第18話

それから学校は蜂の巣を突っついたような大騒ぎになった。救急車やパトカーが何台も校内に乗り入れて生徒たちを病院へと運んだ。折しも事故が起きた時間帯が、生徒の帰宅時間と重なっていた為に怪我人が多く出てしまった。焼却炉は校舎裏にあったが、そこから裏門や中庭が近い。帰路に着く生徒や、クラブハウスへと向かった生徒たち、または中庭一帯を掃除当番にしていた生徒が被害にあった。煙を吸い込んで喉や目を痛めたり、爆発時に起きた熱風で火傷をしたり飛んできた破片で怪我をしたのだ。




 伊吹も、光廣と共に救急車で運ばれ病院で検査を受けた。自分としては、喉が痛いぐらいで大した怪我などしていないから救急車など必要ないと突っぱねたのだが、事故当時、焼却炉の側近くにいたということで心配した担任や保健医に無理矢理担架に乗せられてしまった。




 が、いざ病院で検査を受けてみると、伊吹の両手の甲と腕が真っ赤に腫れ上がっていたのである。事故当時はショックで痛みを感じなかったのだろうと、医師は言った。よくよく思い出してみれば、水が噴き出してくるよりも一瞬、炎が伊吹に到達するのが早かったのだ。それでも、決して大怪我ではなかったのだから、助かりものだろう。




 怪我は時間が経てばじくじくと痛み、半透明な膜を張った水ぶくれになった。だが、伊吹にとっては痛みよりも何よりも、この夏の盛りに怪我のために風呂に入るのを我慢しなくてはならないことが一番堪えたのだった。




 事故以来学校はずっと休校のまま、二日が過ぎていた。回ってきた連絡網によると、今週いっぱいはこのまま休校するらしい。




 事故原因は今のところまだはっきりとはしていないらしく、警察による調査中との話しだった。実際、伊吹も数回ほど、自宅へ警察が訪ねてきて事故当時の話しをしたが、詳しいことは教えられていない。




 学校の方は設備の管理不備ではないのかとマスコミや保護者につつかれて、対応に追われているという話しだ。




 爆発の瞬間、上がった火柱は十メートル以上にも上り、飛んだ破片は校舎の窓を叩き割ったらしいが、大きな怪我人や死亡者が出ていないのは不幸中の幸いともいえた。爆発の衝撃で、近くにあった水場の水道管が破裂したせいで、吹き上がった水が炎や煙の勢いを消してくれたのだそうだ。焼却炉近くにいた伊吹の怪我がこんな両腕の火傷程度ですんだのも、その水を被ったおかげだろう。光廣の方も顔に軽い火傷と、爆風で足を軽く捻っただけですんだらしい。またあのときもっとも焼却炉の近くにいた用務員も、背中に軽度の火傷と、転倒時に頭をぶつけてたんこぶを作ったぐらいですんだらしい。




 そうやって事故のことを思い返せば返すほど、酷い事故だったが運の良い幸運に見舞われて自分たちは助かったのだという気がしてならないのだった。




 璃夕が伊吹の家へやってきたのは、その日の午後だった。




 心配症の祖父母によってベッドの中に閉じこめられていた伊吹は「お客さんよ」という言葉と共に、祖母の絹江が連れてきた人物を見て、息を止めるほど驚いた。




 彼は部屋の中へ入ると、ちらりと伊吹を一瞥して、すぐに絹江に向き直った。




「これ、お見舞いのお花です。うちの庭に咲いていたものですけど」




 絹江は差し出された真っ白な花に驚いたように瞳を大きくして、皺に埋もれた口元を綻ばせた。




「まあまあ、綺麗なお花。良い匂いね。これは百合でしょう? カサブランカね。ありがとう。すぐにお茶を用意してくるわ。どうぞごゆっくりね」




 そう言い残して、とんとんと足音も軽やかに階段を降りてゆく。璃夕はしばらく閉じたドアを見つめたまま、足音が遠ざかってゆくのを確かめているようだったが、くるりとこちらを向くと真っ直ぐに伊吹を見つめた。




「ここが、伊吹の部屋?」




 彼は、ゆっくりと部屋の中を見渡す。




 畳敷きの部屋にカーペットを敷いた六畳間。壁際にベッド、後は机と箪笥と本棚が置いてある。机の上には鞄が投げ出したままの恰好で乗っており、隣に教科書が積まれている。本棚はほとんどがガラガラで、推理小説と漫画本が数冊並んでいるだけだ。本棚の空いた部分には、写真立てがぽつんぽつんと立てかけてあった。




 シンプルと言うよりは、飾り気のない部屋だった。




「物が少ない」




「引っ越して間がないせいですよ」




 伊吹が苦笑すると、彼は「ふうん」と頷いて、本棚をしげしげと覗き込んだ。




「一応、ちょびっとは本も読むんだ?」




「俺の場合借り専門ですけどね」




「借り?」




「本って嵩張るでしょ? だから図書館で借りる方が多いって事です」




「ああ、そうゆう意味。へえ。僕、図書館なんて行ったことない」




「そうなんですか?」




「本がいっぱいあるのか?」




「そりゃあ、もう、見渡す限り」




 璃夕は想像したのだろう、軽く目を瞠った。子どものように唇を尖らせた。




「……行ってみたい」




「いいですよ。今度案内します」




 微笑むと、璃夕はベット脇に腰を下ろして伊吹の顔を覗き込んだ。




「怪我したって聞いたけど?」




「手をちょっと火傷したんです」




 包帯の巻かれた手を差し出し、璃夕に見せる。璃夕はぼんやりとした仕草で、それを眺め首を傾げた。




「爆発があったって」




「はい。俺の目の前で突然焼却炉が爆発して火を噴いたんです。もう、そりゃあ凄い音だったんですよ。雷が落ちたのかって思うぐらい。璃夕さんは、雷の落ちる音聞いたことありますか? そうしたら、いきなり火柱が上がって、危うくその火に包まれて焼き殺されるところだったんです。だけど爆発で壊れた水道管から水が噴き出して、間一髪運良く助かったんですよ」




 と、そこまで説明したところで、伊吹はあの鱗の事を思いだした。襟から鎖を引っ張り出して、璃夕に掲げて見せながら、言った。




「この鱗、光ったんです」




 あの事故の時、確かにこの鱗は淡く鈍い色を発して光り、暖かな温もりを宿した。それまで長いこと伊吹は鱗を所持していたが、そんなふうに光ることなど一度もないことだったので、驚いた。光は、伊吹が救急車に乗せられる頃には薄くなり温もりも光とともに消えていった。




 あれはなんだったのだろう。首を捻る伊吹に対して、璃夕の声は単調だった。




「ああ、やっぱり光ったんだ」




「え? これって光るものだったんですか? 螢みたいに?」




「水が噴き出して、伊吹を助けたんだろ?」




「は? いや、助けたって言うか、たまたま水が噴出してきた場所とタイミングが良かったから、運良く助かったってだけで」




「伊吹が怪我してるから、てっきりダメだったのかと思って焦ったじゃないか。なんだ、ちゃんと働いてるんで良かったよ」




 璃夕は伊吹の手から鱗を受け取り、目の前で左右に振って見せた。七色の輝きが、左右に揺れる。それをつい目で追っていると、まるで催眠術に掛けられそうな雰囲気だなと、思った。




「前に僕が言っただろう。これを持ってると海の加護があるって」




 確かに、そんなことを前に言っていたような気がする。




 だけどと、困惑する伊吹に、




「海も水も同じだよ。海の女神は慈悲深くあらせられるから、愛めぐし子ごを守るために伸ばす腕を惜しまれたりはなさらない。海の加護とはそうゆう意味だ。おまえは水に守られているのさ、僕のおかげでね」




 伊吹はぱちくりと瞳を瞬かせた。そっと璃夕の手の中にある鱗を見て、再び璃夕を見る。瑠璃色の瞳が、おかしげに笑っていた。




「じゃ、じゃあ、あの水道管の破裂は……」




「破裂したんじゃなくて伊吹を守るために、水が飛び出したんだろ」




 まるでタイミング良く吹き出して、あまつさえ狙い澄ましたように伊吹目掛けて降り注ぎ、炎を消した水は、最初から自分をターゲットにしていたということになるのか。




 自分を守るために……。




「これって夢?」




 いきなり頬に平手打ちを喰らわされた。じんと痺れるような熱に「イタイ」と呟けば、璃夕はにっこりと微笑んだ。




「そりゃよかった。これで夢じゃないってわかっただろ?」

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