僕の願いと、乙姫の望みと、僕の決意――1

 乙姫と同じように、僕は音子と連絡先を交換していた。


 そんな音子から僕に、




『明日、ウチんとこ来てくれへん?』




 とのメールが届いたのは、七月二二日――僕が歌詞をお披露目ひろめしてから二日経った日の、夕方のことだ。


「なんやぁ? 遅いで、啄詩? 女の子を待たせるなんて男子失格やでー?」

「ご、ごめんっ」


 約束の五分前――午前九時五五分に音子の家に着いた僕は、開口一番、音子からそう怒られてしまった。


 音子の部屋に上げてもらうと、そこには既に乙姫の姿があった。相変わらず姿勢よくピシっと背筋を伸ばし、正座している。


 僕と目が合った乙姫は「おはよう」と挨拶してくれた。


「ごめんっ! 待っててくれたのに遅れちゃって!」


 平謝りする僕に、乙姫は気を遣うように苦笑する。


「大丈夫だよ? 啄詩くんが謝ることないよ」


 ホッとした僕は、面白がっているような音子の視線を横顔に感じつつ、乙姫の右斜め前に座った。


「えっと、音子? 今日はどんな集まりなの?」


 一応質問したけれど、僕はなんとなく察していた。


 僕の目に映る乙姫が、顔を紅潮こうちょうさせながら、見るからにワクワクとした表情をしていたからだ。


 まるで遠足前日の子どもみたいに。いてもたってもいられないっていうふうに。


「そんなん決まっとるやないか」


 僕と乙姫へと向けて、音子は両手を腰に当てて堂々と胸を張った。


 やけに平べったい、との修飾語は、流石に可哀想だから胸の内に留めておこう。


「『Blue Blue Wish』のメロディーを聴いてもらうためや!」


 乙姫がぱあっと破顔した。


「えっ! メロディーってこんなに早く作れるものなのっ!?」


 予想はしていたけれど驚きのスピーディーさだ。


 僕は目を見張った。


「まあなぁ。ウチかてそこそこ勉強しとるし、姫の唄うてる曲のアレンジも手がけとるからなぁ。『音楽理論』っちゅうのにも、まあまあ詳しいつもりやしな!」


 ドヤっとした顔でそう言いながら、音子は僕らの前を通り過ぎ、音楽制作用のデスクへと向かう。


 スリープ状態になっているらしいパソコンの画面。音子がそれを、マウスを動かすことで解除した。


 真っ黒だった画面に色が付く。


 音子は、カチッ、カチカチッ、と何度かクリック音を立てて、


「ほないこか?」




 カチッ




 メロディーが紡ぎ出されはじめた。ピアノの音色をした旋律だ。


 流れてきたメロディーは、


「ミドルテンポなんだ」

「ミドルテンポ?」

「アップテンポとかスローテンポとかよう聞くやろ? その中間にあたるテンポや」


 そう。速すぎず遅すぎず、それはさながら、


「歩いているみたいに、ゆったりとしたテンポだよね」


 目を細めて微笑む乙姫の表現通り、散歩でもするかのような心地良いテンポだった。


「デートっちゅう設定の歌詞やからな。急ぎすぎるんもノロすぎるんもアカンやろ」

「うん、ちょうどいい。わたしもそう思ってた」

「へ、へえ、二人ともスゴいなあ。歌詞を見ただけでそんなことわかっちゃうの?」

「啄詩の歌詞とテーマがしっかりしとったからやで? ちゃーんと制作者の心が込もっとったからなぁ」


 シシシシ、と音子が小悪魔みたいに笑い、僕は、ぐぅっ、と唸る。


 こ、このいたずらっ子めっ!!


 そんな僕たちの様子を、乙姫が『?』って顔つきで眺めていた。

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