第1話 初めまして、ご主人

「ご主人、起きるにゃ」

「ん、んぅ……」


 誰かに揺すられて、意識を取り戻す暁斗あきと。彼は寝ぼけ眼を擦りながら体を起こそうとして、覗き込んできた顔に慌てて飛び退いた。


「だ、誰?!」


 目の前にいたのは、腰まである綺麗な黒髪に少しつり目な瞳、そして申し分なく整った顔立ちの……裸の女の子。

 暁斗はそういえば自分が彼女を見て気を失ったことを思い出すと、熱くなる顔を両手で覆った。


「僕は君に何かしちゃったの?!」

「何かって何のことにゃ?」

「そ、それは……」


 暁斗はまだ高校生。お酒も飲んでいないのに記憶が飛ぶなんてありえない。

 それでも裸で同じベッドに女の子がいるというシチュエーションは、どう考えてもそういうことだとしか思えなかった。


「とにかく君のことは覚えてないんだ! 何も無かったなら、服を着て帰ってくれる?」

「ご主人、私は服なんて着ないにゃよ」

「え、普通着るよね? ていうか、ご主人って何?!」

「ご主人はご主人にゃ、暁斗のことにゃ」

「どうして僕の名前を……」


 まずい、本当に何も思い出せない。彼女も彼女でにゃんにゃん言い続けているし、昨晩の僕は一体何をしでかしてしまったんだろうか。

 暁斗は頭を抱えた末に、とりあえず落ち着いて話し合いをしようとクローゼットから服を取って戻ってきた。


「な、何にゃ?」

「これを着て欲しい」

「ご主人、着せ替えが好きだったのにゃ?」

「何を言ってるのか分からないけど、とりあえず服を着てよ」


 男一人暮らしの身、女の子の服なんて一着もないから男物になってしまうけれど、ひとまず見てはいけないものを隠してもらうだけなら十分だろう。

 そう思って少し強引に腕を通させたのだけれど、あまりに体の大きさが違いすぎてダボダボになってしまった。これはこれで危ないような気もする。


「ほら、ズボンも履いて」

「嫌にゃ! ズボンは嫌いにゃ!」

「スカートなんてないから我慢してよ」

「私は服なんて着ないのにゃぁぁぁ!」


 ついには抵抗のあまり暁斗の手に噛みつき、「シャー!」と八重歯を見せて威嚇してくる始末。

 普通に痛いし、見ず知らずの人に噛まれるなんて恐ろしい。警察に通報でもしようかと思い始めた頃、彼はふととある事に気がついた。


「無い……無い……!」

「何が無いにゃ?」

「僕の大事なねね子が無いんだよ!」

「何言ってるにゃ、目の前にいるにゃ」

「どうしよう、ねね子がいないと僕……」


 急いでベットの下、テレビ台の後ろ、トイレの中と色々探したが、やはりぬいぐるみは見当たらない。

 ねね子が勝手に歩いていくことがないと考えるに、どう考えても目の前の少女が怪しかった。


「ねね子を返してよ」

「だから、目の前にいるにゃ」

「冗談を聞いてる余裕は無いの。早くねね子を抱きしめないと、僕はおかしくなっちゃう」

「毎朝恒例のハグにゃね。あれ、苦しいから手加減して欲しいにゃ」

「……さっきから何言ってるの?」


 訳が分からなくてスルーしていたけれど、まるで自分が『ねね子』であるかのような口ぶり。

 でも、ぬいぐるみが人間になんてなるはずがない。常識的に考えて絶対にありえない。

 頭ではそう断定しながらも、少女はよく見てみればどことなくねね子に似た顔つきをしている、なんて思ってしまって――――――――――。


「あの、質問してもいい?」

「いいにゃよ」

「1週間前、僕がねね子にプレゼントしたものは?」

「ピンクのリボンにゃ」

「どうして着けてないの?」

「ピンクは好きじゃにゃいから」

「どこにある?」

「ご主人の宝箱の中にゃ」


 そう言われて確認しに行ってみると、確かに綺麗にまとめられたリボンがしまってあった。

 自分が片付けた記憶もないし、この箱の隠し場所を知っているのは自分とねね子だけ。


「ピンクは嫌いにゃけど、ご主人がくれたから……一応は宝物にしてあげたにゃ」

「ほ、本当にねね子なの?」

「だからそう言ってるにゃ。何度も言わせにゃいで欲しいにゃよ」


 正直、にわかには信じ難かった。昨日まで普通にぬいぐるみだったのに、朝起きたらこんな可愛い女の子になっていたなんて。

 それでも1人と1匹しか知り得ない情報を彼女は知っている。盗聴器でも仕掛けられていない限り、それは本物のねね子であるということで……。


「ごめん、しばらく受け入れられないかもしれない」

「ご主人は相変わらず優柔不断にゃ。私に聞かないと何も決められないにゃね」

「っ……我ながら情けない……」


 ねね子(?)は「まあ、そういうところも嫌いじゃにゃいけど」と小声で呟くと、「今なんて?」と聞き返す暁斗からぷいっと顔を背けた。


「もうそろそろぬいぐるみに戻るみたいにゃ。それを見れば信じてくれるはずにゃよね」

「も、戻っちゃうの?」

「まだ慣れてにゃいから、あまり長く人間でいられにゃいのにゃ」

「また人間になることは出来るの?」

「しばらくすれば、またなれるにゃ。ご主人がちゃんと学校行って勉強を頑張れば、私も人間になる練習を頑張るにゃ」

「が、頑張る!」

「偉いにゃね。じゃあ、また夜に会うにゃ」


 ねね子(?)は「ばいにゃ〜」と手を振ると、ポンッと音を立てて姿を消し、着ていた服がその場にストンと落ちる。

 その下を確認してみれば、確かにぬいぐるみのねね子がいた。信じられないようなことが、まさに目の前で起こったのである。


「……ねね子、可愛かったなぁ」

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