閑話:過疎ゲーム配信で、かつて「女神(ミューズ)」だったひとを見つけた

 僕は初老のイラストレーターだ。ゲーム会社勤務を経て、四十を過ぎて退職し、副業として請けていた絵の仕事を本業とした。

 裕福とはいえないが、日々の暮らしに困るわけでもない。毎日朝七時には起床し、ストレッチ。そして朝食を作ってインスタにアップし、ゆっくりと食べる。一人暮らしなのですべてが自分のペースだ。今日は和食にした。生卵に納豆、もちろんねぎをいれる。昨夜漬けておいたきゅうりの浅漬け。それから土鍋で炊いた白飯と、大根と油揚げの味噌汁。


 食べ終えたらすぐに食器を洗う。そしてコーヒーを淹れてから、僕は作業に入る。1DKの部屋はやや手狭だけれど、僕はこの空間が気に入っている。今はパソコンとタブレットがあれば絵は描けるし、光回線も先日IPv6に切り替えた。快適で、かといって贅沢でない生活を送ることに僕は神経をはらっている。


 作業に飽きると、僕はいくつかの動画配信サイトを巡って、作業のBGMに向いたコンテンツを探す。映画や音楽でもいいのだが、時折、素人の人間の生の声がただ流れている状態というものが恋しくなるのだ。自宅作業ばかりだと、自然、あまり外にでなくなる。そうすると人間、不思議なもので「ひとのこえ」が必要となるのだ。放送大学の、全くわからない分野の講義をただただ聞いているのも好きだ。僕と同じくらい、もしくはすこし年上の男性ふたりが講義をしているだけの穏やかな時間。


 僕がそのゲームの実況配信を見たのは、朝早い時間帯で配信者が少なかったせいと、コメントが荒れたものしかなかったせいだろう。あとは、僕が退職した会社がリリースしていたオンラインゲームの配信だったからだ。

 ──パート行かなくていいのかよ。

 ──暇なの?

 ──なんで顔出してんの。

 ──声だけなら囲いつくでしょ。

 ──化粧バッチリで笑える。

 このゲームのユーザーは年齢層が高く、実況配信にそこまで攻撃的なコメントがつく事例を僕はあまり見たことがない。マナーのなっていない配信者などに対してならばともかく。

最初に飛び込んできた文字の暴力が強すぎて、僕は配信されているゲーム実況画面をしばし呆然と眺めていた。そして納得した。50代後半くらいの女性が、顔を出して配信している。動画配信サイトはいくつかある。このサイトは古参ではあるが民度はあまり高くない。世界には90歳のゲーム配信者もいるくらいなのだが。


 人間不思議なもので、たとえば自分よりはるかに高齢な人間であっても、穏やかな物腰や物言い、謙虚な姿勢をくずさない人間には、きついコメントをしなくなっていく。しかし、このゲーム配信者はオンラインゲーム上で組んでいるパーティメンバーをあしざまにののしり、自分のキャラへのヒールが遅いだとか、タンクがなっていないだとか、荒い口調で延々と続けている。これは同じパーティーのメンバーもたまらないだろう。配信されていることを、知っているか、知らないかはともかくとして。


 ともかく、僕はその悪罵を続けるゲーム配信から逃れ、穏やかな声音の配信者を探そうとした。その瞬間、配信者は言った。

「あたしは本来、あんたたちなんかと遊んでやる人間じゃないのよ」


 かつて、同じセリフをどこかで聞いた。どこだろう?

 じゃらじゃらとかきまぜられる麻雀の牌。煙るたばこのもわっとした空気、酒の匂い。ああ、若いころに『師匠』と入り浸っていた雀荘だ。

 『師匠』は劇画作家で、ちょっと名の知れた人だった。僕は漫画家を目指して、彼の弟子となっていた。若いころの、わずかな期間だ。師匠の人間関係に巻き込まれるのをおそれて、僕は学生生活に戻り、まじめに就職活動をしたので。


 雀荘のバイトの女ははすっぱで、明らかに師匠に気があった。はっきりいえば、師匠の名声のおこぼれにあずかりたいグルーピー予備軍、といったところだろうか。

 そして師匠と寝ることに成功し、師匠の女ヅラするようになった。その彼女の口癖が、

「あたしは本来、あんたたちなんかと遊んでやる人間じゃないのよ」

だったのだ。

 僕は彼女が、雀荘のバイトであることしか知らなかったので、どんな人間だか、知ることはなかった。


 過去の記憶がよみがえり、僕はパソコン画面の中、小さく映る女の顔を見た。

 ああ、あの女だ。師匠が一時期情婦とし、作品のモデルとした女。一瞬だけ、師匠の創作の女神だった女。それがまさか、オンラインゲームの配信をして、若者たちに心無い言葉を投げかけられているだなんて。しかし本人にそれは見えないのか、本人はほかの人間たちを罵倒している。なんて光景だ。

 女はすっかり年をとっていたが、服装は変わらず、胸の谷間を視聴者に見せつけるようなものを身に着けていた。ああ、あの頃と変わらないな、と僕は思った。思って、そして、ブラウザを閉じた。


 僕の穏やかな暮らしのための部屋に、平穏が戻ってきた。


その後、たびたび昔の知り合いとおこなっているオンラインの飲み会で、奇しくもあの女の話が出た。

『知ってる? 師匠の元アレが、生活保護もらいながら毎日ネトゲして配信してんだよ、朝の六時から夜の零時まで。もちろんお昼寝タイムあり。うらやましい話だよな……いや、うらやましいか?』

自分で言っておきながら否定する元同期の弟子仲間に苦笑し、僕は沈黙をたもった。しかし、ほかの弟子が『俺も聞いたわ、あの女、ほかの弟子に手だして駆け落ちしたんだろ』と相槌をうってしまう。


「やめとこうよ、一時期とはいえ、師匠のミューズだったんだからさ」

僕の言葉に、ほかの弟子仲間はひとしきり爆笑し、そして言った。

『せめてさぁ、対等な、才能ある女だったならね』

 彼女に何かの才能があったとして、それはそれで行く末は破滅だったんじゃないだろうか。僕はカティサークの水割りのおかわりを作り、口にふくんだ。


 かつてミューズだったひと。そしてもう、女神には戻れないひと。

 彼女はそれに、気づいているだろうか? あの画面の中で、誰かを常にののしりながら。

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