水練りの村:2

「さあ、カットしていきましょうか」



余石に村長イワンを誘導し、座ってもらう。カットクロスをつけ、首に細かい髪の毛が入らないよう、ネックシャッターをつけた。



「雨夜さんと言ったかな? よろしくのう」


「よろしくお願いします。それではイワンさん。いつもはどんな感じでカットしておられますか?」


「はい、何分上のほうがないものですから、いつも丸刈りですのう」


「そうですか、わかりました。いつも通り短くしていたほうがスッキリもするでしょうし、そうしていきましょう」


「よろしくねぇ」



雨夜はシザーケースからハサミとクシを取り出す。シャンプー台はないので、スプレイヤーで髪の毛を濡らしてから施術に取り掛かる。



「それで先ほどの話なんですが……」


「ああ、そうじゃったな。……あれは半年ほど前じゃったろうか。ある村人の使っていた包丁が切れなくなったと報告が入ったのじゃ」


「切れなくなった?」「刃物は切れなくなるものじゃないの、おっちゃん?」


「はい。普通の刃物であればそうなのですが、水練りの技術で作った品々は劣化することなく、永久に使えるものばかりなのです」



雨夜は襟足にちらほらとある産毛を、研ぎたてのカミソリできれいに剃っていく。一つでも角度を失敗してしまうと皮膚を傷つけてしまうので、慎重に。



「劣化しないものが劣化するのは、おかしな話ですね」


「そうなんじゃ。それを皮切りに次々とわしのところに報告が上がってきた」


「例えば、どんな?」


「包丁や身近にある食器などに穴が開いて使えなくなってしまったり、普段使っているベットや棚などの大きな家具、果てや家の壁や天井にゆがみが生じて、雨の侵入を防ぐことが出来なかったりといったものじゃ」


「そうなんですか。この村的にはとても大変なことですね」「でもさっき、形状記憶の法則で温めると戻るっていう説明を受けたんだけど、それはまた別の話なの?」



頭の部分は襟足の部分からクシを頭皮に対して平行になるよう置き、ハサミで出た部分を刈り取っていく。



「いえ、本来はその箇所を温めると治っていたのですが、今回はそれが治らないのです。そんなことは今までになかったんじゃ。だから、あの者に何か起きているのではないかと思っているのです」


「あの者?」「あの者って誰なの、おっちゃん」


「主らはもしかしたら信じないかもしれないが、この村の水練りの技術はすべて『ステア』という妖によって伝えられ、管理維持されておるのじゃ」


「はい、妖ですね。信じます」「信じるよー」



その早すぎる答えに、村長イワンは驚く。



「なぜ、わしのこの嘘のような話を信じるのでしょうか?」


「それはですね……」「僕も妖だからー」



後ろ部分を刈り上げ終わり、左サイドの施術に取り掛かる。



「あぁ、そうでありましたか。それではすぐに信じて頂けるのも無理はない」



イワンはそう言い、少し目を伏せつつも話を続ける。



「この村の技術を根底から支える妖『ステア』は、様々な良きことをこの村に呼び込みました」


「良きこと、ですか?」


「はい、この村はとても貧乏で、その日食べていくのも困難な状態でした。ですがある日、私が村の外で今にも消えそうなものを見かけ、そのものを助けました」


「その者が」「『ステア』だったんだね」


「はい、その通りです。正直助けるか迷いました。私自信が食べていくのも苦しいのに、他のものに何か施している余裕などあるのだろうか、と」


「でも、助けた。それはとてもすごい判断だと思います」


「いえ。そんなことはありません。そして助けた後、我々にだけ技術を伝え、維持していくことを約束してくれました。その技術で作った商品を他の村に売り出すと、たくさんの人が喜んでくれて、どんどん買ってくれるようになった」


「潤っていったんですね、村が」



左サイドを刈り終わった雨夜は、最後の右サイドに取り掛かる。



「はい。村は潤い、商品と引き換えに貿易を交わすこともできるようになり、食料も豊富になりました。長年作物も育たなかったこの土地に雨が降るようになり、土がよくなり、作物もよく育つようになりました」


「それはとても嬉しい事ですね」「好循環だ」


「そんな『ステア』に、今何かが起きているのかもしれない。そう思って何度も確認しに行こうと思ったのじゃが、息子のヤンが止めるのです」


「その『ステア』がいる場所にですか?」「なんだか変な話だね」


「はい。確認しに行こうとすると「僕がさっき確認してきたけど、大丈夫だったよ」とか、「父さんの体が心配だから」などと言われ、行かせてくれないのじゃ」



右サイドを刈り終わり、切り残しているところはないかの最終チェックに取り掛かる。



「旅人の方にお願いするのは少々気が引けるのじゃが、少し確認しに行ってみてはくれないだろうか。老いぼれからのお願いじゃ、この通り」


「はい、わかりました」「速攻見に行くねー」



必ず渋ると思っていた村長イワンは、目を見開いた。



「大丈夫なのですか? もしかしたら何か異常が起きているのかもしれませぬぞ」



雨夜は最終チェックをし終わり、ハサミを置いた。



「はい。大丈夫です。僕は『妖を施術できる美容師』でもありますから。それに余石もいますしね」「任せてー」



村長イワンは終始口を開けて驚いていた。




ーーーーー



「場所は、もう少し上かな」


「雨夜、あの水色の何かが膜みたいに張っているところじゃないの?」



村長イワンから『ステア』の居場所を聞いた雨夜と余石は、少し休憩した後に、その場所を目指して村の奥にある小さな山の中腹へとやってきた。歩くごとに枯葉や枯れ枝がぱきっと音を立て、砕ける。生命の息吹は、あまり感じられない。



「ああ、旅人さんではありませんか」



急に何者かに話しかけられた雨夜は、そちらのほうを見ると同時に、声から離れるようにバックステップ。余石もそれに習った。



「あなたは確か、村長の息子さん」「確かヤンって名前だね」



そう言われると村長の息子ヤンは、ニコッと笑った。



「はい、そうであります。あなた方はどうしてこんなところへ?」


「はい、村長からのお願いで少し山の上のほうを確認してきてほしいと依頼を受けました」



村長の息子ヤンは、少し顔を曇らせた。



「それは、なにを確認して来てほしいと具体的に伝えられましたか?」


「……いえ、何も伝えられていません。僕たちはただ、上のほうを確認してきてほしいとだけ言われました」



村長の息子ヤンは、少し黙り、雨夜をにらみつけるように見る。



「その言葉、本当ですか?」


「本当ですよ」「………」



しばしの沈黙。空気が止まる。



「……あの水色の膜が張っているところには近づかないほうがいいですよ。危ないかもしれませんので。では」



そう言って雨夜の目を見ずに、村のほうへと降りて行った。




ーーーーー




「おっちゃんが話していた通り、あいつは何かを知ってるね、雨夜」


「そうだね、余石。何でこんなところに居たのかが理解できないけど、とにかくあそこに行ってみよう。危険だって言われたけど、あの膜は人間が作り出せるものではないと思う」



指さす先の水色の膜は、時々ゆがみや穴を形成していた。



「雨夜は危険なところに飛び込むのが好きだね。尊敬するよ」


「いや、好きではないんだけどね、余石。これが僕の本来の仕事なんだから」



ーーーーー



水色の膜の近くまで来た雨夜と余石は、ただ立ち止まってその者を見た。ぷにょん、ぷにょんと独特な音を発しながら、ゆがみ、穴を形成し、元に戻る。それを規則的に繰り返していた。



「雨夜、中に何かいるよ。妖が一つ」


「せっかく、私が、せっかく、私が、せっかく、私が、せっかく、私が」



膜の中にいる妖は伸びた髪をつかみ、引っ張り、自分の頭を鷲掴み、取ろうとしていた。



「何か言葉を繰り返している。余石、この人」


「うん、『厄』を抱えているね」



二人には、普通の人が見えない『何か』が見えている。



「余石、この膜僕が無理やりはがして中の妖を誘い出そうか?」


「いや、やめといたほうがいい。雨夜が普通の状態でそれに触ると、多分溶けるよ、手が」


「うん、止めとくよ、余石」



余石が自分の後ろに来いというので、雨夜は素直にそれに従う。後ろに行ったことを確認した瞬間、余石の体から青色のオーラに似た何かが出る。



「そこにいる妖、『ステア』! 聞こえますかー!!」



その大きな響く音に空間を歪ませるほどの衝撃波が加わり、水色の膜の中にいる妖『ステア』がこちらを向いた。



「今から! 君の話を聞いてあげるから! こっちに来て! その鬱陶しそうな髪も整えるよ! この人間が!」



あまりの衝撃に耐えきれず、水色の膜が吹き飛び、『ステア』の格好が丸出しになった。全身が日の光によって透けているが、人間の形をしており、あの膜のようにぷにぷにとしている。髪は伸び切っているが、髪の毛同士が当たるとぷにんぷにんと揺れ、とても細長い水風船のようだ。



「せっかく、私が、せっかく、私が、せっかく、私が、せっかく、私が」



ゆっくりとだが、吸い込まれるように、『ステア』はこちらに向かって歩いてくる。



「ほら、そこの水の方」



余石がそう言うと、妖の動きが止まる。


二人はいつものように、慣れ親しんだ知り合いに話しかけるように、こう言った。



「ここに座りなさい」「僕に座りなよ」



そう言った瞬間、余石の周りに出ている青色のオーラに似た何かが強まる。するとその『水の人』は大人しく余石に腰かけた。



ーーーーー



瞬間、世界が変わる。



ーーーーー


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