がないのに、何をどこで間違えたのかタオには全く分からない。


「存分に扱き使われてんなぁ」とあわれむ言葉を並べるアバカスをにらみ付け、なげくのもそこそこにタオは背筋を伸ばす。感心するように口笛を吹くアバカスに苛つきながら。


「外部に依頼する役なんて仕事投げられた時点で気付けよ。いくら俺が『元』騎士だったとして、完全に信用する方がおかしいだろうが。俺が依頼受けた時点で、嬢ちゃんの一蓮托生いちれんたくしょうも決まったのさ」

「いや……ない。ないわよ、ないでしょそれはッ。……ないわよね?」

「口調崩れてんぞ騎士様よ。どれ、予言してやろう。これから部屋に入って部屋を出た時に嬢ちゃんの言うところの『上』から嬢ちゃんが言われるのは、事件の詳細が明らかになるまで俺の捜査に同行しろだ」

「はは……っ、まさかそんな」

「賭けるか?」


 外部への依頼は、言ってしまえば蜥蜴トカゲの尻尾の確保に他ならない。何か不都合があった時に騎士だけでは、どこまで誰が責任を負うのか分かったものではないが、『主導で動く別の誰か』さえいれば責任を押し付ける事ができる。


 それを確保できたとしても、いざという時逃げられては元も子もない。見張る者が必要だ。さてそれは誰か? 一番不自然でないのが依頼者本人。


 蜥蜴トカゲの尻尾を掴む為の不名誉な狩人に選ばれた事実を否定するようにタオは小さく左右に首を振るう。


「帝国騎士が賭け事なんてッ」

「まあ勝つ自信がなければ勝負するべきじゃねえわな。悪かった、忘れてくれ」

「ふ、ふん! いいだろう賭けようじゃないの! 別にお金はいらないけど!」

「よっしゃ儲け!」

「まだ決まってない!」


 既に勝ちを確信し拳を握る男にタオは牙を剥く。間違いなく得られる報酬をさっさと掴み取るように、大扉の装飾の施された金色の取手へとアバカスは手を伸ばし、目を剥いてタオはその手を掴んだ。


「入っていいかうかがうぐらいしなさいよ⁉︎」

「魔女はそんなの気にしねえよ、扉を蹴破って入ったりでもしなきゃな。嬢ちゃんは魔女に会うのは初めてか?」


 図星を突かれ、タオは口を引き結ぶ。


 王族と同等か、それ以上の重要人物。護衛の際に遠巻きから眺めた事くらいはタオにもあるが、会話できるほどに近付いたことは一度としてない。


 魔女がどういった存在かは周知されているが、果たして話した事がある者は帝国内にどれ程いるか。


 加えて、その気になれば呪文一つで万人を殺し得る怪物。それはタオにとっても例外ではない。正直恐ろしい。が、それよりもアバカスの発言に驚いた。


「……会ったことあるの?」

「何人かとはな。マタドール卿とは初めましてだ」

「『元』騎士って、おまえいったい……」


 帝国騎士で魔女と会った事がある者など多くはなく、それも何人もと会った事があるとなれば、両手の指があれば数えられるかもしれない。


 騎士団長や有名な騎士であるならばさもありなん。が、アバカスの名を元に頭の中の記憶の棚をどれだけあさってもそれらしい位置にその名を見つけられず、これまで聞いたこともタオにはなかった。


 急浮上して来たアバカスの素性の謎にタオが面食らっている間に、アバカスは大扉を開けてしまう。音も立てずに開いてゆく滑りのいい大扉の姿にタオは身を強張らせる。


 扉の隙間から流れて来る冷ややかな空気。タオの肌を削るように舐め取り生毛が逆立つ。


 扉の先には大きく色鮮やかステンドグラスがあった。その手前に乱立された分厚い本の塔。魔法関連の書籍から民俗学、言語、図鑑、料理、雑多な情報を詰め込んだような部屋の中、一際大きな本の塔の上に小さな人影が一つ。


 薄暗い部屋と相反するような白がそこにはあった。


 生きているのか疑わしい象牙のような純白の素肌。柔らかそうな質の良い布地のゆったりとした臙脂えんじ色のドレスを身にまとい、靴も履かずに白いストッキングに包まれた足を静かに揺らしていた。


 見た目十代半ばといった可憐に過ぎる少女。が、決定的な違いがある。


 袖から伸びる腕が四つ。その方が便利と判断して増やしたのだろうとアバカスは当たりを付ける。


 翠玉エメラルドのような魔女の双眸が本の塔の上から来客へと落とされ、切るのも面倒だがそのままも邪魔だと言わんばかりに雑多に結われた幾つもの赤毛の三つ編みが魔女の動きに合わせて揺れた。


 本に溢れた第三図書室の中には魔女マタドールたったの一人。他に使用人などの姿もなく、定められた緑色の視線にタオが立ち尽くす中、アバカスは気にせず図書室の中に足を踏み入れる。


「読書中に失礼、マタドール卿。自己紹介は必要ですかね?」


 品定めするかのようにマタドールはしばらくアバカスを見つめる。一度となくまばたきせずに。首を少し傾げながら、情報を引っ張り出すかのように斜め上へと僅かに瞳を動かして。


「────自己紹介は不要。身長一九二。体重八九。虹彩の色は灰。いずれも一致。オーホーマー騎士団、暗殺部隊所属、アバカス=シクラメン。年齢は二」

「『元』ですよ。三年前に騎士団は辞めた」

「そう、情報に感謝する。記憶した」


 機械的な声色で口だけの謝辞を紡ぐ魔女をアバカスは見据え、にこりともしない無表情と向かい合う。


「俺がここに来たのは他でもない。とある殺人事件を追えと仕事を投げられましてね。聖歌隊に所属するドランク=アグナスが殺害されたそうで、ご存知で?」

「知っている」

「マタドール卿が殺したと聞いたんですけど」

「私が殺した」


 淡々と。間違いはないと告げられる事実に、タオは背筋に一筋の冷や汗を垂らす。人伝に聞くのと直接聞くのでは得られるものに違いがある。


 目を逸らす事もなく、悪びれもせずにつむがれる事実。百回聞いても百回同じ答えが返って来るだろう冷徹な答えにタオは喉を干上がらせた。


 本当にそうなら、そうであるなら、魔女の機嫌をそこねるだけで同じ魔女でもない限り容易たやすく命をむしられる。不安と恐怖にむしばまれ動けぬタオを余所に、アバカスは面倒臭そうに頭を掻いた。


「動機は?」

「分からない」


 魔女の即答に別の意味で空気が凍る。


「でも殺したんだよな?」

「私が殺した」

「動機は?」

「分からない」

「で、あんたが殺したと」

「私が殺した」

「で? 動機は? 方法はどうだ?」

「分からないと言っている」

「でもあんたが殺したんだろ?」

「私が殺した。アバカス=シクラメン、貴方にはいちじるしい理解力の欠如が見られる。一先ずやまいを疑い医者に掛かることを私は勧める」

「ぶっ飛ばすぞ?」


 拳を握りだすアバカスの姿に盛大に噴き出し、タオは暴漢と化そうとしている男の背中に慌て飛び付いた。


 魔女に拳など向けて、お返しにと即死魔法でも撃ち込まれ巻き込まれてはたまったものではない。


 向けられる変化ない魔女の瞳。感情を読み取れず、その変わらなさにこそ、ゾッとタオは背筋を凍らせた。突如入室して来たアバカスを気にしなかったように、アバカスとタオを消し去ったとしても顔色を変えないだろうと理解させられてしまう。


 が、アバカスはと言うと、僅かな会話で満足したとでも言うように、背中にタオを張り付けたまま身をひるがえした。


 そのまま挨拶もなしに退出し、図書室の大扉を閉める。


 足も止めずに歩き続けるアバカスにズルズル引き摺られ、「歩きづれえ」と肩を掴んでいた手を叩き落とされて、ようやくタオは我に返った。


「ば、馬鹿者⁉︎ 歩きづらいとかどうでもいい‼︎ もし魔女の機嫌でもそこねていたら⁉︎」

「あれらに機嫌もクソもあるかよ。快、不快ぐらいはあるだろうが、あの程度で魔法乱発するような気紛れ怪獣だったら、そもそも帝国が側に置いとく訳ねえだろうが。なんにせよ、今はもう十分だ。聞きてえ事は聞けたからな。おかげで分かったこともある」

「……なにが?」

「マタドール卿は魔女の中でも一等魔女らしい魔女ってことがだ」


 そこまで口にしアバカスはふと足を止めた。


 急にアバカスが足を止めたものだから、その背中に鼻をぶつけたタオは、鼻を摩りながら文句の一つでもぶつけ返そうと口を開きかけるが、文句がタオの口から外に出る事はなかった。


 アバカスの前に女騎士が一人立っている。


 女性にしては背が高く、アバカスとほとんど変わらない。なにより目を引くのは、左目を覆う眼帯と、先端の結ばれた地面に付きそうなほどに長い青みがかった髪。


 オーホーマー騎士団。第三騎士団長、キアラ=カイピロスカ。


 その女性を視界に収め、タオは目を見開き、急ぎ姿勢を正す。


 アバカスに文句を言おうとしていた所為で、大急ぎで出そうとした挨拶の言葉と衝突を起こし喉を詰まらせるタオに微笑を向けながら、キアラは顔に一つ残された猛禽類を思わせる鋭い目をアバカスへと差し向ける。


「久しいなアバカス、息災か?」

「……これはどうも、副長殿」


 そう一度言い切って、アバカスはキアラの胸元に飾られた勲章と階級章を目に入れると、決まり悪そうに口端を歪めた。


「……これは失礼、団長殿」

「そうかしこまるな気色の悪い。知らぬ仲でもないのだし、部下の様子を見に来ただけだ。貴殿にはミリメント卿の面倒を見て貰う形になるかもしれんが宜しく頼む。貴殿も『元』とは言え騎士だ。後輩だと思って可愛がってくれ」

「キ、キアラ団長? それは、どういうことでしょうか?」

「この一件が解決するまで貴殿はアバカスと行動を共にせよ、とそう言うことだタオ」


 蜥蜴トカゲの尻尾を掴んでおく役を任された。仕事が終わらなければ明日も明後日も口の悪い不良な騎士崩れと一緒。


 賭けの敗北を告げる無情な宣告。ニヤついた顔のアバカスから肩に手を優しく置かれ、タオは口には出さず内心で、できうる限りの汚い言葉を叫ぶ。


 周囲に誰も居らずタオ一人だけであったなら、『ちくしょー!』の一言くらいは口にしていただろう。


 団長の前という事で、姿勢を正しく律しながらも肩を震わせる新米騎士から騎士団長へとアバカスは視線を移し、その口元から笑みを消す。


「団長殿、知ってましたよね? 『殺した』などと口にしながら、肝心の動機は『分からない』などと吐かしやがる。誰も手を付けたがらない訳だ。俺を呼んだのは団長殿で?」

「大衆が既に事件を知っている以上、早急な解決が必要とされる。無用な噂が長い長い尾鰭おひれを伸ばして蔓延はびこる前にな。が、誰もが底の見えぬ影に好奇心と突っ込み心中をしたくはないと、このままでは事件を迷宮に突っ込む勢いだった」


 誰も手を出したがらないなら、手垢を付けぬまま封をして禁忌タブーという名の金庫に仕舞う以外にない。


「『魔女』がらみのしかも殺人事件だ。歴史の闇にほうむるよりも、どんな形であれ『解明した』という事実がなければ今後太い尾を引くことになる。暗黙の中でも魔女による殺人の許容という事実は必要ではない。信用ならぬ者に投げるくらいであれば、先に信用できる者に白羽の矢を立てればいいという話だ」

「俺である必要もないでしょうによ」

「金さえ積めば貴殿は二つ返事で引き受けるだろう? 未来への投資と考えれば十分安い。守銭奴の性分が変わっていないようで良かった」

「王族にも市民にも奴隷にも、金の価値だけは平等だ。仕事に見合っているなら断る理由もない。前金だけで平の騎士の給料のおよそ一年分。冒険者は良い商売ですよ。騎士団辞めて正解でした」


 騎士の誇りなどよりも、金の方が大事。そう言うようなアバカスに、タオは軽蔑の視線を送り、キアラは微笑んだ。


 左目を覆う眼帯を右手の親指の腹で一度さすり、腕を伸ばしてアバカスの肩を軽く叩くと、細長い足をゆっくりと動かしてキアラは二人の横を通り過ぎる。


 別れの挨拶もなく歩いて行くキアラの背にタオは一礼し、アバカスはその背に目を向けることもなく、軽く頭を下げているタオの肩を軽く小突いた。


「賭けは俺の勝ちだ。晩飯でも小市民におごってくれよ嬢ちゃん」


 それだけ言って歩き出すアバカスに口端を引きらせながら、タオは団長と不良冒険者の背を見比べる。


 ここから少なくとも数日、礼儀をわきまえるよりも晩飯の方が大事らしい男の背に付いて行かなければならない事実を呪う。

 

 タオはうらめしそうに団長の背を最後に一瞥いちべつしてから、茜色に染まった空の下、渋々アバカスの背を追った。

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