第50話 白雪姫の甘え方




「———あぁ、お昼は先生から頼み事をされていたのよ」

「頼み事?」

「世界史の授業で世界地図を使うから、資料室にある大きな巻物を持ってきてくれって。だからお昼時間に結果を確認することが出来なかったの」

「なるほどな」



 その日の放課後、晴人は由紀那と一緒に自宅に向けて歩いていた。最初こそ周囲の目があったので離れて歩いていたのだが、現在は高校からはだいぶ離れたので一緒に並んでいる状態である。


 昼休みの終わり際まで彼女が訪れるのを待っていたのだが、別に体調が悪くて学校を休んでいた訳ではないようで一安心。渡が言っていた通りどうやら杞憂だったようだ。それにしても、いくら彼女が優秀とはいえ、黒板に貼る大きな重量のある物を生徒に頼む先生も如何なものか。いくら待っても来ない筈である。


 ちらりと隣にいる由紀那に視線を向けると、何故か一瞬だけ表情が強張る。次の瞬間、可愛らしいくしゃみが彼女の口から漏れた。



「くちゅんっ」

「……大丈夫か?」

「えぇ。あまり掃除されてないのか、室内はとっても埃っぽかったのよ。換気もされてないから探してる間もずっと鼻がムズムズしてたの。……くちゅんっ」

「言ってくれれば俺も手伝ったのに」

「はるくんの手を煩わせるまでもないわ。それに、誰かに頼られるのは嬉しいから」



 そのように話す由紀那の表情は全く変わらなかったが、その瞳だけは嬉しそうな感情が見え隠れしていた。心なしかその足取りも軽く、ポニーテールに結われた艶やかな濡れ羽色の髪も小さく踊っている。


 本人の意思に関わらず、表情が変わらない所為で冷たい印象を周りに与えてしまいがちな彼女。しかし実はただ人見知りなだけで心優しい女の子ということを晴人は知っている。誰かに頼られるのが嬉しい。それはきっと嘘偽りの無い本心からの言葉なのだろう。


 晴人は思わず頬を緩めそうになるも、ふと由紀那が何か思いついたようにパチパチと瞬きをする。やがて晴人にそっと切れ長の瞳を向けると、彼女はそのまま言葉を紡いだ。



「帰るときに廊下の掲示板も確認したわ。八位おめでとう、はるくん」

「一位の由紀那に比べたらまだまだだけどな。ま、白雪姫様にお褒めに預かり恐悦至極だ」

「……もう、そう言って茶化すんだから」

「言っておくが本心だぞ? 勉強を頑張って続けて一位になった由紀那を心の底から凄いって思ってるし、八位とはいえ俺も由紀那と一緒に名前が載って嬉しいんだ。こんな気持ち初めてだよ」

「そ、そうなの……」



 その言葉を聞いた由紀那は恥ずかしそうにうっすらと頬を染めているが、これは紛れもない晴人の本心である。今まで周りとは最低限の付き合いばかりだったが、こんな気持ちが芽生えたのは確実に彼女の影響が大きい。


 前回の勉強会にしても、人間関係に全く関心のない晴人が、渡とだけではなくたまには大人数でするのも悪くないなと思えたのも大きな進歩だろう。その変化が良いものか悪いものなのかまだ分からないが……晴人としては前者だと思いたい。ただまぁ、折角なら由紀那と一緒にテストの結果を見たかったものだが。


 由紀那の様子を見てなんだか自分も気恥ずかしくなった晴人は、そんな気持ちを隠しながら首元に手を置くとやや言葉を速くする。



「あー、そうだ。次のテストの前にまたみんなで勉強会するか? 渡も四ノ宮さんも今回の結果良かったみたいだし、次もやればきっとまた点数が良く———」

「……ねぇ、はるくん」

「ん、どうしたんだ由紀那?」

「———もしかして、私が来なくて寂しかった?」

「…………っ」



 不意に立ち止まり、言葉を遮ってそのように指摘する由紀那にどきりとしてしまう晴人。胸中まで見透かすような、しかしどこかその視線に息を呑んでしまうが、よくよく見れば彼女も幾許か頬が赤い。どうやら少しだけ緊張しているようだ。


 それにしても普段から人見知りな由紀那がこのように相手を焚きつけるような物言いをするのは珍しい。いや、或いはそう口にしてしまう程分かりやすかったのだろうか。



「さっき廊下の掲示板のことを言ったら……ううん、今日会ったときからその、なんとなくだけれど、はるくんが寂しそうに見えたから……。もしかして、一緒に結果を確認したかったのかなって」

「あー…………」

「なんて、ごめんなさい。忘れて頂戴。学校で私と一緒に居るところをみんなに見られたら、はるくんに嫌な思いをさせてしまうものね」

「いや、ちょっと待ってくれ」



 一人で自己完結した由紀那に思わず静止を掛ける晴人。気恥ずかしさからどう言葉を返したら良いものかと逡巡していたのだが、どうやら勘違いさせてしまったようだ。


 きっと勇気を出して言葉にしたのだろう。だからそんな、見るからに残念そうにしょんぼりとしないで欲しい。はぁ、と溜息をつくと、晴人は頭をがしがしと掻く。



「……図星だよ」

「え?」

「だから、由紀那の言う通り寂しかったし一緒に見たかったって話しだ。すまん、勘違いさせて」

「そう。……ふふ、良かった。実は私もよ」

「そっか」



 さっきはごめんなさい、と由紀那は謝るも、そのまま言葉を続ける。



「でも本当に良いのかしら? いえ、以前好奇な視線を浴びるのが苦手って自分から言っておいてなんだけれど、もし私と一緒に学校でテストの結果を見ていたら結構注目されてたかもしれないわよ? いくらでも誤魔化せるとはいえ、ね?」

「由紀那と一緒なら、別に俺は構わないよ。なんなら今度一緒に昼飯食べるか?」

「———っ。でも、それだと……」



 由紀那は一瞬だけ喜色を浮かべたものの、すぐに鳴りを潜める。これまで様々な交流を深めてきたが、きっと生真面目で思い遣りのある彼女のことだ。どうせまた嫌な気持ちにさせたくないといった配慮を考えているのだろう。だがそれは間違いである。



「言っておくが、俺に迷惑が掛かるとか言ったらそのほっぺた引っ張るからな?」

「う……」

「俺にくらい我儘というか、その……甘えて欲しい」



 そういう関係ではないが、心優しい彼女が自分の悩みと向き合いつつ楽しく穏やかに高校生活を暮らせるように支えてあげたい。少しでも心労を和らげてあげたい。勿論断れば大人しく引き下がるが、そう考えてしまうのはエゴだろうか。


 きっと晴人の顔は今真っ赤なのだろう。しばしの無言に手を頬に当てた由紀那の顔を直視出来ず顔を背けてしまうが、ふと目の前を彼女にちらりと視線を向ける。


 ———彼女は頬を上気させながら上目遣いで晴人をじっと見つめていた。



「そんなこと、急に言われても……どうすれば良いか分からないわ」

「思いつく限り存分にどうぞ、お姫様?」

「……はるくんのいじわる」



 ぷくっと頬を膨らませた由紀那は、じとーっと恨みがましげな視線を晴人に向ける。無表情とはいえ、端正な顔がうっすらと赤く染まっているので全く怖くない。むしろ可愛いさしかない。


 やや口を尖らせた彼女は、そっと言葉を紡ぐ。それはまるで、自分に言い聞かせているようで。



「…………ねぇ。甘えて良いの?」

「あぁ」

「本当の本当に? もう取り消せないわよ?」

「男に二言はないよ」

「なら、ね……?」



 そう言って少しだけ言い淀んでいた由紀那だったが、意を決したように晴人の制服の袖口そでぐちを控えめに触れて優しく掴む。


 思わずそんな可愛らしい仕草にどきり、と晴人の胸は酷く高鳴る。緊張からかやや潤んだ瞳で晴人を見つめた彼女は、やがて顔を真っ赤にさせながら口を開いた。



「———手を、繋いでもいい?」

「あぁ」



 普段は大人びた彼女の可愛らしいお願い。そんな可憐な彼女がとても婀娜あだやかに見えて。


 晴人は気恥ずかしい感情を誤魔化す為にそっけない返事を返すも、しっかりと由紀那の手を繋ぐ。滑らかな乳白色の肌にすらりと細長い指。絡めた手の平からは、しっとりとした仄かに温かい体温がじんわりと感じる。



「なんだかとっても恥ずかしいわね」

「でも、由紀那はしたかったんだろ?」

「まぁ、そうなのだけれど……はるくんは、その、大丈夫?」

「嫌だったら繋いでないよ。なんなら、女の子らしい柔らかい手とか褒めた方が良いか?」

「それ以上は死んじゃうので遠慮するわ」



 羞恥心が勝っているのかやや早口な由紀那。緊張した様子ながらも、何処かホッとした安堵の雰囲気を滲ませていた。


 そんな微笑ましげな彼女にそっと笑みを零した晴人は、優しく言葉を紡ぐ。



「じゃあ、帰るか」

「……うんっ」



 そう言ってこくり、と頷いた由紀那は、晴人と手を繋ぎながら帰路につく。


 夕暮れに染まったいつもの歩道。距離がちょっぴり縮まった二人分の影が寄り添うように浮かんでいた。



















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少しだけ糖度高めにいちゃいちゃさせました(ニッコリ)


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