招き仔猫の宿:1

「はい。もうこの先には当分建物はありませんので、私どもの宿にお泊まりいただいた方がよろしいかと」


「はあ」「おじさん笑顔で言ってるけどさぁ、どうせ嘘でしょ?」



淡い緑のエプロンを着けた頭のすけているおじさんは、表情を変えずに姿勢よく立ち続けている。



「いいえ、嘘ではございませんよ。証拠にほら」


「地図、ですか」



きめ細やかに書かれている。



「現在地が、ここです」



おじさんが赤ペンで丸をする。



「この方角が先ほどの道ですが、地図だと建物など何も表示されていませんよね。暗くなる前にこちらに泊まった方がよろしいかと」


「そうですか」「でもさぁ。その地図が最新の物だという確証がないでしょ?」



おじさんは少し息を詰まらせる。



「えっっとぉ。まあ、この地図ははっきり言いますと一年も前に作った物ですので、最新の物ではございません」


「はい」「ほらぁ! だから言ったじゃんか雨夜」


「ですが、こちらの宿に泊まっていただいた方にはもれなく、無条件で小さな幸せが訪れます!」


「無条件で小さな幸せ、ですか」「おじさんいきなりテンションが高いね」



おじさんは両手を大っぴらに広げて、さぞかし自信ありげに振る舞った。



「はい! 私どもの宿には、必ず小さな幸せを叶えてくれる仔猫がおりますので!」


「仔猫、ですか」「大人の猫じゃないんだね」


「はい。この先の森ではぐれていたところを偶然私どもが発見し、保護したのです。するとみるみるうちに元気になっていき、うちの宿に自然と住み着いてくれるようになったのです」


「へえ、そうなんですね」「なんだ、おじさんいいやつじゃん!」



おじさんは、にんまりと笑う。



「では、夜も近いことですしここにしようか、余石」


「そうだね、雨夜。僕は雨夜の意見に賛同するよ」


「お、珍しく素直だ」


「まあ、めんどくさいだけだけどね」



おじさんはにんまりとしている。



「ありがとうございます。それでは受付をさせて頂きますので、中へとお入りください。



そうして雨夜達は、建物の中へと案内を受ける。



 ーーーーー




おじさんの立つ受付には、羽のついたペンと墨だけが置かれていた。



「こちらの方に、サインをお願いします」


「はい」「サインは危ないんじゃないの、雨夜」


「もう、余石は人を疑いすぎ」



雨夜は渡された羽のペンを右手にとり、墨をつけて右下の欄にサインをしていく。



「お、このペンはとても書きやすいですね。どこに売っている物なんですか?」


「おお、気づかれましたか。そのペンの先には、どんな地形でもするすると移動することの出来るハリネズミの針が使われておりまして」


「ほお」


「私が以前、砂漠のオアシスに旅行に行った際買うことが出来たものになります」


「砂漠のオアシス、ですか」



雨夜はサインを書き終わる。



「はい。そのオアシスにはとっても素敵な女の人が沢山おりまして、一緒にご飯を食べてもらったり、あーんしてもらったり。ああ、あの時間はとっても幸せ」


「書き終わりましたよ」「とっくにねー」



おじさんは、はっと我に返る。



「失礼いたしました。それではお預かりします」



おじさんは、その契約書のような物を後ろの引き出しに乱雑にしまう。



「はい。これで大丈夫です。それではお部屋にご案内しますので、ついてきてください」


「わかりました」「はーい」



 ーーーーー



「夜ご飯は食べられますか?」


「ええ、お願いします」「僕はいらないよー」



承知しました、とおじさんは言い、金属のすれる音を響かせながら木のドアをゆっくりと閉めた。



「ふう」



雨夜は肩から荷物を降ろし、深く息を吐く。



「今日は、とっても長く歩いたから疲れたよ、余石」


「そうだねー雨夜。まあ僕は全く疲れないから、何でもいいんだけどね」


「もう、余石はいっつも自己中な会話ばかり」


「はいはーいごめんよ雨夜ー」



ベットに腰掛け、横に備え付けられていたお茶の匂いを嗅ぎ、視覚的に確認し、飲む。



「落ち着く。はぁ」


「そう。それはそうと雨夜。部屋の端に何かいるよ」



余石の報告に、雨夜の体に少し力が入る。身構え、少し身を引き、そちらの方を見る。



「みゃー」



小さな、音。いや、声。



「みゃー」



カーテンがなびき、月の光が大きくその者を照らし出す。



「・・・・・・猫?」「仔猫だね」



白、黄色、黒の三色を兼ね備えた小さな猫が、部屋の隅にちょこんと座っていた。



「もしかして、あの仔猫が受付の方が言っていた仔猫かな? 余石」


「まあ、そうなんじゃないかな雨夜」



小さく口を開け、鳴いている。



「お、雨夜の方に寄っていってる」


「みゃー」



ベットの脇まで来て、やがてベットの上に登ろうと必死にもがく。が登れず。



「よっと」



雨夜が腰を曲げ、両手でその仔猫を軽く持ち上げる。そして自分の膝元へちょこんと乗せた。



「みゃー」


「ねえ余石。僕はこの子が膝に乗ってくれただけで十分幸せなんだけど」


「良かったね、雨夜。でも、それは普通の猫でも人間に与えることの出来る事だよ」



雨夜は穏やかな表情で仔猫の頭をなでる。



「確かに、そうだね余石。でも、なんだかそんなことはどうでもいいかもなぁ」


「その者から『妖の匂い』を感じるよ、雨夜」


「・・・・・・僕、こんなに長く妖に触れても大丈夫なのかな、余石」


「みゃー」



雨夜はその仔猫を、優しく自分の脇へと置いた。



「その者は、そこまで妖力があるわけでもないから大丈夫だけど。念のためあまり触れすぎない方がいいかもしれないね、雨夜」


「そっか。こんなに可愛いのに、君は少し変わった存在なんだね」


「みゃー」



小さな声で仔猫は鳴く。よく見ると歯が上下ともに無かった。



「まあ、宿に泊まる人はみんな僕みたいな人間ばかりでは無いだろうから、触っても大丈夫だね、余石」


「まあ、そういうことになるんじゃない雨夜」



再び雨夜は、自分のふところに猫を戻した。っと。



「ん? 余石。これは何だろう」



仔猫のどこからか、小さな金色の『何か』がベットの上に落ちる。



「小判、かな? 余石はどう思う?」


「小判じゃないかな、雨夜。猫に小判って言うし。もしかして、それを売ったらお金になるかもね」


「これが、小さな幸せ、なのかな。でも他人のものを奪うのは盗人がやることだよ、余石。僕は美容師だから、髪を切るだけ」



その小判らしき物をそっと拾い、雨夜は仔猫の前に置いてやる。



「これは、君のかな? 他の人に盗られないようにしなよ」


「みゃー」



嬉しそうに、その仔猫が鳴いたように雨夜は感じた。



「夜ご飯をお持ちいたしました、雨夜様、余石様」



ゆっくりとドアが開き、先ほどのエプロンを着けたおじさんがお盆にのせたご飯を運んできた。仔猫はこわばる様子を見せた。



「まあ、僕は何にも食べないけどね」


「余石様はそうでしたね、失礼いたしました」



軽く会釈をし、雨夜の前にあるテーブルにお盆ごと置く。



「今日の夜ご飯は、カレーライスでございます。食べ終わりましたら、お盆ごと部屋の外に出しておいてください」


「わかりました」


「では、失礼しま・・・・・・ん? 雨夜さん、その小判はどこで手に入れられたのですか?」



エプロン姿のおじさんは、ものすごく興味深そうに質問を雨夜に投げかけた。



「え、たった今この仔猫が落としたものですけど・・・・・・」「雨夜はもらってないけどね」


「その小判は、その『招き仔猫』が本当に安心した人に対してしか出さない、価値の高い小判です。いやー私には出してくれなかったのに、雨夜さんは何か特別なことをされたのですか?」



凄く、グイグイと、興味津々に、でも少し声を抑えて雨夜に質問する。



「いえ、特には何も。ただ、可愛いなと思ったから、ちょっともふもふさせてもらっていただけですよ」


「・・・・・・そうですか」


「この小判は、持って行ってもいい物なのですか?」



おじさんは少し顔をしかめた。



「ええ。ここにお泊まりくださっている方の小さな幸せは、その方の物です。お受け取りください」


「わかりました」



その会話を機に、おじさんはゆっくりと部屋の扉を閉めた。



 ーーーーー




「うをおおおおおおおおおおおおおおおおおおん!!!!!!!!!」



地響きのする大きな反響音。雨夜は飛び起き、さっと身支度を調える。



「何だろう余石」


「あれは妖の声だね。それも特大の妖だ」


「そう」



雨夜は荷物を肩にかけ、ドアを開け、階段を駆け下りる。



「おはようございます」



エプロンのおじさんは、穏やかな笑顔で床にぞうきんをかけている。



「おはようございます、おじさん」


「昨日はよくお眠りになられましたか?」


「はい、そうですね」「そんなことよりさーおじさん。あの声はどこから聞こえるんだい?」



エプロンのおじさんは、掃除の手を緩めることはない。



「何故かはわかりませんが、少し離れた山の方であのような地響き。音、声かな? そんな物が聞こえるようになったのです」


「何故かはわからないんですね」「なんだか悲しそうに聞こえるなぁ僕には」


「ああ、悲しそうに。余石さんは感情が豊かでおいでなんですね」


「いや、僕は感情のかけらなんて一つもないけどね」



床掃除が終わり、おじさんは雨夜達に向き直った。



「朝ご飯は食べられますか?」


「いえ、歩きながら食べたいので、何か携帯できる物をください」


「わかりました。作るのに少々時間がかかりますので、コーヒーでも飲んでくつろいでいてください」


「はい、わかりました」「はいはーい」



 ーーーーー



「それでは、お気をつけて。くれぐれも、あちらの山を通らないようにお願いします。危ないですからね」


「はい、わかりました」「じゃあねーおじさん」



雨夜達は携帯できる食料をうけとり、歩き始める。途中一回振り向いてみると、まだ、おじさんはこちらを向いて笑顔でみていた。



「なんだか、あの人からは気持ち悪い何かを感じるよ、余石」


「そうだね、雨夜。その感情は何にも間違っていないと思うよ、はっきり言って」



木々のまばらにある原っぱを、少し早足で歩く。



「もちろん向かうんでしょ、雨夜」


「そうだね、余石。妖なんでしょ? 僕は『妖美容師』だからね。妖のいるところには出向かないと、僕が生きている意味が無いよ」

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