第34話 白雪姫は頼まれる
「さぁ着いたわよ〜! 二人とも降りて降りて!」
「風宮くん、ドアの開け方分かる? 手伝いましょうか?」
「ちょっと待って、多分大丈夫……よし、開いた」
「そう、良かったわ」
「あぁ、ありがとうな」
車のドアがスライド式だったので、降りる際に少々手こずってしまったのだが無事に開く。気遣ってくれた冬木さんに感謝を述べつつ車から降りると、同じく様子を見にきたらしい奈津美さんとばっちり目が合う。
「あの、なんすか……?」
「ううん、なんでもないわ〜!」
口ではそう言っているが、奈津美さんのにやにやとした視線が全てを物語っている。どことなくくすぐったい。
気恥ずかしくなった晴人は思わず顔を背けるも、彼女はそのまま元気良く言葉を続けた。
「ふふふ、早速行きましょっか〜!!」
「は、はい…………」
「あ、由紀那〜! ちょっといい〜?」
「何、どうしたのママ?」
「これパパが持たせてくれたんだけどさ、ちょっと両手が塞がってるから代わりに持ってて〜!」
「うん、わかった」
「はーい、それじゃあレッツラゴー!」
元気よくそう言い放ちながら先に向かう奈津美さんだったが、晴人がその背中を追い掛けようとした瞬間、不意に隣から視線を感じたのでそちらを見遣る。その視線の正体は言わずもがな冬木さん。
無表情ながらも、彼女はなんだか申し訳なさそうな感情をその瞳に浮かべていた。
「ごめんなさい、ママが色々騒がしくしちゃって……」
「いやいや、そんな事ないぞ。寧ろ周囲を笑顔に出来る太陽みたいな人ってああいう人の事を言うんだな、ってさっきからずっと感心してる程だよ。さ、俺らも早く行こう」
「……えぇ、そうね」
励ますようになんとか冬木さんへ声を掛ける晴人だったが、先程より幾分か落ち込んだ雰囲気が和らいでいるような気がした。それでも何処となく、何かに引け目を感じているような瞳をしているのはとても気になる所だが。
改めて冬木さんと一緒に自宅へと向かいながらその外観を眺める。
「うわ、めっちゃ立派な家だ……」
こうして無事冬木さんの自宅へと着いた訳だが、まるで新築と見間違うかのような一軒家である。家全体のデザインは洋モダンと表現するべきだろうか。屋根は黒色なのだが、白を基調とした外壁となっている為か見た目はとてもシンプル。現在のような晴れている日には青空が良く映える気がした。
見たところ先程車を泊めた駐車スペースもあと一、二台は裕に泊められる程まだ余裕があるし、軒下や庭らしき少々広めの空間もある。
晴人の家も決して見劣りはしないのだが、不思議と恐縮してしまう。
「ささ、入って入って〜! 冬木さん家へいらっしゃ〜い!」
「お、お邪魔します……!」
「ただいま」
荷物を下に置くと、鍵を差し込んで難無く解錠。
がちゃり、と奈津美さんがテンション高めに扉を開けると、晴人は軽く会釈をしながら冬木さんと一緒に玄関へ足を踏み入れた。
「おぉ…………」
思わず感嘆の声をあげながら緊張してしまう晴人だったが、それも仕方ないだろう。
なにせこれまで異性の自宅を訪問する機会はなかった。気の置けない間柄である渡の自宅に伺う時でさえ身体が強張るというのに、美少女である冬木さんの自宅ならば尚更だろう。
中は至って普通の玄関だったのだが、どうにも落ち着かない晴人はそわそわとしながら辺りを眺めてしまう。
「うふふっ、そんな固くなんないで〜。ほらほら、早く靴を脱いで遠慮なく上がりなさいな!」
「は、はい……」
「あ、由紀那ー、それ私がリビングに持ってくから、晴人くんと一緒に手を洗っといで〜!」
「わかったわ。ママの荷物はどうするの?」
「ひとまず玄関に置いとくからダイジョーブイ!」
恥ずかしいからやめて、と淡々と口にしながら、冬木さんは父親が持たせてくれた包みを奈津美さんに手渡す。そうして奈津美さんはにこにこと笑みを浮かべながら奥へと去っていった。
(あれって一体何だったんだろうな……?)
奈津美さんが向かった方へ顔を向けながら晴人は首を傾げる。
中身は不明だが、どうやら四角形のような形をしており彼女らは先程から傾けないように注意しているようだった。正直に言えば晴人は車に乗り込む前から気になってはいたが、中身を聞くのは不躾のように思えてなんだか気が引けて聞けなかった。
ずっと傾けないように気に掛けている様子から、きっと二人は中に何が入っているのか把握しているに違いない。
今晩のおかずかなにかかな、と考えていると、側にいた冬木さんから声が掛けられる。
「風宮くん、ついてきて」
「あ、あぁ、わかった」
考えに気を取られた晴人は慌てて返事をすると、冬木さんの案内で洗面所へと向かう。
そうして間もなく到着し、洗面台の灯りを付けてくれた冬木さんに礼を言いつつ蛇口を捻る。水回りはとても清潔さが保たれており、思わず感心してしまう程だった。
彼女と共に手洗い、うがいをしっかりすると、再び彼女の案内でリビングへと歩みを進める。
「おっかえり〜! 二人ともちゃんと洗ってきた?」
「はい」
「えぇ」
よろしい、と笑みを浮かべる奈津美さんはキッチンに立っていた。どうやらキッチンとリビングは繋がっているようで、その少し離れたところに木製のテーブルと椅子があるようだ。
見渡すと壁際には大きめのソファとテレビもあるので、落ち着きながら食事や談笑したりといった家族団欒するには最適な空間とも言えるだろう。
冬木さんは普段どのようにここで過ごしているのだろうか、と晴人が思わず頬を緩ませていると、奈津美さんがニコニコしながら冬木さんに声を掛けた。
「由紀那、ちょ〜っと頼み事があるんだけどいい?」
「なに?」
「今日中に買って来て欲しい物があるのよ〜! 一応さっき紙に買い物リスト書いといたからさ、お願い由紀那、行ってきて♡」
「……コンビニとスーパー限定のスイーツにお菓子? ママ、家から結構離れてるけど、どうしてさっき行かなかったの?」
冬木さんはリストの書かれた用紙を受け取って内容を読み取ると、途端に訝しげな視線を奈津美さんに向けた。
確かにデ・ネーヴェから冬木さんの家に向かっている途中でコンビニやスーパーを通り過ぎた記憶がある。冬木さんの口振りから察するに、この周辺近くにはそういった店舗はないのだろう。
通り過ぎた場所まで歩いて向かうには、些か距離が離れている。もし本当に行かなければならないのならば、そのような表情になっても仕方がない。
しかし、奈津美さんは変わらず笑顔を浮かべていた。
「私の用事で寄り道して、晴人くんに迷惑掛ける訳にはいかないでしょ?」
「そう、だけど……。わざわざ今行かなくてもいいじゃない。後でママが自分の車で行けば済む話よ」
「う〜ん、どうしてもダメ?」
「折角風宮くんが来ているのに、私が行く必要性を感じないわ」
「もう、しょうがないなぁ」
「?」
やれやれと腰に手を置いた奈津美さんは分かりやすく嘆息をつくと、冬木さんに向けて小さく手招きをした。
訝しげな視線はそのままに、冬木さんは奈津美さんの元へ向かう。その様子を不思議に思った晴人も思わず首を傾げるが、奈津美さんはそのまま冬木さんの耳元に口を寄せると内緒話をし始めた。
(うーん、二人は何を話してるんだろうか……?)
残念ながらここからではうまく内容は聞き取れない。どうやら奈津美さんの意図的に晴人には聞かせたくないみたいだ。奈津美さんの性格から鑑みるに、きっと悪意があってそうしている訳ではないのだろうが、なんだか一人だけ取り残されたような気分になってしまう。
ちょっぴりと眉を顰めた晴人は、そのまま静かに二人の様子を眺める。
すると何故か突如、話の途中で冬木さんが身体をぴくりと震わせた。一拍だけ間が空き、ギギギ、とまるで油が切れたブリキ人形のようにこちらを振り向くと、奈津美さんへ視線を戻した。
僅かな間隔だったが、冷や汗を浮かべているように見えたのは気のせいか。
やがて彼女らは内緒話を終えたのか、冬木さんがこちらへと向かってくる。彼女の表情は無表情ながらも、その瞳はどこか真剣さが垣間見えるものだった。
「風宮くん、これから買い物に行ってくるわ」
「あ、あぁ……?」
「なるべく早く帰ってくるから、申し訳ないけどそれまで待ってて頂戴」
「え、でも一人で大丈夫か……? なんだったら俺も―――」
「ううん、精々一時間程で帰れると思うから大丈夫よ。……それに、これは私自身の問題でもあるから」
「え?」
「なんでもないわ。それじゃあ行ってきます」
いってらっしゃい、と奈津美さんと共に冬木さんを見送るも、いつにも増して堂々とした佇まいをしている気がした。凛とした感情の中に、妙に気合というか緊張感が籠っている雰囲気……そのきっかけは十中八九、先程の奈津美さんとのやりとりだろう。
さて、と晴人は奈津美さんの方へ振り返る。リビングに取り残された二人だったが、彼女は変わらぬ笑みのまま、しみじみと口を開いた。
「命短し恋せよ乙女、か……。うんうん、由紀那も女の子ねー」
「はぁ……?」
「ううん、なんでもないわ晴人くん。ささっ、テーブルの椅子に座って待っててー! 今ちょうどお湯を沸かしてるところだったから、由紀那が帰ってくるまでおばさんの話し相手になってくれると嬉しいわ〜!」
そうして晴人はコーヒーは飲めるか、砂糖やミルクなどいるかなど次々にやってくる奈津美さんの質問に答えながら、おずおずと椅子に座って彼女が準備を終えるのを待つのだった。
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